「どうも、お久しぶりですね」
「あれ。もしかして、霧生さんですか?」
「一週間ぶりですかね」
「はい。最後にもう一度だけ、足を運んでみようと思いまして」
「そうですか。その方がいい」
「しかしよく、私だってお分かりになりましたね」
「耳だけは幸い、良い方なので」
「そうですかそうですか。霧生さんはあれから、ずっとお越しになられているのですか?」
「いえいえ。私も木下さんと同じです。一週間ぶりで、最後に何となく、です」
「確かに、その方が良い」
「どうせ一週間もいるんだと思ってしまうと、恥ずかしながら、ここに来るのがね」
「なんだか、億劫になってしまいますよね」
「お互い、何だか無駄なような事をしてますね」
「あっはっは。周りから見たらきっとそうでしょうな」
「ここに来たら、何かが変わるかもと思っていたのですがね」
「私も。何一つ、変わりませんでした」
「目でも見えていれば、きっと何かが変わったんでしょうか」
「いやいや、見えても多分、たいしたモンじゃないですよきっと」
「そう思いますか?」
「すいません、強がりました」
「そうですよね」
「見えたら、何かすごい事でも待っていたのでしょうか」
「分かりませんけど、きっと何かが変わったような気がします」
「そんなもんでしょうか」
「そんなもんなんですよ」
「帰ったら、すぐにお仕事ですか?」
「えぇ。と言っても、しがない喫茶店で、時たまピアノを弾くだけですが」
「そんな贅沢なこと言わないでくださいよ」
「そういう木下さんだって、すぐに巡業に戻るって言ってたじゃないですか」
「巡業だなんてそんな。ただの伴奏弾きですよ」
「自分のピアノを聴いてくれる観衆がいるなんて、羨ましい限りです」
「そういう霧生さんだって、ご自身の好きな曲を、好きなだけ弾けるじゃないですか」
「聴いてくれる者のいない独奏ほど、虚しいものはありません」
「好きでもない曲を弾き続けるほど、悲しいものもありません」
「そういうものなのでしょうか」
「そういうものなのですよ」
「……木下さん。今、もしこの紅葉が見えたとして、ここにピアノがあったら、何の曲を弾きたいですか?」
「見たことのないものを想像して、曲を思い浮かべるのですか?」
「えぇ」
「なんだか恥ずかしいなぁ。あ、そうだ。せーので、同時に言いませんか?」
「私もですか?」
「自分から振ったのですから、当然でしょう」
「分かりました。それじゃあ、せーので行きましょう」
「はい。それじゃあ行きますよ。せーの」
「亡き王女のた」
「パヴァー」
「……私、そんな下の句みたいな言い方、初めて聞きましたよ」
「面目ない」
「しっかりして下さいよ。同い年じゃないですか」
「いや、言う直前でど忘れしてしまいまして」
「そんな風だから、白杖と傘を間違えて家から持ってくるんです」
「何を言うんですか。傘だってねぇ、この曲がった柄の部分をこう握ってこう振れば案外遠くの方まで」
「何をしてるのか全くわかりませんってば。音で判断するにしても、初体験過ぎて分かりません」
「そんなことを言ったって、もう還暦近いんですから。霧生さんだって危ないんですよ」
「私は大丈夫です。毎日、ごま豆乳飲んでますから」
「そんなもんでしょうか」
「そんなもんなんですよ」
「それにしても、還暦間近の老人二人が、見えもしない紅葉の中で自分探しに近い事をやってるっていうのは、なんだかアナーキーじゃあないですか」
「アナーキーかどうかは分かりませんが、なんとも言えない感じは、ありますね」
「それで、霧生さん。ご家族のヒントの、一つでも見つかりましたか?」
「いやいや、全くです。津波で全部、私の視力と一緒に持っていかれたままです」
「そうですか」
「いや、自分が発見された所までは分かったんですけどね。そもそも、幼過ぎて記憶もないものですから、やはり、やりようがありませんでした。木下さんの方は?」
「私の方もさっぱりです。生まれがここだってこと以外、自分がどこで保護されたかも分からず終いで。何人家族だったのかすら分かりませんでした」
「そうでしたか」
「津波で全部、私の視力と一緒に持っていかれたままです」
「それは、私のよく出来た台詞です」
「格好良く聞こえたので、使わせて頂きました」
「勝手に使わないでくださいよ」
「良いじゃないですか。事実なんですから」
「私ね、本当に見えた気がしたんですよ」
「紅葉がですか?」
「えぇ。一週間前にもお話ししましたが、夢でね。見た事もないのに、おかしな事言ってるなぁって、自分でもわかってるんですけど、こう、上からふわぁっと、暖かくて青臭くて、柔らかで軽いものが、細かい嬉しい音をたてて全身を包んでいくんです」
「えぇ」
「ここの紅葉はラジオでもよく聞くし、ほら、有名じゃないですか。だから、生まれ故郷のここにくれば、何かが変わる気がしたんです」
「……前回の時に言いそびれてしまったのですが、実は私も、夢で見えたような気がしてここにやって来たんです」
「ええ! なんで言ってくれなかったんですか!」
「だって気持ち悪いじゃないですか! 甘い香りの女性ならいざ知らず、こんなすえた老人が、そんな偶然でここで出会うなんて」
「木下さん。人生で起こる事は、全て必然なんですよ」
「スピノザですか」
「ご存知でしたか」
「こう見えて私、けっこう読書家なんですよ」
「お互い、見えませんけどね」
「もし見えたら、エルトンジョンみたいに歌えたのでしょうかね」
「私は、レイチャールズみたいに歌えてもいないので、多分、このままです」
「私、エルトンジョンみたいに歌いたかったなぁ」
「私も、レイよりエルトンジョンの方が好きです」
「綺麗だったなぁ、あの紅葉は」
「えぇ。とても、綺麗でした」
「さて、と。風も冷たくなってきたことですし、そろそろお開きといたしましょうか」
「そうですね」
「ここで、連絡先の交換なんてしたら、野暮ですよね」
「ピアニストが二人、ここは粋に別れましょう」
「必然であれば、またいつか、お会いするでしょうしね」
「そういうものなのでしょうか」
「そういうものなのですよ」
そうですね。その方がいい。
「ママー。みてみて。あそこのじぃじとじぃじ、おそろいね」
「そうね。きっと、ものすごく仲良しさんなのね」
「おかおもおかさも、おようふくも、みんなおそろいね」
「もうすぐ未来ちゃんにも、お揃いでそっくりな可愛い弟が、二人も出来るのよ」
「いっぺんに? ふたりも?」
「そうよ。あのおじいちゃん達みたいに、仲の良い、お揃いな二人になれますようにって、しっかりお姉さん、してあげてね」
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