じユうかんステキ

平行基

小説

5,114文字

犬と暮らす女の話。トレーダーである彼 女は自らを法人格化し、人間ではなく一個の会社として過ごしていた。犬は父から与えられた、一種の監視装置だった。ある日突然、株の大暴落に見 舞われ彼女は破産する。そして、借金取りに命すらも狙われるハメに。その上、犬もまた近々機能停止する運命にあった。彼女は、犬を愛してなどい ないと自覚していた。それでも彼女は自らの命と引き換えに犬を延命させようと試みる。

1.内。

 

《ワレキューレ》株価市場がダウナーに発狂し、三万人飛んで六十九人の個人トレーダーが首を吊った朝、ウチのバカ犬はパソコンの液晶に性器をこすりつけて喘いでいた。というか、コイツが盛って騒いでいたから起こされたのだ、弊社は。

ウォーン、おんおん。犬は泣くように鳴くのだね。

弊社の気配に勘づいて、バカ犬が咄嗟に振り返る。もちろん、視線が交錯するとも。それ以外、どこに目のやり場があったというのか。バカ犬は数瞬の間かたまり、のち、顔面横断痙攣を起こし、顎震わせて失禁する。ガチガチガチガチ。

コイツはいつもこんな調子だ。つねにヘマやらかして、ドギマギしているドギーを初代の筆頭株主は「マギー」と名付けた。弊社がその名称を使用することはけっして、ない。

 

弊社は訊ねた。

「《ワレキューレ》はどうなったの」

バカ犬は返答に窮しているのか、クンクン恨めしげな声をあげるだけで、明確な説明を行わない。犬にあるまじき怠惰さだ。

「《ワレキューレ》はどうなったの。弊社の保有株式は」

クンクン。

「暴落したのでしょ。暴落したのでしょ。したのだよね? それはわかってる。弊社が欲しいのは具体的な呼値なの。赤ペンで記すべき数字なの。教えてくれるよね? 損切りは当然できたのだろう? あなたは優秀なbotだからね。弊社が開発した監視botだからね」

クーン、クーン、クンクン。バカ犬が。

埒があかない。強引にバカ犬につめより、顎を上下にこじ開ける。悲鳴をあげさせる間も与えず、弊社の舌をバカ犬のそれと絡ませる。

犬の唾液に含まれる大量の伝達系ナノマシンが、情報の津波に転化して、弊社の脳を犯しつくす。

で、弊社は理解する。弊社の保有している数十社の株式が残らず(古いことわざに従えば)「紙切れになった」事実を。どころか、持ち主を切り裂く凶器となって借金取りに号令をかけているらしい。

すでに電子化された会社資産はすべて処分され、それでも相殺できなかった分の赤字を決済するため、近未来的に借金取りが弊社に保険をかけ、殺しに押しかけてくる。

何それ。

恐慌で身体が満たされ、全神経節を焼き切りたい衝動に駆られるが、すんで踏みとどまる。その時にできた一瞬の空隙をついて、インターラプション。

はやまっちゃいけないヨ。犬が舌を通じて思考を這わせやがる。御社はまだ若いンだから。

弊社は舌を犬の喉頭へ突っ込んだ。バカ犬の実音声と有線および無線リンカーと超音波が同時に狂声をあげたが、そんなのはどうでもいい。もっと知りたい。

うだ。四季報は? 七秒前の版が最新だったはずだが。

チクショウ。一次情報にアクセスするなんて何年ぶりだろう? 最後に実家へ帰省して以来だ。母さんはまだ壮健だろうか。もし、まだお亡くなりでなければ、先立つ不幸をお許しください。

 

日経のアドレスを開いた瞬間、失神しそうになった。いや、実際にしていた。

犬との通信にコンマゼロゼロでラグが生じた事実を、おせっかいなバカ犬が報告しやきやがった。連結させて、弊社が倒産したという情報も。まったくこいつは余計な世話しか焼かない。

メインのメアドと同期型SNSが、滝のような非通知メッセージで埋め尽くされる。開封せずともわかる借金取りだ。さもなければ、課金エロサイト業者からの請求書だろう。

いや、中にはAmazon.comからのお知らせもあった。今朝、寝起きに購入した老犬用のデフラグアプリケーションの件だが、発送がキャンセルされた、と。借金取りがウェブ共通時間をハックして、七分前に決済されたはずのクレジットカード支払いをおさえつけたらしい。本気なのか、と思う。驚愕する。恐怖する。ヤツら、マジで弊社を、いや、ワタシを殺しに来ている。なんてザマだ。

またインターラプション。ねぇねぇ、コレ、ボクのなんでしょ? なんでしょ? でしょ、でしょ。うわあい。これでまた長生きできるねぇ。

ウルサイウルサイ。キャンセルされたって言ってるだろ。もうあなたのアタマを洗浄できないんだよ。延命できないんだよ。どうしたって、お前は近未来的に強制停止くらうんだ。きっかり半月後の全国一斉オンラインスキャンの時に。今までごまかしてきた致命的なバグを発見されて。

さて、それは弊社の訃報がSNSに自動ポストされる日と、どちらが時期的に早いのだろう。新規メールがそのヒントを報せにやってきた。保険会社からだ。弊社の関知しないところで勝手に契約が成立したのだ。契約文を解読する。

なるほど、いかなる死因であれ、少なくとも一週間は生き延びられることになっているらしい。その期間内におっ死んだら、保険金は出ないから。それと同上の理由で、死亡診断書に「自殺」とか「自死」とか書かれる心配も無いそうだ。あまりの理不尽さにもはや笑みさえ、こぼれてくる。

これから、どうすればいい? なんて思案する必要すらないのだ。周りで勝手に状況を生成してくれる。弊社はただ流されればいい。川は低くに流れ。行き着く先は死の大海か。川は静かに流れ。

バカ犬の唾液が首筋をたどって、弊社の乳頭をなでる。途端に、大興奮したバカ犬からセグメントともミニマムノイズともつかない大量のキャシュが送り付けられてきたが、まとめて丁重にシャットダウンさせていただいた。生体ナノマシンごしに触れただけで勃起するなんて、どこの中学生だ。

中学か。一度は行ってみたかったなぁ……。

弊社は生まれた時から弊社で、弊社はやはり弊社でしかなく。

 

赤でマーキングされたメールが来た。タイトルを一瞥しただけで二バイト文字にして数TBの超長文が一気に飲み下せるというお得な解任通知だ。株主総会め。勝手にしろ。どうせもう潰れた会社だ。骨の髄までシャブられた、クソな個人証券会社だ。むしろ、気が楽になった。もう会社に縛られることはないんだ、ワタシは。

そう。ワタシはこれから存分に一個人としての人生を愉しめる。愉しむ? どうやって? 胎児の時に修士レベルまでの動性経済学知識を叩き込まれたワタシが? ハイハイを覚える頃には既に「仕出戦の魔女」として三大陸の経済共同体で名を馳せていたワタシが? 生まれてこの方、睡眠欲以外の三大欲求を満たす努力をほとんどしてこなかったというのに?

初代の筆頭株主が――父さんがストック・トレーディングにストイックになれるようにと、ワタシのそういった生理的欲求の一切をはぎ取ったのだ。しぜん、趣味もあるわけがない。

プロスポーツの移籍情報や順位を気にするのはチームの株価動向を予測するためだ。選手の個人成績を十年単位で把握しているのは、彼らもまた市場で取引される一個の銘柄であるからだ。もはや国家や赤ん坊ですらも値がつけられ、本人のあずかり知らないところで売り買いされる世の中だ。

今、この瞬間にワタシ自身だって流通している。法人格を失って一部上場廃止されて整理ポストにぶち込まれようが、熟練の相場師たちには関係ない。時計の上では既にワタシの株式は四日先まで値がついている。二秒前には十三日先まで決定してしたのだが、どこぞのやり手が一旦実時間+3秒まで針を巻き戻した。よくあることだ。破産したワタシにとってはもう、彼岸の彼方で起こっている出来事に見える。

無一文になる、というのはこんなにもさびしいものなのか。

世界はワタシなしで回り、ワタシは世界なしで生きなければいけない。言葉の綾にしてみれば、同等に思えるかもしれない。しかし、現実、ワタシと世界の間には埋めがたい格差がある。絶望的な非対称性が現出している。

 

本当に、ワタシには何もないのだ。「何もない」があるだけのだ。さもなくば、There=Nothingなのだろう。

ここにペンがあります。

ないことがペンなのです。ははは。

インターラプション。

ボクがいるヨぉ。

だってさ。病気なのか、バカ犬? バカであるなら死ぬべきだ。だが、コイツには死もなければ、眠りもない。女の産道より捻りだされた人間でコイツの息の根を止められる者は近未来的にもあらわれないだろう。機能停止があるだけだ。

父さんから情操教育用だとかいう名目でバカ犬が与えられはしたものの、実際は体のいい外部ストレージ・デバイス兼ウォッチドッグ・タイマだ。ワタシが虫に犯されたら、喉笛をかっきる忠実なる猟犬だ。コイツに自由意志なぞ存在しないに等しい。とりあえず、バカ犬もしっぽを振って慕うそぶりは見せる。だが、しょせんは見せかけだけ。コイツを構成する細胞核ひとつひとつが父さんの目だ。コイツは父さんの狗なのだ。愛情? コイツはなんとなれば、生物学的には犬ですらないのに!

 

バカ犬に接続していた舌を抜く。イレギュラーな切断処理のおかげで、反射的痙攣が生じ、ワタシの舌を半分持ってかれた。

インターラプション。ごめんねごめんねごめんねごめんねごめんね。ウー、ワンワン。

気にしないでよ。切断されて切断して切断して切断されるなんて、なんとも洒落たオチじゃないか。

 

 

2.外。

 

バカ犬を解体してロケットを造り、月まで飛ばせないものかとも企てたが、航空機会社と国際宇宙管理局からダブルで拒否られた。月条約と宇宙法に基づけば、誰にも宇宙を「管理」する権利はないはずだが、まぁいい。たぶん、ワタシが昔、某巨大ヘッジファンドを潰すために宇宙開発関連株をまとめて監理ポスト送りにしたのを未だに根に持っているのだろう。まったく、その後の整理ポスト入りを防いであげたのは誰と思っているのか。

仕方ないのでバカ犬を連れて、家を飛び出した。ワタシの部屋はマンションの地上百七十八階にあったから、墜落死する確率は半々だったということになる。それが、両腕を開放骨折し、胸骨が砕け散った程度で済んだのは幸いだった。ちなみにバカ犬は普通に階段を元気に降り、五体満足でワタシと再会を果たした。どうせ長い命ではあるまいに。互いに個人株価が超低空飛行を続けている身だ。

しかし。しかし、だ。

どうひいき目に計算してみても、ワタシはバカ犬より一週間早く死ぬことを、近未来的に運命づけられている。水晶みたいにクリアーな将来だ。レールの敷かれた人生は数あれど、終着駅まで明示してくれる鉄道会社はそうないのじゃあるまいか。

くぅん、くうーん。

ああ、そうだね。バカ犬はデフラグさえできれば容量オーバーも起こさずにサバイブできるのだったね。

だから、お前はバカ犬なのだ。そんなソフトを買う金がどこにある? 一昔前なら、売春なり臓器売買なりで身体を売れば、その程度の小銭は稼げたのだろう。しかし、今となってはそんなものを欲しがる人間なんて……。ん? 臓器? ああ、そうか。

くれてやればいいのだ。このバカ犬に。有機無機含めたワタシの生体メモリすべてを。そうすればバカ犬の容量は拡張される。デフラグなんぞしなくても寿命が伸びる。

くうーん?

そうだね。ワタシは死ぬ。

でも、どうせ実時間で百六十時間かそこらの早いか遅いかの違いだ。その間に何かやりたいことがあるわけでもなし。むしろ、座している今、この時間こそが苦痛だ。生まれて初めて浴びる人工太陽の光線が刺すようにして、ワタシの肌を苛む。

繰り返す。ワタシはこのバカ犬を愛してなぞいない。そもそも、何かを好きだとか嫌いだとか感じた経験はない。ワタシの人生は憎しみと虚無主義、そして最後の数時間だけは絶望に満ちていた。

だからこそ、ワタシはなんのためらいも衒いもなくバカ犬へ、ワタシの身体を供すことができるのだ。無感情にかつ、無勘定に。そこのところ、勘違いするなよ、バカ犬。

さようなら、父さま。さようなら、太陽。さようなら、世界。

本来なら繰り返した分だけ投げキッスと感傷を重ねるべきなのだろう。しかし、投げキッスをするための腕も、感傷に震わせるべき胸もすでに喪失してしまっている、ワタシは。

くぅーん。くぅーん。また、インターラプションか。だけど、許そう。さあ、バカ犬、ワタシの喉に食らいつけ。その牙でワタシを人間でなくしてくれ。これは取引だ。ワタシは苦痛から解放される。お前は更なる生を獲得する。

いや、お前に生などはなかったのだよね、バカ犬。忘れていた。だけれど、もしもお前がワタシの論説に、世界の定説に反駁するつもりがあるのであれば、それを証明してみせてくれ。

 

お前の命は短い。走れよ、バカ犬。

2010年9月7日公開

© 2010 平行基

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