明治時代の文豪夏目漱石が友人のジャーナリスト杉村楚人冠に宛てた書簡2通が、千葉県我孫子市の調査の中で新たに見つかり、10月から公開される事となった。その内容は……。

夏目漱石(1867~1916)と杉村楚人冠(1872~1945)を結ぶきっかけとなったのは朝日新聞社である。杉村楚人冠は1903年(明治36年)に、夏目漱石は明治40年(1907年)2月に朝日新聞社に入社している。杉村は朝日新聞の諸制度を改革し後に重役となる程の活躍をし、漱石は連載小説などを受け持って朝日新聞に貢献した。二人は朝日新聞社の中で親交を深め、書簡も送りあう仲となった。以前から漱石と杉村の書簡は何通か見つかっていたが、杉村が晩年過ごした我孫子市の調査により新たに2通が見つかり、真筆と判定された。書簡は全て半紙に書かれていた。

1通目は1910年1月19日、漱石が杉村の長女麗子うらこの死を聞いたその日に送った書簡である。これまで判明している中で同月21日に出された書簡がもっとも古い通信とされて来たがそれを塗り替える形となった。2通目は1912年12月24日、電話を自宅に引いた漱石が電話機の使い方を杉村に教えてもらおうとして送った書簡であり、電話番号も記載されている。また、朝日新聞社に出社しない事への釈明の内容も含まれている。

この2通は、漱石の命日100周年に合わせ10月8日から来年1月9日まで杉村楚人冠記念館で開かれる企画展「楚人冠と漱石~新聞と文学と」で初公開されると言う。人間夏目漱石の新たな姿が浮かび上がる書簡から目が離せない。