指定箇所までで、九賀がディスカッションの場に写真を用意した犯人だと明らかにされている。その動機は就活に対する不平不満と嘲りと挑戦であり、就活に対する皮肉がテーマともなっている本作における動機としてはふさわしいように思える。あの場に写真が仕込まれたことに関してはこれ以上の真相はないと考える。
となると、残された謎としては、嶌への告発内容と、プロテクトのかかっている波多野の調査ファイルの内容ということなる。
気になったのは、「―就職試験―」のラストで、波多野は新歓コンパのときの写真をみるなり犯人がわかったとしている点である。嶌が九賀が犯人であることがわかったのは、スミノフを持った写真が別にあったことと、九賀がそれを見て酒ではないと言ったことによる。波多野にはそこまでのデータはない。もっと別の事情で、かつ、より直裁な事実があったと考えるべきである。嶌は波多野が犯人を嶌だと判断したのはホームページにあった写真の違いに気づき、メンバーのなかで下戸は嶌しかいないと思ったからだと推理しているが、該当箇所の描写を見る限り、一瞬の間でそこまで判断したとは思えない。(写真の中の)「自分と目が合った瞬間に」わかっているのである。
一方で、九賀の言動を信じれば嶌への告発内容はたしかにあるのに(九賀が驚くくらいのものである)、嶌はその内容にまったく心当たりがないことを吐露している。同じくパスワードのヒントとなる自分が愛したものにもこれといった心当たりがない。
嶌は部分的な記憶障害なのではないか。根拠としては少し弱いが、九賀が覚えていたデキャンタ騒ぎのこともすっかり忘れている。
嶌の認識では波多野とは就活で初めて知り合ったことになっているが、実際にはもっと前からの知り合いであり、新歓コンパのときの写真を撮ったのは嶌である(その後、立教から早稲田に転学したのかもしれない)。だから、波多野は写真を見たとたんに嶌が犯人だと思ったのである。
かくして、波多野にとってみれば嶌の裏切りは明らかであるのに、嶌にはまったく心当たりがないという状況ができあがってしまった。
嶌への告発内容は嘘をついて男を手玉による悪女といったところだろう。本書のタイトルは『嘘つきな六人の大学生』であり、嶌も嘘をついた必要がある(なお、波多野の嘘は嶌をかばうために自分が犯人だと申し出た嘘だ)。嶌は社会人となった後の2人の男との交際についてなんとなくそうなってしまった、相手からは思っていた人と違うと言われて破局したと回想しているが、実際には嶌からも相応のアプローチがあって付き合ったり、その後ひどいことをしたのに記憶に残っていないのだ。学生時代にも同じようなことがあったのである。
なっとくのいかない波多野は、嶌への調査を続け、このような事実をつかみファイルに収めた。
ファイルといえば、それが入っていたクリアファイルの「犯人、嶌衣織さまへ」という表題も気になる。犯人=嶌とも読めるが、犯人&嶌とも読める。犯人=嶌の場合、「さま」を付けるだろうか? 一方で、別々に宛てたにしては紛らわしい。先に指摘した嶌の記憶障害とは二重人格(乖離性同一障害)ではないだろうか。乖離性同一障害の場合、一般に人格間に記憶の連続性はないとされる。波多野は嶌ともう一つの人格で名前がわからない「犯人」にファイルを残した。
パスワードの答えは「月」ではないか。本書の最初の方で波多野とのやりとりに出てくる。やはり嶌は忘れている。というか、経験したのはもう一つの人格の方だったわけだ。
余談だが、ここのくだりも暗示的である。このように月をみて涙ぐむといえばかぐや姫だが、求婚者たちを手玉にとったり、物語の終盤にいたるまでを自分が月の住人であることをまるっきり忘れているかのように振る舞っているところ(まるで二重人格者だ)は明かされる嶌の真相とも重なる。
こうして波多野は九賀が犯人だったとは看破できなかったが、嶌の秘密にはたどり着けた。ただ、確信まではもてなかったため、死んだとして(死んだといっているのは妹だけで客観的には確認されていないはず)、妹(これも実際にはいなくて知り合いに頼んだのかもしれない)に嶌の反応を見てもらった。最後は波多野が登場して以上のような真相を嶌に告げるのだ。
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