瞑目トウキョウ  第一章 曽祖父 (1)

瞑目トウキョウ(第2話)

斧田小夜

小説

9,779文字

写真を撮ったこともないのに、カメラのことだけは知っている――そんな曽祖父がついに(以降は週一くらいで更新します)

「爺ちゃんはな、桃太郎だけぇ……」
僕の曾祖父、筺原はこばら嘉平かへいはよくそんなことを言った。

たばこをくわえ、しごく真面目な顔をして言うので、僕は嘉平さんのことをちょっと頭がちょっと変な人だと思っていた。だが、言い終えたあとにききき、と変な声で笑っていたりするので、あれは嘉平さんなりの冗談だったのかもしれない。あまり如才のある人ではなかったので、どうも本気で言っているような気がしてならないのだが。

ともあれ、桃太郎を自称するのは嘉平さんの癖である。

「爺ちゃんはなぁ、どんぶらこぉどんぶらこぉと八東はっとう川を流れてってなぁ」

「なんだいな、そこの川かい。もっと面白いところ流れてくれ」

「だけぇ、ほかに川もないがな、郡家こおりげにつかんと筐原の奥様に拾ってもらわれなん」

「知らんがな、だいたい桃太郎は岡山の話だろうが」

「爺ちゃんは郡家で育ったけ、岡山の話はわからん」

むすりとして嘉平さんは僕にそんなふうに反駁する。

実際のところ、この話はもちろん嘘だ。大嘘だ。

嘉平さんが生まれたのは明治十六年、鳥取の郡家という町にあった筺原という裕福な木綿問屋に養子に出されたのは、数えで五歳の時だった。

筺原の若旦那と番頭が迎えに来た時、嘉平さんは両親に言いつけられたとおり大人しく黙っていた。しかし自分が養子に出されたことはまったく理解できず、知らない男が手を引いているのを不思議に思いながら何度も、何度も生家を振り返って歩いたのだった。振り返るたびに、あぜ道から伸びてきた草が嘉平さんのやわらかい脛をひっかいた。

嘉平さんを養子に貰い受けたのは当時の筺原の若旦那、筺原治郎吉じろきちさんだった。地主の六男坊としてうまれた彼は生まれた時から養子に出されることは決まっていたらしいが、実に頭のキレる人で、商売の才能に長けていたそうだ。それで治郎吉さんの養父はさっさと引退を決め、彼に店を譲った。彼は時代とともに商売を大きく、大きく育てあげたのだった。

しかしだからといって彼が嘉平さんに自分と同じような才覚を期待していたかというと、そういうわけでもないらしい。商売を離れれば優しく、そして新しいものが大好きだった治郎吉さんは、むしろ商売以外のことで嘉平さんに身を立ててもらいたがっていたようだ。夫婦の間には最後まで実子ができなかったので、最初の養子であった嘉平さんがそのかわりだったのかもしれない。

さて、そんな治郎吉さんが嘉平さんを呼ぶ声は郡家でも有名だった。素っ頓狂な明るい声で、嘉平! ちょっと来てみぃ! としょっちゅう叫んでいたからだ。その声が聞こえると、筺原の使用人だけでなく町の人でさえも、まぁた若旦那がなんぞ見ぃつけよった、と笑った。笑わなかったのは嘉平さんだけである。

嘉平さんはその声を聞くと、はっと顔をあげしばし耳をすましたのち、一目散にかけていく。そして小一時間ばかりは戻ってこない。治郎吉さんと一緒になって新しいものにすっかり目を奪われているのだ。

商人としての才能はからきしなかった嘉平さんであるが、好奇心だけは人一倍旺盛で、何を見ても感心するし、詳しいことを知りたがる。知りたがったところですぐには理解できないが、興味を持てばしつこく何度も何度も話を聞きたがるところがあった。そういうところをたぶん、治郎吉さんは気に入っていたのだろう。

そんな嘉平さんを夢中にさせ、その後の人生を決めたそれそれ・・は一九〇三年、明治三十六年に郡家にやってきた。持ち込んだのはもちろん、治郎吉さんである。

 

 

その日、嘉平さんは鳥取市内に荷物を届け、ヒイヒイいいながら戻ってきたところだった。

残暑厳しい九月のことである。六尺近い大柄な嘉平さんは手ぬぐいで額の汗を拭き拭き、勝手口をくぐったが、そこで、嘉平! といつものように治郎吉さんの声がかかった。

見ると、床の間のある奥座敷に何やら人が集まっている。その中心に座っている治郎吉さんは、はちきれんばかりの笑顔を顔に乗せ、腕をふっている。嘉平さんは不思議に思いながら、へぇ、と答えて小さく頭を下げ、いそいそと縁側で草鞋をぬいだ。

「嘉平よ、こりゃぁなぁ、チェリー手提用てさげよう暗函あんはこ言よぉるんだと」

「へぇ、暗函ですけ!」

はぁ、と息を吐いて嘉平さんは畳に額を擦り付けるほど身を伏せた。そうするとちょうど小さなレンズが覗き込める。レンズの中には鼻が大きくなった嘉平さんが映って、ぐりぐりと目を大きくしている。

「暗函がなんちゅうもんだかわかんだか? え? わかるか! だぁなぁ、おまいはいぃつも大西さんとこに見学いっとるけ、なに、あれとは違う? そりゃぁこっだぁ売りだしたばっかしの暗函だけぇ、大西さんのツとは違っとらぁで。なあでも女子供でも簡便に撮影できるっちゅう触れ込みらしいてなぁ、しかし、こんに小さぁても舶来の暗函には劣らずとも負けず! えぇらいもんが出てきぃよったもんだ! こいでなんぼやと思う、えぇ? 一円? おまいはほんにぃ物の価値がいけんなぁ。え? 十円? そぉもすっだら買ぁて来れんがな。二円三十銭だ。舶来品やとぉ、えぇと……大西さんとこはなんぼしたて言いんさったかいね。え? 二百円? そんなんもすんだら家が傾いてしまうがな、手ぇも出せんけぇ……えぇ? 二円でも高い? しかしこんに小さぁたら持ち運びもそうたいぎでなからあよ――」

そんな風に治郎吉さんは口上を滔々と語った。その辺りにいる者達はもう何度目かになるだろうに、治郎吉さんの話を聞くと大きく相槌を打ったり目を丸くしたりして改めて驚いている。

嘉平さんは正座のままへぇ、へぇと相槌を打ちながら右から、左から、上からも暗函を覗きこんでいた。治郎吉さんは興奮していて嘉平さんに汗をふけということすら忘れ去っているし、嘉平さんは嘉平さんですっかり汗のことなど忘れさって目を瞠り、感心している。

治郎吉さんが手に入れてきたチェリー手提暗函は、写真熱のたかまりをうけ、明治三十六年に東京の小西本店から発売された日本最初の国産カメラだ。カメラとは言っても外見はただの四角い箱で、大きさは両手でかかえる・・・・程度、舶来ものの大判カメラにくらべるとまるでおもちゃのようにもみえる。

しかし外観はニスが丁寧に塗ってある赤みがかった桜材を使用しており、いかにも高級そうな輝きを放っていた。箱の上にはピントグラスがちょこんと座っているし、レンズだってついていて、たしかに本物のカメラだ。そのうえシャッタースピードも変えられるのだから、舶来品しかなかった当時、たとえ廉価品であったとしてもそんなカメラがその性能で、しかもたった二円三十銭で買えるのはにわかに信じがたい画期的なことだったのである。

「こいで大西さんみたぁな写真がとれるんですかいねぇ……」

つぶやいたのは治郎吉さんの奥さんだ。白魚のような左手を頬にあて、奥さんはちょっと眉根を寄せている。熱く語っていた治郎吉さんも、その声にはうむ、と深々とうなずき、だぁなぁ、と念を押すように同意した。

「まぁ、眺めとるだけだらなぁもわからんな! 嘉平、おまい、ちょっとやってみぃ」

治郎吉さんの言葉に夢中で暗函を眺めていた嘉平さんはひっくり返りそうになった。あまりにも驚いたせいで喉が変な音を立てたほどだ。その音はまるで首を絞められている蛙のようで、下女が声を立てて笑った。

「おまいは手先が器用だらあが、この間も荷車直して」

「だけぇ、二円三十銭もするようなあったいなもん、そんな、落っことしたらえらいですけ……」

「ええがな、ええがな、おっことしゃぁせんがな! 乾板は大西さんに入れてもらっちょぉで後は撮影するだきだけぇ、ほれぇ、やってみぃ。撮りたがっとったろうがぁ」

くすくすと集まったものたちは笑っている。嘉平さんは赤になったり青くなったりしながら必死で弁明したが、治郎吉さんは頑なに嘉平さんにカメラを使わせたがった。

それもそのはずである。

数年前、大西さんという近所の大地主が舶来品のカメラを手に入れて以来、嘉平さんは飽くこともなく毎日見学に行っていた。大西さんは気のいい人だったし、嘉平さんのことも小さい頃からよく知っていたので、邪険に扱うどころかいい獲物が来たわいとばかりに、毎度長々と講釈を垂れた。同じくカメラに興味津々の治郎吉さんも大西さんにとってはよい聴衆で、二人して大西さんの演説を頷きながら聞くのがすっかり日課だったのである。

大西さんはその後すっかりカメラに夢中になってしまい、筺原の斜向かいで寫眞館をはじめたが、暇さえあれば嘉平さんは店の前にはりついて撮影や現像のようすを眺めていた。しかし大西さんが少し触ってみるかというと遠慮して店に逃げ帰ってしまう。そんな嘉平さんのことを知らないものは、店の中で誰もいなかった。

治郎吉さんから暗函を手渡されてしまった嘉平さんは、畳にひれ伏さんばかりで、これまた使用人たちに笑われた。当時は小学校の教員の月給が八円程度、嘉平さんは丁稚と同じ仕事をしていたので月にもらえるお金は一円五十銭程度だったから、別段嘉平さんの感覚はおかしかったわけではない。だが、そんな風に笑いを誘う仕草を見せてしまうのは、嘉平さんの人柄だろう。

恐縮しきりの嘉平さんだったが、暗函を手中におさめた途端、いかにも熟練の手つきでなにやらあちこち触り始めた。大判の暗函とは多少どころかかなり勝手が違うので、治郎吉さんが親切に説明書を読み上げてくれるのだが、嘉平さんはいくつかの点では全く納得せず、絞りがどうの、動いてしまうから台が必要だのと言って、さらに詳しい説明を読むようにねだった。治郎吉さんがないというとそんなわけはない、大西さんの暗函はうんぬんとえらそうに説明まで始める。

しかし治郎吉さんは怒らずに何度でも嘉平さんが納得いくまで読んでやった。しまいには嘉平さんが一丁前の写真師よろしく場所を移動するよう指示を出しはじめたので、店の者も笑いながらそれに従い、みなで肩を寄せあって何が起こるのかと目を丸くしていた。そんなふうにして嘉平さんの最初の撮影は行われた。現像は大西さんに頼み込んで、暗室を使わせてもらった。それが嘉平さんにとって初めての現像だった。うんちくをさんざん聞いていたおかげか、はたまた横から大西さんがさんざん口を出したせいか、現像はうまくいったらしい。

あのガラス乾板はどこへ行ったのやら僕は見たことがないが、嘉平さんはその後も何度も繰り返しその光景を回想したものだ。もちろん僕も嘉平さんから何度もその話は聞いた。話したあと、しばらくうっとりと思い出に浸っている嘉平さんの似顔絵もそらでかけるくらい何度も、だ。

しかたのないことだ、と思う。

現代に比べても写真が珍しかった時代に自分がとった最初の一枚なのだから、思い入れがあるのも当然だ。しかも嘉平さん、いや僕たち尾古の家系にとって写真はなおのこと特別に違いないのだ。

嘉平さんの記憶の中、大西さんが黒い布をかけた壁にたてかけた乾板にはくっきりと像が浮かび上がっている。縁は硝酸銀が溜まって渦を巻くような模様を描いているが、それ以外は像がくっきりと浮かび上がった綺麗なガラス乾板だった。

中心では治郎吉さんが得意げな顔をして腕を組んでいる。その隣に膝を崩して座り、柔らかく微笑んでいるのは治郎吉さんの奥さんだ。奥さんの丸みをおびた白い頬は浮き上がるように陰影をえがき、そんな二人の両側、後ろ、びっしりと奉公人たちが雁首を揃えて座り、少し前のめりになって目を見開いている。

名刺判サイズの小さなガラス板の中に、先程までの光景が収められているのはいかにも奇妙だった。奉公人たちは誰それがここにいる、自分はここにいたのだから、これは誰それじゃない、自分は顔が半分に切れている、あれだけ言ったのにそばに来ないのが悪い、などと喧々諤々と言い合っている。しかし嘉平さんはすっかり像に見惚れて、彼らの言葉を何一つ聞いていなかった。ぽかんと口を開け、治郎吉さんに乾板を手渡されてもまだ夢見心地の中にいた。

あれは嘉平さんにとって、いや尾古の男にとっても初めての光景だった。自分の目が見た景色を、誰もが見ている。自分の頭のなかにそれが残されるのは当然だが、それを誰もが見ることができるというのは不思議なものだ。それで、すっかり嘉平さんは感動していたのである。

「嘉平よ」

みなが店に戻って仕事を再開しても、嘉平さんはまだ夢見心地だった。店まで戻ってきたはいいが、小上がりに腰を下ろしたところで力が尽きたらしく、両手で大事に乾板を支えてぼんやりとそれを眺めていた。その隣に腰を下ろした治郎吉さんはまだ興奮が冷めやらないのかあれこれと話していたが、嘉平さんはただ、へぇ、へぇと生返事をしていた。

「嘉平よ、えぇもんだぁなぁ、これは」

「へぇ……」

「こんにえぇもん頭ん中たっくさん入っとったら、そりゃぁおまいもすぅぐとっちらかっちまうわなぁ。乾板はそう手に入るもんでもないだが、時々は使わせちゃるけぇ、そしたらおまいも少しぁましになるかいね」

なんとなく叱られる予感が胸にふっと湧き上がった嘉平さんははっとして、あわてて背中をのばし、へぇと答えた。

治郎吉さんは怖い人ではなかったが、厳しい人ではあったから、できのよくなかった嘉平さんはよく叱られたものだ。ピシャリと額を帳簿で叩かれるのが常で、いくつになっても嘉平さんはそんな風に叱られた。しかし、この時の治郎吉さんは袖口に拳を突っ込んで、楽しそうに口元をほころばせているだけだった。

「こんに取っとけんなら、なぁ、忘れてしまっても恐ろしかなからあよ。うん。忘れてしまえ。な。全部忘れてえぇんぞ。尾古の男がどうとかこうとか、新しい時代になったけぇ、いつまでも言うちょおことでもないがな。な」

叱られないようだと悟った嘉平さんは、少し気抜けしてへぇと答えた。

治郎吉さんの夏用の薄い麻の生地には斜里が入っており、昼下がりの光をうけて輝いている。渋めに染めた緑地のその着物は治郎吉さんの一番好きな着物だったが、おかみさんはよく、一家のあるじなんですから、もう少しよいお召しものになさったら、とわざと関東の言葉を使って嫌味を言っていた。乾板の中では同じ着物をきて、同じ顔をしている治郎吉さんが笑っている。

「おまいは物覚えは確かにえぇけども、きっかけがないとなぁも思い出しよらん。だけぇ、ちぃとでも思い出せばわけがわからんくなってしまうし、難儀なもんを背負っとるもんだ。それが尾古の男だぁちゅう話だが、なぁ……世には不思議な話があるもんだぜぇよ」

ほう、とため息を付いて、治郎吉さんは背を丸めた。

尾古の男は物覚えがいい――

僕はそう言われることを好まないが、嘉平さんは特になんとも思っていなかったようだ。嫌がるようになったのは祖父以降で、それ以前は何かを覚えておくのが自分の役目だと自負していた向きもある。昔は紙や木や石に書き留めておくくらいしか物事を記録する方法はなかったのだから、「なんでも覚えていられる」人間がいれば、さぞかし頼られたのだろう。

問題は、「物覚えがいい」というのが単なる記憶力をさしているわけではないことだ。

尾古の男は千年生きる――村ではそんな風に言われている。

千年とは言わないにせよ、少なくとも数百年前のことを僕は知っている。いや、知っているどころか、自分が体験したことのように感じる。古くなればなるほど記憶も風化してはっきりしない部分が増えるが、それでも時折ふっと心のなかにその時の光景が蘇ることがあった。

そんなふうに普通のひとのありかたとは少し異なっている尾古は、必要とはされるが気味悪がられてもいて、村の中では遠巻きにされているのだった。今でも村の年寄りは僕を見ると露骨に顔をしかめ、他の子らには気前よくやる飴をよこさないし、寺の坊主ですら僕が来ると疎ましそうな顔をして、用件を済ませるとすぐに引っ込んでしまう。本家の森江は付き合いがあるが、それでも尾古の男を嫌がっていることにかわりはなく、父の代までは土間から上にはあげなかったほどだ。

今は板間まではあげてくれるが、座敷には上がってはいけないし、冠婚葬祭の際にも、尾古の男にだけは食事が出ない。せいぜい色のない茶が出るだけだ。僕の姉二人は親戚同様に扱われているというのに理不尽な話だった。

さて、この時、嘉平さんは頭を掻いて返事をしなかったが、治郎吉さんはますます背中を丸めて、ひとつため息をついた。

「……おまいは心配だぁ……兵隊になって苦しいことがあったら、すぅぐ手紙書きいや。したら見に行ってやるけぇ。飯はたっくさん食わせてくれるっちゅう話しだが――おまいは心配だなぁ」

はぁ、と治郎吉さんはまた憂鬱そうにため息をついた。治郎吉さんの後ろでなにか番頭はばたばたしているが、いつもとは違って治郎吉さんは声をかけなかった。表情は暗く、雅な眉をきゅっとよせて悩んでいるふうである。嘉平さんはまた、頭を掻いた。

明治三十六年は日露戦争開始の前年であり、その年に二十歳になった嘉平さんは懲役検査で甲種と判定されていた。五体満足、健康そのもの、病気の一つもしたことがない上に、上背が六尺弱もある嘉平さんが甲種から漏れるなど余程のことがなければありえない。時々頭が混乱する問題はあるが、嘉平さんはそれを言いたくなくて隠していた。なんとなくバカなことをいうなと叱られるのではないか、石を持って追われるのでは、などと恐ろしくなってしまったのだ。

嘉平さんが正直に言わなければ、とどこおりなく甲種に判定されてしまうのはしかたがないことだ。そのうえ、運悪く現役兵の籤にも当たってしまい、十二月に入営することが確実になったのである。

「昔は養子は兵隊になんぞ取られんかっただが、まったく」

「へぇ……」

「我慢しとりゃぁえぇとかいうとる時勢でもなぁだが……大先生が近くにおりゃあなぁ、修技所の試験を受けられたかもしらんがなぁ……」

治郎吉さんが陸地測量修技所の話を聞きつけてきたのは、その一年ほど前だっただろうか。陸軍測量部に入るための学校にあたる測量修技所では、地形記録のために写真術を学ぶという話で、治郎吉さんは思わず飛びついたのだ。

嘉平さんが甲種と判定される可能性は極めて高いが、修技所に入れば猶予ができる。そのうえ、嘉平さんの暗函に対する情熱は誰が見ても明らかだ。これ以上の適職がどこにあるのか。そもそも嘉平さんは商売人向きではなかったので、そのまま東京で測量技師になるという手もある、と治郎吉さんは思っていたようだ。

しかし、修技所にはいるためには学が必要だった。読み書き算盤程度ではとてもたりず、特に算術が優れていないといけないのだという。嘉平さんは小学校に行っていないが、小学校卒業はもちろん、中学校や師範学校などへ行けるようでないと、とても入学できない。

治郎吉さんは学校に通ったことがなかったので、嘉平さんに教えられるのは読み書きそろばんだけだった。奥さんは漢文を読めたそうだが、算術は眉根を寄せて首を傾げてしまう。大西さんは独学で少しかじったというが、嘉平さんに教えられる程ではないし、体系だって教えられるわけではなかった。

しまいには測量の手伝いをする測夫というものになればよいのではないかとか、鳥取にも幾人かいるから弟子入りを、とかそんな話も出たが、あまりにも話は写真から遠ざかって本末転倒だ。なにより、嘉平さんが写真術のために測量を学ばねばならないということがピンと来ていなかったらしくあまり熱心でなかったので、結局その話は立ち消えになってしまったのである。

「……露西亜は寒かろうよ」

「へぇ」

「へぇとか言うとる場合でないがな。そんな腑抜けた返事しとったら叱られんで。おまいがいっとう心配でならん……」

治郎吉さんは深いため息をついて嘉平さんの肩を小突いた。嘉平さんはまたへぇ、と言ってそれから頭を掻いた。

 

 

入営日の二日前に、嘉平さんは郡家を発った。

出征前にはあちこちに呼ばれ宴会続きだったので、嘉平さんはすっかりぐったりとしていたが、市内に出れば宴会もない。それで実のところは幾分か安堵していたのだった。治郎吉さんは兵営地まで嘉平さんを送る、奥さん以外他の見送りはいらないと言って聞かなかった。鳥取市内へは若桜街道を通って行けばそう時間はかからずに着くし、嘉平さんもよく行き来しているので慣れているが、これから三年間は帰ってこられないのだ。しかも日露戦争は開戦しないほうが不思議なくらい、という機運である。もし戦地に赴くことがあれば、二度と戻ってくることはないかもしれない。嘉平さんにはまだその危機感がなかったが、治郎吉さんはすでに覚悟を決めていたのかもしれなかった。

出発の日は晴天だった。初春の空にひらひらと子どもの揚げている凧がゆれ、淡い水色の空が頭上いっぱい広がっている。奥さんは出かける直前まで羽織をどうするかと騒いでいたが、最後は結局紺鼠こんねずの無地になった。その下の着物は奥さんが好んできている白と水色の地に椿柄の鮮やかな着物に赤と黒の格子柄の帯を合わせ、なかなか洒落ている。治郎吉さんは特に気取りもなく、縦縞柄の着物に同じ柄の羽織を着てちょいと帽子をかぶっている。洋装を好まなかった治郎吉さんとしては帽子をかぶるのも珍しいことだった。

出発前、どこからともなく集まってきた町の人々がわいわいと騒ぎながら嘉平さんに話しかけている。いつもは厳しい番頭も今日はいやに親しげに、嘉平さんに手紙の出し方を何度も何度も確認する。それをしまいまで聞いていたら日が暮れてしまいそうだったので、さすがに見かねた治郎吉さんが、いい加減にしないか、と呆れながら声をあげた。

嘉平だってばかじゃぁないんだぞ、ちょっとおっとりしとるけど、字ぃぐらいかけるがな。葉書を出す時間もあろうよ、佐助だってそうしとるんだからな!

嘉平さんの前には、同じく養子である佐助さんというひとが現役兵として徴兵されていた。彼は一番遅く筺原に養子に入ったが、治郎吉さんの一番のお気に入りで、帰ってきたら店を任すかどうか、という話になっている。軍隊でもできが良いようで、上等兵にしっかり進級したほどの俊英だ。それで嘉平さんはなにかあれば佐助さんに相談するようにと治郎吉さんからずいぶんと口を酸っぱくして言われていた。

ともあれ、そうして嘉平さんは送り出されたのだった。

奉公先から奉公に出るなんておかしなこともあるもんですねぇ、と地を轟かす万歳三唱がすっかり消え去ってから奥さんは笑った。治郎吉さんも闊達な声を上げて笑ったが、嘉平さんはどうにも心が騒いで笑うことができなかった。

何歩か歩くたびに嘉平さんは背後を振り返り、名残惜しみつつ見送ってくれている町の人々に手を振る。村から町へ降りたときも嘉平さんは生家を振り返り、振り返り歩いて番頭に叱られたものだったが、今回も時折立ち止まっては店のほうへと目を凝らした。

治郎吉さんはそんな嘉平さんのことをよくわかっているので、奥さんと話しながらのんびりと歩いている。さすがに五歳の嘉平さんにしたように頭を毎度なでたりはしないが、距離が離れすぎれば立ち止まり、嘉平さんが追いついてくるのを待っていた。

街が見えなくなる直前、嘉平さんは少しだけ長く足を止めた。柔らかな冬の日差しと、耳にかみつく風の中に、小さなまちはひっそりと座している。その光景の中からはなぜか人々が消えてしまっていると、嘉平さんはいつも不思議そうに言う。まるで長時間シャッターを開けていた写真のように、往来の人々はすっかり消え去り、ただ店だけがポツンと在る、と。

そこまで語ると、嘉平さんはいつも黙りこんでしばらくタバコをふかしている。その後入営までのことは決して語らない。語りたくないのだろう。

2016年5月1日公開

作品集『瞑目トウキョウ』第2話 (全13話)

瞑目トウキョウ

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© 2016 斧田小夜

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