二回目

合評会2024年03月応募作品

深山

小説

3,625文字

自分の死生観ごりごり語りたいだけみたいになってしまったんですが強めの思想とかはないです。合評会2024年03月分参加です。お題は「二回目の臨死体験」

 ユティの爺さんの三回目と四回目の臨死体験の話は面白かったけど、話半分に聞いといた方がいいね。五回目はそんなでもなかった。思うに三回以上の臨死体験は幻覚か、幽体離脱が癖になってんじゃないか。
一回体験した人の二回目の話が一番面白いよ。一回体験している人は理解が深い。
 ガキの頃にプールで溺れてそれらしい体験をしたから、俺はたまに好きでそういう話を聞く。なんてセンシティブなことを聞くんだと嫌そうにする人も中にはいるが、聞いてもらいたがる人は案外多い。
 ユティの爺さんと呼んではいるけど本当に爺さんかは知らない。なんとなく年上に思えたのとユティさんって感じでもなかったから、爺さん。もしかしたら婆さんだったかも。でも少なくともお姉さんではなかったと思うからいい。本人もなんも言わないし。

 プールで溺れた時、五歳か六歳だった。浮き輪からするっと身体が抜けて水を飲んだ。溺れるって一瞬で、周りに人がいようが監視員がいようが関係がない。急にひゅっと息ができなくなって、前が見えなくなり上下がわからなくなり、周囲の声が遠くなった。それから苦しいという感覚が襲ってきた。溺れたんだ、とわかったのはさらにその後だった。いくらもがいても手応えがない、泣き叫びたくても叫べないのがまず恐怖だった。
 宙を掻く手足の感覚がわからなくなり、気が遠くなってふっと、その自分の姿を冷静に見た。まだ自分のことを客観的に見つめたことなんてない歳だった。水の中でじたばたする自分と、それから、プールサイドから真っ青な顔で飛び込んでくる母親の姿が見えた。上からの俯瞰の景色で思い出すけど、どこかからの目線というより、そういうふうになっていると自分の意識のひとまわり外側の意識でわかる、そういう見え方だった。でもおかげで母親の方に手を伸ばすことができた。
 手を伸ばして助かった、のだと思う。それからどう引き上げてもらったのか、水を吐いたか、叱られたか、覚えてない。
 あれは本当に臨死体験だったんだろうか。俺は二回目を覚えていない。

 主観と客観、意識と無意識。この二つの越境だ。ユティの爺さんは言った。身体があるから、身体で知覚できることが世界の全てだと思っちまう。目で見て耳で聞くせいで、目と耳に近いところばっかりよくわかるんだよ。それに頼らない意識を持った時、世界のことが満遍なくわかる。身体で知覚できることもできないことも含めて満遍なくだ。そうすると自分のことを外から眺めるように感じることもあるわけだ。あれはそういう体験なんだよ。俺ぁ二回目の時にそれを理解したね。
 二回も命が危険に晒されて知る価値があるのか俺にはわからん。

 久々に体験者がいるって聞いたから話聞かせてよって行ってみたら、ハードなSMプレイで何度か危ないところまでいった人とかで変な話ばっかだった。肉体の快楽への衝動や執着、もう全然わからない。

 爺さんの四回目の話はとにかく若さって感じ。薬で意識から身体をぽーんと手放しちゃった話だった。
 意識と無意識の越境、と爺さんは言った。越境であって融合ではない。混ざるもんじゃねえんだ、無意識の領域があるってことを認める。無意識なんだから意識したって意味はねえ、ただあることを受け入れろ。もっと言えば、諦めろ。
 いろんな人の話聞いてて思うのは、みんな怖くなかったと言うってこと。むしろ苦しい怖いというところからふっと抜けた先を見る。それを死んだと思う人もいれば、死ぬかもしれないことを忘れたという人もいる。混乱した意識が澄み渡る。死んだおばあちゃんに呼ばれたとか、逆に来るなって叱られた話。事故で幼い娘を死なせてしまったことを悔やみ続けていた人のもとに娘が来てくれて、それで全部良くなった、という話。
 嬉しい、悲しい、そういう個人的な感情じゃないんだ。全部受け入れて良くなる。良いものを受け入れて受け入れられる。自分が良いものの一部になる。二回目を覚えていたら、俺もそういう瞬間があったのだろうか。

 そりゃなんだっていいだろう。
 個にしがみつくからいけない。爺さんが言う。個から離れることを無だと思うから現代人は間違うんだ。全体から独立した個体だけで存在すると考えるから、個体の良し悪しのことしかわからなくなる。そうではないありかたを認められない。
 あんたは個ではない何かになりたくてドラッグをやってたわけ。俺が聞く。なんもならねえよ。爺さんは言う。ドラッグで感覚が異常に研ぎ澄まされる瞬間、あれが近かったんだ。臨死体験に? そうだ。
 爺さんは若い頃軍にいて二回死にかけた。除隊してから精神世界に傾倒してLSD、ヘロインやらコカイン。過剰摂取でまた二回死にかけた。爺さんの幻覚体験の話には忌々しさと恍惚とした色が両方混じっている。そこにあった後悔と憧れ。生の執念、死の情景。
 俺は二回目を覚えていない。そんなもん覚えていなくていいだろと爺さんは言う。一回あっただけで充分じゃねえか。別に何回もやりたいわけじゃないんだよ。あれが本当にそうだったのか、勘違いだったのかわからない。合ってるも間違ってるもありゃしねえよ。生き死にがあるだけなんだから。

 話聞きに行ってみたら今度は子供だった。俺が溺れた歳よりは大きいと思うけどまだ十歳くらいじゃないの。子供の方が、生きるも死ぬもおんなじように思ってる。長く生きすぎていないからかもしれない。でも子供の話、俺はあんまり聞きたくない。
 一人だったの、と俺が訊ねたら、弟と一緒だったよ。その子は言った。一緒に家に帰るところだったんだ。急にトラックが来て。あーもういいよ。弟の方が道路から遠い方にいたんだ。そっか、お前えらいじゃん。ほんと? うんえらい。ぼくさあ、赤ちゃんの頃身体弱くて死にかけてるんだよね。ああ、その時に体験してるんだ。そう、でも全然忘れてた。その時になって、あ、これ前にも見たやつだなーって思った。死んだおばあちゃんとか出てきた? おばあちゃんもおじいちゃんもまだ生きてたよ。あ、そっかごめん、お前まだ子供だもんな。
 子供の話はあんまり聞きたくない。

 個にしがみつくなよ。爺さんに言われる。個でなくなることは大したことじゃねえ。じゃないならお前も俺もなんなんだよ。だよなあと思う。
 軍で二回、ドラッグで二回、壮絶に死にかけた爺さんの五回目はあっけないものだった。らしい。仲間内のトラブルでナイフで刺されて、場所が悪かった。それほど淵を彷徨うこともなくこちらに来た。プールで溺れかけた俺は、それから平穏無事な人生を過ごしたが、三十の半ばに病気になった。結婚もしてなかったし子供もいなかったが、仲間が何人も見舞いに来てくれた。両親と姉がいて祖父母はもういなかった。先にそっちに行くのが俺の方とは思わなかったなあと思った。眠っているうちに来ていた。
 だから本番の臨死を体験しなかったわけだ。別にしたかったわけじゃないんだけど。
 時間がいらなくなったこっちでは、ただ状態だけがある。個であった意識は揺らぎ、個から全、主観から共感、あるいはダイアクロニックからシンクロニック、行きつ戻りつしている。後も先もない。その状態を行きつ戻りつするだけ。一人の人間だった頃の自分を少しずつ手放す。
 ここには誰かの話を聞きたいと思っている俺がいるのではなく、話を聞きたい俺の意識があるのみで、ここに爺さんがいるわけじゃなくて、爺さんと話したい俺に答えてやるかって意識があるのみで、子供の話に悲しんだり、肉体の快楽を覚えていたり、それが誰だったかというのはもうそんなに意味はなくて、俺がいるというよりも誰かの話を聞きたい意識を俺だとしてみたりしている。
 なあおいユティの爺さん、聞きたかったんだけどあんたどこの人だったの。アメリカ、軍でベトナムに行ったよ。もしかして若かったんじゃないの。もう忘れた。あ、そう。
 二回目を覚えていないから諦めがつかないんじゃないかと、俺は思っている。家族も仲間も悲しんでくれたのに、俺だけなんもなかったような。
 納得のいく死に方なんてする人の方が少ない。でも死んだことには納得できる。諦めがつかないのは死んだことにではなく、それを覚えていないこと。死に値する死に方があるなんて思っているんだろうか。生に値する生き方なんてないのに。生きてるうちは未来に死があるがここにはない。自分でこっちに来たと思いたかったのかもしれない。最後にあったかもしれない記憶だから。
 でも諦めのつかない俺がどこかにいるわけじゃなくて、つかない諦めというものがあるのみだ。解消したり叶ったりしていくのはあっちだけの話だ。ユティの爺さんだってもういなくて、俺が呼んだ時に爺さんがいて、もしくは爺さんが呼ばれたい時に呼ぶ俺がいるのかもしれなくて、誰かが覚えている肉体の快楽とか、誰かが思い出す無邪気さとか、愛着とかと一緒になってたまに分かれてまた一緒になって、そうして、俺が俺と呼ぶものはここにまだ存在していた。

2024年3月18日公開

© 2024 深山

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"二回目"へのコメント 14

  • 投稿者 | 2024-03-19 16:42

    物凄い長文です。はじめまして、ですが、よろしくお願いいたします!

     当事者の「語り」から入る文体、滅茶苦茶久しぶりに見てウワァっ!ってなりました。ゴーゴリ先生とか、その時代に流行ったやつですよね。当時は「私」を使えませんでしたが、語り手の名前を「私」に据えかえれば深山先生の採用された文体に重なってくると思います。
     二回目の体験を語る辺りから一気にスピード感が上がってワクワクしました。「越境」のテーマは小説の「書かれることと読まれること」にまつわる原理の次元と結びついて、より芸術的な磁場を発生させるきっかけになったと思います。原理に結びつくからこそ、扱い方が難しい。でも難しいからこそ分け入っていきたい。勝手ながら、同志と思わせてください。
     ――あんたは個ではない何かになりたくてドラッグをやってたわけ。俺が聞く。なんもならねえよ。爺さんは言う。ドラッグで感覚が異常に研ぎ澄まされる瞬間、あれが近かったんだ。臨死体験に? そうだ。
     ここで、文字通り自他の境が越境されます。虚構次元で語られたことが現実の文章に影響するという「異次元の越境」が実現したという訳ですよね。ただどうしても、虚構次元内での越境を実現するための方法として採用した「ドラッグ」がどうだったかという問題が残ります。単純な倫理の制約を言っているのですが、その点について「あってるも間違っているもありゃしねえよ」と回収されているので機能はしていると思います。ただそのジンテーゼとして提示されたのが単純な「生きるか死ぬか」だったので、もっと大きなテーマを期待しました。「二」の(のちに五へ接続する)テーマや「プール」のテーマが最後の「シンクロ」を準備するのも分かるのですが、「書くことと読むこと」という原理的な側面(語られることと開かれること=ダイアクロニックからシンクロニック、行きつ戻り)を通ってもなお、その状態を「だけ」と「(誤解を恐れずに言えば)過小評価」しているのが大変気になりました。私たち小説を書く人間が、この深さを認知し得てもなお「だけ」と言ってしまうのは大変残念でなりません。この深さ(浅さ?)そのものが、人と言葉を結ぶ磁力の正体なのだと思います。それは深山先生も熟知なされていると思います。それ故のフィナーレでした。
    最後に、小説に取りつかれたことへの後悔を思う日々への共感だけは、心から表明します。最大の敬意と共に。

    • 投稿者 | 2024-03-21 13:34

       初めまして。
       コメントありがとうございます。周りに小説を書く人間がおらず、自分の文章に対してちょっとした感想以上のものを頂いたことがなかったので大変嬉しかったです。ありがとうございます。
       具体的な情景やリアリティを書けない話のため三人称にすべきだったかと迷っていたのですが、語りを採用して良かったかなと少し安堵しました。
       自と他、意識と無意識、現実と虚構、生と死、書く側と読む側、見ると見られる、といったあちらとこちらの境については常々考えていることで、まだまだこねくり回していきたいと思っています。
       そして何より鹿嶌さんのご指摘で、「だけ」という言葉を無意識に使っていたことを気づき反省いたしました。言葉も言い回しも吟味しているつもり(むしろそこを楽しんでいるつもり)であったのに、まだまだ無自覚でした。本当にご指摘の通りです。
       小説に取りつかれた者同士、これからもよろしくお願いします。

      著者
  • 投稿者 | 2024-03-23 20:55

    今回の応募作の中でもっとも異色かつ興味深い作品でした。
    「死」の側から見た臨死体験、発想そのものがユニークですが、普段から死についてまた生きることについて考えておられるのだろうなと思いました。

    生と死は、状態が違うだけで同じ命なんだと、見えるか見えないか、個別の発現か全体の中に溶け込んでいるか、一つの肉体に留まっているか、宙の中を自在に飛び回っているか、状態が違うけれど同じものなんだ、みたいなことを、菩提寺の住職さんに教えられたことを思い出しました。

    平易な語り口で深い話ができるのがすごいと思います。子供の話はあんまり聞きたくないというくだりに優しさも感じました。

    • 投稿者 | 2024-03-25 18:17

      コメントありがとうございます。
      さすが御住職はいいことを仰いますね。仏教の世界観は興味があるのでいよいよちゃんと調べたいです。
      平易な語り口で深い話、それができたら一番かっこいいとずっと思っているのですが…まだまだ精進していきます。嬉しいです。ありがとうございます。

      著者
  • 編集者 | 2024-03-24 21:53

    哲学的ですね。最後の一文が格好良かったです。百万回生きた猫を思い出しました。

    • 投稿者 | 2024-03-25 18:18

      最後の一文に迷わないことはないのですが、格好良くなっていたら嬉しいです。ありがとうございます。

      著者
  • 投稿者 | 2024-03-25 12:56

    生きてるうちは未来に死があるがここにはない。
    って超かっちょいい。他にもあの部分はかっちょいい。生に値する生き方なんてないのに。もかっちょいい。自分でこっちに来たと思いたかったのかもしれない。もかっちょいい。うおおおおおってなりました。

    • 投稿者 | 2024-03-25 18:19

      4かっちょいいいただきましてありがとうございます!もっとかっちょいいこと言いたいす!

      著者
  • 投稿者 | 2024-03-25 14:33

    はじめまして。
    知人のHNと被っていたので、ひょっとしたら??と思ったのですが、合評会を楽しみにします。
    「臨死体験」について語り、実は「死」の世界にいる者たちの話という流れ、上手かったです。
    「二回目」ではなく「臨死体験」にフィーチャーしてるのが異色でした(まだ全作読んでませんが)。
    大猫さんも書いておられましたが、柔らかい口調で堅い話をしているのがすごいです。
    今後もぜひご参加ください。

    • 投稿者 | 2024-03-25 18:20

      今は他で使っていない名前なのですみません、知らん人だと思います…笑。ご友人の深山さんによろしくお伝えください。
      自分が昔書いたものを読み返したら固い文体で大したことないことばっか語っててダサかったことがあるので柔らかい文体を目指しています。

      著者
  • 投稿者 | 2024-03-25 15:13

    臨死体験を聞きに来る主人公は実は死神なんじゃないかと邪推しました。自分の生死感に正面から向き合った作品だと感じました。それとヘロイン中毒から立ち直ったユティ爺さんすげえ。

    • 投稿者 | 2024-03-25 18:22

      え、そっちの方が面白かったのでは…?
      爺さんは立ち直ってないかもしれませんね。まあ肉体がなければ中毒もなにもないので。ヤク中同士の小競り合いで死んだヒッピー崩れの可能性もあります。知りませんが…

      著者
  • ゲスト | 2024-03-25 18:27

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  • 編集者 | 2024-03-25 19:18

    臨死体験を二度も、というところに強く向き合っている。人間がどうなるかわからない体験を何回も。登場人物たちの死生やそれぞれの向き合い方も練られており、思索がなければできないと思った。かっちょいい。

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