RUE (5/5)

RUE(第5話)

加藤那奈

小説

15,767文字

彼女の話は彼の腕の中で紡がれてゆきます。たぶん。
最後に、彼女のことと彼女のこと。
(2017年)

10 サキのこと

 

ルゥ。

僕は君の物語にどう関わっていたのだろう。僕は君に与えられた役を上手に演じることができただろうか。

そして、君の物語はこれで本当に終わってしまったのかな。

僕は、君がどこかで――僕には触れることのできない別の次元で――君自身の物語を継続しているんじゃないか、あるいは、一旦終止符を打ったあと、冷めた口調で蛇足のような解説を誰かに滔々と語っているんじゃないかって思うんだよ。

何年も前に誂えて、一度か二度しか袖を通していない黒いスーツをまさか君のために引っ張り出すことになるなんて思いもよらなかった。あまりにも予想外がすぎる。まったく困ったものだ。白いカッターシャツにネクタイを結ぶ僕を見て、君はどう思うだろう。「え、そんなの持ってたんだ」と驚きながら、余りにも不似合いな格好に吹き出すに違いない。

はじめて君の家族を見たよ。僕の想像力なんて当てにならないことがよくわかった。

君から聞いていたお父さんの姿に、僕なりの容姿相貌を想像をしていたんだけど、いやいやなかなかの男前じゃないか。若いときにはきっと格好良かったんじゃないのかな。君はお父さん似だったんだね。お母さんも可愛らしい人だった。僕の頭の中で描かれていた下手くそな漫画みたいな君のパパキャラ、ママキャラがたちまち根拠をなくして崩れ落ちていった。そして、僕は戸惑うんだ。僕は君のお喋りをどれだけちゃんと受け取ることができていたんだろう。恋人として他の誰かよりも少しくらいは君のことを理解しているつもりでいたんだけど、そんなのは錯覚だとか、もしくは誤解だったんじゃないかって疑っている。君が嘘吐きだったのか、僕が自分自身にかけたペテンだったのか――どちらでも同じこと、か。

別にね、君の全てを知りたいなんて思わなかった。それは所詮無理なことだ。もちろん同じように僕のことなんて君にわかるはずがない。それはお互い暗黙の了解事項だった。だから、僕は君の姿に、声に、仕草に勝手な解釈をして、つぎはぎだらけの人物像を描き出す。それは、確かに君の一部を捕らえたのかもしれないけれど、イコール君には絶対にならない。たぶん、それは近似値にさえなっていなかった。きっと何もかもが見当外れだったに違いない。

僕は、僕の網膜に映った思い込みのような君の肖像に「サイ=ルゥ」と名付けたんだ。そしてその名の響きは僕だけが知っている、僕だけが身勝手に理解した君の姿の象徴だ。僕の救いは、僕の悦びは、その名を君が受け入れてくれたこと、かな。もっとも、それすら僕の幻想なのかもしれないけれどね。

幸福は不幸の変形でしかない。

不幸は歪んだ幸福だ。

これは君の言葉だったかな。それとも僕のだろうか。いつか交わした会話の中でどちらかが口にした。そして、僕は今、その言葉の意味を実感している。僕は不幸だ。だが、それは僕らの幸福が少しねじ曲がっただけで、その本質は変わらない。だから、僕はきっと幸福なんだろう。

君は崩壊し、僕は破壊された。
――ケイが私のターゲットなのかも。

君の予言めいた言葉の通りだ。ただ、僕の予想は裏切られた。残念なことに僕の肉体は何一つ傷ついていない。精神的には猛烈にダメージを受けたけれど、たぶん、それが回復するのも時間の問題なんだ。僕は、僕らはどんどん過去を忘れる。心に残った傷からいろいろなことを思い出すかも知れないけど、すべては思い出せなくなる。なにより僕は、僕らは記憶していたいようにしか過去を作らない。

驚いたことに悲しみはない。

だから、苦しみもない。

だけど、決定的に僕は僕ではなくなったみたいだ。君の物語が終わり、僕は役から解放された。あるいは、まだ、どこかで続いていたとはしても、もう僕に出番はない。僕の役目は全部終わった。終わってしまった、みたいだ。これはひとつの喪失感なのだと思うけれど、それを素直に肯定できないのは、僕が失ってしまったものの本質が理解できないからだ。大切なものを失ったのは間違いない。でも、だから虚しい、とか、寂しいとか、そんな単純な感覚ではないんだよ。

ルゥ。

僕は君と一緒にいた時のことを思い出す。でも、君とお喋りし、君を抱き、愛してるよなんて耳元で囁いていた僕は、本当に僕なのかな。僕には、それがまるで別人のように感じるんだ。君の声を覚えている。君の肌の温もりを知っている。でも、それが僕だと思えない。信じられない。君の恋人だった僕と、今、それを思い出している僕が繋がらないんだ。断絶している。乖離している。

僕は今、自分がつくりもののような気さえしている。

記憶だけ移植されたアンドロイドの気分だ。

君の恋人だった僕は、永遠に失われてしまった。そして、そのことに対して何の感慨も持てない自分に苛立ちを感じているんだ。
――ああ、こんなもの、なのか……。

ルゥ。

君は、いったい何をしたんだ。

ルゥ。

君はいったい僕の何処を狙ったんだ。着弾点がわからないよ。これは、君の目論見通りだったのかな。そもそも、君にはどんな目論見があったのかな。

最後に見た君の顔は、とてもきれいだった。

気を悪くするかも知れないけれど、僕が見た中で一番きれいな顔をしていた。満ち足りた顔。楽しそうな顔。永遠という茫漠とした時間の吹きだまりにその身を預けて心から安堵しているかのような。

ねえ、ケイ。

私たち、これ以上に何を話すことがあるのかな。

君の声が聞こえた。

そうだね。

話すことなんて、これまでだってひとつとしてなかったんじゃないかな。会話なんて君と会うための口実だ。君を抱くためのプロセスだ。ベッドの中でいろんな話をしたけど、どんな話をしていたかなんて、今の僕はあんまり覚えていない。ただ、僕の声に頷く君の仕草がヴェールの向こうに揺れている。気のなさそうな、それでいてしばしば饒舌な君の声の抑揚が、安アパートの薄い壁の向こう側で鳴っているテレビかラジオみたいに霞んでいる。君を愛しているとか、君に恋してるとか、恥ずかしげもなく口にしていた僕の残像に、それが現実だったのか夢だったのか、夢ですらない妄想だったのか、もう区別がつかなくなっている。

全てが嘘の中に呑み込まれてゆく。

君は、僕の嘘を、僕さえ気がついていなかった僕自身の嘘を、意図してなのか意図を越えてなのか、誰より僕自身に曝いてしまったんじゃないかな。

厄介なことをしてくれたね。

もう、僕は自分の嘘を信じられなくなってしまいそうだ。

 

 

サキ。

私にはあんたが嫌ったこの名前でしか、呼びかけることができないの。

あの日、私の子供が生まれた。

女の子だよ。

なんか、酷いよ。私が病院で寝ている間に、あんたの周りではなにもかも終わってしまった。あんたにとって数少ない親友レベルの私を置いてきぼりにして、どういうつもりなのよ。

だからね、そのお返しに――ていうわけでもないけど、私はこの子にあんたと同じ名前を与えたの。同じ漢字で読み方だけ変えて。エミというの。あんたの生まれ変わりだと信じている。あるいは、あんたと私の子供?

だからね、今は悲しさ半分、喜び半分。

自分のこんなバカげた考えに苦笑いしちゃう。信じるとか信じないとか、そんなの私の身勝手で、本当は私の現実なんてあんたにはこれっぽっちも関係ないし、私にだってあんたの身に起こった出来事なんて、突き詰めてしまえば他人事でしかないし。それに、この子にとっては全く関係ないし。エミちゃん、ママの身勝手に巻き込まれて大迷惑だ。

ヒトにはさ、感情なんて厄介なものが身体の隅々にまで染みこんでいて、脳みそまでぐらぐら揺さぶるから、しばらくの間、冷静に考えることなんてできないかもしれない。あんたのことを考えて、余計な憶測や妄想に、気持ちのやり場を失ってしまいそうなんだけど、私、どうしていいんだかわからないんだけど、何がなんだかわからなくなるんだけど、だからどうしたらいいのかな、だからどうだっていうんだろうね。

サキ。

私にとって、あんたを本当に実感したのはたった二回の夜だと思うんだ……思い出すだけで、ドキドキしちゃう……あんたの体温を私の肌で直に感じていたときだけ、私とあんたは同じ世界を共有していた。そんなの私の勘違いかもしれないけれど、そんな気分だったよ。

だいたい、あんたはどっか現実感がなかったのよね。

とはいっても、夢見がちとか、そんな乙女なロマンティストじゃなくてね、儚い、とか、しおらしい、とか、そんな弱々しさもなくてね。なんかね、いつも別の世界にいるようだった。時々強烈にヘンなことを言う。自分は宇宙人じゃないのかとか、ミサイルがどうのこうのとか。かといって、オカルトとかデンパな子ではないのよね。むしろ、きわめて常識的な考え方の持ち主だった。ごくごく普通の、ちょっと裕福な家庭で育った、ただのお嬢さんだった。別にクラスで目立っていたわけでもないけれど、埋もれてしまっていたわけでもない。きわめて中庸。中庸だからこそ、存在感が失われない。しっかり、そこにいるべくしている。にもかかわらず現実から浮いている。

「はじめまして、マツガイさん」

高校一年の春、十五歳の私は隣の席の、いかにも大人しそうな女の子に声をかけたの。

それが私たちの始まりだった。

その一言から私のあんたが始まった。

私のかけた声に、あんたは微笑んだような、でも、少し困ったような顔をした。

これは真実かな?

後付けで私が都合良く描いたイメージなのかな?

少し親しくなった頃、私はあんたを「サキ」と呼び捨てにして、あんたは私を「マユ」と呼びはじめた頃だった。

「それじゃあ、サキ、また明日」

あ、マユ……。

何?

「これは、マユだけに打ち明けるんだけど、私、下の名前で呼ばれるとなんか居心地が悪くなる」

「じゃあ、名字のほうがいいの?」

「それも、厭かな」

え、じゃあ、どう呼べばいいのよ。

んとね、お前、あなた、あんた、君、おぬし、おい、こら……なんでもいいんだけど。

「おい」

「はい」

女子高生っぽくない。

「ねえ、あなた」

「え、あ、それ……気持ち悪い」

つまり、私の口には「あなた」なんて少し畏まった言葉遣いが似合わないってことかしら?

うん、そうだね、きっと。マユらしくない。

心外だ。いったい私にどんなイメージをもってるのかな。たぶん、それ間違ってるよ。私は無茶苦茶可憐な少女なんだからね。

可憐な少女は、そんなこと自己申告しないんじゃないかな……。

「あんた、ねえ……」

あ、それだ。

あんた?

えと、もう一回。

あんた。

もう一回、いいかな。

あんた、ねえ、ちょっとヘンよ。

うん、良い感じかも。

どうして自分の名前を嫌うのか、その理由を聞いた。

「なんとなく、だよ」

詳しくは追求しなかったけど、きっと説明するのが面倒なねじ曲がったメンタリティが働いていたんだよね――決して上品ではない「あんた」という二人称に、あんたが求めていたものが、今になってやっとわかったような気がする……気がするだけだけど。

でもね、サキ。

私はあらためてこの名で呼ぶの。

たぶんね、この名前は道標みたいなものなんじゃないかな。

私はね、あんたを見失いたくないの。私はサキを覚えていなけりゃいけない。だから、仮初めの記号でいい、あんたが嫌おうとそんなの私の知ったことではないの。私には、関係ないの。きっとね、あんたは言いそうなんだ――私のことなんて覚えていたってしょうがないでしょ。

うん、しょうがないね。

でも、サキ。

しょうがなくないものなんてどれほどあるのかな。

 

 

ねえ、ルゥ……君は輪廻転生をどう思う?

いきなりのヘンな質問だ。

どうって、どう答えたらいいのかな。信じるとか信じないとか、そういうこと?

それでもいい。

信じない。信じる根拠がわからない。どうでもいい。

どうでもいいって?

だって、仮に、今の私が過去の誰かの生まれ変わりだとするじゃない。でもね、その過去の記憶なんて無いんだから、それって全く無意味でしょう。もしもね、全く同じ顔をして、全く同じ声をしていて、思考パターンも、DNAすら完全に一致していた誰かが五百年前でも千年前でもいいわ、いたとする。でもね、それはきっと私じゃない。それが私の前世だとしても私じゃないから、関係ないし、どうでもいい。えっとさ、パソコンのハードディスクを完全に消去して、OS入れ直すのと同じじゃない? あるいはAI一度初期化して、もういちど最初からやり直すのとか。

無理して理系の喩えを入れてみた。

それはさ――ケイは私がすごく頑張ってみた理科系メタファーをほとんど気に留めない――記憶がアイデンティティを作るってことにならない?

うん、そうだね。

それじゃあさ、肉体的に君の完璧なクローンを作るんだ。遺伝子情報も、加齢の具合も全く同じ、今まさにここにいる君のコピーだね。そこに君の記憶も完璧にコピーしたら、それは誰?

肉体的に全く同じで、記憶も同じなら、どちらも私ね。だけどそれはコピーされた瞬間まで。その後はそれぞれの肉体で行動も記憶も違っちゃうだろうから、他の人がどう見るかわからないけど、こっちの私から見ればそっちの私は私じゃないよ。

それじゃあさ、人工的な部品でアンドロイドをつくって、君の記憶と思考パターンを完璧にコピーして移植したら?

そうね……やっぱりそれはクローンと同じね。体の構造なんてなんでもいいんじゃないのかな。形だって人の形をしていなくても構わない。他人がそれを私と認めないかもしれないけれど、それに、やっぱり記憶がコピーされた時点だけアイデンティティが一致しているというだけだけど。

それじゃあさ……。

今夜はなんだか、それじゃあさ、が多い。ケイの質問が連発するのは、彼が何かを知りたがっている証拠だ。ただし、彼は疑問を明確に言葉にしない。たぶん、彼にも問題文がはっきり読み取れないのだろう。はっきりとらえられない問題こそが、彼の最も知りたいところなのかもしれない。

クローンでもアンドロイドでもどちらでも好きな方でいい。記憶も思考パターンも肉体的な癖も何もかも完璧にコピーしてひとりつくるでしょ。

私の複製ね。

そう、パーフェクトなコピー。それが今、君の前にいるとする。どちらが本物の君なのだろう。完璧なコピーだから、どんな技術を使っても見分けはつかない。

それは、本物の定義次第じゃないの、残念だけど。第三者から見た時の真贋なんて私にはわからないわ。でも、こうして喋ってる私には私自身が本物よね。でも、これはシンメトリーね、向こうも同じように思うでしょうから。

それじゃあさ、君と君のコピーを遠く離れた別々の場所に置く。それでね、記憶を完全に同期させるんだ。君の言動や思考は、逐次コピーにそのまま伝わり記憶になる。コピーの方からも同じようにリアルタイムで君に伝わる。記憶をどんなに精査しても、自分の行動なのかコピーの行動なのか自分自身に区別がつかない。さて、どっちが本物?

これは簡単。両方とも本物の私。

記憶こそ、私?

うん……よくわからないけど、結局そういうことなんじゃない……そうそう、昔ね、こんなことを考えたことがあるんだ。今日の私と明日の私は同じ私なのかって。今日の私と明日の私が出会う場面を想像してみた。たぶんね、今日の私には明日の私を完全に理解することができないの。だから、私のようで私じゃない。でもね、明日の私は、今日の私をきっと完全に理解する。明日の私は今日の私を内包してるんだから、当然だよね。結論として、今日の私から見れば明日の私は別人なのよ。その原因は、過去の行動や記憶を一日分余分に持っているからだよね……これはまた別の話なのかな?

一日の余分、ね……。

それで、ケイ。今日のあなたはいったい何が知りたいの?

いや、たいしたことじゃないよ。仕事場の後輩がね、このところよくミスるんだ。まあ、些細なミスで本人もすぐにリカバーするからたいして支障は無いんだけれど、奴はその失敗を前世の祟りだなどと宣うんだよ。弁解するにも、もうちょっとマシな理由を考えて欲しいものだと、僕は奴に小言しながら、僕の前世はどうだったのかな、なんて愚かしくも考えてしまったんだ。だから、輪廻転生だとか前世だとかについてルゥの見解を聞いてみただけ。ばかばかしいね。そしたら思わぬ方向に話題が発展した。クローンとかアンドロイドとかAIとかのアイデンティティはSFなんかでずっとテーマにされていることだ。どうせ君はSFなんて読まないだろうから、ついでにちょっと聞いてみた。面白かった。なかなか僕好みの話しだったし。ルゥの最初の答えは正しいと思う。つまりはどうでもいいことだ。

ケイのこんな言い訳じみた質問の理由は信じるに値しない。彼は、きっともっと違う疑問を抱いているんだと、私は勝手に彼を買いかぶる。
――人間は考える葦である。

ケイが忘れ物を取りに戻ってきたように、唐突に呟く。

えっと、パスカルだっけ。

そうだよ、パンセ。だったらさ、考える葦は人間なのかな?

ケイは答えなどどうでもいいような問いかけをする。

なに言ってるのかな。考える葦はやっぱり葦でしょ。もっとも――もっとも?――もっとも、誰かではあるかもしれないけれど。

ねえ、ケイ……人が生まれ変わるのって人だけじゃないんでしょ。

どうしたの。輪廻なんて信じないんじゃないの?

信じないわよ。でも、私が信じていないことと、輪廻そのものを否定することはちょっと違うわ。

なるほどね。それは確かにルゥらしくていい……ええっと、そうだね……人が動物になったり、動物が人になったりもするんじゃないかな。仏教ではそうなってたと思うけど。

物とかは?

物って、無機物?

うん。

石とか、金属とか、プラスティックとか?

あるいは、そういうのを材料にした道具とか、機械とか。

 

 

目の前がふわっと暗くなる。

私はその状況が呑み込めない。

いや、理解する、できない、そんな理性は置いてきぼりにされて、真っ暗になったことさえ意識が追いついてゆかない。

あ。

こんな瞬間、これとよく似た瞬間を私はこれまでにも一度ならず経験した。でも、それがいつのことかわからない。無意識の中にふと湧き上がった既視感を、私は繋ぎ止めておくことができず忘れてしまいそうになる。言葉にならない思念が私を満たし、あと一瞬で暗闇に呑み込まれてしまう崖っぷちの夕暮れみたいな景色の中に、私自身も溶けてゆく。

「君の生まれた朝、ミサイルが発射されたんだ」

かつて何度も聞いた台詞が、所在なさげに私の周りを消えるでもなく、主張するでもなくふらふら漂っている。

そうだ、私はミサイルだった。

ミサイルは発射されたのかな……って私、他人事みたいだ。

まあ、今となっては他人事か。

そうだね、何もかもが他人事だったような気がする。私の存在すら、他人事の中の一部なんだ。

ずっと発射ボタンは、自分が握っているんだと思っていたけど、それは根拠のない思い込みだった。ちょっと考えればわかること。ミサイル自身が発射の時限なんて決められないでしょ。

お父さん、いったい何がしたかったのかな。

たぶん、本人も知らないうちに娘をミサイルなどに仕立ててしまったのはあの人だ。

自分には家族がある。自らつくり出した娘がいる。あの人は家族という小さなコミュニティーを自分自身の盾にしていたんじゃないかな……良い意味で、そして悪い意味で。生きがいとか、愛とか、そんな暖かい気持ちの問題ではない。儚い自分自身の存在を――あるいは存在する意味を後生大事に守るため、鎧としての家族を作ったんじゃないのかな。そして、それは愛情によって結ばれるべきと誰かに教えられたから、愛情から生じるだろう行動をトレースして、自分の愛情を信じたんじゃないのかな。

私は彼の最前線に据え付けられたミサイルだった。

外敵を排除するのではない。

報復を臭わせて手出しを出せないようにするための威嚇としてのミサイル。

たぶん、形だけでよかったんだと思う。家族という形、妻、息女、息子という形、ミサイルの形。その中身を作ってしまったのはきっと私だ。妄想と思い込みで索敵装置と推進装置と爆薬をこつこつと丁寧に構築していった。

張りぼてミサイルの発射ボタンを掌で、指先で、弄んでいたのは父なのだろう。

君の生まれた朝、ミサイルが発射されたんだ。

これは、発射装置作動のキーワードで、そのままボタンを押し込む指先だったに違いない。未完の装置は作動しなかったけど、私は装置を完成させて、何度も入力されていたコマンドを自ら再生し、受信した。

私=ミサイルは発射された。

たまたま見つけた標的に向けて。

お父さん、あなたにとって、私はただ息女の形をしていればそれで十分だったのかもしれないね。でもね、そういうわけにはいかないんだよ。
――君のお父さんが気の毒に思えてくるよ。

気の毒なんかじゃないよ。

あの人、あなたが思うほどナイーブじゃない。

真っ暗になった世界で、私はまだあの人にとらわれていた。

もしかして、私、ファザコン?

え、気がついていなかった?

嫌みったらしいケイの声が、言葉が、私の鼓膜を優しく揺らす。

相貌を裏切る少年のようなころころした声に、私はうっとり蕩けてしまう。

君は僕に彼の残像を見ていたんじゃないのかな。影おくりみたいな反転した残像を僕に見ていたんじゃないのかな。僕はきっと、君のお父さんの裏返しなんだ。

ああそうか。

妙に腑に落ちた。

だから私はあなたを破壊する。

ケイの声はやっぱり心地いい。

私は彼に、彼の声に永遠に包まれていたいと思う。

 

 

おはよう、ルゥ――目覚めたら、隣でケイが私を見ていた。

私は彼がなんだか急に愛おしくなった。

とっても、とっても、愛おしくなった。

ああ、こんな気持ち、今までなかったな。

戸惑った。

だから、黙って抱きついた。

 

(完)

2025年1月7日公開

作品集『RUE』最終話 (全5話)

© 2025 加藤那奈

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