岡本尊文とその時代(三十二)

岡本尊文とその時代(第32話)

吉田柚葉

小説

2,662文字

本当に、それこそこれは、パラノイアなのかも知れん。

眩暈がした。机の下を確認したが、無い。昨夜、宮崎氏と行った電話でのやりとりをおもい返し、その一部始終を再現して見たが、どう考えても、最後にスマートフォンを置いたのはこの机の上以外に在り得なかった。

私の目は、書きかけの尊文の評伝の原稿に向いていた。「大丈夫ですかァー!」と云う、宮崎氏の絶叫が一階から聞えて来た。私は、ノートパソコンを抱えてリビングに戻った。そうして、スマートフォンが見当たらない旨を宮崎氏に告げた。宮崎氏は困惑の色を浮かべ、こうした事を言われた際に人が発するであろう、一通りの質問を私に投げかけて来た。私は、いや、だとか、無い、だとか、其れらの質問に悉く否定的な答を返し、そうする内に自分で不愉快に成って行った。やがて「恐らく盗まれたのだとおもいます。」と、馬鹿な事を口走ってしまった。実に馬鹿な事ではあるが、現実に盗まれたとしかおもえないのだから仕方が無かった。宮崎氏は、

「いや……、其れは、流石に無いのではないでしょうか……。」

と、苦しい顔をして言った。

「だが、実際になくなっているのだから……。」

「では盗まれたとして、一体何時いつ盗まれたのですか。昨晩、僕と携帯で通話しましたが、それ以降だとして、確かに我々は此の家にずっと居たじゃないですか。」

「ずっと居たのだけれど……、多分、私達が眠ってしまってからコソ泥が入ったのではないか、と。」

事の奇成るに馬鹿馬鹿しさを感じながら私は言った。口吻に笑みが漏れた。

「しかし、その、盗まれた証拠はあるのですか。」

私の笑いに引きずられたのか、宮崎氏は破顔していた。私は、書斎の窓が全開に成っていた事を告げた。宮崎氏は遂に笑い出した。私は、気恥ずかしいおもいと、幾分かの苛立ちを覚え、「そんなに笑われたって……、しかし、先程からの宮崎さんの話だって、相当に滅茶苦茶な事を言っているとおもうがね。」と言った。すると宮崎氏は、笑うのを止め、

「そうかもしれませんね。」

と醒めた声で言った。

「本当に、其れこそこれは、パラノイアなのかも知れん。」

2019年7月20日公開

作品集『岡本尊文とその時代』第32話 (全41話)

岡本尊文とその時代

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© 2019 吉田柚葉

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