2016年8月3日付の朝日新聞は、日本音楽著作権協会(JASRAC)が音楽分野だけに留まらず、美術・文芸分野にも進出する意欲をもっていると報じた。まだ具体的な動きはないものの、浅石道夫理事長の「美術も文芸も全部(許諾を)取れちゃうとなれば、利用者には一番よい」という発言を取り上げたものだ。しかしJASRACは批判も多い団体だけに、二次創作を愛好する文芸ファンやマンガファンの間では波紋が広がっている。
JASRACが育んだもの・壊したもの
国内最大の音楽著作権管理団体であるJASRACは、まだ日本人の著作権意識が乏しかった戦前からいち早く著作権管理を行ってきた団体だ。口約束による杜撰な契約が横行していた古い芸能界の体質を改革したといっても過言ではなく、戦後以降の音楽ビジネスの隆盛にJASRACが多大な貢献をしてきたことは疑いようもない。
また、放送メディアやカラオケ産業の発展に関しても、JASRACが寄与した部分は絶大だったと言える。なにせJASRACの管理する楽曲は350万曲にも及んでおり、そのシェアは9割超を誇るのだ。楽曲ごとに逐一権利者へ連絡をして許諾をとっていては、膨大な楽曲を使用することなど到底できない。楽曲を使用する側からすれば、一元的に手続きができるという点は非常に利便性が高かった。
一方で、その強権的ともいえる著作権料の徴収方法には批判も寄せられてきた。JASRACは著作権法の定める「私的利用」をきわめて狭い範囲でしか認めず、法的には問題ないケースについても脅迫めいた督促で使用料を徴収してきたと言われるためだ。さらに、管理下にない楽曲に対してまで一方的な請求を行うこともあり、2012年に雅楽奏者に対して伝統曲の著作権料を求めた際に笑い物にされてしまったことは記憶に新しい。
何より文芸ファンやマンガファンが懸念しているのは、二次創作文化への影響だろう。事実、JASRACにはかつてひとつの文化を潰した過去がある。それは、00年代初頭まで流行していたMIDI文化だ。
ひとつの文化を潰した実例
ブロードバンドが普及する以前、ウェブサイト上で鳴らす音楽にはMIDIファイルを用いることが一般的だった。MIDI規格には音そのものは含まれておらず、音程とテンポと音色指定のデータが保存されているだけなので、MP3やWMAなどに比べて遥かにファイル容量が軽かったのだ。
個人サイトのBGMとして好きな曲のMIDIを流す例は多々あり、自分で譜面から起こして作成したMIDIを公開する個人も多くいた。クラシックから最新のヒット曲まで、楽曲のラインナップも豊富だった。やがて単純な耳コピ作品だけでなく、独自アレンジを施したMIDIにも人気が集まるようになった。今でいうVOCALOIDカバー文化の前身のようなものだと考えるとわかりやすいだろう。ネット時代ならではの新しい文化が生まれたのだった。
ところがある時期から、JASRACはMIDIサイトに対しても著作権使用料を求めるようになる。多くのMIDIサイトはデータを有償で売っていたわけではなく、あくまでも趣味として配布しているだけだったのだが、不特定多数に向けて公開されている点が「私的利用」の範疇を越えているという指摘だった。
このこと自体は法的に正当な行為だといえるが、問題は使用料請求の方法だ。MIDIサイトへの使用料請求は、ほぼ無差別に行われた。個別に確認する手間を惜しんだのだろう、JASRACはオリジナル曲しか公開していないサイトにまで「オリジナルだと第三者に証明させろ、できないなら使用料を払え」と理不尽な要求を突きつけて回った。
趣味でやっているだけの個人が、果たしてそこまでの労力を費やしてまでサイト運営を続けようと思うだろうか? 完全に著作権をクリアしていたにもかかわらず、JASRACとの応対に辟易して閉鎖されてしまったサイトは少なくない。こうしてMIDI文化は廃れていった。
小説やマンガに対しても同じことが行われないと、誰に断言できるだろうか?
絵や文章における「オリジナル」の線引きの難しさ
毎回2万人以上を動員する巨大イベントであるコミケは、そこで売買される同人誌の多くが既存作品の二次創作だ。割合こそ少ないが、文学フリマにおいても二次創作作品は一定数を占めている。JASRACが従来のような強引な方法で美術・文芸分野の著作権使用料を徴収しようとするならば、一部の大手サークル以外が二次創作を続けることは著しく困難になるだろう。これは大きな文化的損失といえる。
もっともこの点については、あくまでも現状が「黙認されているだけ」だということを忘れてはいけない。同人文化の盛り上がりは著作権者にも少なからぬメリットをもたらすため見逃されているが、MIDIサイトの事例と違ってコミケでは同人誌だけで生計が立つレベルの超大手サークルまで存在するのだ。原作者より稼いでいるケースさえあるだろう。もし今後著作権使用料の徴収が厳しくなったとしても、ファンが怒るならともかく、それを二次創作者側が怒るのはさすがに盗人猛々しいと言わざるを得ない。
それよりも最大の問題は、絵や文章におけるオリジナリティの範囲が音楽ほど明確ではないという点だ。実情に即しているかどうかはともかく、音楽は歌詞とメロディラインと録音物だけが著作物として認定されてきた歴史的経緯がある。コード進行を丸々借用したとしても、歌詞とメロディがまったくの別物であれば剽窃として扱われることはない。一方、オリジナルとは似ても似つかないアレンジを施したとしても、歌詞とメロディが同一であればそれは二次創作として扱われる。
しかし絵や文章には、こうした明確な線引きがない。たとえば、有名作家の文体や人気マンガ家のタッチを完璧に模倣しつつ設定や物語がすべてオリジナルだという同人誌があった場合、これは二次創作に該当するだろうか? JASRACの胸三寸で著作権法が運用されるとしたら、これほど怖ろしいことはない。場合によっては、オリジナルであるにもかかわらず難癖をつけられて、結果的に筆を折るという作者が出てくるかもしれない。
その意味で、これは二次創作だけに限らず、創作全体の危機と呼びうるのではないだろうか。
美術・文芸分野進出の現実性と展望
なお、JASRACの美術・文芸分野への進出が実際に行われるかどうかというと、筆者個人としてはさほど現実的な話だとは考えていない。というのも、大手出版社は自社の裁量で著作権管理をしたいと考える傾向が強く、JASRACに委託する出版社はそれほど多くないと思われるためだ。絵や文章は音楽のように放送メディアで毎日何万件も使用されるわけではないので、使用者側からしても一元管理のメリットはそこまでない。
一方で、メディアミックスに強い出版社や放送メディアと資本関係にある出版社がこの件に関心を寄せることは充分に考えられる。 昨今の邦画やテレビドラマにおいて小説やマンガを原作とする作品が多いのは周知のとおりだ。いくつかの大手出版社がテストケースとして委託をはじめれば、業界全体が一気に流れる可能性はある。
いずれにせよ、ネット世論にありがちな「JASRAC=悪の権化」という図式だけでこの件を見つめることは望ましくないだろう。たしかにJASRACには好ましくない部分もあるが、事実として現在の音楽ビジネスはJASRAC抜きには回らない。そのメリットの部分をどれだけ美術・文芸分野にも生かせるのか、その点を注視していくべきだ。
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