ご返信いただき、ありがとうございます。最後に先生とお会いしてから、もう六年にもなるのですね。はやいものです。お手紙によれば、松山神学校ではご健勝とのこと。「小学校の雨天体操場を思わせる程の広さの礼拝堂にて齢七十九の老身では説教壇にまで辿り着くのも一苦労ですから近頃は身を退いては如何との主の御声を耳にする思い」とおっしゃいますが、どうして、どうして。僕が申し上げるのも何ですが、頼もしい限りです。きっと信徒の皆さんに必要とされ、支えられながら、先生は尽力しておられるのでしょう。そのようにお忙しい身でおられるのに、こちらの勝手な都合でお送りした拙文に早々にご返書くださり、本当に恐縮です。
先生からのお手紙を拝読した時、いいえ、封筒の差出者名「楚島 千歳」の文字を見た時すでに、懐かしくってたまりませんでした。中のお手紙を読む前から、封筒にさらりと流れたご署名を拝見しただけで、こちらの身勝手を受け止めてもらえたと感じたのです。手にした封筒が湿りはせぬかと危ぶまれるほど、汗ばんでしまいました。
さて近況報告ですが、家族は何とか元気にやっております。還暦間近の父は、持病の腰痛に悩みながらも週六日、警備のパートに赴いています。工務店勤めの長兄は、二年前より株を独学し、今では仕事から帰ると寛ぐ間も惜しみ、パソコンに向かっているようです。次兄は、先生がご存知だった当時の状況と変わらず、この九年間、社会から引き籠っています。まず体は健康ですが、心が優れぬようです。どうか彼のためにお祈りください。父は、日曜礼拝に欠かさず出席しています。本業と副業で忙しい長兄と外に出られない次兄は、教会に足を運んでおりません。そして申し上げにくいのですが、実は僕も、教会から離れています。
離れていますと書いて二日経ってから、この文を記し出しました。二日前、どうしても続きを記せなかったのです。楚島先生、すみません。神学校を中退してからの六年間、幾度も電話あるいは手紙を差し上げようと思いました。話を聞いていただこうと思いました。でもその都度、受話器を筆を、取れなかったのです。かつて神学校で迷惑をかけた那須田梨紗さん。六年前に父を裏切り、出奔した母。そして兄二人。ひとりひとりとの関係に躓いて信仰にも躓いたのか、信仰に躓いたから人間関係にも躓いたのか、自分のことなのに、いまだ分からない。そのことで、先生に何を相談すればよいのかも分からないのです。でも、相談したいという気持ちは確かにあります。ただし、信仰を取り戻すために先生とお話したいわけではないのです。この五年ほど、僕は教会に足を運んでいません。およそ信仰生活とは懸け隔たった日々を送っています。哀しいことに、そのような自分を悔い改める気力も起こりません。いいえ。「哀しい」は不正確な言葉でしょう。日曜礼拝はおろか食前食後の祈りや就寝時の祈り、聖書の精読も放棄した日常に、悲哀感すら催さないのです。
では、なぜ筆を執ったのか。何を伝えたいのか。それは、ひとまずここで筆を擱き、この手紙を郵送した後で改めて考えてみたいと思います。
追伸
第二段落の末文を「手にした封筒が湿りはせぬかと危ぶまれるほど、汗ばんでしまいました」と記しました。これは、少し大げさな言い方だったかもしれません。僕は確かに汗っかきですが、その時、封筒が湿るほど手に汗を握ったわけではなかったと思います。封筒の黄土色が茶褐色に移り変わるほどの水分が指先に滲んだとは、言い過ぎてしまいました。そして、もう一つ訂正させてください。僕は自分の体について「汗っかき」と記しましたが、これもおそらく不正確なのです。夏などの暑い時節、確かに僕は汗をかきます。ただ、何も滝のようにるると流れるわけではなく、じんわりと総身に浮くのです。もちろんある温度を経ますとさすがに流れはしますが、基本的に汗をかいているとは一見して分からない形で汗ばむと思ってください。
例えば、高校生だった頃のことです。梅雨の時期が過ぎ、教室の扇風機が回り始め、目前の夏休みを楽しみにする時分、僕はよくふんぞり返って着席していました。腕は両脇に下がり、後頭部は背もたれに乗っかり、お尻は板からはみ出た状態に、全身が沈み込んでいたものです。と言いますのも、両肘を机に置けなかったのです。先生が女学生でいらした(「女学生」という表記で間違いございませんか)頃にも、ひいては現在の日常生活でもご経験していらっしゃると思います。席に着いている状態で、机に肘を立てたり寝かせたりする場合を。もっとも、机に肘を置く行為は元来あまり行儀が良くないでしょうから、先生はご経験されなかったかもしれません。
僕は今しも、机に腕を乗せています。机の左隅を占める左腕の手の平は、便箋の左隅を押えています。このようにできるのは、二つ理由があります。一つ目は季節が冬だから、二つ目は自室に独りでいるからです。夏になると、僕の全身はじわじわと汗ばみます。腕を置いた机は、じとりと濡れる。紙が置かれていると、腕に引っついたり、机にくっついたりします。高校生活では配布プリントが、汗に巻き込まれがちでした。そんな光景を周りの同級生に見られるかと思えば、耐えられなかったのです。いえ、もっと厳密に申し上げます。男子にはともかく、女子には見られたくなかった!
ええ、そうです。僕は、女子から軽蔑されたくなかった。だから夏の教室では、机に腕を乗せられなかったのです。女子の眼が恐くて授業なんざ受けられるか! そう意気込んで机に肘を奮い立たせる暴挙に出ようともしましたが、いかんせん勇気が出なくて。へなへなとしおれる双手の平を膝に重ねて澄ますものの、このお見合いのような粛々とした姿勢も楽でなく、五分もしないうちに腹筋だか背筋だかが重力に耐えずして、上半身がくの字に折れた結果、ふんぞり返ってしまうのでした。こうなると今度は、その気はないのに、先公の眼が恐くて授業なんざ受けられるか! という形になってしまいます。何しろ、本来落ち着くはずのお尻のお肉がせり出て、尾てい骨部分が座面を占めるのですから。ひどいときには尾てい骨部分も滑り出て、背骨部分が座面を占領するのですから。真正面から眺めると、さらし首のように見えなくもない。
全く教師を挑発した死に体ですが、他の学生同様、僕もご多分に漏れず、注意される前に身を処す予感が働きました。教壇から声が飛ぶであろう直前には、正しい姿勢に蘇生していたのです。とは言え、こちらとて人間ですから失敗はあるわけで、不覚にも叱責を頂戴した憶えはありますよ。忘れられないのは、地学担当の男性教諭T氏に叱られた件です。
ラグビー部の顧問に似つかわしく恰幅の良い体格が正にフットボールを連想させ、僕個人は「太っちょボール」というあだ名をT氏に冠していました。靴下に皺寄せつけぬ分厚い甲より伸びた足は短パンで覆われ、短パンにたくし込まれたTシャツが上体を詰めた先に、スポーツ刈りがそびえている。その威風堂々たる姿形に「太っちょボール」と名付け、恐怖感を乗り越えようとしたのですね。思えば、浅はかでした。
ある初夏の日、僕は常のごとく机のさらし首になっていました。教室後方の席だったこともあり、油断していたのでしょう。居眠りはしないでも、蝉の声を遠くに聞きつつ、ぼおっとT氏の講義を受けていたのです。天井の扇風機は、正午以降の稼働が義務付けられているので、じっとしている。午前中は、窓からの風が頼りでした。時おり揺れる、髪や紙。漂う、香水の匂い。身じろぎや息遣い、頁を繰る音。総じて、涼やかです。ただし、T氏が鎮めた教室だからこそ引き立つ涼に過ぎません。現に、教壇から放たれる威圧のもと、僕らは縛られていた。胴体は机に、視線は黒板に。
板面には、糸屑のような筋が走っています。「リアス式海岸」と板書が付されたそれは、海岸線をあらわしていました。ところが、です。ぼんやり見詰めていると、白線の分かつ左右のどちらが陸で、どちらが海であるか判然としない。注視でもなく無視でもなく、そうですね。幽視とでも言うような、そんな曖昧な視線でご覧ください。境を接した領分の、果たして、どちらが海で陸なのか。
「おう」
野太い声に、僕はハッとさせられた。T氏がこちらを見据えています。幾人かの生徒も横目を寄越している。教室は一段と静かになっていました。そよ風はやみ、女子の香水も匂わない。ただ、蝉の声が無責任に鳴り響く。僕のだらしない姿勢が見咎められたことは、明白でした。T氏の「おう」は「おいコラてめェ」を意味する、返答は口答えとして受け付けぬ、脅し文句に違いありません。要求されているのは、従順な態度でした。すなわち、両足に力を入れて腰を座面に据え直す。背筋を伸ばして沈んだ体を引き上げる。さすればT氏は機嫌を取り戻し、授業も再び進行する。何事もなかったかのように時間は続くのですね。しかし、先生。僕はどうしても、躓いてしまう。前に行きたくない。T氏の「おう」にこだわっていたい。
その場で、ともかくも消え入りたかったですよ。穴があったら入りたかった。できることなら、ペンケースに潜んでチャックを閉じ、馴染み深い文房具に挟まれて眠りたかった! と同時にペンケースには、T氏をこそ押し込めて、封印すべきではなかったか。恐らく彼の体躯に狭過ぎて、膨れ上がったペンケースから、くぐもった悲鳴が漏れてくる。おう。こら。何じゃここは、おう!
楚島先生。今でもそのことを思い出すと、僕は、脇腹に冷や汗が滲みます。屈辱感と言うと大仰ですが、単なる不快感とは違う、薄ら寒い感情なのです。それこそペンケースの中に身を潜ませる以外には忍び得ないような感情です。ああ、こんなしみたれた感情をいまだに持て余しているなんて! 自分は何という陰険さでしょう、どんなに小さい人間なのでしょう。キッチン台と壁との隙間に落ちた野菜の切れ端を放っておくと、やがて色褪せ、黒ずんでゆく。腐敗臭を嗅ぎ当てたゴキブリが、どこからともなくやって来る(すみません先生! お食事中でしたら、本当にすみません!)。僕の感情も、その切れ端と同じです。まな板からはみ出だし、陰に落ち、腐っていった記憶のかけらです。上手く調理されていれば、栄養として心身に吸収されていたかもしれないが、鍋に入れられもせず、日の当たらない所に落ちてしまった。しかし一番の問題は、かけらが落ちたと気付いていたのに拾わずにおいた、僕の怠慢さでしょう。いつか拾って捨てよう。いつか掃除しよう。そう気にしながら見て見ぬふりを決め込んで、腐るがままにさせて置く。Oh !
先生。そのように腐った記憶を、僕は山ほど抱えているのです。頭の中には、ゴキブリがひしめき合っていると言ってもいい。いやむしろ、ペンケースに潜入したいと思う日陰者の僕自身が、ゴキブリなのかもしれません。もしかして僕は、ゴキブリでしょうか?
大体、クラスの担任でもなかったT氏の方では、僕のことなど忘れているでしょう。彼の教職人生において、僕が占める割合は限りなくゼロに近い。にもかかわらず、こちらはいまだT氏を憶えているんですよ! 高校を卒業して十年は経とうというのに、絶えず傍に立ち、T氏は僕を見下ろしている。本を読むときや犬の散歩をするとき、トイレに入るとき、そして、今このときも。腕を組んで。そんな言い方が言い過ぎでないと、先生は信じてくださいますか? 先生が信じてくださらなければ、僕は……。
申し訳ありません。そもそも、この手紙は二通目でした。僕よ、わずか二通目で信を求めるとは、何事か。忌まわしき僕よ、個人的なあまりに個人的な事柄を大事のように述べたてるなど、非礼にもほどがある。ただし楚島先生、これだけは言わせてください――いえ! 何であれば読み飛ばしてください! ――つまり僕は、人並みの爽やかな汗を流せないばかりでなく、その失調に悩んで真剣な脂汗を流すことすらできない、中途半端な生物なのです。もし仮に人並みの汗を流せる爽やか健康体であれば、地学授業の折り、かの威圧極まるT氏の放った「おう」にも、あるいは動じなかったかもしれません。玉となりて肌を行き、たまさか口に入りしも爽味を舌に奏でるような、そんな汗を流せたら。テニスやサッカー、野球など、部活に入って駆け回り、健やか男子になれたかも。教室では、ふんぞり返った姿勢を鍛え上げた腹筋や背筋で持続して、自分を主張できたかもしれない。そして、威圧が功を奏しない事態に面食らったT氏が、そんな自身にも腹を立てつつ、前よか更に太い声で呼びかけたとしたら。
「おう!」
教室は数段と静まり返り、蝉の音も途切れています。際立つのは、壁時計の針の音。秒針が時間を細かく刻み、太っちょボールのボルテージも秒刻みで高まっていく。何度か呼びかけられたが、僕は一向に応じない。応じないったら、応じない。教室内の緊張がピークに達します。終業ベルが鳴ると同時に怒り心頭に発した彼が、教壇から降りて一歩、また一歩と近付いてきた。遠近法で眺めると、眼前で、T氏の図体が拡大する。彼の側でも、僕の醜態が肥大していく。膨張した事態は、破裂する。
昼休みの食堂で、血の味まじりにうどんを啜る羽目になりました。当然の帰結と言えるでしょう。涙については、七味が効いたと言い訳したい。ただ、この結果、T氏と僕の関係に血が通うようになったと思われます。なぜなら、文字通り血潮が鼻口に滲むほど強く打たれた経緯もありますが、そんなことは副次的な要素でして、何よりT氏が僕の名前を呼んでくれたからなのです。先ほどの教室での場面に戻ります。二度まで「おう」と呼び掛けられた僕が応じないばかりに、T氏は名指すことを肚に決めた。ひとまず、
「聞こえてんのか」
ドスをきかせる。口は半開きのまま、言の刃の余韻を残して。それでも応えぬ僕を見てとったT氏は、一呼吸置き、しかし口ごもった! やむなく落とした眼の先は、座席表です。確認し、顔を上げ、
「のう、砂目利」と。
ここでついに、生徒側から応答がありました。僕の前に席取る、砂目利君から。
再びゆっくりと教卓に落とされた眼は、赤かった。失敗も手伝って、明らかに憤怒している。その証拠に、ようやく発してくれた「有吉」の響きは、僕の心底まで震わせるほど大きかった。いや、構わないのです! 座席表で照合して初めて、名称と人物(ゴキブリ)が一致したのだとしても。
あの初夏の日、僕は、T氏から名前すら呼んでもらえませんでした。掛けてもらったのは「おう」の一声だけ。彼にとって僕は、ただのだらしない生徒であり、授業中の夾雑物であり、矯正すべき歯であるに過ぎなかった。矯正を施す歯に名前を付ける医師が、いるでしょうか。違う。僕はまだ自分を誤魔化しています!
さあ、先生! お聞きください。まず僕は夾雑物にすらなれないところの者ですが、かといって、それでは何物でもない暗黒物質かといえば全くそんな極端な物でもなく、敢えて名乗り申し上げれば、「有吉」で精一杯なのです! 安芸君・阿倉谷さん・「有吉」・井西君……の流れを成す一粒子に過ぎません。ところが、それでも構わないんですって、本当に。構わないから、五十音の流れに棹差してほしかった! 餌に付く僕を釣り、なぶってほしかった!! もちろん教室の空気は重くなるでしょう。しかしそれも一時の事です。また、当日から数週間、T氏と僕はわだかまりもしましょう。しかし、その拘泥も、お互い交わる道が通じるまでの、便秘のようなものと割り切ってください。
気付けば、校内で顔を合わせると会話を交わすようになっていたはずです。独りのときでも、ふと僕のことを想ったT氏が「全く仕方のねえ奴よ、有吉も」と苦笑いする。そんな日が、週に二度くらいあってもいいでしょう? ある日の昼休み、愛妻弁当に箸を入れながらT氏は、不覚にも奥さんを差し置いて僕を想い、職員室で独り笑いを浮かべてしまった。相席の古文担当女史が笑顔のわけを尋ねたところ、彼は弁明します。いや何、二年四組の有吉。あれはどうも可笑しな奴ですなァ。嬉々として語り始めたT氏の周りに、一人また一人と同僚が集まり、話の輪が広がっていく。こんなに和やかな職員室は久しぶりで、堅物の漢文担当男性教諭も、思わず聞き耳を立てるほど。交流此の如くして我も語らずんば参差として職員の皆に辜負せん。重い腰を上げ、後ろ手を組みながら歩み寄り、恥ずかしそうに輪に加わってきました。教員が笑顔で迎えたことは、言うまでもありません。
そんなこんなで二学期の中間テストも終わった頃、T氏は、とうとう家庭にまで僕の話題を持ち込んでしまったのですね。仕事の話は家でしない、と心掛けていたにもかかわらず。掛け金を外したキーポイントは、彼の心身消耗にあるらしい。連日にわたり添削作業に追われた彼は、職務を終えた土曜、ほうほうの体で4WDに乗り込んだ。
山裾にある学校からの帰路は、下り坂から始まります。緩やかに絶頂に達して滑り落ちるジェットコースターの気で、T氏は、校門から車道に出た。バックミラーに学校が縮小するけれど、目に入れたくもない。山林を抜け、田畑に挟まれた道を急ぐ。眼下に佇む街の灯が、漸次にせり上がってきます。けれども心には、近付けども遠ざかる灯の海と感ぜられた。左右に広がる夕闇の田は果てず、黒く濡れている。四十二歳。教師として板にはついたものの、教壇に立つ疲労の度は濃くなるばかりだった。三十代になれば、四十代になれば。先に光が見えると思い、その都度踏ん張って進んだ。なのに、この歳になっても、今一つ仕事に手応えを得られない。原因も分からない。ときとして職員同士や生徒達との関係に生じる摩擦にも、慣れてきたのに。もしかすると、この慣れが自分を磨滅させているのだろうか。顧問のラグビー部は現今四名きりの部員数で、アットホームな雰囲気だが、これも張り合いがない。家庭に問題は? 美人で貞淑な恋女房に、小学一年生の息子。円満と言うと気恥ずかしいが、角は立っていないはずだ。が、波乱がないだけ倦怠期に差し掛かっているのかしらん。明るい街に落ち着いた時も、T氏の気分は晴れなかった。市電のガードを潜り抜け、斎場を左に曲がると、住宅街に入る。右に左にくねる。不意に自転車が飛び出してきた時、なぜかクラクションを押せなかった。老婆が眼をしばたたいて、何かを言っている。丁寧に頭を下げた彼女は、闇に消えて行った。
車庫に入れた4WDの中で、じっとしていた。瞑った目の頭を、人差し指と親指で押えている。鼻から溜息を押し出して瞼を上げると、妻と息子が笑っていた。二人の背後には、海と浜の堺筋が弧を描いている。四年ほど前、家族旅行に出かけた鳥取砂丘での光景である。最近はずっと、帰宅した時に眺めている。この写真を見てからでないと、職場で演じた顔を屋内に持ち込んでしまいそうだった。教え子や同僚に対する表情を、家族に見せるべきでない。そう己に律し、写真を眺め入り、教師のモードを切り替えようとする。ただ日が経つに連れ、写真の妻子の表情が白けていく気がしてならなかった。砂丘と海も色褪せるようで、ときに見知らぬ惑星の風景に映る。見慣れた鳥取砂丘が現れるまで彼は、眉間に皺を寄せるのだった。
薄く切った牛肉の綱焼きを主菜に、胡瓜とワカメの酢和えを副菜とし、赤味噌の汁物も付いて、食卓は彩られていた。「いただきまァ」と箸を取った息子に続き、彼はコップを口につける。ビールを飲みながら、妻の後姿を眺めた。キッチン台を隔てて、流しに向かい、洗い物をしている。食事前に調理器具を洗う習慣は、新婚時代から変わらない。いつもはその背に何となく話しかけるが、不変の彼女の食前行動に、今宵は気詰まりを感じていた。彼は力なくコップを置いた。それは静かに卓上に据えたのだった。白飯と牛肉を頬張った息子が、顎を動かしている。一心不乱に夕食と格闘している。その様子を、彼は横目で眺め始めた。冷淡な眼差しではない。顔を据えて見詰めると、息子は妙に感じるだろうし、怖じ気付くかもしれない。彼はただ、小さな人の躍起な動きを見ていたいだけだった。小さな人の小さな動きに水を差さぬよう。それとなく、横目を使う。
青色の地に抜かれた二、三点は雲と化し、空一面を背景に、黄色い獣が押し出される。前脚に箸、もう一方の前脚に茶碗。擬人化を被った獣の顔は円い。縁取るたてがみも一房ごとに円い。パーマをあてた童子あるいは日向の地蔵の面持ちである。ドットの眼・楕円の鼻・全角Uの口。陽の目三つの筮竹にも似た両頬の髭は、さては晴天を占ったか。かくも可愛らしい絵柄の器を支える小さな手も、負けず劣らず可愛らしい。縁に掛かった親指と糸底にあてがわれた小指薬指中指は、器に同化せんと固く付き、爪先がヒステリックイエローに変色している。群を離れた人差し指は、先っ方を空に向け、親兄弟の労苦なぞ知らぬ気に血色が良い。
この小さな手も、と彼は思う。この小さな手も、やがて俺の手の大きさに追いつき、追い越すのだろうか。
自らの五指を広げて、彼はつくづくと見た。チョークに泥んだ厚い皮。赤インクの染みた指先。ソープを付けて洗ったのに、汚れは落ちない。何だか居汚い。息子の手と比べると、見ていられない気がする。仕事疲れの眼には、傷だらけの手にも見える。だがそこへ、洗い物を終えた妻が、遅ればせながら食卓に着いた。そして彼女の手を盗み見て、恐縮した。がさがさである。つい今まで水仕事をしていたので湿り気を含むはずだが、他ならぬその水仕事によって、手荒れは日々刻々と進行している。本当に生活の手傷を負っているのは彼女ではないか。改めて気付き、自身を恥じた。血気盛んだった若き頃に比べ、今の自分には何が欠けているのか。
食べはじめこそ勢いが良かったものの、牛肉を平らげてから、息子の箸は投げやりになっていた。大皿の上は跡形もないが、三杯目の飯茶碗には二口分が残り、汁椀には豆腐が全貌を現し、小皿の胡瓜とワカメは手付かずのまんまである。見咎めた妻が、野菜を残さぬようにと激励している。常日頃の光景で、常日頃は彼も注意をするところだが、今日ばかりは叱る気力が起こらない。息子に匹敵するくらい投げやりに箸を動かしている。それでも料理を口にいれるたびに美味く、食欲の充足感と内心の不充足が折り合わず、ちぐはぐの感が腹立たしい。屈託が面に出たのか、いつにない夫の雰囲気を覚ったらしい妻が、時折りちらと視線を寄越す。こうなると、平生の自分の態度に復するのも今更わざとらしく、いよいよ屈託が増すのだった。
彼から見て、左手に妻、右手に息子が座っている。正面にはキッチン台が食卓の彼方にあり、背面には居間がある。さらに居間の向こうでは、ベランダが南を向く。食卓西側の妻と東側の息子は、向かい合わせである。彼は、妻の右半身と息子の左半身を見る上手に位置するため、妻子の対面を側面から眺める恰好となっていた。
妻と子は先ほどから話をしているが、彼には加わる気が起きない。けれど、席を立つのも面倒だった。あらかた片付いた食卓に、ビールのコップが残っている。食前の一杯目の分だから、もう気が抜けているだろう。彼はぼんやりと、コップの中に取り残された液体を見ていた。ガラスに響いた妻子の声音を、液体が感受している。
「本当なんだよ。頭から煙が出てたんだ」
「頭からなの?」
「違った、帽子からだ。黒い帽子から煙が、まうわさあっと」
「それから、どうしたのよ。そのおじいさん」
「お・じ・さ・ん。おじいさんじゃなくて、お・じ・さ・ん」
「あのね。知らないおじさんとお話しては、だめよ」
「むああって開いたよ。べろが火傷してんだ。ま、真っ黒こげさァ」
飛躍や虚飾、拡大を伴った息子の言を要約すると、こういうことらしい。学校からの帰り道に寄った小公園で、子供達は、一人の男に出会った。男は五十~六十代で、全体に黒づくめ。「マジックの人みたい」から察するに、洋服の正装に近い形をしていたのだろう。しばらくは子供達がブランコに乗る様子を真正面のベンチで眺めていたが、彼らの遊動が荒み出した時、やおら立ち上がり手招いた。招き寄せると、ズボンのポケットから取り出したティッシュにライターで火をつけ、燃え立つ物を自身の口に放り入れ、消火して見せたのだという。
ニコニコしてたけど優しそうだったけど、火をかんだらムハムハッ!
よほど印象的だったのか、息子は目を剥いて「ムハムハッ」を何度も説明する。最初は半信半疑で笑い流していた妻も、余りしつこく息子が反復するものだから、物語の素の事実に顔を顰め始めた。素の事実とは、この場合、近所に不審者が現れたということだ。しかも息子は、その不審者への賛美を目の輝きで物語り、「カラスの先生」という愛称すら友人間で考案した由を嬉々として打ち明けてしまった。妻は少し強い声で、見知らぬ人に近付いてはならぬと再度厳命した上、火遊びの危険性についても説諭した後、どれほどの変人でも揶揄するは善くないと訓戒を垂れ、長話をする前に残りわずかの野菜を食べきるよう結論付けて、会話に幕を下ろしたのだった。
「ね、変な人がいるんですって」と浮かぬ調子で声をかけられ、「おう」と応じた彼の表情はしかし、和んでいた。息子の語り口や妻の対応が可笑しかったせいもあるが、何より自分の少年時代を回顧させられ、鬱屈していた気が和らいだのである。
自分が子供だった頃にも、近所には必ず特異な人がいた。天狗のおっちゃん、謝り乞食、聖なるおばさん……。自分らは彼らを蔑むわけでもなく、そう名付けるしかない不可思議な存在として理解していた。いや、蔑んでいたかもしれない。「聖なるおばさん」など、聖なるものと中年女性の両方を侮辱しているではないか(聖なるおばさんは、前カゴ・後ろカゴに木蓮を山と積んだ自転車に乗り、町内を周回していた。たぶん花屋を営んでいたわけではなかったと思う。小さな子を見かけると自転車をストップさせ、決まって一輪だけお裾分けしてくれた。中高生や成人、年配者と見るとくれないが、常に笑顔で徐行しているから、大人に疎まれているわけでもない。俯き加減に顎を引き、上目遣いを揺るがせず、不敵に笑っている。子供心には、何かを企んでいる形相にも見えた)。が、まあいい。ふいと見かけなくなり、どうしたのかと案じていると、ひょっこり姿を見せて、こちらを安心させてくれる。そんな存在だった。
忘れていたことさえ忘れていた少年期を、彼は追想し始めた。顔を見ると必ずお菓子をくれた、斜向かいの文化住宅に独り住む、背の高いおばあさん。毎日のように銭湯の「女」に連れて行ってくれた、隣の隣に住む、ボーイッシュなお姉ちゃん。将棋の仕方とイタチの捕まえ方を教えてくれた、今は亡き、アルコール中毒の叔父……。ひとりひとりが、社会の枠に収まりきれぬスタイルを生きながら、子供社会を活性化していたような気がする。ボーイッシュなお姉ちゃんは喧嘩っ早い人で、駅前のゲームセンターに行くとしばしば、上級の小学生や中学生の男子とまで悶着を起こしがちだった。脇にいた自分はハラハラと迷惑しつつ、ワクワクと憧憬もしていた。
そして今、一人の男に想い至った時、灯台下暗しを悟った彼は、「そうだそうだ」と独語を漏らしてしまった。妻はキッチンで食器を洗い、息子は居間でテレビを見ている。
追想の果てに辿り着いたその男は、昔日の人物ではない。今現在に関わる男である。学校の生徒であり、前年、地学を教えていたクラスに在籍していた。猫背で、眼鏡で、モヤシっ子。口を蛸のようにすぼめている。派手に突っ張るタイプではもちろんないが、地味ながら独特の地位を築く不良型でもなく、さりとて勉強に邁進する群にも属さない。と彼は見る。つまるところ覇気がない平凡者と言えるのだが……印象は薄くなかったのである。
「あなた。コップを下げても構わない」
近付いてきた妻に、瞼を閉じたまま彼は、片手を上げて否を示した。
風に揺れるカーテン。つられてそよぐ女生徒の髪。あの初夏の日、中天に差し掛かった日の光で教室は澄み渡っていた。昼休みを前に、生徒達は落ち着かなかった。
あいつは確か、教室の後ろの席でふんぞり返っていた。こちらには見えないよう手元でケータイを弄ぶ連中も気に食わなかったが、土竜叩きと同じことで戒めても戒めてもきりがなく、見慣れていた。小癪なことに、叱ろうという気を起こしたとて連中はすぐに勘付き、穴に潜んでしまう。これでは叩きようもない。ところがあいつは、堂々とだらしない姿態をさらけ出していた。さらけ出すと言っても、肩から上しか見えぬほど沈み込んだ姿態だったが。以前にもその様を目にした気もするが、目立たなかったのは、他の土竜と同じく注目される事前に巣穴へ帰っていたのだろう。
それがどうだ。何のつもりだ。目と目が合ったというのに、醜態を改める気配もない。こいつ、土竜の本分を忘れたか、本土を失いでもしたか。穴に引っ込まぬとは、打擲を覚悟したか。太え野郎だ。
意気込んだ俺は声を掛けてみた。が、あいつは応じない。無言でこちらを見ている。周りの連中はといえば、無感動の眼差しを俺に注いでいる。眼・眼・眼・眼・眼・眼・眼。俺にとって、生徒の眼ほど眼を瞑りたくなる物はない。こちらの出方を待ちながら、出た途端に伏せやがる。でまた、こちらが退くと開くんだろう。俺が何をしようとしまいと構わず検分し、見開く間は絶えず監視してけつかる。あいつの眼は違った。おののいていた。それでいて伏せられもせず、震える光を俺に送信している。
俺は腹を立てた。ナメられたと感じたわけじゃない。俺を侮っているのでないことは、弱い眼光からも明らかに知れた。だがあからさまに弱い光それ自体が、不透明を湛えている。だから俺は、見過ごせなかったのだ。つまりあの野郎、憐れみを込めて俺を見詰めていやがった。年端の行かぬ小僧っ子が、とは思わん。ただ、あいつなりの主体性が鬱陶しかった。そうだ、はっきり言おう。か細い生々しさを目障りに感じたのだ。
俺は拳を握り固めた。尻の穴も締めた。生徒達の眼が、この場の処決を促している。奴の眼は、意味不明の憐れみを送り続けている。止むを得ず教壇から一歩を踏み降りた時、俺は七十八キロにもかかわらず、右足にかかる重量を感じなかったよ。まるで虚空を踏む心地ですいすいと前進したのを憶えている。あいつは床に引っ繰り返った。眼鏡はずり落ち、唇が切れていたな。
妻は固い顔つきで、夫の告白を聞いている。非難めいた視線に気圧された彼は、卓上のコップに目を落とした。ややあって気を取り直し、顔を上げると語を継いで、妻に語り聞かせた。男子生徒の傷は大したものではなかったこと。傷の大小にかかわらず体罰を行った自分を後悔していること。そして、その出来事以来、男子生徒との間に奇妙な交流が芽生えたこと――。今では、学校の廊下で会えば双方が笑顔で挨拶を交わすようになり、昼休みの職員室に彼が顔を見せに来る日もある。時折り「また、ぶってくださいね」と悪戯っぽく言ってのけたが、お互いの古傷を優しく撫でるような軽口に、嫌味は無かった。振り返れば、二人が構内で顔を合わせるときはいつも空が晴れているのではないか。そう思えるほど、爽やかな交流だったのである。
なお解しかねるといった風に黙り込む妻に対し、彼はついに笑いかけた。
「俺とあいつとの間に何が起こったか、はっきりとは分からないさ。あくまでも教師と生徒の関係だがね。じゃあ何がきっかけで仲良くなったかって? さあ、そこが問題だて。一緒に考えていこうよ。俺の平手打ちが原因? そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。それに平手じゃない、拳骨だよ。グーでやっちまってな。まあ、とにかく、あいつと俺の間柄を無闇に意味付けるのだけは、止そうじゃないか」
話に一段落が着くと、今更のように、点け放しのテレビの音が夫婦を取り巻いてきた。しばらくの間、二人は、楽天的な雑音を聞くともなしに聞いた。やがて顔色を改めた妻が席を立ち、居間に向かった。ソファで、息子が蛙のごとく張り付いてうたたねをしている。妻は両膝をつき、床に入るよう寝顔に囁いた。彼女の揃えた素足の裏が、夫の眼に鮮やかに映る。食卓に向き直った彼は、わずかばかりのビールを干して、虹色の息を吐いた。
暑さを訴える妻に応じて、彼は布団から這い出た。彼女を跨ぎ、子を跨ぐ。ベランダ際の子が風邪引かぬよう窓は細目に開け留めたが、それでも夜風は流れ込み、ほてった肌に快く当たった。寝床に戻り、女の頭の下に腕を敷く。共に天井を見ながら、迫らない話をした。結婚以来初めて彼が職場の出来事について話をしたことも、他人事のように語り合ったのだった。
痺れをきらした腕を抜くよりはやく、先手を打った彼女が、手枕から胸板に滑り寄せる。逃さじと脚も絡ませてきた。久し振りに積極的である。微笑すれば、笑みを返してくれる。背を撫でていると、長い髪から声がして、彼の心臓に響いた。
――おかしな子ね。その生徒さん。
返事の代わりに、尻を揉む。深い溜息の先に、女が付け加えた。今度、食事に呼んであげたら? 彼は、白い腰から手を離した。長い髪をかき分けると、澄んだ瞳が現れる。思いも寄らぬ名案だった。いいのかと念押すと、彼女は答えず、問うた。
――何てお名前?
猫背で、眼鏡で、モヤシっ子。すぼめた口は横に伸び、黄色い歯がにかり。その笑顔は、瞼の内に鮮明だ。しばし思い巡らせた後、彼は眼を開いて、仕方なしに窓を見た。先ほどつくった隙間闇に、裏手の家のベランダが、青白く透かし見えるばかりである。自身の体熱が引いていくのを感じた。思い出せない。
――いいのよ、どうでも。
慰めるように呟き、女は荒れた手の平を当てた。男の熱を繋ぎ止め、猛りを煽る。身を擡げた彼は、掛け布団をはね上げ、開けたばかりの窓を再び閉めに行った。
"やみぬるかな"へのコメント 0件