魔王は僕の友達

幾島溫

小説

38,673文字

親友が魔王になって、すべての「豆」という文字が「クリトリス」に変換される世界を作ってくれた話。舞台は廃ショッピングモール。岐阜県大垣市。中2の夏休み。2014年に書きました。

(1)夏の訪れ
ぼくの願いは叶った。
すべての豆という言葉が「クリトリス」に変換されるようになって1ヶ月が過ぎた。
なんだよこんなにばっちり叶うなら、もっとスゴイのお願いすれば良かったなーと思いつつ、まぁでも街に溢れる「クリトリス」の文字を見ると大体笑うし、落ち込んでいる時は穏やかな気持ちになれるし、時々軽く勃起するしぼくって世界を救ってるんじゃね!? と思う。愛が世界を救うかどうかは知らないけれど、下ネタは世界を救う。絶対に。ぼくはそう信じている。
だけどそう感じない人の方が多いらしくて、最初の頃は街もテレビもネットの中も大騒ぎだった。
人々が初め異変に気付いたのは豆腐売り場だった。その次、ほとんど同時に気付かれたのが豆乳売り場で、あとは大豆とか小豆とかの乾物売り場が騒ぎになる。そして丁度その頃、静岡県東部、特に伊豆半島が大変なことになっていたと後で知る。道路の青看、ナンバープレート、その他諸々。伊豆のことをすっかり忘れていたぼくは少しだけ申し訳ない気持ちになる。せめて少しでも多くの人が笑えますようにと祈らずにはいられない。ザーメン。天を仰ぐ。信じている神様はいない。
その日のぼくは、この街で一番大きなイオンと近所の小さなスーパーをチャリで巡回して悦に入っていた。だけど本格的に面白くなったのは次の日からで、朝のニュースを見ていたら、ぼくの「童貞奪って欲しいおねーさんランキング」第4位の鍵宮亜梨子アナウンサーが満面の笑みで「北海道の大地で育まれた小クリトリスが」と口にする。隣にいたおっさんキャスター(名前知らない)は絶句、スタジオは凍り付く。亜梨子さんはきょとんとした顔であたりをきょろきょろして、原稿を確認すると顔を真っ赤にしてそのまま俯いてしまった。その後カメラはおっさんキャスターが「うん、おいしい!」と大福を頬張る映像を延々映してそのままCM。この時の動画はすぐにネットにアップされてあっという間に100万回再生を達成してしまった。ぼくだけの亜梨子さんがみんなに見つかった気分になって軽く嫉妬を覚えるけれど、でもいいんだ。だって彼女は4位だから。
初めはみんな、誰かの悪戯だと思っていたようだ。この出来事はワイドショーでも報道される。
「悪質! 『クリトリス』の文字が『豆』に書き換えられる事件多発!」
テロップにはこう書かれてあった。そこでぼくは知る。
「豆と」いう言葉が「クリトリス」に変わることと引き替えに、「クリトリス」という言葉は「豆」になってしまうのだと。リビングのソファで寝転んでいたぼくは飛び起きて、パソコン(家族共用だけど)を立ち上げて、ウィキペディアで「クリトリス」を調べようと文字を打つ。だけど変換キーを押してエンターで確定すると途端に「豆」に変わってしまう。うわーむかつく! もう一度だだだっと衝動に任せて「クリトリス」を早打ち変換エンター、どん! 検索ボックスには「豆」の文字。で、ぼくは思い出す。そうだ、今は「豆」が「クリトリス」なんだから、これで調べてみれば良いんじゃないかと。
するとウィキペディアの「陰核」のページに誘導されてしまった。
ぼくの願いは本当に正確で「陰核」という言葉は「豆」に変換されないらしい。それはぼくがあの時「陰核」という名称を知らなかったからなのだろうか。それとも悠一郎が知らなかったから? そこらをはっきりさせたい気もするけれど、それ以上にこのページの引力は強力でぼくはあっという間に引き込まれてしまう。図解と細かい名称。そして参考資料の写真。勉強になるなぁ……。見る間に動悸が早くなって行き、自分の息遣いが自分でもうるさい。
一発抜いた。
家に誰もいないといないというのは良い。ハッピーサマーバケーション♡ 共働きの両親に感謝♡♡
射精後の気怠さから立ち直るとぼくはティッシュを捨てて服を着て、宿題を始めようとノートを拡げるけれど閃いた。あれをひらがなで書いたらどうなるんだろう、と。
「まめ」
試しにノートに書いてみる。するとシャーペンの文字がじわじわ滲んで「クリトリス」という文字に形を変えた。
ならば、と「マメ」と「MAME」も試してみる。すると全部が「クリトリス」に変わる。成る程、悠一郎はぼくの気持ちをすべて汲み取ったというわけか。さすがだよ。思わず「ズッ友〜♡」とノートの余白に書いてしまうけれど、すぐに黒く塗り潰して消した。女子か。
そんな風に夏休みは過ぎて行き、後半にもなると街の様子も少しずつ変わる。
企業がラベルのデザインを変え始めたのだ。
「とうふ」「ソイミルク」「あずき」「だいず」「ひよこビーンズ」「小さな電球」「いず」など。言い換えたりひらがなを使ったりするようになった。
そんなわけで、街からは急速に「クリトリス」の文字が減っていく。
だけどこんな対応がされるということは人々もこの現象を認め始めたということなのだ。書いても書いても豆という言葉が「クリトリス」に変わってしまうということを。
「クリトリス」と書けば「豆」に変換されるのだから、「豆」の字が使いたい人は「クリトリス」と書けば良さそうなものだけど、「豆」という言葉が「クリトリスに」変わってしまうこの世界では、「豆」の表記、これ即ち「クリトリス」を意味する、或いは「クリトリス」と書いたという事実を示すことになる。そのせいなのか、文字変換の法則が解った後も「豆」という文字は減る一方だった。
みんながどう考えているのか知りたくて、ぼくはネットで「クリトリス 変わる」のキーワードで調べてみる。すると出てくるのは、「蜂の巣掲示板」のまとめサイトや「蜂の巣掲示板」のスレッドばかりで、見るとだいたいこんな感じの見解に別れていた→「集団ノイローゼ」「テロリスト」「バグ」「集団催眠」「錯覚」「呪い」「小さいおっさん」「ダークマター」「アセンション」「プレアデス星人」「災害の前兆」「神の意思」「草の根活動」「元々そうだった」「そもそもクリトリスと豆が入れ替わっても何ら不都合なくね?」残念、どれもこれも外れだ。
次にぼくは、誰か真相に気付いていいるのかが気になって、検索ワードに「魔王」を追加してもう一度調べてみる。ぐぐれぼく、えいっとエンター。すると結果はヒット数何十万、けれどそのうち本当に関連しているのは最初の一件、「クリトリス⇔豆変換した奴出てこいwwww part441」の「342:名無しちゃん  これって大瀧市の魔王が犯人じゃね?」だけで、サイトへ飛んでぼくは会話の流れを追うけれど、342への反応は否定的なものばかりで最終的に「特定しました」と書かれている。そのせいなのかは分からないけど、342は沈黙を守り続けてその後は大瀧市の魔王の話題は出ていない。
ぼくはパソコンの電源を落とした。これじゃ誰も真相に辿り着けそうにもない。342だけは何か気付いていたようだけど、それだって確信はなさそうだ。
だけど実際もしぼくと悠一郎のせいだって世間にバレたらどうなるのだろう?
実のところ、ぼくは何も変わらないんじゃないかって思ってる。だってこんなの全然意味が分からない。人々はぼくと悠一郎の仕業だって知ったところで理解出来ないだろうから、何か科学的な根拠を求めて自分たちの腑に落ちるような別の落としどころを見付けるに違いない。ぼくはそう考えている。
目の前であの力を見ていたぼくにすら、何でこうなってるのか全然理解出来ないのだから、見ていない人たちがそう易々と飲み込める訳がない。分からないけどそうなんだ、と受け止めることは案外難しい。人は物事に意味や理屈や筋道を見い出さないと納得出来ない。そういうものじゃないかな、とぼくは思う。
窓の外ではミンミンゼミとツクツクボーシが鳴いている。「童貞のまま死にたくない!!」と叫んでいるように。ぼくの自由は蝉の声と共に終わるのだ。だから「中だるみの学年と言われる二年生だけど来年は最高学年だという自覚を持って残された時間を有意義に過ごしたいと思います」このフレーズを一学期だけで作文に何度書いたことか。あほくさい。
黒い背表紙の文庫を持ってソファに寝転ぶと、しおりを挟んだページを開いた。
読んだ行を視線でなぞって辿り付いた先には「桃色の肉クリトリス」と書いてあって、果たしてこれはエロいのかそうではないのか、ぼくは考え込んでしまう。

2024年7月19日公開 (初出 2014/9/2 個人ブログ(現存せず))

© 2024 幾島溫

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"魔王は僕の友達"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2024-07-28 11:11

    めちゃくちゃ面白かったです。中2でこれ書くとは凄すぎる。キャラ立ちもいいし、読後感も爽やかで最高。
    ところで、もうだいぶ昔「笑っていいとも」という昼の生放送バラエティ番組で、クリスマスゲストの徳田ホキが、タモリに向かって「メリークリトリス」ってはっきり言ったの、リアルタイムで観てました。
    「今すごいこと言いましたね」と小堺一機が固まってたの思い出しました。

    • 投稿者 | 2024-07-29 15:08

      めちゃくちゃ嬉しいコメントありがとうございます!当時、確か3週間位で書いたので、その頃の頑張りが報われます…!
      そして自分の説明文が悪かったのですが、「中2の夏休みの物語」という意味で、中2で書いた訳じゃなかったです。すみません。しっかり大人になってから書きました笑

      いいとものメリークリトリス事件は知らなかったですが、すごいですね。そんなことがあったとは。小堺さんも災難でしたね笑

      著者
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