お魚咥えた高次元、追いかけて

合評会2021年07月応募作品

古祭玲

小説

3,047文字

退屈な生活を送る主人公。彼女のクラスではいつも変なブームが巻き起こっていた。ある日、渋谷で意味不明な怪現象が発生する。それを面白がった国民により、その現象を真似することが流行った。主人公のクラスも例外ではなかったが、彼女は徐々に違和感に気づき始める。

流行。突然来て、突然去るもの。

 

私のクラスは昇降口から最も遠い場所、つまり四階の奥地にある。

そのため、クラスメイトはみな朝早くに教室に集まらなければならない。そうしないと遅刻してしまうのだ。

もちろん、全員が朝早く起きられるわけではない。団体あるところに遅刻魔あり。クラスの人気者蝶野一郎は、今日もチャイムと同時に教室に入ってきた。

「あっち〜あっちあっち、あっち〜」

この言葉と一郎の体臭が教室に響くと、クラスの男子は一斉に気絶する。

「シーブリーズ、シュッシュ」

美女が香水を頭上に吹きかけ、香りのベールに包み込まれるシーンをオマージュして、一郎はシーブリーズを噴射した。

すると、気絶したふりをしていた男子たちが、息をゼーゼー鳴らして復活する。

このドリフを彷彿とさせる流れは、七月になってから毎朝行われている。これでもう十回目くらいだ。

 

流行。くだらないもの。

 

都会でもなく田舎でもないこの土地にて、時間はゆっくりと進んでいく。退屈な授業に、つまらない雑談。

漠然とした不満に駆られる毎日だが、私は同時に平和を享受している。

隣の席の平井夢子も平和ボケしているらしく、三限の数学から逃避するように眠っている。机にばら撒かれたポニーテールの毛先は、関数のグラフを暗示しているのだろうか。

高校生にもなって競泳水着を着せられる四限、私はビート板に命を握られている。一郎が飛び込んだせいで、目に汚い水滴が入ってしまった。隣でバタ足ばかりしている夢子も、たいそう不満げである。

塩素臭い体を乾かしたあと、私は夢子と素朴なランチを楽しむ。中身のない話をして、一人の寂しさから逃れているのだ。

それからは、いつも通り眠気と戦いながら授業を受けるルーティン。同じ境遇である世界中の学生たちに想いを馳せながら、私は睡魔に負けた。

学校での一日が終わると、私は帰宅部としての責任を全うすべく帰路についた。

十五分ほど歩くと、我が家がある。二階建てなのは、すべて両親のおかげだ。

殺風景な自室に戻ってすること、それはドラマ鑑賞。

イケメンが出ていればとりあえず予約。内容なんてどうでもいい。そんなバカっぽい考えでテレビをつけると、キャスターが物騒な顔で何やらとんでもない話をしていた。イケメン観察は、一旦お預けだ。

「五分前、渋谷定点カメラが捉えた映像です。スクランブル交差点を通行していた歩行者の方々が、一斉に同じ動きをしています。まるで、泳いでいるようです」

言い得て妙だ。何の繋がりもなさそうな歩行者たちは、プログラムされたように同じ動きをしている。クロールの素振りのようだ。さらに不気味なのは、全員が困惑しきった顔で自分の体を見つめている点だ。

「当時渋谷にいた方に話を伺うと、皆さま口を揃えて、体が勝手に動いたとおっしゃっていました」

訳がわからない。フラッシュモブとかいうやつではないのか?

私はこの報道を出まかせだと結論づけ、待ちに待ったドラマ視聴に頭を切り替えた。

翌朝、ニュースは集団クロールの話で持ちきりであった。

あの報道が反響を呼び、様々な憶測が飛び交ったという。くわえて、SNSでパロディ動画が投稿されたり、有名スポーツジムが集団クロールにまつわるキャンペーンを告知したりと、まさしくお祭り騒ぎだ。

当然、蝶野一郎を頭領とするクロール練習集団が現れる。授業の休み時間のたびに、男子は飽きもせずクロールの素振りに時間を費やした。

 

流行。突拍子もないもの。

 

馬鹿真面目な学者や芸人のコメンテーターが、ある学校で撮影された集団クロールを見て、苦言を呈している。彼らいわく、授業中に騒ぐのは良くないそうだ。

その点私のクラスは良識がある方だろう。まったくこの流行りについていけない私にとっては、迷惑極まりないのだが。

それからしばらく経って、七月も終わりに差し掛かろうとしていた。酷暑はいよいよ本気を出し、人の一人や二人くらい容易に殺してしまえる勢いだ。

暑さに狂ってしまったのか、教室では男子に加え女子の何人かも、クロールの動きを始めていた。最初は陽気なギャルがやり始め、今には夢子にまで伝播している。

「やめなよ…」

私の言葉が耳に入っているのか入っていないのか、夢子は目をキョロキョロさせながら腕を回し続けている。

何かがおかしい。身近な人が変わってしまったことで、私はようやく違和感に気がついた。

多分、クラスメイトは望んで腕を振り回しているのではない。彼らの顔を見るに、それは発作のようなものなのだろう。

それは、黒板の前に立つ先生も、信号を待つ老婆も、スーツを着た男性も、予算審議中の国会議員も、試合に出場していた海外のサッカー選手も浮かべていた顔。

「ねえ夢子!やめてってば!痛っ」

夢子の腕は制止を振り切った。モーターに絡まれるように腕が巻き込まれて、私は慌てて夢子から離れる。

そのとき、クラスメイト全員が私の方向を向いた。彼らが元いた場所から移動することはなかったが、なにぶんクロールの真似事をしているものだから、自分がゴールにされたような感覚だ。

私は逃げた。人生でもっとも長く感じた廊下では、老教師が血走った目で腕を回しており、骨の軋む音がよく聞こえた。他の教室でも、すでに普通の人間はいない。

帰宅部魂が宿ったスニーカーを履き、私は走った。道で立ち止まる人々は、通りすがる私に照準を合わせて体を回転させる。

家に帰っても何をすべきかわからず、スマホも圏外になっている。テレビ、ラジオはもはやただのガラクタで、現代文明が壊れていくさまを肌で感じた。

まともな人がいることを願って、私は再び外に繰り出すことにした。すると、先程まで元気よく腕を振り回していた人たちは、みな白目を剥いて力尽きていた。

やはり学校も同じで、教室には死屍累々の山。夢子もその一員となっていた。

 

「流行。抗えないもの」

 

窓の外に浮かぶ“何か”が、そう言った。

「我々は過ちを犯した。君たちには理解できないだろうが、環境を反転させてしまったのだ」

“何か”は膨らんで、縮む。色はない。いや、ないのではなく、判別できない。

「最初は個体レベルだった。しかし、人間は深層心理で繋がっていたのだ。個は存在しなかった。最初から」

いつの間にか手足の感覚が消えていた。そのかわり腰がかなり柔らかくなった気がする。“何か”に話しかけようと思ったが、声の出し方を忘れてしまったみたいだ。

「ネットワークで繋がると同時に、人は別次元に個を獲得している。本能、つまり体は、流行という名のバグによって破損してしまった。これは我々の責任だ。しかし、別次元の個である自我は、辛うじて存続している。諸君、君たちが暮らしていた世界は海となった。真っ白な自我をした者だけが、適応しうる」

私は空を飛んでいる。進みたい方向に、自由に向かうことができる。視野も広くなって、とても新鮮な気分だ。

「君は特別だ。流行というバグは、君に明確な自我がないことが原因で、君に侵入できなかったようだ。おめでとう」

まるで、海中を自由に泳ぎ回っているようだ。“何か”が話していることは理解できるが、もうその意味は伝わらない。

「この星の高知能体が下等でよかったよ。では、さようなら」

クラスのみんなはきっと、こうして空間を自由に徘徊したいがために、クロールを練習していたのだろう。

私にこんな力が眠っていたとは。

楽しいけど、誰とも共有できない。

 

流行。虚しいもの。

2021年7月14日公開

© 2021 古祭玲

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3.1 (16件の評価)

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"お魚咥えた高次元、追いかけて"へのコメント 27

  • 投稿者 | 2021-07-15 10:40

    日本は基本的に単一民族だから、流行におくれるとまずいことになる。四年ほど前に日本に行ったら、日本に住んでる友達に「え、ピ小太郎知らないの?」と真剣に驚かれ、多分廃れるのも早い日本ではきっとその人も、もう廃れているのだろう。私は結局いまだにその人のことを知らない。
    この作品は、ショートショートみたいに落ちがあるのかな、と思ったらそうでもなかった。でも最後の十行は滅茶滅茶カッコよかった。「真っ白な自我」という言葉がよかったです。

    • 投稿者 | 2021-07-15 15:49

      コメントありがとうございます。
      流行に乗り遅れても、それは電車と同じでまた来ます。ピコ太郎は快速列車でした。すごいインパクトを残しましたが、快速はすぐに終点に到着してしまいます。
      流行もこの作品も、終点が分かった状態。
      「流行。突然来て、突然去るもの」
      終点、すなわちオチは序盤にあったのです。
      そうなると、オチがあるべき終盤は虚しいだけ。
      「流行。虚しいもの」
      これは、今適当に作ったこじつけです。
      次はちゃんとオチ作ります。

      著者
  • 投稿者 | 2021-07-21 01:05

    はじめまして。
    ちょうど代々木公園の気球がらみで『首吊り気球』というホラー漫画を知ったばかりの事だったので、訳もわからずみんながクロールするくだりを読むとそれを思い出しました。
    仕掛けられたものも多いのでしょうが、現実にどんなものがどんなきっかけで流行りだすかわからないものでそのメカニズムは考え出すと不思議に思います。最後の種明かしに当たる段落で、明確な自我が無いゆえに主人公は「流行」に呑まれるのを免れたというのがちょっとよくわかりませんでした。普通は逆のように思えるからです。よければご教示ください。
    「流行。--」の反復がとても効果的で良いと思いました。

    • 投稿者 | 2021-07-22 16:12

      感想ありがとうございます。
      なぜみんな流行に乗るのでしょう?
      それは、仲間はずれが嫌、流行に遅れると変な目で見られる、等が理由です。
      大した自我がなければ、周りの目はおろか、自分自身に関しても無関心になってしまうのです。
      だから、主人公は流行に乗りませんでした。
      そう思うと、主人公は最後の場面で自我を獲得したのかもしれませんね。

      著者
      • 投稿者 | 2021-07-22 23:21

        なるほどです、理由がわかりました。我が無さ過ぎて自分がどう思われるかにも無頓着だから「流行」に呑まれなかったわけですね。それで最後のシーンの意味もきれいにわかりました。自我が無いからこそ他の皆と一緒に破滅することから逃れて、一人自由な世界にいるというのはアイロニカルですばらしいエンディングに思います。

  • 投稿者 | 2021-07-21 22:03

    パンデミックの寓話として読んだ。最後の宇宙人は説明しすぎだけど楽しい。タイトルは意味がよくわからない。

    言葉はともかく体臭が響くってのは変な表現だな、とか、ベージュじゃなくてベールじゃないの、とか冒頭から日本語の不自由さにいちいち引っ掛かりを覚え、物語に入りにくかった。あと「標準を合わせて」は照準では?

    • 投稿者 | 2021-07-21 23:40

      感想ありがとうございます!
      「楽しい」ありがたいお言葉です。
      他のサイトでも、
      「表現が独特すぎて損している」
      といったようなご指摘をいただいているのですが、タイトルや「体臭が響く」の表現も、ひとえに私のこだわりの仕業です……
      (匂いがキツイと頭に響くので、言葉遊びのつもりでした。タイトルは私もわかりません)
      誤字指摘もありがとうございます!
      「照準」ですね。修正します。

      著者
  • 投稿者 | 2021-07-22 19:19

    最後の方の解説が難しかったのですが、集合的無意識みたいなことでしょうか。「流行」に流されない主人公だけは海に溶けずに済んだけれど、本当に一人ぼっちになっても生きなければならない。ひどい結末の話なんですけど、あんまり悲惨な感じがしないのは、もともと一人で生きていたからですかね。
    冒頭のいきいきした学校の日常生活から、だんだん周りが狂い出す筆運び、夕飯の支度も忘れてついつい読まされてしまいました。

    • 投稿者 | 2021-07-23 02:33

      素敵な感想、ありがとうございます。
      感覚的には集合的無意識に近いのですが、なかなか頭に思い描いた「体と魂と自我の関係」を説明できない状態です。
      自分の無力を嘆いても仕方ないですが、夕飯の支度を忘れさせる力を持っていることを、自信としていきます!
      ありがとうございました。

      著者
  • 投稿者 | 2021-07-23 00:54

    その昔、規則的な潮流によって海に意識が芽生えその中で生きる生物の話を書いたこと思い出しました。SF警察には補導されるかもしれませんが私は楽しく読ませて頂きました。

    • 投稿者 | 2021-07-23 02:36

      おお!すごく面白そうなお話ですね!
      楽しく読んでいただけて、幸いです!
      自分の定義に固執した視野が狭いSF警察は、真っ先にクロール素振りに支配されます……

      著者
      • 投稿者 | 2021-07-23 16:12

        最後に「虚しいもの」とされているように、この作品では流行の否定的な側面が、学校生活の中で捉えられているように感じました。私もかつて学校生活の中では流行に乗りたいような、乗らずに反抗したいような、反抗すらせず無視したいような複雑な気持ちでいました。
        作品とは関係なくなるかもしれませんが、今では「流行」に肯定的な一面も感じます。
        小規模なものであれ「流行」なくしては、何か文化が社会に定着することもないように思えるからです。

        • 投稿者 | 2021-07-25 00:00

          感想ありがとうございます!
          流行とは恐ろしいもので、個人が乗る乗らないなどの事情を一切無視して、人間の文化の一部分となってしまいます。
          それが面白くて、怖くて、このような作品を作りました。

          著者
  • 投稿者 | 2021-07-23 03:06

    明確な自我がないということの表現が、田舎の学生生活という角度から表現されているのが面白いと思いました。周囲の大人から「自我を持て」と強要される年代で、敢えて自我を持たないことはむしろ強靱な精神力を要する難しい作業なのかもしれない。

    • 投稿者 | 2021-07-23 08:07

      素敵な感想ありがとうございます!
      これは完全に私のせいですが、私自身、周囲の大人から「自我を持て」(そのニュアンスを含む働きかけ)のような指摘を受けずに育ったため、主人公にも反映されています。
      そういうことを言ってくれる大人に巡り会えたなら、私も主人公もきっと幸せだったでしょう。

      著者
  • 投稿者 | 2021-07-23 16:15

    コメントに返信をしてしまい、コメント位置がずれてしまいました。失礼いたしました。

    • 投稿者 | 2021-07-24 21:36

      私は「体臭が響く」は好きです。実際響く体臭の方はおられるので……。
      みんなが意思と関係なくクロールさせられてるの怖いですね。不気味な風景が浮かびました。
      一人ぼっちになってしまったのにどこか清々しいのが良かったです。主人公自身流行が虚しいものだと思っていたのかなと思いました。

      • 投稿者 | 2021-07-24 21:38

        すみません! 返信にしてしまいました!

        • 投稿者 | 2021-07-25 00:05

          返信ミスに返信ミスが重なる珍事が、この作品の「流行」を暗示しているようで、面白いです。
          曾根崎さん、感想ありがとうございます。
          そうなんですよ、頭にガンガンくるタイプの体臭は実在します……
          クロールはオリンピックと海を意識しましたが、ボックスステップの方が面白かった気がしてます。

          著者
  • 投稿者 | 2021-07-24 21:35

    私は「体臭が響く」は好きです。実際響く体臭の方はおられるので……。
    みんなが意思と関係なくクロールさせられてるの怖いですね。不気味な風景が浮かびました。
    一人ぼっちになってしまったのにどこか清々しいのが良かったです。主人公自身流行が虚しいものだと思っていたのかなと思いました。

  • 投稿者 | 2021-07-24 23:38

    流行について考えさせられます。
    私は流行に対しては、「乗る」よりも「流される」という感覚があります。
    既にコメント欄でも指摘があるようですが、本作では、自我が弱いから流行に流されるのではなく、流行に乗る(流される)人間は自らの意志で流行の海を泳いでおり、自我の「真っ白な」(ほとんどない?)語り手が流行に乗らない(流されない)。
    自分としては自我の強い人間の方が流行に流されない(乗らない)というイメージがあったので、どちらが正しいということはないですが、クラークSF的なラストで示される「自我がないことが特別」という個所は、著者の考えを知ることができて面白いと思うとともに、現代を泳ぐ人間に対する強烈な皮肉のようにも感じました。

    • 投稿者 | 2021-07-25 00:09

      素晴らしいご指摘、ありがとうございます。
      クラーク的エンドも、隠せたと思った皮肉もバレてしまったわけですが、このように自分と少し違う考え方に触れると、どうにも頭が覚醒してしまいます(いい意味で)。
      また機会がありましたらよろしくお願いします。

      著者
  • 投稿者 | 2021-07-25 04:18

    出会いの際の言葉は無いのに、さようならは言うんだって思いました。句点とかピリオドとか使う感覚なのかな。その何かが例えば高次の存在で、で、常にそう言う感覚なんだとしたら、私は流行に乗ってみんなで死んだほうが楽ですねえ。

  • 投稿者 | 2021-07-25 22:54

    なんだろう、私が最初に破滅派に投稿した作品とテーマが近いようなそうでないような、でも親近感を覚えました。
    対話が通じるだけ

  • 投稿者 | 2021-07-26 15:12

    「君は特別だ。流行というバグは、君に明確な自我がないことが原因で、君に侵入できなかったようだ。おめでとう」

    皮肉だなあ。世にも奇妙な物語でありそうなお話。小芝風花さんとか濱田岳さんとかを起用して、映像で見てみたいです。あのコメンテーターの芸人さん、真面目だなあ。

  • 編集者 | 2021-07-26 18:55

    ニューウェーブと言うのも死語になったし、流行というものが死につつあるなかで、この話題は面白かった。

  • 投稿者 | 2021-07-26 20:30

    学園モノかと思ったらSFチックに締まったので、わりと好き

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