XVIII
わたし、は、寄生する。
少女はその黒いドレスを身に纏い、わたし、は、黒いドレスに寄生する。衣装を通して彼女に寄り添い、彼女が気づくことなく意識を掠め、彼女の歩幅に干渉する。何気ない仕草を誘い出す。感情を制御し、記憶を改竄し、正確を改変し、人格を奪う。少女が、わたし、を纏う間、少女は、わたし、の意識を取り違え、全てが自分の意志だと思い込む。
わたし、は、これまでも、そうしてきた、ようだ。
たぶん、これからも、そうしてゆくだろう。
おかしな表現をした。わたし、にとって、これまで、も、これから、も、等価だ。時間の前後は些細な座標の違いに過ぎない。
わたし、には、わたし、という意識がある。ただし、これは、この世界の規範に則った概念でしかない。つまりは、必ずしも本質をとらえてはいない。本質。こうして言葉を重ねる毎に、わたし、の、本来の姿から遠ざかっている。本来、の。少女と、わたし、の間には、さほど差異はない。彼女は、わたし、で、わたし、は、彼女だ。彼女にとって、彼女は彼女だ。わたし、にとって、わたし、は、わたし、だ。意識を共有できないことで個を産む。だが、それはちょっとした構造の問題でしかない、と、わたし、は、今、ここの、わたし、は、考える。些細な違いへのこだわりなど、いたずらに世界の景色を複雑にする歪な鏡でしかないのに。わたし、は、たぶん、その理由を知っているけれど、それがなんの解決にもならないこともわかっている。そもそも取り上げるほどの問題さえない。虚構を重ねて生み出した問題の、無理矢理絞り出した解答など時間の浪費以上の役割はない……そう、そうね……あえて拾い上げるなら、時間の浪費、という役割がある。そう考えるなら、どこか微笑ましい。無意味を知るには、無意味を繰り返さなければならない。
彼女が夜空に手を差し伸べて迎え入れるのは、どこかにさまようまた別の虚構だ。虚構に虚構を重ねて、また別の時間が流れ出す。わたし、達は、そんな無意味をまた、繰り返す。繰り返す。それは、わたし、の仕業のようなものだけれど、わたし、に、目的があるわけではない。わたし、は、わたし、の行動を理解していないし、理解することもない。ただ自動的に発現するだけなのだ。別の時間が流れるときに、わたし、は、たぶん、わたし、ではなくなる。その時間の規則に従い姿を変えるのかもしれない。記憶にも別のフィルタがかかり、今、ここの、記憶は、適切にデコードされないだろう。そして、こんな理解は不正確極まりなく、一面で的を射ていたとしても、大概は的外れなのだろう。
わたし、は、彼女に纏わり付く。
少女は知らず知らずのうちに、自分を見失う。存在の本質がすりかわる。
あなたの声は、いつの間にか、わたし、の、声に、あなたの言葉は、わたし、の、言葉に、あなたの歌は、わたし、の、歌に、すりかわる。きっと気がつくことはない。乗っ取られたアイデンティティは、彼女自身になりすます。
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