経済協力開発機構(OECD)は、72か国・地域の15歳計約54万人を対象に2015年に実施した「国際学習到達度調査」、いわゆる「PISA(Programme for International Student Assessment)」の結果を公表した。日本は「科学的応用力」が2位、「数学的応用力」が5位と前回の調査から順位を上げ、上位に位置する一方で、「読解力」は8位に下がった。

今回の読解力低下という結果に関して文科省国立教育政策研究所は、コンピュータ使用型調査へと全面的に移行したことによる不慣れからの誤答の可能性や、読書量の減少を指摘している。しかし、前者は「読解力」以外の分野でも同様に考えねばならぬことであるし、後者に関してはそもそも読書量は減っていない、と反論できるだろう。

全国学校図書館協議会「第62回学校読書調査」より

 

そもそも「読解力」とは何か。文章を正しく読み解く力か。『竹取物語』を文字通り読んで字の如く受け入れることか。ウェルテルの気持ちに共感し追随することか。もしもそうならば月夜の竹林には自殺者が溢れることになるだろう。「読解力」と「自殺率」の相関関係を調べてみるべきである。「読解力」という言葉は理解こそできるものの、なんとなく曖昧な指標である気がしてならない。

ところで、今回の結果は現代の日本における理系至上主義的な背景に原因があるのではないだろうか。文系は理系の道から脱落した負け組。死ぬまで作者の気持ちを考えてろ、と揶揄される。文学史を顧みても、小説の生みの親・坪内逍遥は、大学を卒業しながら文学の研究などけしからん、と当時批判を受けていたとか。確かにその通りだ。人生における葛藤を文章化したところで国家にどれだけの利益を生み出すことができるのか。むしろマイナスである。理系分野の教育を重視するのは正しい方向性なのだ。教育現場においても、文系は就職できないと近年特に理系分野に力を注ぐ傾向にあり、その点において今回の結果は、努力が実ったものと受け取っても良いのではないだろうか。これこそ誰もが望んだユートピアなのだから。

さて、今回の調査において全ての分野でトップを飾ったのは国民平均所得アジア1位、国民幸福度世界最下位、独裁国家、管理社会、「明るい北朝鮮」ことシンガポールである。行きつく先は本当にユートピアなのか。実はディストピアなのではないか。この結果をどう読み解くか。現実の今こそ「読解力」が必要な時なのかもしれない。