XI
高層ビルの屋上に立つ少女は、GSKというリテラシーを獲得し、その“存在”に伴うその必然として、物語を帯びはじめる。
ただし、その物語が語り継がれるほどの力を持つには、彼女の姿だけでは足りない。その姿を器とする思想がなくてはならない。推測だろうと憶測だろうと妄想だろうとなんでもいい。その根拠など必要ない。あたかもアプリオリな言語と判断のパターンがあれば、そこから彼女の眺める風景が見えてくる。そして、その眼差しを遡ることで彼女自身の歴史を辿ることが出来るだろう。
実際、様々な物語が噂される。
ありきたりなところだが、多くの人々に受け入れやすいのは、その少女は幽霊であるという噂である。飛び降り自殺、事故死、病死など、死因の選択肢はいくつもある。死に至る過程も少女の不幸を物語る。彼女の無念や現世へのどろどろとしたは怨念は、人々の感情を揺るがせはする。だが、どんなに物語を巧妙に紡いでも、かつてどこかにあったエピソードの改変でしかなく独自性のないよくある怪談に成り下がる。オリジナリティが必須というわけではないが、高層ビルとドレスの少女という設定に対してあまりにも予定調和的で、調和がむしろ違和感にさえ感じる。
割合人気なのは、少女が実は人外であるという噂。吸血鬼、人狼、ホムンクルス……ゴシック・ロマンスに登場するキャラクターは、少女の衣装にふさわしくもある。だが、ドラキュラ伯爵の登場から一世紀以上を経た今日において、これらはもはやテンプレのフィクションだ。まだあちこちで目撃が語られる幽霊の方が現実的で、感情移入しやすい。絵空事故、その背景にはイマジネーションをこれでもかとつぎ込むことができるのだが、趣向を凝らせば凝らすほど、面白くなる分だけ私達から遠ざかる。人外の範疇には入れられないが、異星人だとか、過去からの、あるいは未来からの時間旅行者、あるいは魔女なども同様である。
多数に受け入れられる噂は一時的な広がりを見せる。だが、いつまで続くかはわからない。ありふれた様々な物語に埋もれて、あっという間に忘れ去られてしまうだろう。
忘れ去られるのは致し方がない。人はいつか飽きる。だが、完全に消えてしまうのではなくごく一部でかまわない、細々と、しかし強靭に伝承されることで伝説になる。そのために必要なのは、単純な要約と、複雑な背景だ。一見わかりやすく、しかし、実のところは難解で、さらなる推測、憶測、妄想を呼び込むような物語だ。それを紡ぎ出すためには、想像力の限界を僅かでも超えなければならない。
GSKはもっとクールだ。私達の想像では描ききれない少女なのだ。そこに存在するなら、その肉体は、我々の世界に共有されるのだろう。だが、その姿を支える空間は、私達が目にすることが出来ない虚数を抱えているべきだ。それは私達からの隔絶ではない。むしろ、彼女は決して気づかれることのない隣人なのだ。
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