――たいそう背の低い人ばかり住んでいるその町には、空がひじょうに低くまで降りて来ている。その町から見上げる星座の神話は、他の町から見上げる星座の神話よりも、雄弁か、寡黙か?……
一直線に伸びた道路を西へ向かって進んで行った。盛んに砂煙が立った。
一帯が砂漠になって久しく、給水の問題が頭をもたげて来たころ、右手はるかに山脈が現れたと思うと、前方に大きな町が見えた。
トラックだらけな駐車場にバスを停め、近くに建つ役場の二階の観光局窓口に行ってパンフレットをもらった。三人は待合のベンチに座って読んだ。それによると、遠くの山脈からはるばる地下を通ってここへ至り、盛大に湧き出る大きな泉が町の真ん中にあるそうな。町の名は魚流屯町と言った。
泉の水はひじょうに澄んでいて、数世紀にわたり天敵のいない魚の艶めかしく進化変形したのがつるつる泳ぐ水中は台風にも濁らない。この魚の口は人間へ男女問わずたいそう艶めかしい奉仕をし、ラビリンス器官という呼吸器官が発達しているため水から上げても二、三時間は溌剌としているので、昔の町民はこれをたいそう活用したと図解を伴って説明されていた。今ではある衛生上の問題からこの用途はないが、町民はこの魚を崇めるように守っているそうな。
また魚流屯町には大きな運送会社があり、遠い海から新鮮な魚介類が常時運び込まれるために港の匂いがすると書かれてあった。けれども、そのような匂いはとりわけしないように思われた。
読み終わったパンフレットを役場出口にあるパンフレット捨て場に捨ててバスに戻った。駐車場の無料シャワーで体を洗い、丸めて山積みにしてあった洗濯物を洗って干した。
駐車場には他にも旅人がたくさんいたので、カトキヨがあちこち話しに行って、煙草と交換に大量の塩をもらって来ると、残ったステーキ肉をすべて燻製にした。そのあいだ知明と穂野は屋台の物色に出かけた。
座ってもなかなか気づかないので、くださいなと言うと亭主はようやく顔を上げた。素早い動作で補聴器をつけ、うけたまわりましょうかと言うのでうなずいた。驚くほど安かったので、二人は新鮮なトロの刺身をたらふく食べて、カトキヨのお土産もどっさり買った。
PCOのせいで今年はマグロが異常に増えて値段が暴落し、運送代のほうが高くつくからアホらしいってんでやめちまって、そこいらに捨てているらしいよと亭主が言った。それを食った野良猫や野良犬がとっても増えて、今度また高騰したら、たくさん死ぬよ。そうしたら禿鷹がたくさん増えて、しばらくしたらまた減るな。その時にはなにが増えることやら……。
PCOとはなんですかと知明が聞くと、《太平洋養殖機構》だと思うと亭主は答えた。でも間違ってるかもしれないから、他では言わないほうがいいよ。あァそれから、別に急いで食えとは言わないけども、もうじきホールでコンサートがあるのを見に行くつもりなんだ。
誰が来るんですかと聞くと、誰が来るもなにも、ドブレポルファボールさと言う。大昔に流行した楽団で、子どものころに乳母がラジオで毎日聞いていたので懐かしいのだそうな。もうたいへんな高齢楽団だけれど、ひじょうに陽気な演奏で、アレンジもなく昔からちっとも変わらないのだとか。
そういうことならと、よもやま話も早々に切り上げてお会計をした。
亭主の話では近くに銀行があり、預金者が大いなるまばたきをしたために宙吊りになった大金が眠っているということだったので帰りに通ってみると、銀行の建物をぼんやり見つめている人が何人かいた。
赤字営業の良心的な経営が潰れないようみんなで寄付していると聞いたスーパーマーケットは潰れていた。
駐車場に戻ると、カトキヨは太ったトラック運転手と話し込んでいた。
タイヤ交換をしてもらったということなので、知明と穂野は頭を下げ、お礼にトロの刺身を渡そうとすると、もう飽き飽きするまで食ったからいらないと言って行ってしまった。
カトキヨはたらふく食べた。
楽団を見に行くか相談しながら町を見物していて、中央からだいぶ離れたあたりまで歩いて来た。鄙びた広場に童女が独り膝を抱えて座っているので穂野が立ち止まった。
童女は二本の木のあいだに張られた布を飽かずに見つめていた。その童女を三人が飽かずに見つめていると、井戸のそばに盥を置いて根菜を洗っていたおばさんが三人を飽かずに見つめていた。
喉が渇いた三人が井戸へ行くと、おばさんは手招きして童女を指さし、あの子は毎日あそこへやって来ては映画の終わったスクリーンを見ているのだと教えてくれた。いつ終わった映画ですかと聞くと、二週間ほど前だと言う。
穂野が童女を見つめて、黒いほど紫な口紅をさした薄い唇をぼそぼそ動かしていると思うと、ぴっと知明をふり返り、もしもあの子の生活が行きずりの人に連れ去られても事件ではない程度にうやむやならば連れて行きたいと言った。
しかしうやむやなだけで事件にならないだろうかと知明が言うと、穂野は威圧的に人差し指を立てて「これたゆみなきうやむやに我知らず根の浅くならしめられた……時至れば大なる強運に振り回さるるの本懐あればなり、云々云々……」知明はとにかく賛成した。
それで穂野が話しかけてみると、あんがいハキハキしゃべる童女の言うことには、わたしの望みは映画がもう一回始まることだけだというのだった。そして、もう一回映画が始まる時には、頭の中の映画にまつわる記憶を宇宙にお返しすること。そしてあの優しい映画をいつまでもいつまでも、くり返しくり返し、初めて観続けることだけ……。
とぼとぼ戻って来た穂野に知明が、あの子の根は浅かったかいと尋ねると、肩をすくめて、わからないけど誘拐はできそうにないと答えた。
それから穂野は晴れやかに諦めて、ふたたび童女のとなりに座り、盛んに話しかけた。受け答えする童女は嬉しそうだった。
しばらく広場でのんびりしていた。知明とカトキヨは町の不良少年たちからバタフライナイフをもらった。出どころが出どころなんで早く捨てないとヤバイものだから、ただ受け取ってくれたらいいと言い張るので、ありがたく頂戴した。
お礼にステーキの燻製をあげると言うと難色を示したけれど、バイカーたちのくれた肉だと言うとたいそう喜んだ。渓谷のバイカーたちは有名なのかと尋ねると、自分たちは無知だから知らないが有名に決まってると答えた。
スクリーンを見ていた童女が兄らしい少年に迎えられて帰って行き、不良少年たちも、遠くでかすかに口笛が鳴るや、御免と断わって行ってしまったので、三人も駐車場へ引き返した。
途中で穂野がコーヒーを飲みたいと言ったので半地下な喫茶店に入った。先客は奥の暗がりに青年が一人いるきりだった。
三人がコーヒーを飲んでいると、イージーリスニングミュージックがふと途切れて、奥の青年がなにかレコーダーにぼそぼそ話しかけているのが耳に入った。ひじょうな小声だったし、知明と穂野に劣らない掠れ声らしかったけれど、滑舌がいいのかイヤでも聞き取られた。
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