母を待つ

早朝学植物誌(第1話)

多宇加世

小説

1,870文字

「お母さんの服、勝手に盗っちゃだめなんだよ」
と言うと偽者の母は手話で「ありがとう」と言った。
読み切り掌編作品。

二人の母の寝室から、がさがさごそと物音が聞こえる。二人の母が起床してくるのだ。私はコーヒーを淹れて待つことにする。じきに本物の母が現れた。朝、散歩するために表へ出て家を振り返った時に、いつもカーテンの陰からこちらを覗いている偽者の母とは違う、本物のほうの母だ。私は台所へ来た母に向かって、

「コーヒー、どうぞ」

と言った。すると母は、

「はい、着替えてきてから」

と、こちらを見ることなく、ましてやコーヒーも、娘の私の顔も見ることなく、衣裳部屋へ行ってしまった。私の視界からは消えてしまった。ただし存在しているのだけは分かるので私はまた待つことにする。二人の母の寝室から今度は偽者の母が現れて、本物の母とは違い、私のそばまで来ると、何か耳打ちしようとする。当然、結婚の話だ、私の。二階に住む目薬男と私の縁談のことである。

「やめてくれない」

と私が言うと、偽者の母は口を尖らせて、本物の母と同じように衣装部屋のほうへ行ってしまった。と、入れ替わりで本物の母が戻ってきた。また私が、

「コーヒー、どうぞ」と言うと、

「はい、顔を洗ってから」

と本物の母は今度は脱衣所のほうへ行ってしまった。視界に本物の母の姿はなくなった。ただし存在しているのだけは分かるので私は待つことにする。と、偽者の母が戻ってきた。恰好がパジャマでなくなっている。はて、さっきの「顔を洗ってから」と言った母は果たしてパジャマから着替えていただろうか。私はひょっとして偽者の母が本物の母の服を勝手に着てしまったのではないかと思って、落ち着かなくなって、でも、本物の母の存在は脱衣所のほうから感じられるのでまた待つことにした。と、

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2019年10月7日公開

作品集『早朝学植物誌』第1話 (全10話)

早朝学植物誌

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© 2019 多宇加世

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