(1)
座るところと青空があればだいたい幸せ。
いつもの公園の池の前のいつものベンチに座るとわたしは、ふっと一息ついて苦しい物が胸を覆い尽くすより早く、迅速に読みかけの「百年の孤独」をカバンから出してページを開く。脳裏に己れの思考が蔓延る前に、ガルシア・マルケスの言葉で埋め尽くすのだ。
そしてその試みは十分ほどで見事成功。やっぱりこの人スゴイなおもしろい。そう思って歓喜の顔で顔を上げると、同じクラスの立花綾子が制服姿で立っていた。「あ」「お」と互いに言い合って挨拶の意思を示すと意外なことに立花綾子が笑顔でこちらへ寄る。
「針川さん何してるの?」
「本読んでるよ」
「ひとり?」
「うん」
なんて話している間に立花綾子はどんどん近付いて、ついには隣に腰を下ろす。彼女はわたしの手元の本を見て題名を読み上げると「へ〜、知らない♡」と笑顔で言うけど嫌な感じは全然しない。彼女とは二人きりで話したことはなかったけれど、話しやすそうな人だと思っていた。その勘は当たっていたらしい。
「いつもここにいるの?」とか「靴下のワンポイント、かわいい」とか「針川さんって面白いね」とか言われているうちに、立花綾子はカバンからチョコレートの入った袋を出してわたしに一粒くれる。「おいしいね」そう言ったものの、立花さんと話す興奮と戸惑いで味はよくわからない。
高いところでカラスが鳴き始める。
池の上に陰りが落ちる。
夕暮れが夜の訪れを知らせていることは分かっていた。恐らく立花さんもそうだ。
けれど盛り上がった話を止めることはとても惜しくて、わたしはずっと気付かないふりをしていた。話の内容はとてもくだらないものだった。初めは互いのことを聞いたり話したりしていたけれど、それがそのうち学校の話になり、いつの間にか情報など一切含まないバカ話へと変わっていった。
「だからね、もしそうなったらね」
「うんうん」
「坂からがダルマがごーっ!!!!って一斉に転がり落ちるじゃん?」
「やだもーやめて。あははははお腹痛いよ」
わたしも立花さんも息だけで「ひーひー」と笑っている。苦しい。お腹を押さえる。彼女は不思議と他人の話はしなかった。クラスメートの噂話も、先生の悪口も。そういうところもわたしはとても気に入った。
このバカみたいな話も楽しいけれど、それ以上にわたしは彼女とこうして笑い合っているという事実がとても嬉しくて楽しい。内容なんてどうでもよかった。ただ同じことで一緒に笑い合っている、この時間がずっと続けば良い。
そう感じていたのはおそらく立花綾子も同じで、数珠つなぎのように彼女はわたしとバカな妄想を繋げていった。重ねに重ねた話は最早誰にも理解不能だろうけど、その分笑いの破壊力も凄まじい。二人で話しているとどこまでもいってしまいそうだから、どこまで行けるか試したくなる。
街灯が立花綾子の顔を仄かに照らした。月はどこにいるのかここからは見えない。
池の水面は紺色の空を映して静まりかえっている。
辺りに人はいなくはないけれどとても少ない。こんなんじゃもう夜に気付かないフリも出来ない。
「あ〜面白かった。立花さんヤバいよー」
「針川ちゃんの方がヤバいって」
いつの間にか「ちゃん」付けで呼ばれている。仲良くなれたのかなと思って嬉しくて落ち着かない。にしても、さりげなくこういうことが出来るなんて立花さんが羨ましい。
「もう真っ暗だねー。そろそろ帰らなくて大丈夫?」
彼女が帰りやすいようにわたしは話題を変える。
「うーん、でもなんか喋り足りないよぉ〜」
「マジで!? わたしもだよっ!」
嬉しくて言葉尻が弾んだ。
「だよね! それじゃあさ、うち泊まりにこない?」
彼女は興奮した瞳でわたしを見る。
「えっ、ほんと!?」
「うん! ここからけっこう近いんだよ」
「わーん、行きたい−! でもいいのかなぁ」
「いいよいいよぉ、明日休みだしいいじゃん。親と弟いるけど、気にしなくていいから」
「ほんと〜。それじゃぁ行こっかな♡」
「望むところだっ♡」
というやりとりを経て、わたしは立花家へお邪魔することになる。
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