305号室

隣人シリーズ(第2話)

山田ゆず

小説

5,882文字

悪い日と酷い日。どちらも良い日になってしまったお話。

憎い。
羨ましい。
妬ましい。

 

あの頃の私はきっとそんな気持ちでいっぱいだった。昔見た長い夢のようにどんどん曖昧になっていく。
夢の始まりはほとんど思い出せない。きっとろくでもない事だから、思い出さなくてもいいんだろうけど。

どうやって、夢が始まったのかすら曖昧だ。

 

夜になったら住人の上にまたがって見つめる。そのうち、朝がきて住人がいなくなる。
いつからそうしているのかわからなかったし、毎日そんなことをする意味もわからなかった。わかる必要もなかった。

ただ続けると住人が長い間いなくなることだけがわかっていた。それだけだ。

住人がいない時間、何も考えなくていい。嫌な気持ちにならないことが幸せだ。そう思ってた気がする。

 

一番新しい、そして最後の住人は今までと違った。上に乗った瞬間から苦しそうだった。これは早くいなくなりそうだと、少し喜んだと思う。

 

数日後、いつも通り住人の上にまたがり、見つめる。すると、突然腕を引かれ布団に引きずり込まれる。
一瞬何が起こったのかわからなかった。
意識する前に鳥肌が立ち、毛が逆立ち、胃もお腹も締め付けられる。嫌悪感、忌避感、その類だったんだと思う。

触れない事を残念に思ったことはあったけれど、触れた喜びなどない。触れないということは触られないということ。危害を加えられるということは逆もまた……。
身体は恐怖でろくに動かない。必死に四肢を動かして抜け出そうとするがさっぱりうまくいかない。

 

「いたずらばっかしてないで寝ろよー……」

 

抱き直され、背中をポンポン叩かれる。恐る恐る住人を見ると目を閉じていた。

寝ている……!

今までパニックになっていたのが嘘のように身体から力が抜ける。そもそもが寝ぼけた行動だったんだろう。なんだかバカバカしくなった私は抵抗を諦める。完全に寝入るまで待ち、ようやく脱出できた。

 

次の日は何もしなかった。その次の日も何もしなかった。
あれだけ長い時間、住人にいなくなって欲しいと思っていたのに、それがすっかりない。あれこれ考える頭があるってことは病む精神もあるってこと。
きっと私は病んでいたんだろう。なぜ治ったのかはわからないけど、ショック療法みたいなものかもしれない。
決して怖くて怖気づいているからではない。

 

ただ、困ったことにそうなると凄く凄く暇だった。
試してみたけど、外には出られなかった。外を眺めるのも飽きる。TVはつけられなかった。本もとれない。
多分、初めて私はこの身体を忌々しいと思った。

 

住人が外から帰ってくると賑やかになる。賑やかなのは住人ではなく住人の友達だけど。いつも住人と一緒に帰ってきて、ゲームをやって、お喋りして、ご飯を食べて帰る。あんまりに楽しそうで、少しだけ妬ましかった。もちろん病むほどじゃないのだけれど。

 

住人の友達がこない日があった。珍しいとは思いつつ、あまり気にしてもいなかった。いない方が妬む気持ちも出ない分、気楽でいいなと思ってたくらい。
ただ、住人がどことなくソワソワしてる気がした。

 

次の日は住人の友達も一緒に帰ってきた。どこかいつもと様子が違う。

 

いつもみたいにお菓子を広げない。
TVゲームをつけない。
漫画も出してこない。
何より……笑わない。

 

いつもより小さい声で、ポツポツと話す。お父さんがいる日は悪い日。お父さんがいない日は酷い日。どっちがマシなのかわからないけど、酷い日はここに来れるから、悪くない日。
そして私は、住人の友達が騒いでも嫌じゃなくなった。

 

嫌な女。

 

 

夜中。住人の寝顔を眺める。グルグルと1人で考え事をしているせいか、疲れた。
住人は少しうなされているようだ。寝苦しいのか夢見が悪いのか、はたまた私のせいか。私のせいって可能性が否定できないと、離れようとしたとき。
何か……住人の胸の上に何かモヤっとしたものが乗っている?

 

「これは私のだからだめ」

 

なんとなくデコピン。すると抵抗することもなく、あっという間に逃げてった。
彼を見ると普通の寝顔に戻っている。どうやら私のせいではなかったみたい。よくわからないけど良かった。

ホッとしたからなのか、どれくらいぶりかわからない久しぶりの眠気がくる。寝る機能なんてこの身体にあったんだーとか、これが成仏かもとか……。グダグダとくだらないことを考えているうちに意識が落ちていった。

 

 

目を覚ますと彼がこっちの方向をぼーっと見ていた。

 

「おはよう」

 

ふと意味もなく挨拶をしてみた。
挨拶は自分のためにするものだと、一人暮らしをしていた誰かが言ってた。人がいなくても誰かに聞こえていなくても言葉にすることが大切だと。その人にはペットがいたっけ。
さて誰だったか……と思いだそうとあれこれ考えていたとき。

 

「おはよう……?」

 

彼はいつも起きておはようと言う。それはおかしくない。おかしくないんだけどなんで疑問形?
彼を見ると相変わらずこちらの方向を見てる。……いや、目が合ってる?

 

「あの……もしかして私のこと見えてる?」

 

自分で言っておいてなんだけど、なんて間抜けなセリフだろう。ありがちすぎるし陳腐きわまりない。いや、奇をてらう意味もないんだけど……ただの確認だし……。

私がくだらない事をうだうだと考えている間に、彼はようやく目が覚めてきたのか、何でここにいるのとか、君は誰だとか矢継ぎ早にあれこれと聞いてきた。
何者かと言われれば答えられるけど、誰だとか何でとか言われても私にはわからない。覚えてないんだもの。

 

だからなんとなく無視した。

 

「あの……なんかゴメン」

 

「なんで謝るの?」

 

聞いたものの、なぜかはわかってる。きっと優しいから。
でも返事しただけで喜びすぎじゃないかしら? 悪い気はしないけど。

それからたまに話したり無視したりした。

 

 

相変わらず彼の友達は遊びにくるから朝か夜だけ。
彼に見えるようになったのは突然だった。だから、もしかしたら彼の友達にも見えるようになっているかも? なんて。ちょっと思ったりしたけど、見るどころか触ることすらできなかった。

期待した分ちょっとがっかりしたけど、その程度だ。元々見えないのが普通なわけだし、彼には見えているし、それで充分。

でも、彼にとってはそうじゃなかったみたい。自分の言うことが信じてもらえないことが辛いのか。見えている自分が信じられなくて辛いのか。
真実は私にはわからなかったけど、このままじゃ良くないことはなんとなくわかった。

 

ふと、病んでいるときの記憶が蘇る。

確かいつからか住人が中々出ていかなくなったこと。原因を見つけたけど排除できなくてイライラしたっけなあ……。イライラのお陰で力が強くなったのかペースが上がったりしたなあ……。

いやいや、違う違う、そうじゃない。そうじゃなくて原因の方。住人の……そう、女の子が書いてた日記に出てきたお隣さん。あの人と話すと少し楽になるって書いてた。他に好きな人がいるくせにこのビッチがとか思ってごめんなさい。って役に立ったら謝ります。心の中で。

 

「お隣さんに会ってみたいなあ」

 

いきなり会いに行けなんて言っても無理だろう。相談しろなんてもっと無理。人に頼れないタイプだ。きっと。でも彼の友達を受け入れるくらい優しいから。私を気にかけてくれるくらい優しいから。わがままは聞いてもらえるだろう。
それに相談しろとか言って、上手く行かなかったら大変だ。また見えないことに凹むだけかもしれないけど。
なんとなく、そうはならない気がしたから。

何で知ってるとかどうして会いたいとか、色々聞いてきたけど無視した。我ながら酷い。でも、説明するより勝手に納得できる理由を作って貰った方がうまくいく。

 

多分ね。

 

 

そして数日後。

 

「夕飯食べたら来てくれるって」

 

約束を取り付けただけだというのに、もう表情がやわらいでる。ほんの少し、ちょっとだけ悔しい。病むほどじゃないのだけれど。

その日、彼の友達は悪い日だったようで、いなかった。
今は一方的に親しみを覚えているので、悪い日は私にとっても中々に悪い日だ。でも、酷い日だったらお隣さんを呼ぶこともできないし、悪い日で良かった。業が深いね。

 

チャイムが鳴り、彼が玄関へ向かう。見えるかな、見えないかな?

お隣さんは思ったよりも若い印象だった。実年齢はきっと上なんだろうという意味での思ったよりも若い、だ。そして真顔と微笑みの中間くらいの表情で優しそうに見える。

 

「こんにちは」

 

目が、合った。

 

「して、その友人はこれから来るのかな?」

 

ああ……なぜかわからないけど理解した。この人には見えているけど、見ていない。そしてそれは悪いことじゃない。悪い気もしない。

お隣さんに見えなかったことはどうでもいいけど、話はしてみたかったな。彼があれだけ思いの丈をぶちまけられたのは、信じてくれたからってだけじゃないだろう。
間の取り方が上手い。絶妙。きっと覚えてない分も含めて、こんな人は見たことないんじゃないかな。話させるのが上手い人くらいはいた……と思う。お隣さんは話させないことまでコントロールしてる気がする。
まあ全部私の妄想かもしれない。彼が元気になったから、お隣さんが偉大な人に見えてるだけかも。

そしてごめんなさい、女の子さん。あなたはビッチじゃなかったです。ヒロくんさんとお幸せにと祈ってます。

 

 

そう。彼は元気になった。
私は相変わらず彼を無視をする、お喋りもする。 そのうち一緒に寝たり、キスをしたり。
いつの間にか恋人になっていて驚いた。確かに普通はすることしたら恋人よね。否定しようかとも思ったけど、あまりに嬉しそうだからそのままにしておいた。

私もきっと嬉しかったから。

それにしても素直に喜ぶより驚きが先にくるとは……。私も彼と同じくらいの歳だったはずなんだけど、どんな人生送ってきたのかしら?

 

人間らしい立場を手に入れると人間らしく欲張りになるみたいで。もっと色んな場所を見たいと思うようになった。

あの日はたまたま彼が寝坊して、バタバタ出ていこうとしてた。毎日してる、いってらっしゃいのキスのあと。彼が後ろを向いたときに、たまたま私が寝癖を見つけてそれを直した。よくあること。

もし、私がドアから一歩出てなければ。どうやっても出られなかったのに、1歩。

 

その日は結局、彼は学校をズル休み。ドアの前で2人、あーでもないこーでもないとウロウロして終わった。結局わかったのは2人で一緒にいれば接触の必要はなく外に出れること。1人だとどうやっても無理。外で離れすぎると彼の場所にいつの間にか戻ってること。……排泄の必要がない身体で本当に良かった。

そして、2人の生活にお外デートが加わった。酷い日はゲームセンターが多い。悪い日は2人きりで色んな所へ行く。どっちも私にとっては良い日になってしまった。

外に出ると、他人から見られることがある。大抵はお隣さんみたいに見てないのだけど。たまに見てることに気付かない人もいて、なんだかおかしかった。どこも人混みで大変なんだろうな。
私もきっと他の私のようなものは見てないからわからないけど。

 

 

2人デートの日。玄関から出たところでお隣さんにばったり出くわした。そのまま話を聞いていても良かったけど、私は裏庭にいる猫を見に行くことにした。

裏庭を覗いてみると、猫は大家さんの膝の上で丸まってお休み中。残念。猫はなぜか触れるからもみくちゃにする予定だったのに。近付いて眺める。かわいい。でも触りたい。せめてちょっかいかけてやろうと耳をツンツンすると耳がパタパタ。

かわいい。

 

「あんまり構うと逃げちゃうよ」

 

「え……」

 

驚いて大家さんを見るとばっちり目が合った。いつもにこにこしてるおばあちゃん。まさか見てる人だとは……。
こっちへおいでと促されるままに隣に座る。大家さんは私をどんなものだと思っているんだろう。なんだかちょっと居心地が悪い。

そう思ったのも束の間。猫のゴロゴロを聞いていたらどうでも良くなった。
寝ている猫を見て、日差しもポカポカしてて。早く彼が来ないかなとか、もう少し眺めていたいなとか、ぼんやりと考えていた。

 

「もういいんだよ」

 

大家さんの声と、カチャ……と金属の擦れる音。

 

その瞬間私は庭の入り口に立っていることに気付いた。

 

大家さんがいない。

猫もいない。

彼は……。

 

「おまたせー」

 

いた。何が起こったのかよくわからない。

彼にそれとなく大家さんのことを聞いてみると、なんと大家さんはおじいさんらしい。あの大家さんはきっと私のようなものだったんだろう。猫はまた見かけた。かわいい。

 

ここはとってもいい場所だけど、唐突に、なんとなく違うところにも行きたくなった。無理強いするつもりはなかったけど、彼も乗り気なようだ。両親への説得が大変かと思ったけど、それも難なく話は進んだ。

 

「あれ? チョーカー外したの?」

 

外せるものなのか? とかなんとかブツブツ言ってたけど、私も気付かなかった。服はなんとなく変えられる。でもチョーカーは外せなかった。イヤリングとかブレスレットとか他のアクセサリーは着脱できたのに。

きっとあのおばあちゃんが外したんだろう。

あの音はチョーカーの外れた音だった。でもそれが何を意味するかわからないし、知らなくてもいい。

 

引っ越しの日、最後にお隣さんへ挨拶しに行った。気分的なものだけど、私も一緒に。話の流れで、彼が私の悪行をお隣さんに話している。

彼とは彼が私のようなものになるまで一緒にいられるだろうか?

 

「縁があればね」

 

……わかっている。私に向かって言ったわけじゃないことは。お隣さんはずっと彼に向かって話している。

だけど、わからないことをわからないままにする怖さが。少しだけ軽くなった気がした。

 

2017年10月24日公開

作品集『隣人シリーズ』最新話 (全2話)

© 2017 山田ゆず

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