自分が、単に両親のセックスによって精子と卵子が衝突してできただけの、何でもない、本当に何も足しも引きもできない人間であると言うことに気付くまでに、一体何年必要であろうか。日本では、十歳かそこらじゃまだまともに性教育は行われていない様だ。ならセックス抜きでも良いが、とにかく後段を理解するには。十八か、二十歳だろうか。孔子はバカだから八十とか言うかも知れない。俺は少なくとも十一歳になる少し前に気付き……つまり、それ以上まともに考えられなくなった。そこで俺の思春は干からびた。俺にとって、周囲の低身長の日本人はみんな敵だった。そして俺も、周囲の日本人の一番の敵だった。俺はあの時の自分に会えたら何ができるだろうか?「いずれ終わるさ」と伝えるのはむしろ残酷な気がする。俺が求めていたのはやり過ごすことではなく、十歳児の精神が発露する限りの、根源的な対決であるから。混対純の聖戦、いや性戦。もし何かの奇跡で拳銃を渡したら、十歳の俺は必ずぶっ放しただろう。中学二年でも高校二年でもなく、小学四年の地獄の季節に、誰も思春や哲学を交えた解説は入れられない。射精を知らない混血も、引き金を引くぐらいはできる。後は銃の反動に耐えられるかどうかだ。そうだ、二十歳の俺が代わりに撃ってやろうか。撃ってやりたい。それで十歳の俺の狭い、文字通りの卑屈なセカイ系世界が救われるなら……。
窓の向こうの遠くから、微かに踏切の警報音が響く。暗い自室の薄汚れたベッドの上で、情けない混血は蹲って、一切何の役にも立たない思索から目覚めた。埼玉県南部の某……良い名前を付けてやりたい。埼玉県チョベリバ市の大学生の混血が一月中旬に迎えた朝はこんな所だった。ここ数日、高三以来久しぶりに気が妙に荒れていた。やはり成人式だ。成人式!日本に成人などと言うものがあるのか!しかしその様なワイドショー的批判がしたいのではなかった。過去に向き合う日だ。行かないことも当然できる。だが、行った方が良いだろう。中学の時の友人に会いたい。会って、何ができるだろうか?とにかく会いたい。だが、誰か自殺でもしていたらどうなるだろうか?そんな心配は無用だろうか?だが俺は現に1人知り合いを失っている……。全く生産的でないことを考えながら、いつの間にか俺はスーツを身に着けている。そして、母親の前に立った。だが、母親は口の隅で薄笑いした顔をして、朝早く眺めているYoutubeからわずかに顔を振り向かせているだけだった。
「ケオラ、レグレサル?」
「アンテス、トレス」
母親の国には、成人式などと言う習慣は無い。洗礼を受けたら、後は十五かそこらで彼氏彼女を作って、いつの間にか子作りして、後は死ぬだけの人々である。そんな人々の中で暫く結婚しなかった俺の母親は、やはり余程人格に問題があったのか?だが一番の問題はそれを連れ帰ってきた俺の親父である。俺は後は何も聞かずに家を出て行った。
チョベリバ市の巻きグソみたいな文化ホールを後に、スーツや袴、振袖の群れの中で、俺は再会した中学時代の同級生3人と記念写真を撮ろうとしていた。斜め向かいには、新しいショッピングモールが建設されている。
「いやあ何も起きねえ成人式だったな、市長の髪をバリカンしちまうとか起きれば面白いのに」
「自分から起こさねえとダメだろう」
ササキが写真をセットし、4人でデジカメに収まった。皆、身長が高くなり、誰も顔を上下する必要が無い。皆、このチョベリバ市で人生の大部分の時期を過ごしてきた。
「知ってるか、埼玉県の女子高生の8割には女性器が付いてるんだぞ」
「こいつ変わってねえな」
「残りの2割は何なんだよ」
どっと話が盛り上がる。中学時代、ママチャリをBMXの様に乗りこなしその様子を黎明期のYouTubeに上げ、レースがあれば家族で観戦遠征していたササキは、彼が望んていたとおりに自動車産業の道に進んでいた。ワタナベは鉄道趣味が高じて、旅行案内業になったそうだ。カトウは大学で経営の勉強をしている。三人とも、少なくとも実学の分野に早速近付いている。そして俺だけが、史学という何とも言えぬものに取り組んでいる。遠くを見ると、自衛官の制服を着た男が仲間に胴上げされていた。そうなれたことを祝っているのだろう。
中学時代は、小学時代の反動か、悪い思い出が無い。毎日誰かと遊び、新しい下ネタを編み出す。親にプレステを隠された奴を家に招いて一緒に遊んだあの日は、俺の死旬のかろうじての欠片だった。俺が一番「人並」だった時だ。世間やら社会やら一般常識って奴から惑わされていた時代でもある。健全ではなかったにせよ、あの時が一番、「日本人」だった。チョベリバ市南部のあらゆる場所に、俺の記憶的痕跡が残っている。小四の時、放課後クラブを中心とした連中と死闘を繰り広げたのは最悪の思い出だ。かと言えば、俺への虐めに加担していた女児・通称グチグチ女を、俺から逃げ遅れた末にヘラヘラしていたのでぶん殴ったあの路地は、最高に気分が良い場所だった。限界的状況に置かれた文字通りの少数者・弱者が、最後に取りうる手段として、強敵に窮鼠的決戦を挑む奴もいれば、多数派・権力の中のか弱き一部分を襲撃して最後の痕跡を残す奴もいる、どちらもあり触れた発想じゃあないか。特攻も、確かにその側面はある(ただし、敵空母ではなく皇居に突っ込むべきだったが)。ましてやあの女は加担していたのだ。原始的ながら俺が「構造」とでもいうものを粉砕した貴重な経験である。だが翌日、教師に酷く〆られて最悪の一日となった。教師どもは俺が男児どもと一対多で殴りあっている時、まるで青春ドラマを見ている様な面で見過ごしていたが、さて股間の形状がちょっと違うとあの騒ぎである。あの教師は、いやあの頃の教師どもは、一体何の教育的知見とやらを持っていたのだろう?お前らは俺を本質的には教育できなかった……。
俺と殴り合った主犯格らの連中も、グチグチ女も、成人式に来てようが来ていまいが大したことではない。ワタナベやササキのそれぞれ何人かの知り合いが改めて挨拶に来たりするのを横目で見たりしていると、目の前に壮年の女性が現れた。おめでとうございます等と言って、女性は用意していたように我々4人に次々と何かが入ったビニール袋を渡し、すぐに離れて行く。
「嫌な予感がするな」
俺は、それが宗教団体による書籍の押し付けなのを知っていた。大学に入った時も、バス停で不動産業者が大学関係者を装ってカタログを押し付けてきた覚えがある。
「あー、あいつだ、オーカワだ」
「今頃あちこちのブックオフはコイツだらけだぜ」
だろうな、と頷きながら、しかし同時に、‟公的”に押し付けられた物にも目を馳せる。成人式の入口で手渡された、薄い桃色の袋には、市民生活云々を教える小冊子やら、消費者トラブル回避のチラシやらと一緒に、自衛官募集のチラシが入っていた。男性自衛官と女性自衛官が左右に配され、こちらに微笑んでいる。俺は募集チラシを持ち出し、3人を注目させると、チラシを股間に押し付けた。
「混血46センチ砲を食らえ!」
ワタナベは半笑いでしょうもないと言いたげな顔をした後、すぐに続ける。
「こうかはばつぐんだ!」
ササキが小指を折って立てた。
「チゲーだろお前のは銀玉鉄砲だろ」
「金玉鉄砲?」
「黙れ」
あの頃のままだ。少なくとも表向きには。だが、俺は中学で眠らされていた根源的疑問を、高校の時に解き放された。俺は中学の頃と同じように笑うことができるが、しかし最早「日本人」ではない。そしてそのことを彼等良き友人に上手く伝えられる術を持たない。無論、親や親戚、今の大学の同ゼミ生にも。俺は股間に押し付けた自衛官募集のチラシを更に食い込ませた。
「止せよ、あっちの自衛官に見つかったら射殺されるぞ」
ササキに頭をハタかれ、ようやく俺はチラシを放した。俺達はササキの家に向かい、彼の車に乗ってどこかに行くことになった。母親との口約束は、当然破ることになる。そしてそのササキの家に向かってダラダラと歩くということは、かつて通った通学路の大体を歩くと言うことだった。そこには、ろくでもない思い出が詰まっている。ある交差点を超えるとそこから学校まで大体の場所で、俺は殴ったり殴られたりしている。何よりササキの家の二つ向こうの路地が、俺が女児を殴った現場である。またその一つ向こうのマンションの裏では、数日後に虐めの主犯格が女児の復讐を名乗り正義面して俺に殴りかかってきた現場でもある。
公園を通り過ぎ、あの頃と大して変わらない坂道と住宅街の中で、俺は突然指さした。
「そこで俺はグチグチ女を殴った」
「……」
3人は興味深そうに眺めた。3人はあの時別のクラスにいたので、あの出来事のことを「適度」に知っていた。
「事件現場さ」
カトウが神妙そうな顔でそれを眺めたが、しかし口ではふざけている。
「今だったら強姦か?」
かもな!と心の中で叫んだ。もし小四の精神で二十歳の肉体を持っていたら、そうなるかも知れない。性も、根源的なものだ。だが、俺はやはり男女の差を重視していた訳では無い。あらゆる連中の顔に現れる「日本」を殴ったのである。そして、それに続く数日間の出来事で、通俗的な正義などと言う物がすんなりと入らなくなった。そう考える横で、三人は色々喋りながら進んで行った。
再会記念にササキの車で遊びに行ったゲームセンターから、家に帰ると、母親は居らず、俺は一人だった。また一人になった。薄い桃色の袋を無造作に放り出すその時、一人だ。小学校時代、俺は一人だった。中学を出るとまた一人になった。職質を受ける時、俺は何にも守られず一人だった。混血の知人が自殺を選んだ時、確かに俺は一人だった。一人になった。一人では、故郷があろうが無かろうが関係ない。カントリーロードを歌っても感傷は無い。混血に「故郷」を聞く者がいる。俺は別にそれをポリコレだ何だと咎めない。ただ、俺の故郷は地域や文化で答えられるものではない。そしてそれは「どちらも選べない」「地球」という月並みな物でもない。ママのオマンコの奥底という涙ぐましい物でも当然ない。俺の、混血の故郷は、しいて言えば、「時代」なのだ。俺が何語を喋ろうと。文明か野生かに生まれようと。過去から今まで、そして多分将来も、疑問を抱いたがために。
そして皆も、実際そうだろう。全ての人間は混血であり、一部の人間は「混血」と呼ばれる。
Fujiki 投稿者 | 2019-09-24 20:39
頭でっかちな二十歳の大学生感がよく出ている。小学校時代のエピソードは既に聞いた話なのでもう少しひねりがあったらな、と感じた。
千葉 健介 投稿者 | 2019-09-25 14:47
始まりから終わりまで蔓延している、毒のような言葉が好きです。それらは決して粗暴なものではなくて、これまでの人生に裏付けられた確固たる信念のようなものを感じます。
多宇加世 投稿者 | 2019-09-26 02:52
両親の国が違うからその子供である自分は親の性行為がより一層意識されてしまうという思考を、わかりやすく教示していただいた気がする。ユーモアがあって会話シーンも好きです。
久永実木彦 投稿者 | 2019-09-27 20:15
こころにせまりました。すごくよかった。いつだって時代が異端をきめてきたのかも。
大猫 投稿者 | 2019-09-28 00:05
Juanさんの作品は、いくらセックスが出てきても少しもエッチではない。
理由の一つは冒頭の一文だろう。両親の性交シーンなど想像したらあらゆる性欲は萎んでしまう。まったくミもフタもない。
この作品はわりと自然体で書かれていて好感を持って読んだ。リラックスした会話も面白いし、何より息子の苦悩も知らず日常生活に埋没しきっている異邦人のお母さんが良い。最後の方がちょっと演説になっている。演説ではなく物語にして心を奪ってほしいものだと思った。
伊藤卍ノ輔 投稿者 | 2019-09-28 00:45
主観たっぷりながらそれが居た堪れない気持ちを起こさせないのは、ホアンさんの実感に基づく言葉だからかなと思いました。
物語の断片が浮かんでは消えるような造りで、その流れに身を任せて読むと心地がよかったです。負の感情に満ちているように見えるのに心地いいとは。
おそらく負の感情としっかり向き合ったうえで、それをご自身の中できっちりと処理されているからこそそういう感想になるのだなと思いました。
でも逆に言うと、心地よく読めてしまうというのはホアンさんにとって不本意なことなんじゃなかろうかとも思ったりしました。
個人的な経験をより大きなフィールドに展開する、そのときにより深く読者に感じさせるようにするには、やはり既にコメントにもある通り物語という側面を最後のほうでよりきっちりと押し出した方がいいのかな? という個人的な感想を持ちました。
斧田小夜 投稿者 | 2019-09-28 01:40
Juan.Bはカッコつけるよりこういうののほうがいいと信じていました
諏訪靖彦 投稿者 | 2019-09-28 04:26
言葉の選び方に「ククッ」と笑い、『混血テロル』に描かれた事件に「ああ」となる。そしていつも主題は決してぶれることがないですね。面白く読ませてもらいました。
松尾模糊 編集者 | 2019-09-29 18:28
最後の混血の問いかけはとても鬼気迫るものがあり感動しました。前回の作品がとても良かったので、大猫さんの指摘にもありますが、演説が主になっていてもう少し友人たちとの物語があったらと感じました。
一希 零 投稿者 | 2019-09-30 01:27
半フィクション、とのことですが、小説というよりエッセイのように読みました。笑いました。怒りをそのまま怒りとして表現するだけでなく、ユーモアに変えている点が良かったです。
波野發作 投稿者 | 2019-09-30 09:38
特に言うことはなにもないのだけど端的に言って最高の小説であり得点も最大です。以上です。
高橋文樹 編集長 | 2019-09-30 16:25
成人式が題材だったので、「グチグチ女」との再会を期待したのだが、出てこなくて残念。あと、地元に意外と友達が多いため、悲壮感がなかった。少し期待しすぎたが、「成人式」という新しいJB情報も得られた。