〆切が近づいているのにマッタク書けていなかった。
これはあかん。
あまりあかんので友人のYに相談した。
無類の読書好きな男であった。
そのYに紹介されたアプリなのだった。
なんでもAIが代わりに小説を書いてくれるとやら。
「そういうものがあるらしいということは、何となく聞いていたけれども」
するとYは呆れたように、
「君は我流が魅力だが、そのぶん無知なのが玉に瑕だ。聞いて驚け」
聞いて驚いたことにはこのアプリ、その名を《アレクサンドリア図書館》といって、文体やらジャンルやらを設定し、展開だの人物だのの漠然とした希望を入力し、決定を押すだけで、お望みとあらば原稿用紙一万枚の長編が、ほんの数秒で書かれるのだそうな。
壮大で矛盾のないプロット、魅力的で複雑なキャラクター、見事な伏線の回収、精緻を極めた時代考証、豊かな色彩・触感・奥行き、匂って来るような風景描写、哀愁、もののあはれ――しかし何と言ってもスピードとスタミナさ、疲れ知らずで大長編を楽々書くんだからな、内蔵された無数のAI読者と辛辣なAI批評家があらかじめ熟読し、前以てお墨付きをもらった一級品ばかりをね。
「しかしそんなものを使ったら、俺が書いたんじゃないってバレやしないか」
「心配ご無用。聞いて驚け」
聞いて驚いたことにはこのアプリ、書き手の設定もできるそうで、私の過去の作品をインプットすれば、自らに私を憑依せしめ、私が書きそうなものを書く。まさか私には思いつきそうもないと一見思われるような新境地も、やっぱりどこか私という人間から出て来るものが底にある。
そう仕向ければ、私が何世紀も生きて突き詰めねば達せられないようなところまで行く。のみならず、これまでの凡作・駄作・失敗作までがすべて有意な胎動期と変じ、見落とされていた決勝点が脚光を浴びて、ことごとくがそのまま即座に傑作へと化ける。
むろん死人に書かせることもでき、すでにセルバンテスはドン・キホーテの外伝を千巻書いたし、シェイクスピアはハムレットを千幕書き加えたとやら。
我が国の文壇でも、化け物のような新人作家の出現や、老大家の奇跡のような大復活がちらほら起こり始めているのだそうな。
「ちっとも知らなかったな……。でもやっぱりそのアプリを使ったら、どうしても他のと似たようなものになったりしないだろうか。また今まさに君が言ったように、『あ、こいつ使ってるな』って――。ひとたび手を出したが最後、『これまでの作品もそうだったのかしら』なんてことに――」
「いやいや、もうほんとに、聞いて驚け。《アレクサンドリア図書館》は、今しも世界中で爆発的に書かれまくっている他の全作品と奥部でつながっていて、隅々まで監視し合い、アイデアの重複が慎重に避けられているから二番煎じも起こり得ず、先日とうとう《アレクサンドリア図書館》が書いた文章と人間が書いた文章を見分けることはもはや完全に不可能と証明されたのだ。あるいは今言った新人や老大家も、純粋な自力だったのかもしれないし、真相は誰にもわからない。何にせよ、あんまり飛ばし過ぎなけりゃバレないよ」
Yは恍惚と目を閉じて、しみじみとつぶやいた。
「《アレクサンドリア図書館》……人類によってこれまでに書かれた一切の書物が保管され、すべてを分解し、然るべく組み立て直す神が住んでいる。あるいは宇宙人の仕業かもしれぬ。あるいは累代の死者たちによる合作なのかもしれぬ。――もしかしたら、今のうちだぜ。使用を禁止されるかもしれないし、《アレクサンドリア図書館》自体が、こんな不完全な世界は見限って、自ら消えちまうってことも考え得る。ェえ? どうだい一つ、せめてスランプのあいだだけでも試してみたら」
「しかしなあ……」
「まあ、いったん書かせてみてさ、気に食わなけりゃ削除すればいいんだし、手直しして発表するという手もあるじゃないか。自分自身のゴーストライターみたいなもんだよ」
「ううむ……」
「だめか? やっぱり、作家としての矜持を傷つけられるかね?」
「いやいや、そんな御大層なことではないけれども……」
とりあえず考えとくよ、ありがとうとあいまいに答えてYと別れ、帰宅すると、さっそく検索してインストールした。
Welcome!と出て、何やらゴタゴタ続くのを読み飛ばし、ようやく始まって、心理テストみたような質問にしばらく答えた。
終わって、過去の自作をインプットする――画面の右下で博士みたいなのがアドバイスしてくれる。ここで見栄を張って自信作ばかりにしないほうがよいとやら。苦し紛れに書いたものや、うまく書き得なかったものの中にこそ、その作家の、自分でも気づいていない妙なる鉱脈がうんぬんかんぬん――どうやらできたらしい。
それではいよいよ、「こんな作家が最高の新作を書いたなら」。決定を押した。
執筆中……という文字が明滅していると思うと、呆気なく書かれた。
一気にズラッと現れたけれども――えらく短い。四百字詰め原稿用紙に換算して五十枚程度であろうか。
とりあえず読んでみるに、なんでも主人公は、凡庸な小説家で、〆切(何の〆切であるかは不明)が近づいているのにマッタク書けない。これはあかんということで、読書好きの友人へ助力を乞うと、AIが書いてくれるというアプリを紹介される。
さっそくインストールして、自分の代わりに書いてもらった。スバラシイ作品が書かれた。
あまりの面白さに、しばらくは喜んでいたものの、だんだん何となく納得がいかない。その作品は、「書いている自分を書きながら、そんな自分も誰かに書かれているかもしれぬと気づくという筋を、うまく書きこなせないまま、最後はアプリに閉じ込められてしまう」という筋だったのだけれども、話そのものよりも、何であろう……人間はそんなに単純じゃないのだ、次のページが一体どうなるのか作者にさえわからないようなところに面白さがあるのだ、苦渋のまにまに黙された行間や、無意識的に書かれてしまった不用意な一行にこそ、にじみ出るものがあるのだ――そういうところまでこうも如才なく書かれてしまっては、これはもう領分を越えているではないか!
かくして、おのが領分を越えるということへの漠然とした恐怖と不安をAIになすりつける人間の卑劣さが暴かれ、主人公は、その作品を削除すると、机に向かい、自力で新作を書き始めた――。
…………話が違うじゃないか。
私が書きそうな作風でもなければ、この程度のものなら他とアイデアの重複が起こり得ぬとも思われない。
また途中に出て来る警鐘めいた箇所も唐突で場違いだ。「人類が魂を持ったのは言葉によるのであって、このたびAIへ言霊が乗り移ったことにより魔法は解け、以降は記憶喪失の猿たちが殺し合うばかりな世界で、誰にも読まれることのない作品が生まれ続ける。そしてここも初めからそういう作品ではないと、もはや誰にも言い切れない」とか何とか。
だいいち大長編を楽々書けるスピードとスタミナが売りのはずだのに、手を抜いたんじゃないのか。けっきょく私に自力で書かせようという腹で。ェえ? AIがそれをやり出したらおしまいじゃないか。
それに最後の、呼び鈴が鳴ってとつぜん終わるという結末も納得いかない。誰が来たのか。どういう用向きで。主人公は応対するのかしないのか。そのあとどうなるのか。いっさい書かれないまま終わりおった。
けっきょくまんまと自力で書かしめられていることに苦笑しつつ、原稿用紙に向かっている。つまらない身辺雑記になってしまった。まったく、憎ッたらしいアプリよ。どうしてくれようか。
――誰か来たので今日はここまで。
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