開店三十分まえ、店の電話が鳴った。ふありからで、辞めるとのことだ。入ってまだ三日目である。この娘はつづきそうだとにらんでいたのだが、私のそういう予想はまずはずれる。
後日メイド服を店に郵送してくれとだけつたえて電話を切った。ふと、ふありは美人すぎたのかもしれないと思った。
私は気持を切りかえて清掃にもどった。掃除機をかけて、ていねいにテーブルを拭いた。控室にいる女の子たちに声をかけて、ソファー席のちかくで朝礼をはじめた。朝礼と言っても、十一時をすぎている。開店からシフトが入っていたのは、うーにと、ちままと、あやと、ぱっちゃんだった。
さくばん研究してきた、不美人でもかわいく見える魔法のポーズの手本を見せて、「このとおり、俺がやってもまったくかわいくないけど、君たちがやれば萌え萌えだから。自信を持ってやるように」と言った。キモーい、と口ぐちに言われた。しかし、あんがいとこの娘たちは、私のはなしを聞いているのである。
開店から二十分ほど経ってから、らるらが出勤した。半袖Tシャツの袖からのびる腕に、おそらく十ではきかない数の、ためらい傷が見られた。
「おはよー、くまさん」
「おはよう、遅刻だよらるら。腕の、すごいね」と指摘すると、ええーすごくないよーとかえされた。「お客さんには見せないようにしようね。ちょっと暑いけど、きょうは長袖を着てくれるかな」
らるらはうなずいた。
「らるら、もしかしたらわすれてるかもしれないけど、きょうは客ひきの日だよ。やってくれるかな」
「えー、やだー。なら、かえる」
私は苦笑した。
「じゃあ、とちゅうまで俺がついていくから、それならやってくれるかな」
「わかったー」
店長に事情をつたえてわれわれは店を出た。「駆け落ちだけはしてくれるなよ」と言われた。じょうだんめかしてはいるが、げんにそんな前例などいくらでもあった。
中央通りへとつづく道をメイド服のらるらとあるきながら、秋葉原はうつくしい街だと、つくづく思った。平日ということもあって、人どおりはまばらだが、じっさい、人どおりがあってもなくても、この街には生気がない。主体がない。いわば、ゼロとイチでできた街なのである。
「きょう、ふありきてないね」
とらるらがつぶやいた。
「ふありは辞めたよ」
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