シルバーガール

ルム

小説

3,420文字

えんぴつ峠のラクダの坊主と、パンジー見つめるカエルの子供。
合理主義者のおしゃべりヘビと、オーバードーズのシルバーガール。
そんなやつらが年越し迎える、真夜中付近のそんなお話。
6つのショートショートをつないだ短編集です。

動物起草店街・大晦日

 

「だから前々から言ってんだよ。あの店で美味いのはレッドアイだって。グラスホッパーは頼んじゃダメだって」

 

えんぴつ峠のラクダ頭が、よだれを垂らして若葉をふかす。

教えて欲しいのはこの曲なのに、話し相手はいつも蛇。

 

「俺は食べろなんて言っちゃいない。死ぬこたぁないって言っただけ」

横から口出す蛇の戯言。何万回も印刷されたセリフ。

「第一アレはリンゴじゃない。嘘もいいとこ大嘘つきだ」

 

「違う違う。卵の黄身だけポチョンと落として、粗挽きコショウをササッと一振り。フリフリフリフリ、二日酔い。そんなもんは置いてけぼりだぜ」

ラクダ頭がキャメルを踏みつけ、曲に合わせて腰を振る。自分のよだれで滑って転んで、カウンターからは拍手喝采。

 

誰か、誰か教えてください。

ここのこの曲、私も知りたい。

私も、一緒に歌いたい。

 

電話1

 

――だから、大変なのよ。どう大変って、とにかく大変なの。いますぐ来てよ。いますぐここに来て、大丈夫だって言って欲しい。

 

カエルの回想

 

青空直下の畦道に、空気違えたパンジーひとつ。

摘んだらダメよ、摘んだらメ。

水も枯れがれ田んぼのそばで、親とはぐれた子どものカエル。

生えた足すら気づかぬままに、つぶやき歌うは人の歌。

摘んだらダメよ、摘んだらメ。綺麗な緑に赤白黄。

無くした尾すら忘れたままに、思い出すのは母の声。

摘んだらダメよ、摘んだらメ。素敵なお花は見てるだけ。

こんなに綺麗な黄色のパンジー。峠を越えたらみんなに言おう。

 

青空直下の畦道に、空気違えたパンジーひとつ。

 

電話2

 

――どういう風に大変なの? とにかくじゃわからないよ。わかった、これから向かうよ。三十分後には着くと思う。それじゃ。

ラショナリゼイション

 

彼には歌は必要ない。詞を見た事実があればいい。

メロディ旋律なんのその、言いたい事は迅速に。

彼に手足は必要ない。頭があればそれでいい。

その手に取るから悩んでしまう。足がなければ足蹴にできぬ。

彼に味覚は必要ない。腹が満ちれそれでいい。

ガブッと丸呑み飲み込んで、腹でもがけどお構いなし。

 

彼に嘘など必要ない。割れた舌先あればいい。

物こそ掴めぬ身なれども、心掴むは十八番。

今日も今日とて酒と語るは、昔の仕事の大一番。

惚けておだてる阿呆を肴に、デンキブランをペロリとひと舐め。

神をも騙した果実の話を、幾千幾万繰りかえす。

気分良くして床へと飛び出し、曲に合わせて踊るや否や

頭上に迫るはラクダのひずめ。

咄嗟に頭を、抱えたその時、手足がないのを思い出す。

潰れ弾ける頭の隅で、思い出すのは昔の仕事。

 

「俺は食べろなんて言っちゃいない。死ぬこたぁないって言っただけ」

 

新宿・生ハムの原木があるバーにて

 

――いやぁ、何枚食パン食べたか覚えてないのと一緒でさ。何人とか覚えてないよ。ただどれもこれも、全部本気だったんだってその時は。いやまじで。

 

愛の右側のラクダ

 

夕日が落ちる方角の、山の向こうがえんぴつ峠。

あるかどうかも疑わしいが、風の噂じゃお寺がひとつ。

ラクダの坊主がいるそうな。

峠も半ばの曲がり角、ラクダの坊主の言うことにゃ、愛が情には萎えたという。

 

「情を見限る愛はどこ行く?」

足元置かれた深編笠の、中身は空か生首か。

埃にまみれた赤目のラクダは、よだれ垂らした笑顔と共に、道行く者へと投げかける。
「正午ちょうどのこの太陽を、つぎはぎこさえたペルソナを、愛ではないなどどう確かめる?」

爪が食い込む拳を掲げ、流れる赤をグラスに注ぐ。
「綺麗なものの全てが愛か?羞恥の果てには愛は不在か?」

ぶらりと長いイチモツさらし、黄色いしょんべんグラスに注ぐ。
「もはや愛は、情には萎えた」

ブチリと睾丸引きちぎり、グラスの上にポチョンと落とす。

溢れんばかりの白泡に、ふつふつ流れるラクダの涙が

顔の埃を綺麗にまとい、てんてんてんと黒が付く。

 

朱色の影に膝付くラクダの、手元が握ったレッドアイ。

ごろりと転がる深編笠の、中から見つめる目玉は二つ。

 

「情を見限る愛はどこ行く?」

 

元旦晴天お昼時。

そんなラクダがいたそうな。

 

いつもの車内のいつものやりとり

 

――だからそれは無理だって。もう少ししたら別れるから。そうしたらずっと一緒にいれるから。もう少しはもう少しだよ。ほら、このアルバム終わるまで一緒にいようよ。ね。

 

シルバーガール

 

ここまで二人になれないまま、ひたすら一人で過ごしてしまった。

最近は歳のせいなのか、正体不明の黒い感情で意味もわからず涙が溢れる。

 

店の名前も見ないまま入ったバーは少し古めの洋楽が流れ、ラクダのこぶのような肉の原木が薄暗いキャンドルに照らされていた。先客は二人だけで、古いアンティークの匂いと、狭く閉鎖的で儀式じみた雰囲気が心を安らげる。泣きはらしてしまったカエルのような目を隠すにはもってこいだった。

 

奥のカウンターに一人で腰掛ける。椅子の皮がひんやり冷たく、硬い。

神経質そうなバーテンにレッドアイを注文し、ポケットから小瓶を取り出す。

年甲斐もなく覚えてしまった遊びを、カウンターの下でこっそりと開ける。グラスを置いた店員が戻るのを待ち、到着したレッドアイと一緒に四十粒を三回に分けて飲み込む。

 

目に見えないものは何一つ変わらないのに、見えるものだけが変わり続ける。

あんなに撫でられるのが好きだったツヤのある黒髪も、今では見る影もない。

錠剤が溶け出し役割を果たし始め、全身の毛穴が広がっていくのを確かめながら、真似して覚えた巻きタバコをひと吸いする。

 

誰に理解されなくても、この胸のうちの愛は本物だ。

覚えているのは全て夜だが、それでもあれは本物の愛だった。

 

入り口の鐘を鳴らして隣に座ったヘビ面が、メニューも見ずにデンキブランを注文する。私が飲んでいるのはさしずめデンキブロンか。

ヘビ面はしきりにバーテンに話しかける。その隣ではラクダ面した男がキャメルをふかしながらゲラゲラ笑っている。
全てが滑稽でどうでもいい。あの人がいなくなってからは、誰も彼も動物と一緒だ。好意こそ生まれても、愛すべきでもないし、愛されるべきでもない。

そんなことも今では四十人の小人とアルコールが運ぶ無意味な多幸感のおかげでどうでもよくなっていた。

 

その時、全ての夜を思い出すような歌を聞いた。

 

諦めたような声で淡々と歌う、女性の英語の歌。

あの人の車で送ってもらう時に、降りたくないと駄々をこねる度に聞いたあの歌。

 

——この曲が最後の曲だから、これが終わったらバイバイね

 

降りたくなくて、大事にしたくて、ずっと聞いていたかったこの歌。

あの声あの顔あの匂いあの温度あの唇。全てが原色で一気に広がる。

この曲があれば、まだあの頃に戻れる。曲名が知りたい。

カウンターのバーテンに声をかけようとするも、ブロンが回りすぎて呂律が回らない。
「なになに? どうしたの?」ヘビ面が横から割って入る。

違う、お前じゃあない。私はバーテンに聞きたいんだ。

この曲名はなんなの? なんていう曲? 誰の曲なの?

自分の理想とはかけ離れた言語が口から飛び出す度に、ヘビ面がいちいち口を出す。

 

ヘビが蛇に、ラクダがラクダに、初めて陥る幻覚の中で周りの速度が徐々に落ち、全てが色彩を失ったスローモーションに感じる。その反面、体の中では極彩色の加速が始まり、何もかもが空回りしているようだった。

 

——第一アレはリンゴじゃない。嘘もいいとこ大嘘つきだ

 

歳を無視したブロン遊びのせいか、記憶の洪水に飲まれたか、ヘビ面を押しのけると同時に視界が狭まり、コントロールを失った体がぼけた景色に倒れこむ。

 

暗がりの中で寝転がりながら天井を見上げると、あの人が歌を口ずさんでいた。

 

「おいおいおいおばあちゃん、マジかよおいおいおい」

 

曲が徐々にフェードアウトしていく中で、除夜の鐘が遠くで鳴り響く。

 

誰か、誰か教えてください。

ここのこの曲、私も知りたい。

私も、一緒に歌いたい。

2019年10月26日公開

© 2019 ルム

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