04
鉛筆は、こう削ります。
あなたの前で白髪混じりの男がおろしたての鉛筆を削る。
六角形の角に当てたカッターナイフの刃を親指で押し、木製の軸を削り落とす。ひとつの角を一度削ると隣の角、隣の角と軸を回転させながら、だんだん先を細くして芯を出す。芯と軸が一緒に削がれて、鈍色の先端が尖ってゆく。普通の鉛筆削りを使ったときより鋭角に削る。最後は芯だけに刃を当てて、針先のように鋭く整える。
上手いものだな、と、あなたは彼の指先を見つめる。息を押し殺し、親指に集中する彼の表情は楽しげだ。
そうですね、もう四十年近く鉛筆削りは使ってませんね。もっとも普段は鉛筆そのものを使いません。筆記用具はシャープペンシルとボールペンで事足ります。鉛筆を使うのは絵を描くときだけかな。
どうですか、削ってみますか、と、男はあなたの顔を見る。
あ、いえ、上手く出来そうにありません、とあなたは断る。考えてみれば、普段、カッターナイフを使うことすらほとんどない。
そうですか、そうですね。よほどこだわりでもなければ、現代人はこんな原始的なことしませんからね。男は笑いながら二本、三本と黒鉛の先を尖らせた。
鉛筆をナイフで削るのは、美大を志望したときに最初に覚えた技術のひとつです。美大進学のための予備校の先生にね、怒られるんです、鉛筆削りなんて使うと。実際絵を描いてみればわかりますけど、確かに手で削った方が描きやすい。芯の出具合とか先の尖らせ具合とかね。それ以来、私にとって鉛筆は筆記用具ではなく描画道具なりました。絵を描くために拡張された指先のひとつ、なんて言ったら気取りすぎかな。でも、そんな感じなんですよ。
実はね、私は美術大学出身なんです。昔は絵描きになろうなんて思っていたんです。絵を描く技術はまあまああると思ってますけどね、でも技術だけでは芸術家になれないことがよくわかりました。絵画教室なんか開いたりして生徒さんやご近所で先生先生と呼ばれながら画家を名告ることくらいはできたかもしれませんね。そういう友達、たくさんいます。美術の世界で多少名前が知られたところで作品なんてなかなか売れるものではありません。作品制作だけで生活できる者は一握りです。だから、何かしらで生計を立てなければいけない。実力があって運も良ければ大学に招聘されて収入の機会を得ることができる。中学や高校の美術教師で糊口を凌ぐ者もいる。カルチャーセンター、お絵描き教室……多くが絵の先生になる。そして生活が成り立ってしまえば、画家を名告るばかりで自分の作品の価値なんて気にしなくなる。それは仕方ないことです。だから否定はしませんけど、でも、きっと私は満足できない。歴史に足跡を残すくらいの絵描きじゃなければ意味がない、なんて大仰に考えてましたよ。若気の至りも極まれり、です。作品もたくさん作りました。平面に留まらず立体的な作品も作りましたね。いろいろ試してはみましたけれど、自分の能力なんて、わかっちゃうものです。だから、芸術家であろうとすることも、画家になろうとすることも止めました。諦めた、というより、止めました……画家や芸術家と呼ばれる自分の姿が想像できなかったんですね……。
独り言のように彼は自分を語りつつ、鉛筆を削る。
そして、削り終えた五本をあなたに差し出す。
取り敢えず、これだけあればいいでしょう。2H、H、HB、B、2B。Hが硬くてBが軟らかいのは知ってますよね。
あなたはそれを受け取り、傍らの丸椅子に置いた。新しいスケッチブックの白い紙に戸惑い、五本の鉛筆をどう使い分ければいいのかさえよくわからないまま、子供の頃から一番馴染んだHBを手にする。
指先に摘まんだ鉛筆の青い軸を眺める。
何をしているんだろう。
あなたは思う。
あなたは螺旋階段を伝って白いギャラリーに足を踏み入れた。
少女の大きな肖像を半ば見上げるように眺めた。階段は部屋の角にあり、その両側の壁に一点ずつ、そして、階段に向かい合うふたつの壁面には二点ずつ、全部で六点の作品が展示してある。額縁のないキャンバスは壁からふっと浮き出ているようだった。その側面は絵具の滲んだたキャンバスが剥き出しになっていた。たぶん、油絵なのだろうとあなたは想像した。絵画や美術についての知識があまりないあなたは、キャンバスに描かれているなら、きっとそうなのだろう連想しただけだ。絵の高さは三メートルくらいあるのではないかと、降りてきた階段や天井の高さから見当をつけた。幅もきっと二メートル近く、あるいはそれ以上ある。とても大きいと思った。六点はたぶん同じ大きさだ。全てが、ほぼ正面を向いた少女の半身像で。いくら美術に明るくないあなたでも、その六点が同じ画家によって描かれたものであることはすぐに理解した。特徴的な作風だ。写実的な描写ではない。部分的に立体感はあるけれど概ね平面的に単純化され、漫画やイラストのようにデフォルメーションされた少女たちだった。あなたの目には、幼い子供のようにも映ったのだけれど、可愛らしさの中に大人びた、冷たい、生意気な表情が混ざった年齢不詳の少女たちだ。単純な形に対して色彩は透明感があり肌も瞳も髪もいろいろな色の絵具で複雑に塗り重ねられている。背景は簡素で何も描かれておらず、斑はあるものの、ほとんど一色に塗りつぶされて、どこでもない茫洋とした空間だ。
「いらっしゃい」
階段の傍に、カーテンで仕切られた通路があった。カーテンを少し開いて白髪混じりの男がちらりと覗いた。
「どうぞ、ごゆっくり」
彼は無表情に小さく会釈をすると再び奥に退いた。
それぞれの絵をざっと眺めたあなたはギャラリーの中央に立つ。
そして、動けなくなくなる。
空調装置の吐き出す冷気にだんだん身体を冷やされて、ついさっきまで汗だくになって歩いていた街を遠くに感じた。
あなたはどうしようもなく立ち尽くしながら、ひしひしと違和感を感じはじめる。
いかにも自分らしからぬ行動をしたのではないか?
暑気にうんざりし、束の間の涼気を味わうために、今ここにいる。
その、はずだ。
でも、それが本当の理由なんだろうか。
普段のあなたは、そんな選択をするのだろうか。
ギャラリーの看板を見つけてからの自分自身の行動や判断が俄に疑わしくなる。
それは、本当に自分らしいのか。
涼気を欲していたのは確かだけれど、その理性と無縁の欲望につけ込まれ、涼しさの予感を餌にして、とんでもない罠にまんまと誘い込まれてしまったのではないか、と。もしかしたら、自分は無自覚な生贄なんじゃないのか、と。あなたは根拠のない被害妄想まで持ち出す始末だ。誰にどんな目的があるのかは見当もつかないが、何か陰謀めいた力がこっそり働いて、あなたはたまたま通りすがったというだけの理由でカモとばかりに狩られてしまったんじゃないか。そして、そんな妄想が苦々しい自嘲の種であることも分かっている。
――あ、ええっと……。
部屋の隅から声が聞こえた。
「もしかして、捕まっちゃいましたか?」
え……?
カーテンの向こうから、さっきの男を覗かせた。
「階段の音もせず、お帰りになった気配がなかったのでどうかなさったのかな、と」
あ、はい……そう、ですね……。
「ずっと見てたんですか?」
え、あ、どう、でしょう……。
あなたはちょっと答えに困った。確かに見ていたのだが、見たと言うほどにしっかりとは見ていない。ただ、ただぼんやり眺めていただけだ。
「ぼんやりね。三十分もですか?」
三十分?
はい、三十分。
「あなた、もう三十分以上ここにいますよ」
あなたは、耳を疑う。三十分、ってなんのことだ?
「お気づきになっていないようですね。あなたがここにいらしたのは、三十五分ほど前でしょうか。ここは階段が響くから人の出入りはすぐ分かります。だからお帰りになるときにはご挨拶しようと思ってたんですが、まるで音がしないので、どうしたのかなと思いまして」
あなたはついさっき来たばかりだと思っていた。どんなに長く見積もっても十分程度だと思っていた。三十分なんて絶対に嘘だと思う。あなたには、男がペテン師に見えた。
う~ん、どうも信用されてないようだ、と、男は笑顔で首を傾げる。
あなたは退散すべし、と、暇乞いをして階段に向かう。階段に足をかけようとして、さっきまでびくともしなかった脚が何事もなかったかのように、ちゃんとあなたの意志で動いているのに驚き、立ち止まる。
「お帰りになりますか?」
あなたは言葉が出ない。だから、黙って頷く。
「お急ぎならばしかたありませんが、もしお時間があるなら、冷えた麦茶でも飲んでいってください。どうせ、外は暑いのでしょう」
ちょっと待っててくださいね、と、あなたの返答も待たずに男は一旦カーテンの中に消えた。そして、すぐに丸椅子を数脚重ね、その上にペットボトルの麦茶とグラスのをのせて戻る。
彼が外したその隙に立ち去ってしまうこともできた。しかし、あなたはそうはしなかった。あなたは螺旋階段の手すりに手をかけたまま、立ち去ることも居残ることもなんとなく決めかねて、ただその場に佇んでいた。
男は画廊の中央の、さっきまであなたが脚をすくませていた辺りに椅子を並べる。そして、そのひとつをテーブル代わりにしてコップに麦茶を注いだ。
どうぞ、こちらへ。お荷物、適当に置いてください。あなたは結局促されるままに、椅子に腰掛け、ショルダーバッグを足下に置き、グラスの麦茶を一口飲んだ。テーブル代わりの椅子を挟んで、彼もあなたと向かい合うように腰を下ろす。
「はじめまして。私がこのギャラリーのオーナーです」
彼はあなたに名刺を差し出した。
歳の頃は五十代後半、もしくは六十余といったところか、中肉中背で愛嬌のある目をしていた。ジーンズに黒のTシャツ、その上に長袖の白いシャツを羽織っていた。髪をきちんと整えてスーツを着込めば、中堅企業の重役くらいには見えそうだった。
あなたが三十分余ここにいることを具体的に証明できるものは、残念ながらありません。腕時計なりされているならご自身でお確かめになるのが一番なのですが、どうもあなたは時計をしていらっしゃらないようだ……彼はあなたの手首を見る。彼の指摘するごとくふなたは時計をしていないし、炎天下の街に出てから時間の確認もしていない……私は階段を降りていらしたあなたにご挨拶をしてから奥で仕事をしていました。階段の音だけはちょっと気にしてね。仕事が一段落し時間を見たら三十数分経っていました。お帰りになった気配がない。それで覗いてみたらあなたがまだいた、という私の証言だけですからね。
ならば私がそう主張しているというだけで、信じるも信じないもあなた次第です。
あなたは黙る。
もちろん、信じられない。彼の言葉を信じる理由がない。
まあね、それはしかたありません……それはそれとして。
「今日のお客さまはどうもあなただけみたいだ。よければゆっくりしていって下さい。私も手が空きましたから少しはお相手できそうです」
そうですねとも、言えずあなたは曖昧に頷く。
居心地の悪さは募るばかりなのに、立ち去ることにも躊躇っている。蒸し暑い街に出るのがイヤだとか、冷たい麦茶をもう少し飲みたいとか、そんな言い訳を自分にしながら、あなたは致し方なくここに留まる理由を求めるのだけれど、それが嘘だとわかっている。もっと別にここにいなければならない理由があるようだ。ただし、それはきっとあなたの理由ではない。
オーナーを名告る男は穏やかな表情であなたの前にいる。
その優しげで丁寧な口調が、あなたにはいよいよ詐欺師めいて聞こえる。
その疑わしげに歪んだ視線に気がついて、彼は可笑しそうに目を反らす。
そもそも素人には価値のよくわからない絵画の売買を生業としている怪しげな商売人だ。一見人の良さそうなふりをして、その実何を考えているのかわかりはしない。何もかもがこの男の謀りではないのかと疑ってしまう。たぶんあなたの警戒心が顔ににじみ出ていた。
「取って食ったりはしませんよ」
彼はあなたのグラスに麦茶を注ぎ足す。
「時間を忘れるほど眺めていたなんて、この画家の絵、気に入られたのですか?」
いえ、そういうわけではありません。
あなたは、渋々打ち明けた。
ただ、動けなかったんです。
動けなかった?……へぇ、本当に捕まってしまったんですね。
捕まった?
そうですよ。面白い。ところで、間違っていたらごめんなさい。
「お見受けしたところ、美術にはあまり明るくはないようですね」
あなたは画廊と名のつく場所に入ったことなどこれまでにないことを打ち明ける。それどころか、美術館さえ最後に足を運んだのはいつだったか思い出せない、と。たまたま通りがかりに看板を見かけ、強い陽射しをただ避けるため、あわよくば涼を得ることができるのではないかとなんとなく来てしまったことを打ち明ける。だから、美術のことなどよく知らないし、正直関心もない、と。
あなたは相手の顔色をうかがいながら、躊躇いがちに打ち明ける。
そうでしたか。
男は特に気分を害するわけでもなく、ただ頷く。
構いませんよ。存分に涼んでいかれればいい。どうせこのとおりの閑古鳥ですから。
あなたはなんとなく彼のペースに巻きこまれそうで、身を固くする。目が泳ぐ。
「だから、取って食ったりはしません。もしも、ここは画廊だから言葉巧みに絵を売りつけられるんじゃないかなんて、そんな心配をしてるんだったら杞憂ですよ。大丈夫。あなたには売りません。別にあなたのことが気に入らないわけじゃない。私が扱う作品は一見さんにお譲りしないと決めてるんです。どんな絵もね、作家が精魂込めて創った作品です。どんなにお金持ちであろうと、それを理解しない人には売りません」
お譲りすべき相手かどうかを計る時間が必要なんです。だから、あなたが億万長者で私の目の前に札束を堆く積んでも、今日お会いしたばかりのあなたには絶対お売りできないんですよ、と、彼は笑った。
美術作品を買うっていうのはね――と、彼は展示されている絵を眺める。
美樹作品を買うって言うのは、物としての所有権を奪取するわけじゃないんですよ。お金を出してその作品を大切に管理する権利と義務を取得するんです。面倒で損な役割をわざわざ買うわけです。特典といえば自分の好きな時に好きなだけ見ていられることくらいかな。美術作品はね、発表された時点で社会的な財産なんですよ。どんな作家のどんな作品でも、です。もちろん歴史に残る価値の高い作品もあれば、いずれ芥に帰すような作品もたくさんある。でも、そんな事は関係ありません。財産は財産です。でもね、美術作品は時間と共に必ず劣化する。物質ですからた変色したり腐蝕したり、扱いによっては破損する。手をかけて、なるべく傷まないように管理、保管をしなければいけない。だからそれを実行できるだけの経済力があって、尚且つ作品の価値を認められる人がその責任を引き受けることができるわけです。もっとも表面的には商品の売買と変わらず、作品は買った人の所有物と見做され、ちゃんと責任を果たしているかどうかなど誰が監査するわけでもない。全ては取得した人の意識と良心の問題です。だから、美術作品を買うならばちゃんと覚悟してもらいたいのです――もっともこれは私の考え方で、他の画廊がどう考えているかは知りませんけど。
「それに今飾っているこの作品たちは誰にもお譲りできないのですよ。作家とそういう約束になっている。この夏の二週間ほどこっそり展示するだけなんです。この街はギャラリーがたくさんあるけれど、だいたい八月中は夏休みでほとんど開いてません。一軒だけ開けてても訪ねて来る人なんて滅多にいない。しかもこの展覧会、宣伝らしい宣伝もしていない。それも作家本人の希望です。ビルの入口に置いたいい加減な看板だけが一応の目印ですけどね」
でも、あなたのような人がね、どんな縁があってのことかわからないけれど、訳もわからずやって来て、ほら、捕まってしまった。私にじゃありません。彼女たちにです。あなたが自分でも気がつかないうちに三十分も佇んでいたこの場所にはね、ちょうど彼女たち六人の視線が集まっているんです。あなたは彼女たちの眼差しに拘束されていたんですよ。
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