きみと待つのみ

合評会2024年9月応募作品

深山

小説

3,702文字

2024年9月合評会参加。お題は「世界の終わりと白のワンピース」。お題的になんかこういう雰囲気のやつかなって。

 女の子たちのあいだで戸籍を捨てるのが大流行して大人たちは当然やめさせようと躍起になっていたけど、もうそれくらい普通みたいになって久しい。
 学校でも進路指導部や生活指導部が対策を講じていたし、街で捨てる現場を見つかれば有無を言わさず補導された。でも女の子たちにとっての善悪はダサいかどうかしかなく、やめさせようとする大人が圧倒的にダサかったから全然どうしようもなかった。彼らは捨てることで起こり得る将来の不利益と身に及ぶ不都合を切々と説いたけど、それってつまり自分たちのまわすシステム上の欠陥でしかないわけで、そんなのダサいよね。もともと誰を傷つけることでもないし。命を大事にとは教わったけど戸籍を大事になんて聞いたことないし。二十五歳を過ぎても自分が生きてるなんてありえないと固く信じているような、それでいて百年後のことと昨日のことを同じように話題にできる彼女たちは、将来という言葉を人質みたいに使う彼らから見ればまったく宇宙の外側の生き物だった。それでも彼らの対応はまあ理性的な方だった。というのも理性的な大人という肩書きなしに女の子たちに近づく方法をだれも知らなかったから。
 女の子たちにはもちろんすべてのそんなことはどうでもいいことだった。どうでもいいというのはほんとうにこの世で一番自由なことだ。彼女たちにとっては大事なもの以外は心底どうでもよく、ということは大事なもの以外からは自由なのだ。今ではそんなこと、日焼けした道端の看板の朱書き文字の部分みたいに見えてもいない。
 そうして得た自由をもって女の子たちはなにもしない。互いの存在だけをみとめている。隣り合って座ってそれぞれ勝手にちがうことをして、ひと言もしゃべらずに何時間でも一緒にいることだってある。それからときどきちらりと確認しあう。ここに私がいるからねってこと。一生ここにいてあげる。頼ってあげる。頼られてあげる。養ってあげる。無視してあげる。褒めてあげる。死ぬまで可愛いって言ってあげる。それらを彼女たちが互いに許すのはすべて互いのことをみとめあっているから。それはただ見てとめるってだけの意味でもあるけど。

  じゃあ一緒に捨てる? ときみに聞かれて思わず、うーん、って言った。だって即答したらそう言われるのを期待していたみたいだ。でも、やっぱり今日はいいやって答えた。なにかをするのに絶対に今でなければというときがあるはずだと思っていた。それより早いと不完全で、それを過ぎると滑稽になる、今っていうとき。
  そこで見ててよ。そう言ってきみは階段をあがっていく。ワンピースの白が残像のようにぼくの視界に残った。
  いつのころからか女の子たちの着るものが大人たちには一様に白いワンピースにしか見えなくなっていた。女の子たちひとりひとりの着ているものがなんであるかを具体的にわかりたいなら、彼女たちが毎朝なにを食べ、どんなあいさつをし、どんな字を書くのかということから知らなければならない。おばあちゃんっ子だったか。ピアノは習っていたか。小さいころにあこがれたプリンセスはディズニーだったのかプリキュアだったのかジブリだったのか。一番好きな映画はと聞かれて答える映画と、それと別にある大事な映画は。洋楽は聴くか。ピアスはあけているか。夏と冬のどっちが好き。炭酸を飲めるようになったのは何歳のときで、コーヒーのブラックは飲めるか。信じている神はなにか。ぼくはきみのことを前はもっと知ってたけどだんだんわからなくなっていったんだ。
  どこに捨てるのと聞いたら、高いところ、って言う。それで、きみの家は二階建ての一軒家だからぼくのうちのマンションの階段をあがっていく。ここの屋上から捨てるんだって。ぼくはガードレールに腰かけて下からそれを見ていることにした。ぼくは、捨てるときは海がいいなと思っている。
  海の完全に陸地の見えなくなった水面に自分が浮かんでいるところを、寝る前や授業中に想像するとよくねむれる。上に空があり、ほとんど目の高さから海だけがある、それが世界の構成要素。周りのすべてがすごいスピードでここから遠ざかっている気がする。けれど景色はずっと変わらない。自分の大きさが無意味になる。知らないうちに自分が一センチになっていても十メートルになっていても気づくすべはない。知らずに五百年は経っているかもしれなくてもわからない。水に溶けて体なんかなくなっていてもわからない。そこに自分を自分たらしめるものはなにひとつない。

  ガードレールは砂っぽくて手のひらでべたっとつかむのを躊躇するけど、かまわずつかんでしまうとひんやりした。さっきコンビニで買ったペットボトルの水滴が反対の手をつたう。つま先にひっかけたサンダルがゆらゆらする。はだしになったら気持ちいいかもなと思う。戸籍なんて捨てたらもっと世界を直にさわれるはずだ。
  見上げて待っていると屋上にきみの姿が現れる。それを見たらきみの白いワンピースをまぶしいと感じると思っていた。でもワンピースの白は明るさとは別の光を、放っているのではなく内側にたたえているようだった。
  白とは無垢ではなく沈黙のことだ。つまりさ、彼が、もしくはぼくでもいいけど、廊下を歩いている。扉の閉められた教室の中から笑い声が聞こえる。彼が(ぼくでもいいんだけど)扉をあけるととたんに笑い声が止む。中にいた女の子たちは身をよせ合ったまま顔をほんの少し動かして、ちらりと視界の端で見てくるけどこちらはなんにも気づかないふりをして中へ入っていかなくてはならない。誰もなにも言わない。肩をすくめたり眉をちょっと大げさに上げたりして強い目くばせが交わされているのを、彼は(そしてぼくは)背中で感じている。消すのではなく新たにマイナスを加えることによって差し引きゼロにしたみたいなそんな沈黙。

  屋上の黒い鉄の手すりに、きみは今にも転がりおちてしまいそうなほどに身を乗り出す。六階建てはそんなに高くないと思ったけどこうして見上げると空に近く見えた。そこで見てて、って言ったくせにきみは全然こっちを見やしない。
  そもそも年を重ねることで身につける知性や聡明さよりも、若さとともに失うものの方が多い人が若さを純潔というだけのことなので普通に考えて話なんて聞く必要がないよね。ほら、ぼくらまだ若いのであなた方が知性や聡明さを身につけた側の人たちなのかそんなにすぐ確かめられないし。なので自分のことくらいは自分で決めます。それで後悔するとしたらそれこそ純潔な感じで満足でしょ。ぼくらが若さゆえの勢いのまま上手いこと切り抜けてみせたって、それはそれでいい顔しないでしょ。
  きみの戸籍もついに空に放られる。捨てた戸籍は風によくのる。これなら海に捨てても波にのって遠くまで流れそうだと思った。一緒に捨てればよかったかなと一瞬思う。海まで風に流されてくれたらいいけど。でもぼくはまだやってくるときを待っていようと思っている。
  笑い声が聞こえてくる。気づけば屋上には同じクラスの女の子たちも来ていて、友達の門出もしくは共犯を喜んでいる。ひとりがぼくの方を見て手を振って、伝染したように他のみんなもこっちを見た。彼女たちはみんな春休みの最終日に忍び込んだ学校のプールに戸籍を捨てた。みんなの白いワンピースが綺麗。綺麗だから白いワンピースに見える。きみがなにを選んでなにを知ってなにを考えているのか、きみのことをどれくらいわかってれば白いワンピース以外を着てくれたんだろうかと考える。そうしたら戸籍捨てなくてもよかったのかな。でもやっぱり捨ててよかったんだろう。
  見てたー? とひとりがこっちに向かって叫ぶ。見たよ、と手を振ってこたえると、一緒に捨てればよかったのに、と別のひとりが身を乗り出して言う。
  まだ、とぼくは叫び返す。やだ、に聞こえたかもしれないと思う。ハキハキと声をはらないと伝わらない。普段喋るのより自分じゃないような声が出る。ぼくのいない声がただの声になって通る。ぼくのいないぼくがぼくのこと決めてくれたらいいのに。ぼくもこのまま捨ててしまおうか。ベストなタイミングなんてないかもしれない。ガードレールに腰かけたまま、ぼんやりと空をながめまわしてぼくは考えている。
  人質みたいに扱われる将来というものの姿をほんとうにただしくわかるのは一瞬しかない。過ぎればそれはもう現在の複製にしか見えない。その先でみんな現在あるものの複製物として扱われる。だからその前に全部捨てる。どうせ主体になれないぼくらは主体的に主体を捨てて客体になった。
  女の子たちは手すりから身を乗り出したり隙間から足を出したりしながら笑いあって、それは幼稚園のお迎えを待っている子供たちみたいだった。ひまそうに座っているぼくもきっとそう見えるはずだ。そうか、ぼくだけじゃなくてみんなも待ってるんだなと思った。全部終わるときを。まっさらになって。どうせもうすぐ終わる。今から世界のすべてが好転することなんて想像できる? ぼくたちは終わる世界にいだかれるのを待ち焦がれている。世界の終わりもたぶん空が青くて風が吹いている。

2024年9月23日公開

© 2024 深山

これはの応募作品です。
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"きみと待つのみ"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2024-09-23 21:35

    思春期の人間しか味わえないひりついた世界がうまく表現できていて好きです。全宇宙の時間と空間が目の前に凝縮されていて、世界と自分が溶け合ったような、あの感覚を思い出しました

    • 投稿者 | 2024-09-25 13:13

      宇宙を書ける眞山さんにそのようなコメントいただくの恐れ多すぎます。
      思春期って世界が狭いがゆえに死とか終わりとか極端なものがすぐそばにある感じがして、自分が書く世界の終わりはそのへんだなあと思って書きました。

      著者
  • 投稿者 | 2024-09-24 19:48

    こういうの良いですね。
    私が好きな音楽とか、私が好きなイラストレーターの絵とか付けたくなりました。つまり好みでした。
    雰囲気で読み取らないといけない部分もあるんですけど、そこも込みで世界観が作られていて良かったです。世界観が良い。尾崎世界観は「世界観が良い」と言われすぎてムカついたので「尾崎世界観」という名前にしたらしいですが、世界観が良いってそれ自体が一つの武器なので、このままの持ち味を生かし続けて欲しいなと思いました。

    • 投稿者 | 2024-09-25 13:14

      私も自分の好きな作品に好きな音楽をつけたくなります。大変ありがたや。
      まじですか、尾崎世界観のことやべーネーミングセンスの人だと思って避けてたんですけどそんなくだらない理由なら好感度上がってしまいそう。世界観なんて自分じゃわからないですが、深山世界観を目指して自分の世界観を大事にしていこうと思います。

      著者
  • 投稿者 | 2024-09-25 12:41

    世界の終わりはニュース速報されるか、
    破壊によって具現化しますね。

    • 投稿者 | 2024-09-25 13:16

      おそらく終わるだけでは速報されないでしょうね。破壊によって具現化される、人によっては可視化されるということかもしれません。具現化したら速報されて、それによってまた可視化されますが。

      著者
  • 投稿者 | 2024-09-26 09:24

    誰かと繋がっていたいけど、世界との繋がりなんてどうでもいい…そんな思春期のよるべなさがビンビン伝わってきました。切ないです。でも、捨てるって、そのぶん自由になるってことだと思います。戸籍捨てたら、だいぶスッキリしそう。みずみずしくて素敵な作品だと思いました。

    • 投稿者 | 2024-09-28 20:26

      ありがとうございます。
      大人になったらこんなふうに捨てて自由になれないんですよね。全部繋がるか全部捨てるか、どっちかしかないあやうさがこの頃特有のものかなと思います。

      著者
  • 投稿者 | 2024-09-28 14:53

    深山さん自身のコメントにもありますが、メロディーを付けて歌いたくなるような、あるいは朗読したくなるような作品でした。煌めく文体が青春の一瞬を鮮やかに切り取っていて、時間や空間を超えてどこにでも飛べるような錯覚をうまく捉えています。
    饒舌なんだけど清々しい、好きな文章です。

  • 投稿者 | 2024-09-28 20:28

    煌めく、清々しい、など私の文章にはもったいない言葉ありがとうございます。
    錯覚でしかないんですけどどこまでも広がってて、でもそれは出口のない感じかなと思います。

    著者
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