痛々しくも我等は

応募作品

Juan.B

小説

4,403文字

※2021年5月度合評会応募作品。
※表紙は、アドルフ・ヴェルフリ(Adolf Wolfli)「General view of the island Neveranger」。

貸しスペースは静まり返っていた。コ字型に並んだ机の向こうで、白衣を着たやや小太りの男がクーラーボックスを持ち上げた。着席しているまばらな服装と性別の一同は、ただそれを凝視していた。その“不自然さ”は、それぞれの行為の揺らぎによって、とても言い表せるものでは無かった。そして小太りの男は、チッと口元で音を出しながら、クーラーボックスの中身を取り出した。密閉されたガラス瓶だ。会場のどこかで、タイミングを掴みかねたのか、吃音の様な繰り返しの後に声がした。

「ぼぼくたちの、ワ、ア、ア、ワクチ、ンだ」

一同はあっと息を飲んだ。息を飲むに相応しい出来事だった。そしてそのキョロキョロ動く目のやり場は、各々のどこにも限界が無かった。浄水場のロゴが入り長いツナギを着て口をぽかんと開けた角刈りの男が、前に小走りで出て来て、まるで漫画の様にキッと止まった後、ガラス瓶の戻されたクーラーボックスを受け取った。

「じゃ、まず、ぼっボクやるから」

「うんっ、うん」

貸しスペースのあちこちに笑いとも息漏れとも取れない声が満ちた。そして何か感極まったような雰囲気が確かに満ちて、別の声があがった。

「梶元さんありがとう!」

「そう、タケオくん大事だからソレ!」

「うおおおっしゃあ」

延々と鉄道ダイヤの話をしていた、バッジが色々着いた帽子を被った高校生位の男が、わざとらしく立ち上がって喜んで見せる。机の下で足を盛んにプラプラさせていた、少し肩の余ったスーツを着た女が、先程から時計をしきりにうかがっていた。そして女は頭をこすりながら、甲高く早口で述べた。

「じゃこれで全部終わったのねハイじゃみんなこれすぐ撤収して時間が来るからゴミ残さないで」

 

~~~

 

「ガイジおせえんだよ……」

金髪の男が、統合浄水場の玄関のタイルに撒かれた水をモップ掛けしながら、悪態をついた。

「まあまあ」

放水している年上の係員が、呆れた様な笑顔をしながらなお水を出し続ける。

「ガイジ、十五分前に来るように言ってあるんですけどね」

「ガイジって言わない」

その時、一歩一歩踏み締める様な音がして、門の陰に人影が現れた。激しい息切れをしながら、角刈りの男が走ってくる。年上の係員が鼻で笑った。

「タケさんが来たねえ」

金髪の男は、さっきまでの態度も失せ、その様子を凝視した。タケオの体つきは大人だが、どうにも不自然である。だがそれを上手く説明できない。金髪の男は友人との飲み会の席で、この角刈りの同僚の奇態を散々笑ったが、この何とも言えない挙動を一貫して説明することは出来なかった。ただ、友人が「クラスに一人はいるタイプか」と言っていたのを思い出す。

「お、おう。タケオ……くん、十五分前には来るように言ってあるよな」

「ふぁいッ、すみません」

「困るぞォそれじゃあ」

金髪の男がそう言うと、タケオはまるで漫画の様に、カクンと腰を落とす様にお辞儀をした。どうやら謝っているらしい。タケオと働くようになってから九ヶ月。金髪の男はもはや怒ったりする言葉も失いつつあった。タケオが先に玄関から更衣室に向かった後、金髪の男は係員に困惑の視線を向けた。

「あいつにフッ素化合を任せて良いんですか」

「さあ……」

そのいつもの光景により、タケオの背負っているカバンが普段と違う事に二人は気付かなかった。

 

~~~

 

池袋に聳える巨大なオフィスビルの窓際で、似た様なツーブロックの髪型をした二人の派遣社員が、缶コーヒーを啜りながら休憩時間の残りを過ごしていた。

「そっちは?」

「来週から現場ですよ。あのスタジアムで特定派遣が始まる。あー怖いな」

二人は、まだ研修が一緒だった頃のことを共に思い出しながら、この職場の唯一かつ平等の利点と言える広大な外の風景を楽しんでいた。

「誰かいなくなりました?」

「こっちはみんないるけど。そちらは?」

「居なくなったわけじゃないけど……」

その時、廊下の向こうで何か鈍くぶつかるな音がした。すぐに二人が振り返って見ると、スーツを着た背の小さい女が、出入り口の広い戸口にぶつかって出て行った所だった。

「アレが……」

「ハルヒさん?」

「木村さんね。誰だっけそのアダ名付けたの」

「人事の人。変なアニメみたいだ、『木村ハルヒの困惑』だって。ツイバレもしてて、重度のショタコンだって。面白いね。ハルヒさんが?」

「あの人はもうお茶入れとシュレッダーしかさせられてない気がする」

「まあねえ」

そしてすぐに、いくつかのお茶を盆に乗せて、仏頂面の彼女が帰ってきた。キャラクターの様なあだ名を自覚している木村は、あちこちにお茶を置いていった。一足早く帰って来ていた、でっぷり太っている人事の男の机にも立ち寄る。

「どうも」

「……」

木村が無言でお茶を置いていった。その、やけに濃いお茶を啜りながら、人事の男はパソコンを眺めた。木村を別の派遣と取り換える様に暗に求める書面を仕上げる。

「これで良いか……ん?」

なぜか誤字が多い気がする。

 

~~~

 

澄んだ目をした白髪の教授が、笑顔のまま、学生たちに怒鳴り散らしていた。

「だあーかーらーッ」

「す、すみません。正しい手順を踏んだはずなんですが」

「わーッ」

教授はなお笑顔のまま、先程渡された書類を掌でバサバサと散らし、学生の足元に何枚か落とした。学生たちはそれを拾い、不満そうな顔で出て行くしかなかった。白髪の教授は椅子に座り込んだ後、製薬会社の社員が先程置いていった封筒を開け、満足そうに中身の札束を眺めた。そして研究室の隅でボノボに関する本を読んでいた男を呼んだ。

「おい、梶元」

「はい」

「あーお前は良い奴だ。口答えしないからな。このグラフに関係する数値、弄っといてくれ。これやるよ」

「はい」

梶元は、改竄箇所に適当に丸をされた論文下書きの束と、札束から抜かれた一万円札を渡された。

「おい、俺トルコいくから。終わったら帰って良いぞ」

「はい」

教授が部屋を出て行くと、梶元は手袋などを急いで身に付け、部屋の隅の簡易培養器から即座に小皿を取り出した。そして、自分の席の大引き出しの中のプラ籠で秘密に飼育されているネズミに、その希釈液を与えた。ネズミは常同行動を文字通り繰り返している。

「教授、トルコ行くっていうけど。凄い遠くだよなっ。なあハム太郎」

ハムスターではないネズミは、くるくる回り続けている。

「教授がトルコから帰ってくると、石鹸臭いんだよ。ああ見えて清潔好きなのかな、な、ハム太郎」

ネズミはピョンピョン飛び跳ね、梶元に向かって飛び掛かろうとするが、プラスチックに阻まれ、のたうち回った。

「……まるで俺だよな。ごめんな。でもお前はすぐに死ねる。ネズミと言う、諦めの宿命があるだろ。俺達は死にたくても死ねない。人間の条件は日々上がっていく」

ネズミはしばらく静かにしていたが、回し車に乗込み、力なく回し始めた。

「ネズミの回し車は大きくならないだろ? でも、人間の回し車はなぜか日ごとに大きくなるんだよ。この世界全部が病気なんだ。だからワクチンが必要なんだよな……うんっ」

梶元は一人で大きく頷いた。そして、データを改ざんした後、培養液を持ち出した。

 

~~~

 

「シリーズ 『日常化障害』。最近、心の病が日常化しています。現代において急増する発達障害、またそれらの様々なスペクトラム状の障害。これまでも、臨床の現場においての増加は度々言われてきましたが、三ヶ月前から、何故かこれまで『健全』だった人々が、突如不自然な挙動や言動に捉われるというケースが急増しています」

ゴミの多い部屋の中で、テレビの画面を眺めながら、梶元は息絶えたネズミの死骸を植木鉢に埋めた。画面は、新橋駅前でインタビューされ喚き散らす壮年の男を写している。

「あのねえ、発達障害なんてのは昔は無かったの。世間がうるさくなったの。発達障害者なんて田舎に送って働かせれば治るよ。甘えてる奴は戸塚ヨットナントカに送っちまえば良いの」

「違う」

梶元は一人声に出し、培養液のタンクに目をやった。そしてスマホの録音アプリを起動した。膨大な数の、数分程度の録音ファイルに、新たな録音が追加される。

「俺をそうやって慰めてきた人もいる。違う。何で慰められなきゃいけない。何でドアの戸口にぶつかって、笑われなきゃいけない。何でちょっと話すタイミングが違うぐらいで避けられなきゃいけない。仮に、五十年前はそういう人がたくさんいて、今はいちゃいけないのなら、それは退化だ。そもそも人間はもっとマッドでランダムな存在だ……。それを抑えることの意味は何だ」

「より多様な教育・療育制度が必要だと、精神科医のAさんは国の政策にこう苦言を呈します……」

「違う……違う! なんで俺達を目の見えない場所に送ろうとするんだ。俺をカウンセリングルームに放った学校もそうだ。なんで、世間に発達や知的でも……生々しいものが有ってはいけないんだ。俺は。違う。俺は生きている。俺達は目に見えているべきだ。仲間が大勢いた。定型症候群社会にワクチンを打ってやった! 俺達は多様で、緩やかに繋がれる、生々しい社会を作る」

その時、速報が出た。

「速報 春篠宮久仁殿下 都立松沢病院へ御入院」

同時に部屋の戸が激しく叩かれ、インターホンが強く響いた。扉を開けると、警察の手先と思しき連中と報道陣がこちらを取り囲んでいる。令状が示され、警察官が部屋に乗込み、粗探しした。そしてタンクやいくつかの薬剤、他様々な物を運び出し、水道毒物云々やら内乱予備やら良く分からない罪状で梶元は逮捕された。手錠を掛けられ、フラッシュを浴び、パトカーに乗せられる。パトカーが発進する。そして、十字路に差し掛かった時、路上には多くの、挙動が多様化した人々が現れ、車列を妨害した。

「どけ!」

街中は以前よりも、こう、何とも言葉にならない雰囲気をしていた。多くの店が何故か閉店している。そして、横の警官が舌打ちした。

「あっ、ピストルをトイレに忘れた……」

「しまった、さっきの令状、裁判官がハンコ押してないぞ! アーッ」

すぐにパトカーが止まり、梶元はパトカーを急いで下ろされ釈放された。歪んだ街中の隅々から、タケオが、木村が、車椅子に乗った障害者が、ホームレスが……同類達が寄ってきた。

「ありがとう」

梶元はコクコクと頷く。既に日本中で“ワクチン”はばら撒かれていた。海外でも始まっている。街中のあちこちで、人々は多様に視線を回し、多様に話し、多様に表現する。そしてそれが認められた。だがそれは表面的な事に過ぎない。精神、知性、LGBTPZN……。これから、内面に関わるスペクトラム状の革新が起きる。もはや人を分断しない何かが。これまで散々腫れ物とされてきた梶元ら存在Xが、とうとう何かを成し遂げた。ワクチンは日本を、そして世界を救ったのだ。

 

(終)

2021年5月24日公開

© 2021 Juan.B

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"痛々しくも我等は"へのコメント 13

  • 読者 | 2021-05-25 03:55

    短編ミステリーのようで面白かったです。ちょうど円卓さんが発達障害の増加についてツイートしていたのでタイムリーに感じました。読む前は精子をワクチンに例える話だと思っていました。🐱

  • 投稿者 | 2021-05-25 06:22

    多種多様を認めているなんて口先だけでは言ってるけど、本当はそんなこと全然なくて、憐憫の目で見られるわ、陰口はたたかれるわ、昔はそんなもんなかったなんて平然と言ってるやつなんかもいたりして、そらこういう風になるんだったらなった方がいいですよね。でもこうしなきゃもうダメだっていう諦観もあったように思います。あと、ちょっと前に流行った地方議会とかの人の馬鹿みたいな問題発言のニュースとか思い出しました。

  • 投稿者 | 2021-05-25 07:25

    ストーリーがないようで、あるようで、ないようで、あったところがよかったです。回し車の比喩がよくできていたと思いました。私は日本に住んでないので、日本に住んでない人には分からないような、日本に住んでいる方にしか肌で感じられない、焦燥感のような物が見えたような気がしました。お話の中で「ワクチン」に絡む箇所も見えなかったり見えたりするところが興味深かった。こういう書き方もあるんですね。筆致には力があって、好感度は高かったです。インテリジェントなコメディーですね。いい作品をありがとうございました。

  • 投稿者 | 2021-05-25 15:45

    途中までJuanさんらしくないなあと思ってたら殿下御入院でやっぱりいつものJuanさんで笑いました。
    というのはどうでもいいんですが、ASD当事者の私としては色々考えされられました。日本って必要以上に中小企業称えてませんか、大企業がマイノリティの居場所を確保してくれてる、いわゆるセーフティーネットになってるんじゃないか。年功序列万歳、終身雇用万歳みたいな。そんな認識を新たにしました。

  • 投稿者 | 2021-05-28 18:30

    虐げられ方がリアルで良いと思いました。
    同人誌の方も虐げられてがリアルでしたし。
    「ガイジ」って子どもの頃はよくやんちゃなキッズたちが使っていたイメージありますが、最近聞きません。環境の差?
    ネズミの名前がハム太郎でトルコ風呂をトルコと思っている純朴さと傷付いた気持ちが共存しているんだなぁと思って、なんかそういうのが良かったです。

  • 投稿者 | 2021-05-29 07:23

    現在の社会は『健常』とされる人が生活しやすいように作られているものだと思います。そうでない人を守っていくことも大切かもしれませんが、井上雄彦が車椅子バスケットに純粋に感動して『リアル』を描きはじめたように、守るという姿勢ではなく、新しい人間の姿を見ていくことが必要だとも思いました。

  • 投稿者 | 2021-05-30 12:39

    まあ結局はいつもの展開なので発達障害を持つ人々が本作では交換可能なマイノリティに過ぎず、社会とマイノリティの関係は一様だなという印象も正直受けたが、新しい挑戦は大いに評価できる。どんどん新しい分野を開拓していってもらいたい。

  • 投稿者 | 2021-05-30 16:25

    最後に出てくる林って誰ですか?林郁夫?
    ハルヒと梶元とタケオの属する組織のリーダーですかね。
    でもサリンを浄水場に撒いたわけではなさそうですね。
    闘争心とか差別心を無力化するワクチンですか?

    世界レベルの壮大な話なんだけど、ハム太郎とかトルコとかの時代錯誤感がよい感じだし、ピストルトイレに忘れたり令状に判を押し忘れたとか鉄板の間抜けネタにも笑わされ、いつにもましての茶番劇感満載です。もはや新しい文学カテゴリーと言っても良いのでは。

    • 編集者 | 2021-05-30 16:37

      >林

      読者がちゃんと俺の話を読んでるか、「いつものアレか」と読み飛ばしていないか判別するためにわざと入れたミスだァーッ

      ……と言うのは嘘で(初読者もいるし試し行動はカッコ悪い)、単純な書き換えミスで、本来は梶元さんです
      こればかりは話をさらに逆噴射させてしまうので現時点で修正しました
      確かに林郁夫さんも良いのだが……
      ご指摘ありがとうございました

      著者
  • 投稿者 | 2021-05-30 22:44

    設定ゆえか唐突に「アブノーマルに花束を」をというお寒い言葉が浮かんでしまいました。ちょいちょいクスっとさせるネタを仕込みつつ、作風がぶれないばかりか広がりも感じました。可能性を否定するわけではないけれどその人しか書けないものってやっぱあるよなあと。

  • 投稿者 | 2021-05-31 12:33

    ダイレクトなものいいが読む側に突き刺さるように思います。
    まさに定型症候群社会に打つワクチンとして書かれた作品のように感じます。

  • 投稿者 | 2021-05-31 14:25

    ワクチンという言葉で表してますが、一種の隠語なのかなと。
    病原菌やウイルスでもない、発達障害化させるような何かなのかと理解しました。
    宮様が入院したあたりで、相当広範囲に散布されてて、最後の警官の銃を忘れたり礼状を取り忘れたという辺りで、もう広まりきってたのかなと。

  • 投稿者 | 2021-05-31 18:24

    教授が何歳かわからないけど、改称してそろそろ40年になるので、未だに旧称で呼んでいるというのは

    創作だからOK!

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