まがりかど(1)

谷口公宣

小説

10,266文字

随筆と小説の間。就職活動、シューカツというものを嫌悪し、「就職に失敗した」という体で、実は何もしていない。自堕落な二十四の男子学生が、大学から放り出され、世間に対するうらみつらみ、性欲をもてあまし、人間が嫌い。みんなのことが嫌い。自分のことが一番嫌いだし、だけど一番愛してるのは、おれ。人間のことが好きすぎて、辛い。人生のまがりかど、東京から、地元広島へ帰る。

就職に失敗し、焦燥に身を焦がし、絶望にマクラし、うらみつらみでクチススギながら、しかしどうにもならず、全てのことに不平不満。社会が悪い。世の中が悪い。あいつらが悪い。じじばばが悪い。俺は悪くない。でもやっぱり俺も同等に悪い。同等に、同列に、みんな悪い。間違ってる、みんな。みんな大嫌い。みんな間違ってるんだ。でも人がいないと僕は生きていけません。じゃあ死のうかな。死にたくない。人が好きなんだ。でもいやだ。顔も見たくない。誰の顔も見たくないし、僕の顔も見られたくない。

二階角部屋、1K六畳、家賃40000円の格安物件、バストイレ別、東京にしたら異例の好条件。そこで、薄緑色のカーテンを閉め切って、外の世界を断ち切って、でも断ち切れない。カーテンをいくら閉めたって、外から音は聴こえてくるし、俺の通帳からは誰かが勝手に、いや俺が契約したから別に勝手でもなんでもないのだけども、光熱費や電話代が差し引かれていく。それに、たまには新聞の勧誘だって来るし、宗教の勧誘だって来る。彼らは、

「新聞取ってくれませんか」

「今度近くで集会があるのです。神の言葉に耳を傾けてください」

などと言うけども、新聞はいらないし、神の言葉もいらない。紙も神もどっちも信じられないし、ついには髪も信じられないから剃髪して丸坊主。そういうつまらないダジャレを思いついて満足する。おれ、今うまいこと言ったよと、誰に言うわけでもないが一人で喜ぶ。日本語の「カミ」という音、語彙、言葉、それの真理を突いたような気になる。

時折カーテンを開ける。日の光が眩しいので目を細めて、目の前が視界の端の方から徐々に薄黒く、冷や汗ダラダラ、足がガクガクし、ケンケンガクガク、天と地が逆さまになったような感じで、うわーっ、尻餅をつく、つまりめまいだ。しばらくそのままふうふうと荒い息をついて、冷や汗がすーっと引いていき、視野が真ん中から徐々に回復してきたところで、オレンジジュースなんかを飲むと落ち着く。

それでも夜になったら少しカーテンを開けて、窓も開けるし、そしたら身の毛がよだち、鳥肌。関西ではさぶいぼとか言うらしい。一枚羽織れば涼しく感ぜられる、夜の心地よい涼風は、夏の日の朝の爽やかさに似て、実際のところ春の夜更け。四季折々をこの身体で感じるというのはちょっとした幸せという奴だが、部屋の中にそれが入り込んでくるとなると鬱陶しい。この部屋は俺のもので、勝手に入り込むとはあまりに図々しい。

窓を閉め、カーテンを閉め、外とは完全に断絶した、20度前後の室温、50%の湿度、快適に空調の整った部屋に引きこもって、ずうっと本、小説でも文芸書でも哲学書でも学問書でも構わない、読んで、無駄に、というと語弊もあろうけれども、世間一般の価値観からしたら堕落、怠惰、無駄、それが俺としては幸福の絶頂であり、まあそういった調子で、無駄かつ幸福に、人生の残り火を燃やしていたい。

それは誰かがふっと吹くと消えてしまう一本のろうそくの火です。ロウが尽きて、自然に消えるでもいいし、誰かが過って、吹き消してしまっても構わないですし、別にそれが故意でも構わない。ただ僕はそれが消える様を見たくないだけのことです。気付いたら、いや、気付く間もなく、ふいに消えて欲しい。それまでは細々と残り火を燃やす。

いっそ出家してしまって、世間虚仮唯仏是真、入滅したいなあ。死にたくない、消えるまで、残り火を燃やしていたい。けれど別にそんなに生に執着することもない。死ぬなら死ぬでもいいかな。何の前触れも無く、いつもの調子でピンポーンと呼び鈴が鳴って、もし何かしらの勧誘だった時にナメられないように、目を細め、タバコを咥えて、「はいどちら様」と玄関を開けたところで、ドカン! タバコの火が何かに引火、爆発して、痛みも恐怖も感じる前に、亡骸だけをこの世に残して蒸発。

真っ暗な、マブタの裏なのか、視神経が途切れたのか、電気信号不全。なんにせよ一面黒の目の前に広がるディスプレイ、二次元でも、三次元の奥行きがあっても、どっちでも構わないし、その黒に白、モノクロツートンカラー、白い文字で、ゴシック体かな、明朝体ではないなとりあえず。それで「あなたは死にました、ゲームオーバー」と字幕が出る。

ゲーム脳、虚構と現実の区別がつかない、別にそういうわけじゃない、しっかりと区別はついている、死んだら二度と生き返れないなんてことは百も承知で、むしろ二度と生き返れないことに、母親の胸に顔を埋める子どものような純粋さで、希望を感じている。

いやでもしかし、童貞のままでは死ねない。ああ、僕は童貞なんですよ、情けないことに。セックスしてみたい。いや、別にそんなにしたくない。したいけど、やり方が分からないから怖い、怖気づく。超怖い。長宗我部元親。いやいや、童貞は誇りであります。

それに俺は自分の性器というものにコンプレックスがある。他人のモノと雁首並べて、お前のはこうだ俺のはこうだと比べたわけではないが、どうも皮を被っているこれが、非常にダメというか格好が悪いというか、とにかく、コンプレックス。

女の子に鼻で笑われたりするんじゃないか。表層、顔や身振り手振り、態度には出さないかもしれないが、皮かぶりのそれを見て「うわぁ」と嫌な思いをさせてしまうのではないか。あんまりにもかわいそうだ。それはかわいそう。女の子もかわいそうだし、俺もかわいそう。ほんとうにかわいそうです。誰も幸福にならない、そんなら別にセックスなんてしなくていい。自分で慰めるからさ、セックスを諦めます。童貞は誇りですゆえ。

諦めるので、その代わりと言ってはなんですが、かわいい女の子、見目麗しい少女よ、あなたを一度でいいから腕に抱きしめさせてはくれませんか? それぐらいなら、別にバチは当たらない気がするのです。セックスよりは簡単だ。女の子の身体を、頭を、胸に受け止めて、両腕を背中に回して、右腕と左腕を自分の身体に引き付ければいいのでしょう。そしたら勝手に抱きしめた形になる。

セックスは複雑だ。人目につかない密室に連れ込み、服を脱がせて、股を開かせて、そこにいきり立ったちんこを入れる。そうやって記述すれば簡単だけれども、密室に連れ込む手立て、服を脱がせる手立て、股を開かせる手立て、俺のちんこをいきり立たせる手立て、それぞれ手順が多すぎるし、よく分からない。人に訊いてみても、

「なりゆきだよ、あんなものは」

「いきおいで、押し倒したらいいんだ」

などと、ちっとも具体的でないから困る。なりゆきに、いきおいに任せてセックスに挑もうとすると、多分僕は途中面倒になって一人で寝てしまうな。

ところで女の子を抱きしめたらふわっとするかな。そりゃ女の子の身体つきにもよるだろうが、ふわっとする物体を抱きしめてみたい。

布団を抱きしめる。これもこれでふわっとしていて、布団と女の子の違いとは何かね。僕はきっとあたたかさと肌のねばり気だと思うのだけれども、汗ばんでいなくとも、モイスチャー。色んな化粧品を駆使し、それに含まれるなんたらかんたら成分で、女の子たちは保湿しているので、彼女らの肌はもっちりとしたねばり気があり、でも別に化粧品を身体全体に塗りたくるわけでもなし、あんまり関係ないな。でもとにかく、湿気を含んでべたべたする布団のそれとは、心地よさが違う気がする。

それにきっと、女の子はいい匂いがする。ただ近くを通っただけで、甘い香りがしたり、シャンプーの爽やかな匂いがしたり、するので、この腕になんか抱きしめたりなんだりしてしまった日には、頭頂部のつむじを、僕は見つめながら、息を吸い込んで、いい匂いがする。俺の布団はちょっとくさい。ほこりっぽい、乾いた脂の臭い。

嗚呼、キスもしてみたい。どんな味がするのでしょう。ファーストキスはレモンの味とか言いますけれども、それ本当? 多分その前にからあげにレモンでも振りかけて食ってたんじゃないの? そしたら、レモンの味というか、脂ぎった唇の感触とレモンと揚げ物の香りで、ロマンチックさの欠片もないけれども、妙にグッとくる生活臭というか、俺の日常からは遠い遠い、実に遠いところにいる女の子の生活臭というのは、エロい。

エロいという言い方は下劣だけれども、卑猥や淫靡と言ったムツカシイ言葉でなくて、悲しいかなエロいのだ。

玄関に脱ぎ散らかされたハイヒールとかブーツ、その場で脱いだ靴下、何気なくそこらに置いてある爪きり、使い古された耳かき、積み上げられた新品未使用のトイレットペーパ、なんかそう、エロい。

エロいと言えばそりゃ思い浮かぶのはおっぱいで、おっぱい揉みたいなあ。いやその前に、まずおっぱいをこの目で見てみたい。

カメラのレンズ越しに誰かが撮ったものが、更にウェブ上に存在していて、エロサイトを経由して、僕は再生ボタンをクリック。動き出す肌色の女らしき何か、おっぱいらしき何か、とかじゃなくて、目の前で匂いを発しつつ、手を伸ばして触ると、ぷよんと心地よい反発を感じさせつつ、ぷるんと揺れるおっぱいを、直接に、この目で、見たい。

乳首のつぶつぶを仔細に、至近距離、具体的に言うならば10㎝にも満たないところで観察したい。乳首というのは薄桃色であったり、茶色かったりするものだと思うのだけれども、あの境界線や乳首というものについて、俺はしっかりと、俺の体験に基づいて考察したい。そういう願望がある。

「乳首というものは一般に乳頭と乳輪から成り、乳頭は突起した部分を指し、場合によって、それは陥没していたりと様々な様相を呈するのであるが、まあ普通は突起しているところ、赤ん坊が咥えて、母乳の出るところ、そして乳輪とはその周辺の色のついた部分のことを指す。色のついた、というのもオカシナ話で、肌にも色はついていて、肌色という奴で、白なのか橙なのかベージュなのかよく分からんけれども。さて、彼女の乳首であるが、色は薄茶、16進数で言うならば#8b4513、saddlebrownという奴、大きさは乳頭を中心とすると、半径これこれ㎝を最大として、半径これこれ㎝を最小とする。またその直径の最大はあれあれ㎝で、最小はあれあれ㎝である。そして平均を出すと半径はあれこれ㎝で、直径はあれこれ㎝であり、さしあたりこの平均の数字をもって彼女の乳首の大きさとしよう。興奮時の乳頭の肥大率(それは平常時と比した場合の肥大率である)と、またこの乳首、主に乳輪部に見られるつぶつぶの数やその平均分布率などを調べる必要があると考えられるが、前者は、興奮時の定義や平常時の定義という大変ナヤマシクもムツカシイ問題を抱えており、後者は、彼女の協力が現状とりあえず得られなかったというバカバカしくも感情的な問題を抱えているため、この度の考察ではさておいた」

それでまたあれの感触というのは、これ一体、どういうものなのだろう。先ほど手を伸ばして触ると心地よい反発と揺れ、というようなことを書いたけれども、あんなもの想像でしかないので、いや、映像としては見ているけども、実際この手にその感触を得たことがない。

鶏肉を揉む。こういう感じか? これもまた妙に冷たいし、不快な粘り気を帯びている。なあ、やっぱりこれじゃないよ、先生。

やはり女の子というのは、あたたかさと、柔らかさと、汗ばんだ肌の、心地よいねばり気と、生活臭との、華麗なるハーモニーだろう。おれは一体どうしたら、それをこの身体でもって、体験することができるんだろうなあ。いつ、どこで、だれの身体を、感じることができるんだろうなあ。などなど、あれこれ考えながら、依然として部屋に引きこもる。

さて、唐突にリンリンリリンと電話が鳴り、どうも気乗りがしないが無視するほどの度胸も持ち合わせていないし、もしかしたら何か、この電話によって劇的な変化が訪れるやもしれぬし、そういうチャンスは逃さない、逃したくない、負けない! 負けたくない! ほーほけきょ。

ここでこの電話がもたらしてくれるかもしれない、何かしらのきっかけ、この連綿たる世の中に対するうらみつらみと自己嫌悪のくんずほぐれつと低俗な連想や空想、永遠に続くかもしれないこの循環を、断ち切るかもしれない、この電話が、この絶好の機会を逃したら、次はいつ? もうずっとやってこないかも知れないよ。

それこそ終わりだ。おれの人生は続きながら、落ち着く場所の無い、自己嫌悪と自己肯定の延々の繰り返し、ここで終わる。この電話を取り逃したら、終わってしまう。人生が。やばい! 危ない! 俺の人生が! 大変だ! てえへんだぞ! 底辺だ! 助けてくれ! ヘルプミー! アイニードサムバディ! そう思って電話を取った。

その電話、親父からで、少し怒りを含んだ「働き口が見つからないなら一度帰ってこい」との声に流されて、格安優良物件、大学5年間を過ごした思い出の部屋を引き払って、ああ確かに状況は変わった。とりあえず広島へ、地元へ、俺の産まれ育った実家へ、帰るのだ。

安堵のような、夢破れた絶望のような、凝り固まって解きほぐせないわだかまりをそのままに、実家に辿り着いたら、親父は案外怒っておらず、母親はピンピンとはしゃいで嬉しそうだった。とりあえず飯を食って、親父と酒を飲んで、タバコを吸いながら色々積もる話、そんなには無いのだけれども、

「お前はこれから一体どうするんや」

「どうしましょうか」

「まあゆっくり広島で職を探しんさい」

「はあそうですね」

「お前は結局のところ広島の人間なんよ。学生の間、五年間ものう、東京見れてえかったじゃないか、骨は広島にウズめえよ、まあ酒を飲もう」

「はあ飲みます」

母親はこれでもかと料理を振る舞い、あれはいらないかこれはいらないか、酒ばかり飲んでいないで、落ち着いたらさっさとお風呂に入ってしまいなさい。

妹はいつの間にか華の女子高生になっていて、俺の相手をあまりしてくれない。思春期かあ。俺の思春期もまだまだ終わっちゃいないんだがなあ。長引いた思春期とこじらせた童貞。そうだなあ、俺のこの二十四年間というのは正にそうだ。思って、母親の薄い味付けの肉じゃがをもそもそ食べた。懐かしい味ではあるが、相変わらず美味しくない。

 

 

 

その日からあっという間に半年が経ち、別にこれといった働く目処も立たず、第一働きたくないから就職活動なんてしていないし、

「就職先が早く見つかるといいね」

の母親の声に、

「ああ、そうだね」

沈鬱な表情をつくろって、頑張ってるけど世間が、会社が、僕を受け入れてくれません、という体で、目下何もしていない。親父も怒っているのかいないのか。ただ毎晩酒を一緒に飲んでは、

「お前は一体これからどうするんだ」

「何がしたいんだ」

「このまま働かずにゴロゴロしてるわけにもいかんだろう、若いもんが」

そう言って沈んだ顔をする。それは俺が一番痛切に感じていることなので、親父に言われるまでもないが、はあ、一体どうしましょうねえ。

寝て起きて、朝飯を食って「じゃあ面接行ってくる」とか言って家を出て、日がな一日市内の喫茶店でぼんやりする、などということをたまにはしてみるのだけれども、嗚呼良心の呵責。これではまるでリストラ食らったおっさんではないか。ははは、二十四の、将来の開かれた、可能性に満ち満ちた、若者が、リストラのおっさんと同じことをしている。

さすがに悪い、申し訳ない、いっそ死んでしまった方が親孝行かな、とか思うけれども、親より先に死ぬのは最大の親不孝。ああどうしたらいいんだろう、何もしたくない。何も、考えたくない。

無駄に積もり積もるタバコの吸殻。タバコだってタダじゃねえんだよ。このコーヒーも。うまいもマズイもよく分かりませんが、店員はコーヒー一杯で粘る俺にも愛想良く、灰皿を交換し、コップに水を差してくれる。俺はどこに居たって、人に迷惑をかけることしかできないのか、という可憐かつ痛ましい自己嫌悪による、自己愛のかよわい充足。

昼下がり、笑顔の「ありがとうございました」を背中に受けて、バスに乗って、帰る。玄関で靴を脱ぎ、ネクタイをほどき、そのまま座敷へ。仏壇の前に座して、ついつい神頼み、仏頼み、先祖頼み。棒切れを右手に持って、リンを鳴らし、チーン、手を合わせ、チーン。むやみに鳴らしてみるのだけれども、元来リンというものは、別に手を合わせる時に鳴らさなくってもいいというか、むしろ鳴らしてはいけない。

あれは音叉のようなもので、経をあげる時、坊主が音を取るために、あのチーンを鳴らして、その音に合わせて第一声と、それからインインと続く読経のためのものなので、こうむやみやたらに、経の一つも知らない俺が鳴らしてもうるさいだけで、きっと祖父も「うるせえぞ」と浄土で怒り心頭「そんなに鳴らすなら、経の一つでもあげろ」と憤っているに違いなく、母親はそんな死人にもすがりたい僕を見て熱心だこと、と思ったのかしらないが、実に優しい声色で、

「あなたは運がいいから、きっと大丈夫、運がいいからね」

と慰めなのかなんなのか。

その優しさ、気遣いというものを理解はするけれども、ちょっと俺はバカにされているような気がして、じゃあ何かね、俺が地元では名門と言われる中高一貫校に受かったのも、浪人したのも、東京の大学に受かったのも、留年したのも、就職が失敗したのも、俺が、運がいいから、そうなったのかね。ちっともよくねえよ。運がよかったら、もっと色々スマートに片付いて、浪人も留年もしなけりゃ、成績優秀で、就職もすぱっと大手企業に決まって、その間に彼女の3人や4人出来て、順風満帆。絵に描いた餅。食べられない。

社長が言う、たれそれ君、君は実にすばらしい。僕は誠実な顔をして、心からの感謝を込めて以下のようなことを言う。

「いえいえ、そんなことないですよ、僕自身は何もすばらしいことなんてありません。言うなれば親から賜ったこの丈夫な身体と、運の良さぐらいが取り柄なもんで、実際、今の僕がこのようにしてあるのは、先輩方の熱心なご指導のおかげです。もちろん社長、全ての始まりはあなた様が私をこの会社に採ってくれたからで、感謝しても、し尽くせません。ありがとうございます」

謙虚な心地で頭を垂れ、堅い握手を交わす。安定した高額の収入。

週に2回の休日は、学生時代から付き合っている彼女と一緒にドライブなどをし、彼女は背の低い、素朴な感じの、黒髪の女の子で、いつもニコニコ笑っていて、笑うと菩薩のような顔になる。顔全体でゆるやかに笑う子なのだ。ジーンズにTシャツという井出達が、飾らなくて素敵。

ある時、湘南の夕焼けの海を眺めながら、僕はどきどきと胸を高鳴らせながら言う、

「結婚しよう」

彼女頬をパッと赤らめて、しかしその頬に差す茜色、もしかしたら夕日かもしらんし、頬紅かもしれず。パッと赤くなったような気がしたけれど、いや、最初から赤かったのかしら。いやいや、やっぱり俺の「結婚しよう」その言葉を受けての、精神的な興奮高揚から来るものであって欲しく、また実際俺は運がいいので、そうだ。彼女は実に素直に美しく、

「嬉しい」

と言って涙を流す。夕日にきらきらと照らされる、頬に伝う一筋。美しい。

俺はその涙が眩しくて、思わず目の前に海に視線を投げるのだけれども、海もまた夕日にきらきらと照らされるので、美しい。その二つの情景の、あまりのカガヤカシサ、未来への開かれた希望に感動して泣く。ロマンチックだ。波の音が二人に祝福の拍手を打ち鳴らす。実にロマンチックだ。

みたいな過程を経て結婚、幸せで充実した夫婦生活、夜の営み、性生活、性欲と性欲のぶつかり合い的な性交ではなくて、互いを愛しむが故の、愛のあるセックス。ははは、「愛のあるセックス」女性誌か何かの特集じゃあるまいし、そういうことを経て、だからつまり母上様、今頃はあなた様の腕に僕の子ども、つまり孫なんかを抱いていたのかもしれませんよ。

そうして母上様、僕の運がもし仮に、よろしいのであれば、このような中流家庭ではなくて、どこそこ財閥みたいな家のご子息として産まれて、何不自由なく、将来の心配無く、遊び暮らせていたわけで、この家に産まれているという時点で、僕は非常に運が悪いのですよ。などという非常に底意地の悪いことを思うけれども言えないし、言ったところで母はきっと泣くばかり、そんな不義理というか不道徳なことは、頭をちらりとよぎりはするけども、別に本気で思ってるわけもなく、当然僕の家族は、ここ一つきりの家族で、どことも交換できない、取り替えがたい家族なのです。

私があなた様の息子でないことなんて考えられないし、僕の父母は、この世の中において、あなた様方の二人きりで、そこは安心してください。

「なんでおれなんかを、この家に産んだんだ、産んでくれなんて頼んだ覚えはない、勝手だ」

なんてことはちっとも思いやしません、僕はこの現状は現状として、幸福なのです。

しかしなんで、こんなことがふいに頭をよぎったりするのかね。こんな考えがよぎること自体がいやだ、みっともない、人間としてだめだ、精神的向上心の無い奴はバカだ。漱石『こころ』が頭を過ぎり、Kと先生とは恋路に苦労苦心、先生はKの自殺の業を、その一身に引き受けて、沈鬱な面持ちの挙句自殺するけれども、僕は、そんなドラマチックなことではなくて、あまりにも怠惰に親のスネをかじっていて尚且つそれに文句を垂れている。そしてのうのうと生きている。

あまりにもひどく、醜い、精神的向上心もなにも、すべての向上心が、一体どこへやらか忘れ去られて、置き忘れて、どこへ行ったのだろう僕の独立心向上心。それを探したいという欲求すら持ち合わせておらず、自尊心自己愛だけは人並み以上に蓄えて、決して置き忘れることなく、金魚の糞のように、ずうっと俺の全身から垂れ下がって悪臭を放ち、もはや垂れ下がっているというよりも、身にまとっているという形容の方が近い気もし、そしてその身にまとった糞の悪臭に誰よりも参っているのが、他ならぬ私、周りの人間は案外その悪臭に気付いていないものだ。

もしかしたら気付いているのかしら、と思うけれども、「お前くせえぞ」という、あまりに率直で、正直で、暴力性に満ち満ちた言葉を、他人に投げかけるということを、人はなかなかしないらしい。臭い奴を臭いと言ってしまうのは、どうやら人の道に反するらしい。言葉の暴力とかいうやつで。

言葉が暴力だって? 心を傷つける? そんな心なんて実体の知れないものが、本当に傷ついたり、癒されたりするのか? 傷ついた、癒された、傷つけた、癒した、ということを一体誰が判断するのだ? ああ俺か。俺しかいないよな、そりゃ。そういう「言葉は暴力」といった言い回しに疑問はあるけども、当人からは見えない影に隠れて、

「あいつクサいよな」(鼻をつまみながら、嘲るように笑って)

「ねえ、そうだよねえ、みんな面と向かっては言わないけどさ、そうだよねえ、クッサいよねえ」(fufufu、いじわるく鼻で笑う、唇が歪む)

「HAHAHA、ほんとほんと、ところでさ」

そういう陰口、ふいに風に乗って、一度耳に入ってしまったらば、やっぱり俺の心は傷つけられたような気がする。大学時代「お前はプライドが高すぎるんだ」と誰かが僕に言った。

いやしかしまあ、そういう外面の道徳やら倫理、他人の心への配慮。裏では色々言うくせに、当人の前で言わなければオッケー。もし耳に入ってしまったら、ごめんね、SYAZAIします。でもね、HONTOUのことなんだよ。SHINJITSUなんだ。

そういうの、変だ、下らない、と思うけれども、僕の陰口が僕の耳に入らない配慮。それによっていくらか僕は救われているのであり、でも僕は、なんだっけ、両親に対して、愚痴愚痴と文句が浮かび上がってくるこのあさましく醜い心。この僕の心という奴がまず嫌で、ますます嗚呼良心の呵責。それに耐えなければならない。というか、実は耐えている振りをして、本当のところではなんとも思っていないのかもしらん。

まあ何にせよ、いらついて、よいもわるいもぐだぐだになった心の有り様を、そのままに、俺の意思とか思惑とか悪意とか懺悔とかを、お母様、彼女に、言葉とかいう実に伝わりにくい、誤解を生みやすい手段でもって、伝えてみた、ところで、多分何一ついいことがないのは当然です。

結局その「あなたは運がいいから」という母親の言葉に対し、僕が出来る返答というのは「ああ、そうかもねえ、そうだといいねえ」と寂しく笑う。それしかなく、もやもやとしたこの気持ちは仕舞っておくのが、私と母、この二人にとって最善、得策、だろうけども、どこかで発散しないと、いつ爆発して、家庭内暴力、通り魔、婦女暴行、殺人事件、下着ドロ、パンツ逆さ撮り、みたいなことになってしまうかもしれず、小さい割にちょっと重い、あの小ぶりな棒めを握り締めて、リンをチンチンと打ち鳴らすばかり。僕は祖父の遺影を見つめる。祖父の顔はとても凛々しい。

2010年11月13日公開

© 2010 谷口公宣

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