私は、恋をしていたのです。それが愛だと思い込んだまま、執拗に恋をしてしまっていたのです。
今朝方、朝食で出されたレーズンパンを一口かじったその時に。
口の中いっぱいに漂う行き場を失った甘さと、必要以上に水分を奪っていくあの断片を、押し込むように、流し込むように水を口に含んだあの瞬間に。
全てが、ただの恋慕だったと知ってしまったのです。
なぜこの日に、レーズンパンを食べねばならぬのでしょう。
なぜこの場で、あの幼い果実の味を確かめなくてはならぬのでしょう。
きっと同房の彼らは、涙ながらにレーズンパンを頬張る私に、同情か憐憫、もしくはもっと感動的な何かを抱きながら、あの馬鹿馬鹿しいサツマイモの味噌汁をすすっていたのだと思います。私の真意は、他人はおろか、私自身にでさえも常に間違って伝わってしまうのです。
私は、愛していなかったのです。ただ、恋の最中に狂い、貪り尽くしただけだったのです。
彼女を初めて意識したのは、確か七月の上旬、蒸し暑い夏の日の給食の時間だったと記憶しています。彼女はコッペパンが不得意な様子で、時には男子に譲り、時には自分の半ズボンに押し込んでいました。彼女はとても綺麗な顔立ちとは裏腹に、いつも男子顔負けのスポーティな服装をしていました。おそらくはパンを押し込むのに、スカートは不向きだったのでしょう。
パンをポケットに押し込もうとするその瞬間の、顎に届くか届かぬか、ギリギリの長さの横髪で俯き加減の顔を隠し、まるでイブがリンゴを持ち去るような危機感を漂わせてコッペパンを優しく握りしめるその様は、男子であれば誰もが膝をつき、世界中のあらゆる理不尽から彼女を守りたいと願う程でした。
そう、私は守りたかったのです。私はあらゆる理不尽、強風に吹き荒ばれることに慣れています。それに比べて彼女はあまりにも華奢で、そして可憐過ぎたのです。
私は、教室から皆が散り散りになっていくのを見計らって、彼女に声をかけました。
「パンが好きじゃないの?」
「パンは好き。コッペパンが嫌いなの」
私は衝撃で、目眩を覚えました。まるでマイナスとマイナスをかけ算したらプラスになるという事を知った中学校一年生の初夏のように、ちょっとした真理に悪戯に触れてしまったような気がして、次の言葉を空中で見失ってしまったのです。
「本当はレーズンパンが一番好きなの。これがレーズンパンだったら食べれるの。レーズンパンだったら、みんなとすぐ、一緒に、縄跳びに行けるのに」
そう途切れ途切れに言葉を紡ぐ彼女の、コッペパンよりも遠く向こうを見つめた瞳に、スポーティな格好とは不釣り合いな赤みを帯びた儚さに、私は恋に落ちたのです。
恋に陥れられたのです。
私の父は、大変食に厳しく、思慮深い人でした。
実際には、私の記憶に父はおらず、母の言葉で知る限りの伝聞になってしまうのですが、母がいつも食事の前に父の言葉を家訓の如く申しておりましたので、間違いないと思います。
「食べると云うことは、命をいただくと云うことです。命をいただくと云うことは、食べたものと一体になると云うことです。共に生きていくことを感謝して、最後まで頂きなさい」
童謡の歌詞の内容が分からずとも歌えてしまうように、恥ずかしながら当時の私はこの言葉の意味がとんとわからないままに復唱し、食事を行なっておりました。
私が五歳の頃、夕食に出されたピーマンの肉詰めを大変苦く思い、コッソリ味噌汁にピーマンを沈めて下げようとしたことがありました。
それに気づいた母は、怒るでもなく、叱るでもなく、ただ悲しげに
「お父さんが見たら、悲しむと私は思います」と一言、言うのです。
母がそう言うなら、きっと悲しむのでしょう。私に反論出来る言葉などありません。
「食べ終えるまで、席から立っては行けません」
私と母と、土左衛門のように浮かぶピーマンの無言の食卓は、まるでどこか違う惑星の様に重力を増し、時間と味覚の機能を一時的に停止させるには十分でした。私はここぞとばかりに、苦くなった味噌汁を流し込みました。
それ以降も、トマト、ゴーヤ、パセリ、ししとう、ピータンと、あらゆるモノに対しても父が悲しんでしまうので、私は味噌汁に入れて流し込みました。父が悲しまぬよう、どんなものでも残したことはありません。
味噌汁に入れてしまえば、なんでも流し込めるのす。
ですが、給食では味噌汁は出ません。
ある日の助言と会話に困ってしまった私は、ただ彼女と話したい一心で、コッペパンを見つめる彼女の後ろ姿に、心にもない無意識を、つい口走ってしまいました。
そして、彼女を我がものとする、あの禁句を覚えてしまったのです。
「食べ終えるまで、席から立っては行けません」
そう唱えた後の、驚いた顔で振り向いた彼女の乱れた緑の黒髪。その隙間を長い睫毛が掻き分け、儚げに晒された、涙で潤い、こぼれぬように、震えぬようにこちらに向けられる懇願の眼差し。堪えきれずに漏れ出る、幼い吐息の香り。
その全てを、永遠に手放したくないと思ってしまったのです。
そして、給食でコッペパンが出る度に、私はその呪文を唱えるようになりました。
スポーティなズボンのポケットもその役目を果たす機会は無くなり、いっそスカートで登校すればいいのにとも思いましたが、私の好みを押し付けるのはよくありません。彼女には、彼女の不文律があるのです。それ故に彼女は、誰よりも気高く、可憐なのです。
以降、私と彼女は昼休みの丸々を教室で共に過ごすようになりました。
次の授業の予鈴が鳴り響くと同時に、私が彼女の残したコッペパンをステンレスの給食バットに戻し、彼女は涙を拭き、私は彼女の机を拭くという役割分担も自然に出来あがりました。次の授業までのわずかな時間に、給食室と教室を二往復するというのが私の仕事に追加されてしまいましたが、あの瞳を独占できると思えば全く苦にはなりません。
そんな日々が、二週間ほど続いた頃でしょうか。私は、気づいてしまったのです。
私が彼女を欲し独占していることが、ひょっとしたら、彼女自身を傷つけてしまっているのではないか、と。
あんなにも守りたかった彼女を、いまや傷つけてしまっているのは、もしかすると、この私なのではないかという事実に気がついてしまったのです。
だから私は彼女を食べたのです。
彼女を守るには、一体になって、私が外側の理不尽を全て請け負おうと思ったのです。
彼女は私の内側で、いつまでもあの可憐な笑顔のまま、美しくスポーティなままでいられると思ったのです。
一聴すると、あなたには馬鹿げたように聞こえるでしょうが、愛さえあれば、これは至極当然の事なのです。
アフリカのとある民族でも、愛する人が亡くなればその人を食し、その人と一体になり、またその人も誰かに食され、誰かの体の中で共に、永遠に生きていくという話を聞いたことがあります
私も彼女を愛していると思っていましたし、そうなるものだと思っていたのです。
私はその愛を確かめる為に、出所した後には一目散に彼女の墓前に向かい、レーズンパンを彼女と共に食べるつもりでおりました。
私は恋に陥れられ、彼女を愛してはいなかったのです。
私はレーズンパンが嫌いなままでした。
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