三 イスヒス帝国

あなたの命のいただきかた〜亡国王子の復讐譚〜(第3話)

急行2号

小説

21,110文字

水色の瞳をした者……死刑
加工済みドラゴンを所持し続ける者……死刑
使えない部下……死刑

 ――皇帝テレーマ・ラミナ・ターグ

「エルスト様、ひとりじゃ危ないんですってば!」

ベルの声がエルストの背中に届いた。隠れ家のクローゼットにあった青いローブをまとったエルストは、二年という月日を経て、ふたたび王都マグナキャッスルの土地を踏んでいる。エルストが歩くたび弓矢や剣が揺れていた。エルストを追うベルの肩にはアギを詰め込んだナップサックがぶらさがっている。空飛ぶホウキは隠れ家に置いてきた。

エルストらがつい先ほどまでいたベルの隠れ家は、ベルの両親が保持していた石の家だった。亡き両親にかわり、今はベルが隠れ家一帯に結界魔法を施しているため、人目に〝映らず〟、安全というわけだった。
そんな隠れ家をエルストが抜け出した理由は、今日、朝食の席でベルから聞いた〝イスヒス帝国〟の話である。イスヒス帝国とは——世間では今や王国は滅んだとされており、王族エルオーベルング家のかわりに〝ターグ皇帝家〟なる一族が君臨する帝国である。世界は現在、このイスヒス帝国に統治されているという話だった。
エルストは憤慨した。王国は滅亡したと人々は判断していることはもちろん、ベルに聞くかぎり、ターグ皇帝家は国民に圧制を敷いているようだからである。
加工済みドラゴンを持っていた魔法使いは加工済みドラゴンを奪われるどころか〝加工済みドラゴンを所持した罪〟によって殺されるという。ベルがアギの頭を隠しているのはこのためだ。さらには皇帝自ら選出した国民は帝国兵として徴兵されるという。逆らった者は死罪にするそうだ。
そもそもターグ皇帝家とは何者なのか。エルストが王都で暮らしていた時代、そんな名前は聞いたことがなかった。兄や両親ならば見知っていたのかもしれないが、死人に今さら訊くことなどできはしない。エルストには、ターグ家が、サード・エンダーズによる王都襲撃事件の隙を突いて王家に成り代わったようにしか考えられなかった。以上がエルストの憤慨する理由である。

王都マグナキャッスルもまた都市の周囲を山に囲まれており、とくに郊外の町は深い谷間に位置している土地だ。そのため常に薄暗く、寒冷地となっている。陽が射しこむのは中心街や王都中央の岩トカゲが抱える城くらいだ。エルストとベルは王都郊外から王都中心街へと進んでいる最中である。王都に行きたがったエルストをベルがワープ魔法を使って移動させる前、ベルは、アギをナップサックの中に押し込んだ。ベル曰く「危険だから」とのことだ。エルストのあとを追うベルは、目の前を早歩きで進むエルストの右腕を掴んだ。

「帝都のあちこちをイスヒス兵がうろついてます。見つかったら、というかエルスト様の身分や正体がバレでもしたら……」

ベルは小声になる。

「殺されますよ。イスヒス帝国は王国を嫌ってますから」
「じゃあ僕の名前を呼ばないでくれる、ベル? そうすりゃ無事で済むよ」
「そんなコワい顔してこの街をふらついてたら異端視されて捕まるのがオチですよ、エルスト様」
「異端ね。僕はもう異端なのか。そうかもしれない」
「だから私から離れないでくださいね。城に忍び込んで皇帝の顔を見たら、すぐ隠れ家にワープする。これが隠れ家を出るときに交わした約束ですからね」
「ベル、道案内してくれない? 王都城下町の道は君のほうが詳しそうだ」

ベルはエルストからやや目をそらし、ここはもう帝都です、と念を押すように言った。

エルストの思い違いでなければ王都郊外は農林地帯が広がっていたはずだが、今となってはただの雑木林だ。ぼうぼうに草木が生え、とても人間の手入れが行き届いているとは言えない。日中であるはずなのだが夜のように薄暗い〝帝都〟郊外を抜け、エルストらはようやく民間の居住区に出た。まるで黄昏時のように殺風景だ。不規則な形をした石が道に埋め込まれている。谷間に吹く風が砂埃を舞わせている。人の気配は少ないようだ。

石造りの住居が建ち並んでいるが、どの家も、窓や戸を閉め切っている。街路樹は荒れ放題だ。夜にはさぞ不気味な街に成り下がるだろう、とエルストは考えながら歩を進める。ここにきて帝都の中心、岩トカゲを眺めることができた。エルストの胸には、とたんに懐かしさが込み上げてきた。岩トカゲは今もそこにいる。エルストの胸にひそやかな勇気が湧いてきた。

「このへんも二年前、火事に見舞われたんですけど、今はなんとか復旧してますね」

エルストの隣に並んだベルが言った。

「だけど大勢の国民が虐殺された。あの男……絶対に許さない」

力強く言うベルの隣で、エルストは眉を寄せた。ベルと初めて会ったとき、ベルが口にしていた「大勢の人が死んだ」とは、あの夜同時に起きた王都火災のときにおこなわれたらしい虐殺のことだったのか、とようやく知った。

「それもさ、もちろんサード・エンダーズのしわざなんだよね」
「ほかに誰がいるって言うんですか、エルスト様」
「ううん。けど……国民を守りもしないでって……」

エルストが言いかけたとき、少し先に建つ住宅の陰から女の悲鳴が聞こえた。エルストとベルは顔を見合わせ、やがて一斉に走り出した。

「あ、待って、エルスト様。イスヒス兵です」

ところがエルストはベルに押されて住宅の陰に隠れさせられた。ベルを先頭に、道端で繰り広げられている口論を覗き見る。口論しているのは赤毛の少女と、イスヒス兵と思しき武装した男だった。イスヒス兵はフードをかぶり、腰には剣を携えている。

「いくら皇帝陛下のご命令であっても、水色の目をしているからといって弟を処刑するなんてあんまりです!」

黄色のストールをまとった赤毛の少女は長い髪を振り乱しながら泣き叫んでいる。エルストはベルの右肩を叩く。

「水色の目だって? ベル、どういうこと?」
「や、私も初めて聞きました……なんの話だかさっぱりですけど。だけど本当なら、横暴どころじゃ済まないですよ、皇帝の政治は」
「あっ! 兵士のやつ、女の子を殴ったぞ!」
「えっ? あ、ちょっと、エルスト様、勝手に動かないでくださいって、あーもう!」

住宅の陰から飛び出したエルストを、ベルが慌てて追いかける。

「おい!」

エルストは赤毛の少女とイスヒス兵のあいだに割って入り、イスヒス兵の前に立ち塞がる。

「おまえ、今この女の子に向けて剣を抜こうとしてるな。誰がこんな暴挙を許したんだ。これも皇帝とやらの命令か?」

エルストの目は剣の柄に手をのせた兵士の挙動を見逃してはいなかった。

「のけ! なんだ貴様は!」

イスヒス兵はエルストに敵意を向けた。まずい、と、地に倒れていた赤毛の少女を支えるベルは瞬時に思った。興奮しているエルストが名乗りかねない上に、肩からぶらさげているナップサックにはアギという加工済みドラゴンがいる。どうにか事なきを得てこの場を乗り切りたい、とベルは願う。

「その〝瞳〟! そしてその青いローブ! 貴様、加工済みドラゴンを持った魔法使いだな!」
「え?」

ベルはつい声に出した。もしかするとエルストも似た反応を示したかもしれない。だがベルが口を挟む前に、エルストらの未来はイスヒス兵によって決定される。

「水色の瞳をした者は重罪人! ましてや加工済みドラゴンの所持は死刑! 貴様らを城に連行する!」

思いがけない展開だった。イスヒス兵が高らかに叫んだ次の瞬間、エルストとベル、そして赤毛の少女は、城の中にある牢獄へとワープさせられた。

 

 

岩トカゲの肉体を加工して建つ城の内部、その中でもひときわ寂れた雰囲気のある牢はかつて魔法騎士団が保持していた敷地内にある。土塗の壁が背中を刺すように冷たい。エルストとベルは羽織っていたローブやマントを、イスヒス兵によって没収された。ついでに言えば、ベルの杖やアギが入ったナップサックも押収された。エルストも丸腰である。ベルは黒いワンピース姿である。開く気配のない鉄格子製の檻にエルスト、ベル、それから赤毛の少女が投獄されている。三人の手足にはいかにも頑丈そうな鎖が填められ、土壁から身動きが取れないように接続されている。

エルストが魔法使いでないことはすでにイスヒス兵へ伝わっている。エルストが羽織っていたローブはただの布きれだったからだ。そのかわりエルストと一緒にいたベルへと魔法使いの容疑が向けられ、ベルはみごとアギという加工済みドラゴン一式を奪い取られたという始末である。かれこれ小一時間は、この三人は同じ体勢のままだ。手首から続く鎖は頭上から垂れ下がっているため、三人はやむなく棒のように立っている。

「はあ~……」

ベルは盛大に溜め息をついた。ベルは可能な限り腕を振り回したりしながら鎖で遊んでいる。

「ここに入れられてから考えてたんですけど……エルスト様ってそーゆーとこあるタチっぽいですよね」

するとエルストが隣のベルを見た。

「そういうとこって?」

ベルは答える。

「見境がないっていうか、勢いだけっていうか」
「ねえ、それ僕に対する悪口だよね。そうだよね。それにさあ、じゃあ、だよ、ベル。ねえ。じゃあ、そこの女の子が殴られてるのに黙って放っておけたっていうの、ベルは?」

エルストはベルの頭の向こうに見える赤毛の頭を見た。ベルはエルストと赤毛の少女のあいだに挟まれている。

「それとこれとは話が違うじゃーないですか。ひねくれてるのかまっすぐなのかどっちなんですかっ」

ベルは両足を浮かせ、手首を吊る鎖に体重をかけたりしながら反論する。

「私はね、放っておけないからといってむやみに飛び出せばいいってもんじゃないって言ってるんです。困ってる人がいたら、そりゃあ助けたいですよ、私だって。助けたいとか悪いヤツを許せないって気持ち、知ってるもん。でも……計画性って言葉、ほら、あるじゃないですか?」
「だいたいこんなところに連行されるなんて聞いてないよ!」
「誰が住んでた城だって思ってるんてすか、もー! こんなとこ作るほうも悪いです!」

ベルは思い切り床に足を打ちつけた。

「あーもうウルサイなっ。賑やかなアギがいないからって君がかわりに騒ぐことないだろ!」
「そう……そこなんですよ……アギ~! どうしてさらわれちゃったの! 今どこにいるのー! もう一緒にお料理できないなんてさびしい! アギも絶対さびしがってる! 絶対助けてあげるからねー!」
「しずかにしろ!」

ベルを牽制したのは三人を連行したイスヒス兵だった。いつのまにか三人の入る檻の前に立っている。

「イスヒス兵だ……ふーんだっ。ベロベロベー! 私たちをここから出しやがれ! べろべろ!」

ベルは舌を出しながら挑発している。

「おまえ! 僕たちをここから出せ!」

すぐさまエルストも怒鳴りつけた。

「ああ出してやる」

イスヒス兵は答えた。

「えっ、意外にあっさり……自分で言っておいてなんだけど、意外すぎる……あ、わかった! 何か企んでるでしょ! ねえ、アイツそうに違いありませんよ、エルスト様」
「おい、何を企んでるんだ?」

ベルの忠告を受けたエルストがイスヒス兵を睨みながら尋ねた。

「出すのは貴様だけだ」
「エルスト様だけ? なんで? 私たちは?」

ベルは不服そうだ。

「小娘たちはそこにいろ。じきに命令が下される」

イスヒス兵が檻の中に入るや否やエルストの両手足に填められた鎖を解いた。そしてエルストに檻を出るよう顎で促す。エルストはベルと顔を見合わせる。どちらも不安げな面持ちだ。エルストは次に、心配そうに視線をよこす赤毛の少女を見た。少女はミントのような色のワンピース姿である。少女のまとっていた黄色のストールもまた没収されていた。少女はおびえた様子だ。

「ベル、その子のこと、よろしく」

エルストはふたたびベルと目を合わせる。

「ひとりで大丈夫ですか、エルスト様?」

ベルが言うと、エルストはおかしそうに口角を上げた。大丈夫ではなかったが、この街に来てからというもの、そこが岩トカゲの街であるためか、エルストの胸の内には勇気らしき息吹が湧いていることは事実だった。

 

 

「がーっ! ごーっ。ごごごーっ」

同じころ、エルストやベル、赤毛の少女が囚われていた牢とは別の部屋にてアギもまた捕えられていた。今は木製のテーブル上で豪快にいびきをかいている。

「こいつ、うるさいな……加工済みドラゴンって、いびきかくのか?」

武装した見張りの兵士はひとり首をかしげている。

「ムニャムニャ……ベルぅ、ステ~キ! んごご……ねばー・えんでぃんぐ……ぴゅるるるる」
「寝言まで……」

アギの周囲にはエルストや赤毛の少女から没収したローブやストール、それからエルストの武器が乱雑に置かれていた。イスヒス兵は苛立った顔でアギを見ていた。

 

 

王立魔法騎士団の拠点である本部内は薄暗く、石造りの内装は物々しい雰囲気を漂わせている。いや、今はもう帝国軍の本部なのだろう。エルストの見慣れない制服を着た兵士たちがみな剣を装備した格好で巡回している。ひとりの兵士に連れられて歩くエルストに、巡回の兵士たちは嫌疑の目を向けている。橙色のオイルランプがエルストの不快に満ちた表情を照らしていた。二年前までこの城に暮らしていたエルストの勘が正しければ、エルストは今、謁見の間に連行されている。

石の階段をのぼる。岩トカゲと同化するように建てられた城はどこもかしこも石造りだ。エルストは途中、二年前の誕生日に会食していた広間の横を通りすがった。
あの広間の中に、もしかするとまだ家族がいるかもしれない! それは夢や幻想だと知りながら、エルストは目の奥を熱くさせる。

「父上、母上、兄上!」

立ち止まって広間の中を確認したかった。だがイスヒス兵はエルストに剣を向け、歩を進めることを強制した。エルストは唇を震わせながら、兵の指図に従った。
やがて寒気がする中、エルストは、やはり謁見の間へ繋がる扉の前に立たされた。扉の両端にはイスヒス兵がいる。見張りなのだろう。

「テレーマ陛下。例の者をお連れいたしました」

エルストを連行してきたイスヒス兵が謁見の間奥へと語りかけた。すると扉の奥から、まだ若そうに思われる男の声が聞こえてくる。

「入れ」
「失礼いたします。ほら、入れ」

ここまでエルストには鎖はおろか縄すら縛られていない。エルストには不思議だった。ふつう罪人は、常時捕らえておくべきものだとエルストは認知していたからである。重い扉を開けたイスヒス兵はエルストを謁見の間内部へ押しやった。エルストの背後で扉が閉まる。エルストの目の前には、真紅の絨毯の先に、玉座に乗っかる黒髪の男の姿がある。

「おまえが皇帝とやらか?」

エルストは黒髪の男をじっと見つめる。紫色のコートを羽織った長い黒髪の男は、うつむきがちに玉座にいたかと思うと、エルストの声に反応してその顔を上げた。

「まず、てめえの名前を聞こうか」

黒髪の男は若そうだった。エルストよりも少し歳上だろうか。ランプの明かりが男の顔を照らし出す。

「おまえに名乗るような名前はないね」

己が丸腰であることも忘れ、エルストは威圧的に出た。すると黒髪の男は鼻で笑い、玉座の上で足を組み替えた。

「殺す前にせっかく名前を聞いてやろうと思ったんだが。残念だな」
「殺す……僕が水色の目をしているからか?」

エルストは赤毛の少女が言っていたことを忘れてはいない。

「お? なんだ、我が帝都の情勢は知ってるようだな」

黒髪の男は愉快げに口角を上げている。

「我が帝都だって? おい。いま、王都が誰のものって言ったんだ、おまえ?」

エルストは水色の瞳を細め、黒髪の男を睨みつける。

「この俺様のものだって言ったんだよ。この都をいまだ王都なんぞと呼ぶ、古臭い風貌したおぼっちゃんよ」

黒髪の男にそう言われるなり、エルストはこぶしを握り、悔しげに奥歯を噛み締めた。エルストにとって、もうここには王国の気配などさらさらないことを突きつけられた気分であった。だが、エルストはまぎれもなく、あの王国の王子だ。

「いいさ……名乗ってやる。僕がここで名乗ることには意義がある」

やがてエルストは高らかに叫ぶ。

「僕の名はエルスト・エレクトラ・エルオーベルング! この王国の王子だ!」

エルストのそばで、イスヒス兵は、こいつまさか本当にあの王国の、などとのたまった。その隙にエルストはイスヒス兵の腰から剣を奪い抜き取る。一方黒髪の男はどうだろうか。黒髪の男はやけに落ち着き払っており、にやついた顔を崩してはいない。

「それが、俺がてめえを殺す理由だ、クソ王国のクソ王子!」

黒髪の男は立ち上がった。エルストが握る剣の切っ先は、この黒髪の男に向けられていた。
エルストに奪い取られた剣を取り戻そうとするイスヒス兵を蹴飛ばし、エルストは黒髪の男へ立ち向かっていく。黒髪の男は、長い前髪を掻き上げ、なんらかの魔法により剣を手元へ出現させた。エルストと斬り合うつもりらしい。エルストもまた黒髪の男を斬るつもりでいる。大きく振り上げたエルストの剣は黒髪の男が持つ剣先に受け止められた。エルストは身をかわし、おもに斜めに斬り掛かる。

「たしか第二王子は魔法が使えないんだったよなあ!」

そう言ったのは黒髪の男である。その直後、エルストのうしろに黒髪の男はワープした。ワープ魔法ならばエルストの隙を突けると思ったのだろう。だがエルストの反応は早く、黒髪の男の剣は空振りに終わる。とはいえ黒髪の男は身のこなしが軽やかで、エルストを謁見の間の奥、玉座のほうへ追いやる。エルストは魔法を使えないためワープする手段がない。退路は黒髪の男に塞がれてしまった。
玉座の肘掛けへとエルストが倒れ込む。背中に激痛を受けたエルストの顔は大変歪んだ。エルストが体制を崩したのをいいことに、黒髪の男はさらなる追撃をおこなう。エルストの左脛を斬りつけることに成功した黒髪の男は愉快げに笑う。床に倒れたエルストは真紅の絨毯を血で黒く染めながら寝返りを打つ。

「おまえ……サード・エンダーズか?」

エルストが黒髪の男へと投げかけた台詞だった。

「あ?」

黒髪の男は一瞬表情を消し、

「へへっ」

そして笑った。よく笑う男だとエルストは思った。

「俺はテレーマ。なあ、てめえが俺と勘違いしてるのはサルバってヤツか?」
「おまえサルバを知ってるのか!」
「あー、そうだな、サルバと俺は、てめえを殺すという目的をともにする同志ではあるぜ。残念だったな。俺はてめえの味方では決してねーぞ」
「見ればわかる。それに、おまえに味方なんて期待しちゃいないね」
「それもそーか。そんじゃあとっとと殺されな、このテレーマ・ラミナ・ターグによ。使えねえ人間はこの世から排除されて当然なんだぜ」

テレーマは身構えた。エルストは若干の恐怖をおぼえながら、剣を交えなければなぶり殺されるだけだと悟った。

 

 

「ビコ!」

エルストが連れ去られたあとの牢屋では、ベルが手足を捕らえて離さない鎖の破壊を試みていた。ベルが放った魔法は対象に衝撃を与える魔法である。

「きゃあっ!」

赤毛の少女がかたく目をつぶる。ベルの手足を縛っていた鎖は魔法には敵わず、みごと粉々になった。砂埃が舞い、ベルが咳き込む。鎖からは解放されたがベルの素肌もまた無事では済んでおらず、赤く鮮明に傷ついていた。

「魔法で……壊せたんですか、鎖を? 鉄製なのに」

赤毛の少女の目がベルの手足を凝視している。うんと伸びをするベルはにっこりと笑って頷いている。

「すごい……ふつうだったら、魔力を消費することに躊躇してしまうのに。だって魔法って寿命なんですよ。それに、あなた怪我だって……」
「魔法を使わずに損したくないってだけです」
「損?」

赤毛の少女が聞き返した。ベルは答える。

「捕まったまま時間を消費するか、逃げるために魔力を消費するかの違いですよ。どっちが私にとって損なのか。私は、まあ、エルスト様のために魔法を使うって決めましたから」
「エルスト? あの、エルストって、まさか……」
「あの王国の王子様です」

赤毛の少女は息を呑む。

「王国は滅んだんじゃ……」
「へへ。そう思いますよね。私もそう思ってました」

ベルは白い歯を見せながら微笑む。

「でも滅んでないです。終わってなかったんです。まだ」

ベルは次に、頑固な檻を破壊しようと動いた。

 

 

重たい玉座が動く。エルストがテレーマに向けてぶつけようを押し出したのである。魔法を使えないエルストにとって、剣ひとつで〝魔法使い〟と戦うには荷が重い。あらゆるものを武器に変えていかなければ、すぐに殺されてしまうことはエルストにもわかっていた。しかもイスヒス兵が増援を呼びに行った。エルストにとってこの場が不利であることは間違いない。

自分がどうすべきなのかはわからない。だがテレーマに対し、エルストは、ただ殺されてやるのだけは勘弁願いたいと考えている。
そうしてやっとの思いでテレーマに向けて玉座を押し飛ばしたエルストであったが、玉座はテレーマに当たることなく床に横転した。テレーマは再度エルストの背後にワープする。だがこれにもエルストは即座に反応し、テレーマの攻撃をかわした。

「やけに身のこなしがいいな。いらいらしてしかたがねえ!」

エルストと斬り合いながらテレーマが言った。

「そういう攻撃には絶対に反応しなきゃいけないって体に染みついてるんだよ。染みつかせてるんだ! あのときみたいな思いはもう二度とごめんだ」

そう答えたエルストの脳裏には、サルバの攻撃からエルストを庇ったサムの姿が映っている。テレーマと刃を交えるエルストはじりじりと場所を移動していく。ランプの下に辿り着いたとわかったとき、エルストは、剣を向ける対象をテレーマからランプの灯へと変更した。グラスを思い切り叩き割り、テレーマのコートにオイルをかける。

「うおっ」

テレーマはそのまま火を被ってしまう。テレーマから離れたエルストは次々とランプを割っていく。ひとつのランプがグラスを割られ、絨毯にオイルと炎が飛散した。すると絨毯はとたんに炎を大きくしていく。

「おいおい。何してくれてんだ。てめえのだいじな城がめちゃくちゃだぜ」

コートを脱ぎ捨てたテレーマはうんざりした様子で謁見の間を見渡した。エルストとテレーマのあいだには燃え上がる絨毯が横たわっている。

「いいさ。そこの玉座もどうせ空っぽだろ?」
「ははっ。あはははははははははははははははははははははははは! 空っぽ! あっはっはっは! 俺の怒りは頂点に達したぜ。死ね」

真顔を浮かべたテレーマはエルストへとまっすぐに剣を向けた。その切っ先から黄色い光が瞬き始める。

「バルク!」

テレーマがエルストへと放った魔法は爆撃魔法のひとつであったのだが、魔法を使えないエルストは、そんなことを知るよしもなかった。
謁見の間に爆音が響く。反射的にエルストは目を閉じた。魔法を使えないエルストでも、自分が攻撃されたのだということくらいは理解できていた。ほかにテレーマがとるべき行動があるだろうか。いいやない。
だが、少し前に斬られた左脛以外、いつまでも〝平気〟な身でいる自分がエルストには不思議だった。おそるおそる目を開ける。

「てめえ!」

憤慨したらしきテレーマの怒号が聞こえた。エルストの目の前には――ひらひらと舞い踊るマントのようなものが映っている。

「ベル?」

きっとベルが魔法で牢屋を抜け出して助けにきてくれたのだ。エルストはそう思った。

「ははははっ! まさかてめえが現れるとはよ! なあ、おい! ますますそいつは王族の死に損ないなんだということを思い知ったぜ俺は! はははっ」

怒号から打って変わってテレーマの笑い声が周囲に響く。エルストはあらためて目の前のマントを確認する。違う。ベルの赤いマントではない。エルストはひとつ咳払いをした。テレーマの放った魔法のせいか、あたりは煙たい。焦げついたような匂いもする。

「おいプロトポロ! なんとか言え! そしてその澄ました顔を俺に見せつけるんじゃねえッ!」

テレーマの声は愉快と不快の両方を危うい均衡で保った色を見せている。エルストにはとうてい理解しがたい。いや、それよりも――この、自分に背を向けて立っている人物は何者か。
エルストがじっと見つめていると、その人物はちらりとエルストに振り返った。後頭部でひとくくりにした白髪が長い。シワだらけの顔をしたその男は水色の瞳をしている。白髪の男の右腕からは、蛇のような、うねった管のような、とにかく長いものが垂れていた。いかめしげな表情がどこか、なにかを思わせる。だがこの老人が誰なのか、エルストにはそれらしき人物に心当たりはない。二年前、自分に仕えていた老執事はいたが、このように険しい顔なんてしていなかったし、瞳の色も別物だった。そしてこの異様な右腕など――「腕?」エルストは、なにか、胸に引っかかるものをおぼえた。

「へへへ。ははは。〝殺したい相手〟が二人も現れやがった。まったく今日はツイてんなあ」

テレーマは剣を肩にかけて笑っている。絨毯の炎は広がりを増している。熱気と左脛の痛みのおかげでエルストの額には汗が滲むばかりだ。

「宮廷魔法使いは?」
「へっ?」

老人に話しかけられたのはエルストだった。エルストは思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。

「君には宮廷魔法使いはいないのかね」
「あ、いる……います! 助けに行きたい!」
「行こう」

老人はエルストの背中を押した。ところがエルストの左脛に激痛が走る。

「怪我をしているのか」

顔を歪めたエルストを不思議に思い、老人はエルストの足を確認する。老人は己がまとう麻のマントのすそを左の人差し指で撫でた。すると、撫でた部分に切り込みが入る。ちょうど包帯のようになった麻の布切れを、老人は、人差し指を杖のように振って魔法を起こし、くるくるとエルストの傷口に巻き付けた。

「ま、魔法」

礼を言うよりもまずエルストの口を突いて出たのは魔法に対する驚きだった。ベルが宮廷魔法使いとなって日も浅く、かつてサムも自分の前では必要最低限の魔法しか使っていなかったため、エルストにとって魔法はまだまだ縁の遠いものである。

「てめえらはここでくたばれってんだッ! セカンド・エンドの恨みを忘れてやったわけじゃあねえぞ!」

テレーマがエルストを見逃してやるはずはなく、なにやら叫びながら次々と狙撃魔法を放ってくる。絨毯の炎を越えてやってこようとする火の玉を前に、老人は右腕をかざす。先ほど長いものが見えたのはエルストの見間違いだったのだろうか。老人の右腕は、しわくちゃな、ただの人間の腕である。

「マギラス」

老人はなんとその場にいながら絨毯の炎をあやつり始めた。

「ダ!」

絨毯から浮かび上がった、まるで火のドラゴンと化した炎は、老人の意のままに、テレーマが放った火の玉をも取り込みながらテレーマへと襲いかかる。エルストには火のドラゴンがこぶしを振りかざしているように見えた。

「うおっ! くっそッ」
「今のうちだ。さあ行こう。牢屋かね?」

火のドラゴンがテレーマへと直撃することも待たず、老人はエルストを連れて謁見の間をあとにした。謁見の間に充満していた熱気は廊下にも伝わっていた。いや、このエルストの先を走る老人の魔法が謁見の間に発生していた熱気を拡大させたのだ。

 

 

エルストは目の前の老人が登場したことに困惑しながらも、ベルたちのいる牢屋への道案内をした。道中、援助の知らせを受けたイスヒス兵が立ち塞がってきたため、エルストは剣を手放せずにいた。もっとも、イスヒス兵の多くは、老人の魔法により壁に打ちつけられていたが。

「ベル!」

牢屋に辿り着いたエルストは老人をよそに叫びだす。

「あれ……ベル? ベル!」

ところが、ベルやエルスト、赤毛の少女が入れられていたはずの檻はもぬけの殻だった。それどころか鉄格子はこなごなに砕けている。ただごとではないことが起こったのだろうということはエルストの目にも明白だ。

「いないのかね」

老人は周囲を警戒しながらエルストに尋ねた。エルストは答える。

「わからない……けどここにはいない。無事……だといいけど」
「その檻を見て無事だと思えるのは素晴らしい精神だな」
「だって何が起きたのかさっぱりじゃないか!」

エルストはむきになった。老人は砕け散った檻や鎖を指す。

「居場所に心当たりはないのかね? この様子だとそのベルとやらは逃げ出したようだが」
「知らないよ! アギだって奪われてるし……いや……アギ。待てよ。もしかしたらベルはアギを取り返しに行ったのかも」
「どこへ?」
「さ、さあ?」

エルストと老人は顔を見合わせた。

 

 

「謁見の間って……ココですよね? うー、城の中は詳しくないのに、私」

一方、ベルは赤毛の少女とともに牢屋を抜け出し、こそこそと身を潜めながら謁見の間へと到着していた。ベルは無防備である。赤毛の少女もまた装備品などはない。ふたりとも、ただそれぞれワンピースをまとっているだけだ。あたりはランプがあるとはいえ、やや薄暗い。

「なんかすっごく暑いし、なんかイスヒス兵はやたら倒されてるし……エルスト様、無事かなあ、んも〜。ここにはいないのかなぁ? 皇帝と会うっていうから、てっきり謁見の間かと思ったのに……」

愚痴っぽく吐き出すベルの肩を赤毛の少女が小突く。

「あの、加工済みドラゴンは取り返しにいかなくてもよかったんですか? あなた、魔法学園の生徒か何かだったんでしょう? 牢屋であんなに叫んでいたじゃないですか」

赤毛の少女の腕もまたベルの手足のように傷ついている。赤毛の少女はベルと同じように脱獄していた。

「私だってアギを助けに行きたいですよう」

ベルと赤毛の少女は謁見の間の扉に隠れ、広間の内部を覗き見ている。

「でも私、エルスト様の宮廷魔法使いになっちゃったし」
「えっ。あなた、宮廷魔法使いなんですか?」
「ええ、まあ」

赤毛の少女はベルのうしろに身を屈めている。廊下のあちこちにはイスヒス兵が突っ伏している。気絶しているか、死んでいるかのどちらかだ。

「魔法……使い……」
「ん?」

ベルはうしろを振り向く。

「今、何か言いました?」

ベルに尋ねられた赤毛の少女はきょとんと目を丸めた。その直後、ベルらのそばに倒れていたイスヒス兵のひとりが身をよじりながら起き上がる。

「貴様らァ!」
「きゃあ!」

赤毛の少女が悲鳴をあげた。そしてはっとしたように口を手で覆う。

「あいつ! 私たちを牢屋に入れたイスヒス兵だ」

ベルが体勢を整えた。

「オスキタティオっ」

ベルに人差し指を突きつけられたイスヒス兵は、その場にふたたび倒れこもうとする。ベルが放ったのは催眠魔法だった。ところが、倒れこむ間際、何者かの剣によって胸を一突きにされた。
目の前で人殺しがおこなわれた。ベルは一瞬、その光景を受け入れられずに思考が停止する。

「あー、疲れた……しかも焦げたにおいがクソくせえ。プロトポロのやつ、やってくれるぜ。そしてそこのガキども、ここを誰の城だと思ってんだ? 誰の許可を得てここにいる」

イスヒス兵を刺したのは、謁見の間の奥から現れた長い黒髪の持ち主、テレーマだった。テレーマに刺されたイスヒス兵は血を吐きながら絶命した。テレーマは、己の部下を殺したのだった。

「え、なに、こいつ……」

ベルは赤毛の少女を庇い立つようにしながらテレーマを凝視する。

「〝こいつ〟? おい。この国を統べる男になんて口の利き方だ」

テレーマはベルを睨んだ。テレーマは、顔の右半分、いや、右半身が黒ずんでいる。黒髪もところどころ焦げついている。テレーマから放たれる異臭にベルは思わず鼻を塞ぐ。何かを焼いたようなにおいだ。

「テレーマ皇帝……陛下……」

赤毛の少女はすでに怯えきっている。この男が皇帝なのか、とベルはようやく知る。

「てめえらは何モンだ? その様子じゃ……あー、なんだかムカつく予感がひしひしとするぞ。むかむかする。ひょっとしてエルストとかいう王子の関係者か?」
「エルスト様を知ってるんですか!」
「エルスト〝様〟ね。てめえの忠誠心は俺には向いていねえことがはっきりしたぜ」
「エルスト様はどこ!?」
「知らねーよ。一緒に探しに行くか? それとも不敬罪でここで死ぬか?」

テレーマはベルらに剣を向けた。ベルは息を呑む。忘れてはいけない。今のベルは無防備なのだ。アギの魔力を借り、テレーマに立ち向かうような強力な魔法は使えない。いや、使えるが、それはベルの寿命を大幅に縮めるのと同義だ。ドラゴンと違い、魔法を使いすぎた人間は死んでしまうのである。

「あんたの前でなんて死んでたまるか。べーっだ!」

だがベルは魔法を使った。腕の先から炎を放出した。ベルが生みだした炎が狙うのはテレーマである。

「おいおい! いま炎魔法なんか使うんじゃねーよ。炎に対してとてつもなくムシャクシャしてんだ俺は!」

テレーマはなんと炎の中を突進してきたではないか。ベルの胸に悪寒が走る。斬られる、そう思った瞬間、うしろから腕を引かれた。

「逃げましょう、いけません!」

果敢にもベルの腕を引いたのは赤毛の少女だった。赤毛の少女はベルを連れ、血相を変えて走り出す。

「な、なんで! まだエルスト様の居場所、聞きだしてません!」

ベルは腕を引かれるままに走りつつも赤毛の少女に抗議した。赤毛の少女は叫ぶ。

「相手はあの皇帝なんですよ! 私の弟のように殺されてしまう! そんなのだめです。殺されてはだめッ」

ベルはしばしのあいだ言葉を失う。迫りくるテレーマの鬼のような形相をベルは一瞥した。エルストやアギの居場所などはまだわからないが、それでもあの男なんかに殺されたりはしたくない、と、そう思った。

「ティフロポディ! ダ!」

しかしテレーマはあくまでもベルらを取り逃がすつもりはなく、殺す対象として見ているようで、その場で勢いよく壁を叩き、ベルらの目の前に石壁から這い出たドラゴンのようなものを生みだした。先ほどプロトポロが絨毯の炎からドラゴンを生みだしたときのようであった。いまドラゴンの体を覆うのは炎ではなく石壁だが、きっと似た魔法に違いない。
石壁のドラゴンは、まるで意志をもっているかのようにベルらに向けてこぶしを振りかざす。

「いや!」

赤毛の少女が喚く。ベルはとっさに手を突き出した。

「バルク!」

ところがベルの魔法ではこの石壁のドラゴンは砕けなかった。檻や鎖よりも頑丈らしい。ベルの魔法によって巻き起こった砂埃を突き破るように、石壁のドラゴンのこぶしがベルらに接近する。

「うぐっ」

赤毛の少女を庇ったベルが、そのこぶしを脇腹に受けた。

「いった……」

ベルが呻いている。その隙にも、石壁のドラゴンはふたたびこぶしを振り上げた。後方からはテレーマも迫ってきている。赤毛の少女は涙目になりながらベルの肩をさする。

「ティフロポディ・ズィオ!」

ベルが叫んだ。するとベルの足もとから二頭のドラゴンが生みだされた。石床から生まれたドラゴンらはやはり頑丈で、一頭はテレーマへ、もう一頭はテレーマの生みだした石壁のドラゴンへと素早く近づき、そしてそれぞれ噛みついた。

「てめえ……ははは。寿命が惜しくねえのかよ?」

石床のドラゴンに片腕を噛みつかれたテレーマは笑っている。

「すごい。こんな魔法、ふつうの人ではとても……」

赤毛の少女はドラゴンたちを見ながら呟いた。

「ワープしますよ……」
「えっ? どこへ……」

脇腹の痛みに顔を歪めるベルは赤毛の少女を連れ、謁見の間前廊下から姿を消した。

 

 

城中に待機していたイスヒス兵が次々と襲ってくる。城内を老人とともに走るエルストは左脛の痛みを噛みしめながらイスヒス兵に立ち向かっていく。エルストが剣を振りかざした直後、目の前のイスヒス兵が壁際に移動した。老人が束縛魔法を使ったのである。エルストは立ち止まり、剣を下ろした。息を切らしながら老人を見る。老人はベルのように杖や加工済みドラゴンを持っていないようであるのに、ためらいもなく魔法を使っている。もう死んでしまうのではないかとエルストは心配するが、老人が倒れる気配はない。それよりも、魔法の強力さに、エルストは若干の苛立ちをおぼえていた。

「そういえば……名前。あなたの名前、まだ聞いてなかった。僕はエルスト。あなたはなんていうの?」
「プロトポロ」
「へえ。変わった名前なんだね」
「悪いかね?」
「ううん。いい響きだと思うよ。庇ってくれてありがとう、プロトポロ。あなたの目的は……知らないけど」
「君は魔法を使わないのかね?」
「使いたくても使えないんだよ」

エルストは剣を廊下に突き立てる。どうやら歩くことさえ困難らしい。プロトポロは腕組みをし、黙ったままエルストを待つ。ふたりはアギの居場所をしらみつぶしに探している最中だ。手当たり次第、帝国軍の拠点と思われる部屋を回っている。かつて魔法騎士団の本拠地だった建物が今ではイスヒス帝国軍の拠点となっているらしいのだ。我が物顔で城を闊歩するイスヒス兵が、エルストにとっては腹立たしいことこの上ない。

「私が探してこようか?」

プロトポロが言った。動き出す様子のないエルストに痺れを切らしたのかもしれない。

「いいや。僕も行く。ベルたちと合流しなきゃ」

エルストはふたたび歩き出した。アギがいる場所に、きっとベルもいると信じている。
帝国軍の武器庫らしい部屋に来た。見張りの兵を、プロトポロが気絶させた。

「アギ!」

エルストはようやく安堵することができた。目の前には、テーブルの上でいびきをかくアギがいる。すやすやと心地よさげに眠るアギの鼻ちょうちんをエルストは勢いよく叩き割る。

「ふごっ」

アギが目を覚ました。アギのそばにはエルストがまとっていた青いローブや武器、赤毛の少女の黄色いストールもある。もちろんアギは帽子、マント、ナップサック、杖など〝一式〟そろっている。

「お……おー! 王子や! なんやえらい久々におうた気がすんな! アギさん怖かったでぇ〜。王子が助けにきてくれたんか?」
「そんなことよりベルは? どこ?」
「ん? ベル? さあ、おうてへんで」
「そんなあ……」
「なんや王子はベルと一緒やあらへんのかいな」
「色々あってさ」

エルストは床に腰をおろし、テーブルにうなだれた。そのまま肩で息をする。これからエルストはベルを探しにいかねばならない。もしもベルたちがテレーマに見つかったら、彼女たちは無事では済まないだろう。
プロトポロは部屋の中をうろうろと物色している。

「ところでこのジジイは誰や? めちゃめちゃ白髪やないかい」
「プロトポロ。僕を助けてくれた」
「噛みそうな名前やな、プロトポ……」

アギがプロトポロの名前を呟いた瞬間、プロトポロの叫び声が響く。

「伏せろ!」
「えっ?」

その直後、武器を並べた棚の物陰から白い光がきらめいた。爆音が響き、重い衝撃がエルストとアギを襲う。テーブルが仰向けになり、あたりは一瞬にして散らかる。エルストはついに剣を手放さざるを得なかった。

「ゲホッ」

舞い上がった粉塵にエルストは咳き込む。なんとか生きているが、体の節々を強打した。煙の向こうでは、プロトポロが、やはり蛇のような腕で何者かの首を絞めている。やがて粉塵がおさまり、エルストはその〝何者〟かの顔を見ることができた。

「え……ウソだろ」
「なんや? なんや!? 誰かおるんか!?」

エルストは目を疑った。思わず涙が溢れ出たのは、なにも砂埃のせいではない。転がって仰向けになっているアギからはその姿は見えないのだろう。いや、見えていたとしても、それが〝誰か〟なのかは、この場においてはエルストしか知らないだろう。

 

 

「んあーッ! 誰もいない! いると思ったのにー! エルスト様のバカー!」

時を同じくしたころ、ベルと赤毛の少女は彼らが捕えられていた牢屋に後戻りしていた。ベルはてっきりエルストがここにいると踏んでワープしたのであったが、その読みはいささか遅すぎたらしい。エルストとすれ違いになっていることをこのベルは知るよしもない。

「お腹イターイ……」

ベルは床にうずくまっている。先ほどテレーマが生み出した石壁のドラゴンに殴られた箇所が容赦なく苦痛を発しているのだ。

「あ、あの……どうしましょう……私、どうしたらいいんでしょう……魔法ではケガや病気を治癒することはできませんし……」

赤毛の少女はおろおろしている。

「うぐぐ……こうなったら片っ端から城の中をワープしてってエルスト様とアギを探すしか……」
「ええっ? そんなことしたら寿命が尽きてしまいます!」
「へへ……ですよねぇ……でもほかに方法は……」

ベルが魔法を使おうとしたとき、ベルらの前に何やら黒い影が現れた。ベルらは背筋をこわばらせた。テレーマに見つかったかもしれない。そんな恐怖と焦りがベルらの胸を侵食していく。そしてゆっくりと振り向く。

「だ……誰?」

ベルは眉を曲げた。ベルの目には、トカゲのような、蛇のような、ドラゴンのような姿をした誰かが映っている。

 

 

「この者を知っているのかね、エルスト?」

プロトポロは首を絞め上げる手にいっそう力を込めながら言った。そのまなざしは鋭い。

「知ってるもなにも……その人は……」

エルストの声は震えている。プロトポロに捕らえられている者もまた、息苦しさから金髪を小刻みに震わせていた。

「僕の母上だ……」
「……へ? オカン?」

アギが拍子抜けした声で言った。

「君の母親が……なぜ我々に爆撃魔法を放つ?」

プロトポロは目の前で捕らえたままの女を見ている。女は、金髪はなるほどエルストに似ている。それどころか水色の瞳も同じだ。面影はわからない。女は今、息苦しさに顔を歪めている。

「母上。母上ですよね? 生きてらしたんですか!」

エルストはすっかり母親を求めている子どもだ。

「死ね……エルスト」
「母上?」
「私はおまえを殺じだいッ!」

エルストが聞き返す間もなく、女はエルストのそばに落ちていた剣を操り始めた。

「エルスト、剣を取れ! 母を殺すか殺されるかだ!」

プロトポロはエルストに投げかける。

「そうでなくば私が君の母を殺す!」
「そ、そんなの……いいわけないだろ……母上を離せよ! プロトポロ!」
「私も戸惑っているがこの女の君に対する殺意は本物だ!」
「離せって言ってるだろ!」

エルストはプロトポロに体当たりした。そのおかげかプロトポロの手は女から離れてしまう。女はよろめきながらもその場に踏みとどまった。

「殺されると……言ってるのだ!」

プロトポロは女が操っている剣を叩き割った。

「ゲエーッ! このジジイ手刀で剣を割りよったがな! なんの達人やねん!」
「君はちょっと黙っていてくれたまえ!」
「あ、はい」
「いや、良く見ると君のマントはいいマントだな。やはりこのマントを借りるぞ」
「それベルのやでー!」
「ちゃんと返す」

プロトポロはそそくさとアギのマントを拾い上げた。そのマントを、女に襲われようとしているエルストの頭の上からかぶせた。

「オルビド」

プロトポロが魔法を唱えると、なんとエルストの姿が消えた。すると女はきょろきょろと周囲を見る。エルストの姿を探しているのだ。だがエルストの目にはいまだ女とプロトポロ、アギはおろか部屋じゅうの光景がそのまま映っている。

「魔法でエルストの気配を消したのね。これじゃエルストを殺せない……」

女がうらめしげにプロトポロに言った。やせ細った顔と体は王妃であった身分からは想像がつかないほどみすぼらしい。身にまとっているのも色あせたドレスだ。

「ハッド」
「プロトポロ! やめろよ! その人は僕の母上だ。その人は、エレクトラっていう、僕の母上なんだよ! 母上が僕を殺すわけがない! 何かの間違いだ!」

プロトポロは束縛魔法を使った。エレクトラと呼ばれた女の背中が壁際にぴったりと吸い付く。それだけではない。プロトポロの魔法はエルストの動きすら封じた。プロトポロがエレクトラに腕をかざすのを、エルストも当然見ていることである。

「くそ……動けよ! 動けよッ! 魔法がなんだよ! おい、母上を殺すなよッ!」

エルストの声はこの部屋にいる誰の耳にも届いていない。プロトポロの蛇のような腕が徐々に形を変え、やじりのように鋭く尖っていく。エレクトラの喉元に突き刺すつもりだ。

「やめろォーッ!」

エルストが誰にも届かぬ声で叫んだ瞬間、

「エルスト様ー! いますかー!?」

とつぜん部屋にベルと赤毛の少女が現れた。まるでワープしてきたかのようだった。

「……って、あれ? エルスト様? どこ?」
「ベル! ベル、僕はここだよ! プロトポロを止めてくれ、お願いだ!」
「エルスト様ー! あっ! アギだ! アギー!」
「おお〜ベルー! さびしかったで!」
「聞いてくれよベル、アギ! どうして僕の声が届かないんだ!?」

エルストはプロトポロの魔法にかけられたことに気づいていないらしい。ベルはようやく頭の上にアギをかぶることができた。杖も取り戻した。

「このおじいさんと女の人はどちら様だろ」
「さ、さあ……」

たじろぐベルと赤毛の少女の前にプロトポロが向き直る。

「君がエルストの宮廷魔法使い、ベルか」
「エルスト様を知ってる……まさかテレーマの手先!?」
「エルストならそこにいる」
「え?」

プロトポロが指さしたほうには何もない。だがベルは察したらしく、ベルらには見えていないはずのエルストに歩み寄り、エルストにかぶされていたマントを剥ぎ取った。するとエルストの姿があらわになる。

「ベル……」
「エルスト様……やっと見つけた! あ、なんか束縛されてるみたいですね。魔法だ。解除したげます」

ベルが杖を振ると、エルストの体は自由を取り戻した。

「って、ちょっと、エルスト様!」

そのままエルストはまっすぐにプロトポロに向かっていく。ベルは脇腹を押えながらその場にとどまる。

「その腕をおろしてくれ、プロトポロ」

エルストは惜しみなくプロトポロの腕を掴んだのだった。

「こんなこと自分で言うものではないとは重々わかっているが、君はてんでわかっていないようなのであえて言おう。私は今、君を助けようとしているのだが?」
「母上は僕の母上だ。母上は二年前、サード・エンダーズに殺されたと思ってた……だけどこうして生きて会えたんだ!」
「へ、エルスト様のお母様?」
「王子のオカンらしいで。まあワシらに爆撃魔法つこてきたけどな」
「ど、どういうことですか、それ。王妃様が……エルスト様に爆撃魔法? こ、攻撃したってことですか?」

ベルとアギ、赤毛の少女はエルストらのそばで動揺している。

「僕の母上を殺すなんて何様のつもりなんだ、プロトポロ!」
「とても子どもじみた思考にはついていきかねる。君は現実を直視していない。実の母親に殺されかけているという現実をね。君は母親に殺されたいのかね?」
「プロトポロ、あなたには助けてもらったけど……どうしても母上を殺すというなら……」

エルストは自身が山小屋から持ち出した剣を手に取る。

「僕があなたを殺す!」
「エルスト様、ちょっと待って……あぶなッ」

その直後、エルストの視界の片隅で、エレクトラの魔法によって床から作り出された棘に刺されるベルの姿がちらついた。

「……ベル!」
「おいベルゥーッ!」

エルストとアギがほぼ同時に叫んだ。ベルはみぞおち付近を一突きにされた。二年前、家族がサルバに殺された光景が蘇る。エルストの背筋が凍った。だが二年前と違い、刺したのはたしかにエレクトラなのである。
ベルが倒れた。赤毛の少女は悲鳴をあげている。プロトポロもこれには驚いたようだった。目を丸くさせている。一方エレクトラは攻撃の手を止めることなくふたたびエルストを狙っているようだ。

「ワ……ワープ……」

エルストが刺されることを危惧したベルが杖を振るった。

 

 

ベルがワープ先に選んだのは隠れ家だった。エルストとベル、アギ一式、それからプロトポロと赤毛の少女がいる。このあたりは夕焼け雲に覆われている。

「ここまで……くれば……テレーマには見つからないです……」

ベルが言った。みな隠れ家の外に広がる草原へと放り出された格好となった。みなをここまでワープさせたベルは今、小さく呻きながら血を流しながら倒れている。

「ベル! ベル、だいじょぶか!?」

アギはベルの頭からすっかり転げ落ちている。

「母上! 母上!」

エルストは左足を引きずりながら、ここにはいない母親を探し始めた。

「母上……いないんですか!?」

どうやらベルは王妃エレクトラをここ隠れ家まで運ぶことはしなかったらしい。

「母上……ちくしょう! せっかく会えたのに……プロトポロ! あなたが母上を殺そうとするから!」

エルストは顔を赤くしながらプロトポロに掴みかかったが、逆に、プロトポロのこぶしによって殴り倒されてしまった。

「な……何するんだよ、プロトポロ」

頬をいっそう赤くしながら、エルストは悔しげに草きれを掴んだ。

「目の前を見たまえ」

プロトポロはそれだけこぼすと、ベルを抱きかかえ、隠れ家の中に入っていった。赤毛の少女は隠れ家とエルストを交互に見比べたかと思うと、アギを拾い上げたまま隠れ家の中へ消えていった。
座り込むエルストの周囲には、青いローブと弓矢と剣、赤毛の少女の黄色いストールが散らばっている。エルストは目の前に視線を落とした。少し手を伸ばしてみると、そこはねっとりと濡れていた。ベルの血だった。そのとき、ベルが死ぬことを考え、エルストは全身を震わせた。

 

 

それからしばらく、エルストは隠れ家の中に入れずにいた。今さらベルの怪我に恐怖感をおぼえたからだ。恐怖に立ち向かっていくすべを見失ってしまっていたのである。
ようやくエルストが隠れ家に入ったとき、ダイニングやキッチンがある一階に、やけに熱気がこもっていた。どうやら湯を沸かしていたらしい。赤毛の少女が働いている。

「あの……君。えっと……」

エルストはついそのように呼びかけた。時刻はとうに夜中である。ダイニングテーブルの上から吊るされたランプが部屋を照らしている。

「……そういえば、君、名前、なんだっけ」
「あ……はい。マーガレットです。私の名前はマーガレットです、エルスト様」

赤毛の少女マーガレットは気まずそうに微笑んだ。

「いい名前だね。マーガレット、ベルは?」
「二階で……」

マーガレットは二階へ続くはしごを見る。二階はとても暗そうだ。

「傷口の消毒と止血は先ほど済んだんですけれど……痛みがそうとう、つらそうで。ベルさん、大丈夫かしら。あ、いえ、大丈夫ではないですよね……刺されたんですから……私、なんだかここまでついてきてしまいましたけれど……」

どうやらベルは生きているらしい。エルストはひどく安心できた。

「君はそこで何してるの?」
「プロトポロさんに鎮痛薬の作り方を教わったので、作っている最中です。お湯はそのせいなんです……ごめんなさい、暑いですよね、ここ」
「ううん。よくお湯を沸かせたね。火打ち石でもあったの?」
「え? ああ、魔法で……」
「……そっか。魔法か」
「それにしても、プロトポロさん、本当に物知りなんですよ。材料は、アギさんが地下の保管庫にあるって言うから、そこで揃えさせていただきました」
「そっか……」

エルストは椅子に腰掛けた。

「あの、エルスト様も、お怪我なさってますよね? エルスト様のぶんのお薬も用意しますから」
「エルストでいいよ。僕の傷は……ベルよりは平気だ」
「怪我は怪我です。放置すると、もっと痛くなってしまいますよ」
「ねえ、それより、これ」

エルストはダイニングテーブルの上に黄色いストールを置いた。それからテーブルの横へ弓矢と剣、青いローブを置く。

「君のでしょ。外に落ちてた」
「あ……ありがとうございます。母の形見。エルストさん、ありがとう。本当にありがとう」

亡き母の形見を受け取ったマーガレットは嬉しそうに笑った。彼女がどうしてそうまで礼を言うのか、エルストは思い出せずにいた。
エルストはテーブルに突っ伏す。魔法が使えない自分に、今できることは何も無さそうだと考えたのだった。こらえきれずに涙が出た。理由はひとつには絞れなかった。足と頬の痛み、母、無力感、ベルの怪我、数えるだけでも四つはある。そのひとつひとつにエルストはなぜだか泣きたかったのである。
暑いというのに、マーガレットは、少し考えたあとにエルストの肩へ黄色いストールをかけてやった。エルストはそのまま一晩をテーブルで過ごした。

2017年10月27日公開

作品集『あなたの命のいただきかた〜亡国王子の復讐譚〜』最新話 (全3話)

© 2017 急行2号

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