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猿の天麩羅 6

猿の天麩羅(第6話)

尼子猩庵

 不条理な大幸運に飄々と忍従する中学生少年少女たちのロードムービー。

 異世界にして過去世。未来にして神話時代。下劣にして荘厳。地獄にしてユートピア。

 図書館にはなく、本棚にはある。人生で二度捨てる。

※第13回ハヤカワSFコンテスト二次選考落選。

タグ: #SF #シュルレアリスム #ナンセンス #ファンタジー #旅

小説

12,655文字

 

 

 

――世界のチューニングがぶれて、年をまたいでも直らない時、あらゆる災害の裏側にあるメトロノームがせっせと仕入れている食材とはなにか?……

――おしっこに起きるおねしょを睡眠不足にする交代々々はなにを過剰に飲むか?……

翌朝、下着姿のまま洗面所に行って、ヤゴの泳いでいる水で口をゆすいで顔を洗った。近々小さな雨季が来るから水が汚いのはそれまでの辛抱だと、昨晩おにぎりをくれた神田さんというふくよかな婦人が言った。

それから神田さんは二人の体臭に眉をひそめ、穂野の脛のふわふわした毛を睨み、強引に腋の下をも覗いてふわふわした毛を睨むと、かぶりを振って、顔を赤くしている穂野をどこかへ連れて行った。

残された知明がベランダに出て町なみや空を眺めていると、少し離れて向こうに建っているもう一棟のマンションの屋上に、大量の土が盛られて丘になり、一本の大木が生えているのが目に留まった。

シラサギが白く点々ととまる屋上の木をしばらく眺め、やがて視線を下ろして行くと、七階か八階のこちら向きなベランダに誰かがいる。じっとしているけれど、なんとなくこちらを見ているような気がした。

神田さんが戻って来たのでふり返ると、ぴかぴかに磨かれた穂野がイミニアンの服を着て立っていた。

続いて知明が連れて行かれた。壁が大きくくり抜かれて空がよく見える浴室で服を脱がされた。神田さんは知明の全体を見ると、とりわけひとところを見つめて、

「気にするこたないよ」と言った。

それから「カノジョのを剃ったのと同じ剃刀だけどいいでしょ」と言いつつ口の上の薄い髭を剃られ、そのまま「気にするこたない」とくり返しながらひとところの周囲も剃られた。そののち隅々まで磨かれてイミニアンの服を着せられた。

全身の触覚が蘇生したかのようだった。ゆったりした原色な服の肌触りはやわらかく、服の中に吹き込んで来る風は優しかった。

神田さんにお礼を言うと、もっと清潔にしろと言ってお尻を叩かれた。この学生服は繕うか燃やすかと聞かれて、穂野はなんと答えましたかと尋ねると、「あんたに任せると言ってたよ」と言うので、燃やしてくださいと答えた。

後で牛をほふるのを手伝ったら、あんたたちも好きなだけ食べていいと言われ、それまで遊んでいろと言われて部屋に戻ると、穂野がベランダで一人の少年と話していた。

少年は穂野よりも知明と話したい様子で、あれこれ盛んに質問して来た。彼は旅に憧れていた。けれども心臓が悪いから諦めているのだと言う。カトキヨと名乗った。

知明がカトキヨの質問に答えつつ、ふと屋上に木の生えたマンションを見やると、さっきのベランダにまだ人が立っていて、まだこちらを見つめているような気がした。

双眼鏡があるかいと聞くと、カトキヨは滑り出て行って――ローラースケートを履いていたことに知明は今気づいてギョッとした――少しべたつくのを持って来てくれた。

待っているあいだに事情を聞いていた穂野も興味津々で、双眼鏡を覗く知明にもたれかかって成り行きをうかがった。

なかなか焦点が合わなかった。知明は遠近の調節にくらくらしながら、汚れを落とした穂野はやはりいい匂いだと思った。

自分の匂いも久しぶりだった。遠からず子どもではなくなって行くのだろうけれどもまだ臭くないと思う。カトキヨは、イミニアンといっても明らかに二世か三世か、強固な入信動機もなく自発的な禁欲もないので穂野のことが性的に気になっているかもしれない……もしくは、俺のことが。なんとなくそう感ぜられる。

中性的な顔かたちをしたカトキヨに好かれるのは複雑な気分でもあり、いや単純に得難い幸福であるのかもしれぬ……

――焦点が合った。知明は人影を見た。すると、向こうは肉眼でこちらを見ているのだった。

明らかにちゃんと見えているらしかった。その人は、全身ペンキで塗ったように、強烈に白くて、頭がつるつるだった。そして手招きをした。

 

木の生えたマンションにも多くの人が生活していた。イミニアンとは別な秩序で以て治められているらしかったけれど、類似した親切さを以て迎えられた。

知明と穂野とカトキヨの訪問は秘書を名乗るおばさんによって記録帳に記された。最初、後ろから何度呼びかけてもふり向かず、穂野がおずおずと肩に手を触れるとようやくふり返り、

「ああ、また幻聴だと思ったのよ」と言って謝ったおばさんだった。

現住所を細かく告げるカトキヨの説明をふむふむ書き取っているおばさんに、七階か八階のベランダにいた白い人のことを尋ねた。するとおばさんは苦笑なのか微笑なのかわからない笑みを浮かべて、804号室の北郷さんだと教えてくれた。

このマンションの屋上の木を見たかと尋ねられて三人がうなずくと、あれは北郷さんが昔植えたのだと言う。

訪ねると、顔も体も色素がないというよりやはり塗ったように白くて一切体毛のない北郷さんが笑み崩れて知明と穂野とカトキヨを招じ入れた。部屋の中は物がなくてひじょうに清潔だった。

「よく御出で下さいました」

と言いつつ北郷さんは最初に知明、次にカトキヨと穂野を同時に握手した。固く握ってぶんぶん振る握手だった。

「こんなにすぐ御出で下さるとは思いませんでした。これから日を追うごとに少しずつ少しずつ警戒心を解いてゆかれ、好奇心を募らせてゆかれるかと。すぐに御出で下さるとわかっていたら色々用意をしておいたのですが。少しお待ちいただいてよろしいでしょうか」

奥の部屋とベランダから椅子を合計四つ持って来て向かい合わせに並べた。三人の客は北郷さんが座るのに合わせて、ゆっくりと座った。

「僕たちになにか御用でしたか」

© 2025 尼子猩庵 ( 2025年7月3日公開

作品集『猿の天麩羅』第6話 (全13話)

猿の天麩羅

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