レシートの芯に名前をつけた

遠藤魅苑

エセー

2,511文字

寒川さんには狂人扱いされました。妹には早く寝ろって言われた。

書店で働いている。

レジのレシートが切れるタイミングに、数日にいっぺんくらいは立ち会う。ピンクの帯がレシートの両脇に印刷されるようになったら、レシートの替え時だ。レジのパネルを下げて、レシートのロールを取り替える。そうすると、ピンクに染まった紙がちょこっとだけクルクルっと緩んで、ぽろっと芯が転がり出る。

三センチくらいの長さの、小さな茶色い芯だ。ラップやトイレットペーパーとは違い、かなり厚みがあってしっかりと頑丈である。ころころと転がる様がかわいらしい。

当店では、これを、ブックカバーを折る時に使う。折り目をしっかりつける時に、きゅっと滑らせる。だから、ある程度の数の芯が、カウンターの引き出しの中に常備されている。ある程度の数を越すと捨てられる。ありすぎても困るし、無いとカバーが折れなくて困る。

引き出しの中に、芯は見当たらなかった。うっかり誰かが持ち出してそのままらしい。

どうせバイトのたびにカバーを折るのだから、毎回芯を使う。だったらエプロンのポケットに入れっぱなしにすれば良い。わたしはそう考えた。

わたし専用の芯。まあ甘美な響きでは無い。たかだか芯だ。

芯はつるりと丸い。名前をかくには相当な器用さが要る。わたしは自分の名前を書くのは難しいと判断して、とりあえず、小口の部分を手元のマジックペンで黒く染めた。

 

その瞬間、後悔した。

後悔だけでは収まらない、罪悪感に駆られた。ひどく焦った。慚愧の念に堪え難く、心が折れそうになった。

黒く染めた芯は、もはや、ほかの芯とはっきり見分けがつくようになってしまった。

個性を、わたしは与えてしまったのだ。

個。この厄介なるもの。個を得た悲しさに、生まれた赤ん坊は泣くのだ。この芯も泣いていた。彼(無性なので便宜上こう呼ぶ)は、この世界で個を得たことに、孤を与えられたことに、嘆き悲しんでいた。

ああ、わたしはなんと罪深いことをしてしまったのだろうか。

いまさら彼をゴミに出すわけにはいかない。そんなのはなおさらにかわいそうだ。

「ごめんなさい、あなたを生んでしまって」

そんな言葉が出てきそうになった。だが、それは誰も幸福にならない言葉だ。

彼がさめざめと泣くのを、わたしは眺めていた。

「ハッピーバースデー」

とにかく、わたしはなにかを言おうと思って、そんなことを言った。彼は、泣きながらも、凛とした声で答えた。

「ハッピーバースデー、わたし」

彼は嘆いてはいたが、弱くはなかった。わたしはそれに勇気付けられながら、言葉を継いだ。

「あなたに名前をつけてあげなくてはいけないね。あなたは生まれてしまったし、ほかのトー(筒なのでトウだ)とは違うのだから」

名前は識別のためにつけられるべきだ。他のトーは大量生産品としてその生涯を終えるのだから、呼び分けられる必要も無い。けれど、彼は選ばれてしまった。わたしという神につまみ上げられてしまった以上、彼は他のトーと区別されなくてはならない。

「なんと名前をつけましょうか。哀れなあなたに、せめてもの救いになる名前を」

「そんな名前は要らないわ」

彼はしっかりと拒絶した。

「かわいそうと憐れむことは、あなたの自己満足でしかない。そんな名前なら結構よ。わたしを拾い上げたのだから、堂々と責任をとりなさい」

彼のいうことはもっともだった。わたしは深く反省した。わたしは彼の唯一神であるのだから、彼に対して正当であるべきだ。

「それならば、祝福をあげましょう。長くわたしとともにいられるように。わたしから、離れないように……」

それは、彼にとっては祝福だが、わたしからすると哀願だった。消耗品の彼が、ある日、他の店員に捨てられてしまうかもしれない。わたしが彼に責任を取るのだから、わたしと彼に深く深く、えにしをつないでおかなくてはならない。

しかしわたしには、絶望的に名付けのセンスがなかった。うんうん唸って、悩んだが、まったく思い浮かばない。

そばにいた寒川さんに、意見を聞いた。寒川さんはわたしと同い年くらいの、わたしより先輩のバイトだ。

「この子に名前をつけるんですけど、なにがいいと思いますか」

「ハルカとかいいんじゃないですか」

ハルカ。遥か。遥か遠くの未来までを約束する、いい名前だ。

「いいですね、それ」

すぐにそれを気に入ったわたしは、彼にそれを伝えた。

「ハルカでどう?」

ハルカは「まあまあなんじゃない」と言った。

そこでわたしは調子に乗って、「苗字もつけようか。何がいい? トーの一族からもらって、トー・ハルカ? ハルカ・トー? どちらもあまり語呂が良くないかな」と続けた。

すると、彼は怒ったようだった。

「ねえ、わたしはあなたに拾われたのよ」

「うん」

「わたしはあなたに拾われて、見分けがつくようにされて、個を与えられて。その瞬間に、わたしはトーの一族から離れたの。隔てられたの。ただの芯として一生を終えるはずだったのに、あなたのせいで。だから、わたしはもうトーじゃない」

彼は怒りながら泣いていた。生まれたばかりの彼は、まだ感情の揺れ動きがうまく制御しきれないようだった。

「わたしがあなたに捨てられるとき。その時、わたしはもうトーに戻ることすらできず、ハルカも剥奪されて、燃えるゴミになるの。あなたは、その全てに責任を持つのよ。だってあなたはわたしの唯一だから」

「……そうだね。ハルカの言う通りだ。じゃあ、トーの苗字は要らない?」

「何も要らない。苗字も、トーの名残も。わたしはあなたのハルカよ。ただのハルカ」

ハルカはきりりとした口調で言い切った。

わたしはもう何も言わずに、ハルカの両側の小口を黒く染めた。そうすれば、どちら向きに立てても、他のトーに紛れることはない。

さらに、胴のがわに、黒い線を二本引いた。それは、彼が生まれた時に流した涙の跡だ。

これで、ハルカは完全にハルカになった。ハルカは誇らしげに胸を張った。それは誰も知らない、わたしとハルカの間にしかない虚勢であった。本屋のカウンターの中で、小さな何かが生まれた。それは、わたしたちの小さな共依存。

 

今、わたしのエプロンのポケットには、ボールペンと鋏、伝票と紙くず、そしていくつかの芯とハルカが入っている。

2018年12月31日公開

© 2018 遠藤魅苑

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