りんご一個、二一四円

かきすて(第29話)

吉田柚葉

小説

2,734文字

ここなんか書くことありますか。募集してます。

りんご一個、舌をまくあざやかさでシャネルのバッグにすべりこませた若マダムは、けっして屈さなかった。じっさい、映像にのこっているわけでもなし、ただ万引きGメンが見たというだけのこと、屈強たる精神力でどこまでも否定されれば、やがて分がわるくなるのはこちらの方であった。
「おやつ代わりに入れていたものなんです」

女は毅然とした態度をくずさなかった。
「スーパーでバッグに手を入れたのはうたがわれてもしかたのない行為だったかと思いますが、でもやってないものはやってません」

さっきからずっと、万引きGメンの安田はだんまりだった。押すのも引くのも、あらゆる技は出しつくしたのだ。

わたしは、しかし、この女を帰すつもりはなかった。落とすのが絶望的なのはわかっていた。その上で、この女ともうすこし話がしたいという気になっていた。
「奥さん、では、そのりんごをぼくに売ってくれませんか」
「良いですよ」

女に動揺はなかった。
「値段は奥さんが決めてください」
「二一四円でいかがでしょうか」

あきらかに挑発であった。うちのスーパーで売っている値段なのである。
「安田さん、すみませんが、更衣室からぼくのカバンをもってきてください」

そう言ってわたしは安田にロッカーの鍵をわたした。安田は事務室を出ていった。

わたしと女は、部屋にふたりになった。
「奥さん、ほんとうはりんご盗ったんでしょう」
「もうなんども申しているように、盗ってません」

女は美人だった。みごとに人工的な美人だった。それがメスとコスメのたまものであることは、一見してあきらかである。化けの皮は人工皮膚として、女と一体化しているふぜいだ。

安田はすぐにもどってきた。カバンをうけとり、サイフをとり出した。ちょうど二一四円あったので、女の手ににぎらせた。やけにつめたい手だった。死人のようにつめたい手だった。
「たしかに」

と言って女は、小銭入に小銭をしまった。洗練されていた。
「小銭入をもつなんて発想、ぼくにはありませんよ」

とわたしは皮肉っぽく言った。「安田さん、すみませんが、このりんごを剥いてきていただけませんか」

安田はすなおにしたがった。わたしに何かかんがえがあるとおもってのことだろう。だがわたしには、なんのかんがえもない。
「事務室にふたり、なにかされたとわたしが言えば、あなたはおわりですよ」

なんでもないふうに女は言った。
「まあ、そういう終わり方もアリかもしれませんね」

とこちらもなんでもないふうに言った。たしかにそうだ、とおもわなくもなかったが、つくりものっぽい女の顔をながめているうちに、劇でも演っている気になっていた。ぶざまな即興劇。たとえ、あべこべに女に警察をよばれて刑罰をうけることになっても、幕が下りればすべてもとどおりというけはいがあった。
「わたしはもう三十年もこのスーパーではたらいているんです。こんなちいさな町のスーパーで三十年ですよ……。万引きなんて日常さはんじなんです。でも、あなたのようにしぶとい方ははじめてです。ほんとうにはじめてなんです。どんな方も、けっきょく最後は、盗りました、すみませんでしたと、そう言って涙をながすんです。もしかするとそれはとても幸福なことだったのかもしれませんね」
「幸福ですか」
「すみませんね、へんな言いまわしでした。わすれてください」

安田が切ったりんごがのった皿を持ってもどってきた。つまようじが三本、刺さっている。
「ありがとう。では、みんなで食べましょう」
「わたしはけっこうです」

と女は言った。
「まあそう言わず。これは奥さんをうたがったおわびです」
「やすく見つもられたものですね」

女の鋭敏な視線が飛んできた。
「奥さんにとってはやすいかもしれませんが、このりんご一個、二一四円というお金、そう見すごすことはできないんですよ。奥さんはお知りにならないかとおもいますが、そういうにんげんもいるんです。世のなかには、たしかにいるんです」
「そうでしたか、すみません。ではおひとついただきましょう」

と言って女はりんごを口にはこんだ。わたしと安田もりんごを食べた。

りんごを噛む音だけが室内にひびいた。
「どうですか、うちのスーパーのりんごはおいしいでしょう」
「うちから持ってきたものですから」

むろん、こんな手に女はのらなかった。わたしは苦笑した。
「奥さん、お子さんはいらっしゃいますか」
「そんなことをなぜあなたに言わなくてはならないのですか」
「うちにはふたりいるんです。どっちも女の子なんですがね。どんどんウソつくのがうまくなってね。ウソついてるな、って、血がつながってるんでそういうけはいでわかるんですけど、ロンリテキとでも言えば良いのかな、スキがないんですよ。ああいうあたまの良さはぼくにはないんで、女房に似たのか、それとも女ってのはみんなそういうものなのですかね」

女の目は軽蔑をはらんでいた。わたしはかまわずつづけた。
「大きいほうはね、高校を出て、東京に行くなんて言って、もう何年も何してるのかわからない状態だったんですけど、ついこないだ連絡が来て、なんでも通り魔に刺されたとか……」

女は黙していた。軽蔑の目がめずらしいものを見る目にかわっていた。
「遺体を引きとりに何十年ぶりだかに東京に行きましたよ。女房は泣いていたし、ぼくも怒りでどうにかなりそうだったんですけど、夜中にホテルの前でひとりでタバコをすってると、ここが東京か、って。のんきなもんですが、そんな感慨めいたものが胸に湧いてきてね、俺はまだ世界を見てないのか……でもゆりは東京を見たんだな、って。ゆりってのがぼくの死んだ娘なんですけど、そう思ったんですよ。なんだろうこの感情は、とおもったんですけど、嫉妬なんですよ、ようするに嫉妬なんです。信じられますか、実の娘が殺されて、それで殺された娘に嫉妬したんです。これは初めてだれかに言うことです。もちろん、もうほかの人に言うことはないとおもいます。世界でただふたり、奥さんと安田さんにだけ言います。そうおもうとですね、ゆりが東京に行くと言ったとき、やめておけと、生まれて初めて我が子に声をあらげたあの瞬間がフラッシュバックしましてね、アレはものすごくみにくい嫉妬から来たものだったのだと、そうおもうと涙が出てきまして。だとすれば、娘を刺したのは、たとえばぼくだったのではないか、ほんとうに娘を刺したのがどこのだれであれ、じつのところぼくなのではないか……そんなふうにおもうんですよ」

女は何も言わない。何かを感じているとも、何も感じていないともつかない、そんな顔だった。

それからのち、わたしと安田はもくもくとりんごを口にはこんだ。さいごの一切れは女にゆずった。

女のつまようじがりんごに刺さった。

2021年5月15日公開

作品集『かきすて』第29話 (全30話)

© 2021 吉田柚葉

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