クソニートマシーン(原稿用紙182枚)

古代鎖

小説

72,704文字

クソニートマシーンの主人公が謎の城に迷いこむ話です

んでもって俺の極めてアンバランスな精神の上で成り立ってる弾丸みてぇな性質をした儚い何かがゆれ動いてる。魂に同化させた煌めきの美しい側面に見た聖なる映像が心と連結してゲリラ豪雨を呼び込む雨ごいをしている俺であると想像してみる。いつかは死にたいのだという願望を持った俺に必要なのは、神聖なる神がその手で下す裁きでしかねぇ。俺は糞みてぇな心で、腐敗した心でただれた心で殺人を行いてぇ。女の白く滑らかな陽光を反射する肌を唇を使って愛撫してぇ。んでもってこれって掛けがえのない代用品でもない紛れもない愛情じゃね、って確信してるわけ。んで魂と透明な鎖で繋がった精神を引きちぎりたいが、鎖はとても硬くて切っても切り離せねぇのよ。心は美しくも繊細な均衡を保ちつつ、輝く胃液の混じったゲロが出るような一面を保持してる。けど心って結構アンバランスだったりするから、俺は感情の変化を大切にしていきてぇ。眼下に広がる精神という名の底の見えない深淵、つまりは無意識に思考を接続するためのケーブルが欲しい。やっぱ生きてくにはそれが必要不可欠じゃん、って気づいちまった俺の精神の回路を狂わせてるおぞましい影だけの生き物にも似た闇に飲みこまれそうで、恐ろしさより不可思議な感情の方が勝ってて、それって好奇心ってやつじゃね、って何度目かの悟りを得ちまった。これから何かが俺の身に降りかかるのだとしたら、俺はそれを受け入れ前進するっていう強固な心も持ち合わせてる。一種の快楽をおぼえた俺ちゃんの腐り果ててどうにもならなくなった人生を再生させるための気力はまだあるつもりだが、真相は闇に葬り去られたまま。やがて俺の意識は潜在意識という広大な波の激しい海に沈みこみ、海中で泳ぐようにしてイカした魚雷みてぇに突き進む。もう面倒な工程は省いて、俺の胸に空いた空洞に吹きこむ風をそのまま静かに脈打つ心臓で感じてぇだけなんだ。その生命をつかさどる体内で活発に鼓動する臓器は鮮血をポンプみてぇに細い血管に送りだして絶えず活動を続けている。稼働する細胞組織の集合体である心臓が俺ちゃんを生かし、精神と思考を糸で結びつけてるから、それが解けないように懸命に頭を使い、膨大な量のアイディアを自分の物にしようとしちゃう。俺はみっともねぇ糞食らえな人間だし、恥知らずな奴だから人前で平気で屁をこける。俺はプライドを捨てて自分の内面で蠢く艶やかな身体をした小さな虫のような感情を大切にしていきてぇ。そんな俺は頭がイッてるって訳で、思考が飛んでるって訳で、結論を述べると狂ってるのかもしれねぇ。精神は淀んで退廃的な人生という重りにより蝕まれたので、俺は涙ながらに生きていた過去もあるけど、まぁそんな時はウイスキーを飲む。ボウモアっていうイカしたデザインの華やかで奥ゆきのある香りをした堪らなく素晴らしい一品の酒。アルコール度数四十パーセントの鼻とノドを突きぬけるような刺激に、陶酔した感覚になっちゃって、俺は凄まじく嬉しくて、生きている証を残すだなんて真似はせず、ただむさぼる様にウイスキーを浴びつづける日々を楽しみながら過ごしてるのよねん。精神の決壊が俺の望んでいた、憧れていた事なのか、って疑問をふり払うために思考のスピードを上げて上げて世界の果てまで辿りつきてぇ。憧憬って言葉の意味は知らねぇけど、それって素敵かつ優しい言葉じゃね、って想像上で羽ばたく白い鳥をまぶたの裏側に浮かび上がらせて思う。柔らかな襞、女性器のイソギンチャクにも似た襞にも似てる美しい言葉だ。精神は軽やかに跳躍し、着地点にある風でゆらめく旗をなぎ倒す。そうだ、これが俺の求めていた悟りという名の境地なんだ、って結論に行きつくにはやや早計なのかねぇ。誰も答えてくれないから、俺はその命題を奥の奥の奥にまで突きつめて考えなきゃいけない。まぁウイスキーは最高に美味くて超刺激的な味が蛇のように長い生き物じみた舌に絡まって、味覚神経にゆっくりと浸透していき、俺をこれ以上ないくらい満足させて、一時的ではあるが、紛れもない幸福を与えてくれるんだ。もうマジでこのウイスキーっていう神がかった飲み物は、輝く半透明の宝石にも似た至福の存在で、俺の精神に作用する安定剤と興奮剤を同時に内包した琥珀色の液体なんだ。瓶の中で波のように揺らめきながら内部で光を乱反射させてるとろみのある液に、自分の精神を重ね合わせるって馬鹿げた妄想に憑りつかれる。マジで夢遊病者みてぇな、白昼夢でも見てるみてぇな、現実感が遠のく感じに、俺の頭のネジは勢いよく外れてどっかに吹っ飛んでいきやがる。ウイスキーの味、香り、その美しい色に、俺は五感を使ってそれらの感覚を感じとると、陶酔してしまう。これこそが俺の求めていた最高の精神に作用をおよぼす薬なんだ、錠剤の代わりなんだ、と認識しちゃって繊細な心は麻痺するようにして、穏やかな眠りにつきそうになるものの、俺は意識を現実へと何とかきわどい所で引き戻した。太陽から濡れたようなヌメリとした粘液じみた光線が凄まじい速度で地上にとどき、俺の膜の張った眼球を射抜く。光を直視したという視神経の微弱な刺激により、俺は涙を流しそうになる。あの透明なしょっぱい滴はガラス細工のような眼球から滲みでてくる。俺の精神を浄化させるために一筋の涙が流れ頬をつたい、アゴを通過し、ゆっくりとじらす様にして床に落下する。カーテンは開け放たれたままで、窓から透過された無邪気そうな獰猛な太陽から吐きだされた光が室内で戯れてる。光は部屋中を乱反射し、優しく壁や床をテーブルを淡く照らし、その幼子のような性質を持つ無垢な光輝を部屋中に塗りたくる。精神とアルコールによる酩酊効果は密接に、男女の全裸の絡み合いのごとく結びついている。心は怠惰な日々により研磨され細く鋭く尖っていき、徐々に俺の人体を疲弊させていく。俺の体内で活動する様々な臓器、つまり肺や、胃や、肝臓、そして一番注目すべき心臓がすり減っていく気分だ。細胞が集まって滑らかな感触がする臓器を作り上げるという自然的な、でも奇跡に近いこの事象に俺は幸福を感じているハズなんだけど、幸せと呼ぶには客観的に見てほど遠い生活をしている。俺は服を一枚一枚、脱いでいき、全裸になって日光浴をしようとする。まず汗の染みこんで黄ばんだ、元は雪原のごとく白かった綺麗なTシャツ、次に腰に巻きつけられた硬いがしなやかな革のベルト、それから下着を脱いで靴下も取り払う。見事全裸になった俺は、自由がこの胸に満ちていくのだというゆるやかな錯覚を感じた気がしたけど、それは儚い蜃気楼のように意識から遠のき、完全に消えてしまった。全裸になった俺の精神状態はというと、まぁ素晴らしく開放的じゃね、ってところ。目の前にうず高く積まれた労働という名の拷問から解放された俺は、今は自室にこもり自由を謳歌していた。でもそれは本当の自由なのか自分でも分からず戸惑ってすらいたから、今日この日に全裸になって薄汚い皮膚をさらしながら日の光を浴びたのは、俺にとって良かったのかもしれない。疲労した俺の心と身体は少しずつ本来の快活さを取りもどしてきた。激しく脈動し始めた心臓の音が、どこか鐘の音にも似ているという感想が頭の中で渦を巻きながら脳の皺に浸透していく。脳細胞から抽出された意識が例えるなら砂漠で輝くオアシスみてぇな安らぎに満ちた場所に深く深く沈みこんでいく。まどろみを覚えて、俺は少し眠くなり、空想上のオアシスの草むらで眠りたくなった。広大な砂漠に肌に、突き刺さるような狂暴な光、それを遮るための木陰で光合成したながら呼吸してる木々と温かな眠りにつきたい。そうすりゃすり減った精神は段階的に回復していくと予想している俺は、まだ人生を楽観視してるだけなのかもしれねぇ。俺と人生をすり寄せて、白く濁った糊という概念で包みこみ、接着させたい。俺は狂おしいほど女を抱きたい過去があったけど、今は性欲も落ちついてきて、今では不能の不感症になり下がった。でも女のケツを追うという衝動が霧みたく消失したので、かなり楽に日々を過ごしている。あの身を焦がすような灼熱の情欲に捉われていた時はきつかったから、自分で自分を慰めるだなんて情けない真似しなくちゃならなかった。でも今ではウイスキーとタバコがあれば他に何もいらねぇって感じて、今日も生きてる。アメスピ、ラッキーストライク、ショートホープ、ハイライト、ロングピース、様々な銘柄のタバコをはしごして、その濃厚で深くずっしりとした煙の香りと味を堪能する俺は、己の額に架空の銃を突きつけて引きがねを引き、透明な弾丸で頭蓋を射抜くと骨の破片が飛散する、なんて馬鹿げた妄想をしながらタバコを吸いまくる。ああ、ウイスキーとタバコは寄りそい合っていて、互いに互いを深く理解している愛情たっぷりの嗜好品だ。この二つの嗜好品が俺の精神を素晴らしく軽くしてくれてる。性欲抜きの愛情を感じるにはまだまだ俺は若すぎるが、青年ってわけでもねぇ、もう中年という域に差しかかってる。地面にくさびで打ち込まれた俺の足から流れでる血液が美しい色彩をしているのだ、という妄想に捉われて、俺は自分の内側に隠しもってる獣のような危険な欲望を胸のなかに仕舞ったままにしておきたいと思った。今はショートホープを吸いながら、ウイスキーを飲んでいて、フィルターに着香されたハチミツの香りを鼻から吸引し、その引力に引きずりこまれるようにして鼻腔に流れこむ匂いが鼻毛に染みこんでいきやがる。ボウモアってウイスキーは潮の香りを感じさせるから、甘いタバコと良く合うので、比較的やさしい甘味のあるアメスピ・ライトを次に吸おうと考えてる。このタバコはたっぷり六分も持つ無添加で、自然本来の葉の香りと味が楽しめるタバコで、俺はこいつを重宝してる。仕事のない俺の暇な時間を埋めるための役割を果たしてるこのタバコにはいつも頭が上がらねぇ。頭が上がらねぇってか、うだつが上がらね俺の日々に嫌気が差すのは一体いつ頃なんだろう。でも俺はこの惰性にまみれた日々に友情の念を抱いてるし、日々の方も俺を友達だって思ってくれてるハズなんだ。俺の部屋には観葉植物が置いてあり、葉先がナイフのように鋭く尖っている。この植物は緑色というただ一色でありながらも俺の心をやわらかく包みこむようにして癒してくれる。母が赤子を抱くのにも似た愛情たっぷりの抱擁に、ザラついた精神の産毛の生えた表面がゆっくりと滑らかになっていく。観葉植物を眺めているだけで和んでしまう俺は、少しだけ単純かつ無垢な性格をしてるのかもしれねぇ。俺はただ植物に一方的に与えられているだけではなく、水という草木にとっては聖なる飲み物をお返ししちゃってるんだよん。つまり植物に精神があるのならば、俺の心と植物の心は密接に絡み合うようにして繋がってるってのは明白な事実だ。俺にとっての水はウイスキーってわけで、ストレートでワイルドターキーをあおった後でサントリーオールドを氷を入れたグラスに注ぐ。俺はウイスキーはストレートに限る、氷なんか入れちまったら時の経過と共にあの濃厚さが損なわれてしまう、と信じていたけど、サントリーオールドは別だ。このウイスキーはグラスの中で丸い氷をまわし、少しうすめて飲むのが最高に美味い。脳がとろけるような美味な液体がノドを軽やかに滑走し、胃に到達してウイスキーにの内部に眠る熱、つまりアルコールが胃の粘膜に染みこんでいくのを感じながら酔いつぶれるまで飲むのが俺の生活の一部になっちゃってる。俺は朝と昼と夜にアルコールを大量に摂取してるから、一日中酔ってるってわけで、つまり俺はアル中なのかもしれないね、マジでほんとんとこ。酔っぱらいながらバロウズの爆発した切符を読むと、マジでその膨大な支離滅裂な文章の羅列に密接に精神をつなぎ合わせられる。ヤク中の書いた文章をアル中の俺が読む、ってのはうってつけってじゃん。アルコールに思考が飛んでた俺は観葉植物に意識を集中させるため、その艶やかな白い毛が生えた尖った葉に視線を向ける。この植物は花を咲かせたりしねぇ、その不完全さが俺自身の微妙な精神の動きと重なるんだ。んでもって観葉植物がもしお喋りできたら、俺と楽しく会話をしてくれるくらいの親密度はあるって信じたいね。でもこいつはどんな性格をしてるんだろうか、って疑問が夜空に浮かんだ月から吊るされて宙ぶらりん、って今は昼だから月は見えねぇし、空は真っ青だし、太陽はギラついた輝きを地上にそそいでるしで、嫌になるくらい外の世界は明るい。俺は薄暗い部屋で一人ウイスキーを味わいながら読書するか観葉植物をながめるのが好きな腐れ変態ヤロウだって自覚はあるのよん。太陽は俺の精神を大きな穴を開けるほど蝕んで、俺を自殺へと追い込みやがるから、俺はそれに抗うためにウイスキーを浴びるほど飲んで、思考を麻痺させなきゃならねぇ。手のなかで爆発するように輝くグラスに入った琥珀色の液体が、救世主となって白馬に乗りながら俺を救ってくれる。まだ大人になってねぇのかな、俺の心は弱いままなのかな、外の世界では生きていけないのかな、働くなんて俺には無理! って結論に毎日毎日たっしてる俺ちゃんはクソニートマシーン。クソニートマシーンって歌をアイドルという一つの記号じみた少女に歌って欲しい。歌詞は俺が書いて印税が入ったら俺は高級で希少なウイスキーを飲み放題って妄想が頭んなかに浮かんでは消え、浮かんでは消えてく。でもまぁ高い酒もいいけど、手ごろな値段の酒も抜群にウメェし、何だかんだ言ってみたところで安ウイスキーでも満足できちゃう健気な俺ちゃん。優しい俺ちゃんは愛すべき観葉植物にウイスキーを注いでやった。これでこいつも酔っぱらうかなって想像しちゃった俺は、これから毎日ウイスキーを観葉植物に与えてやろうと思う。まぁそしたらいつかは枯れて萎れて、その静かに息をする生命も死んじゃうか、って不安が脳裏を一瞬だけ、ほんの一瞬だけよぎっちゃう。その時はその時、命ってのは儚くて死ぬ時ってのは結構あっけないのかもしれない。それは植物や動物だけに当てはまる真理だけじゃなくて、もちろん人間にも適用されるって知ってるのよねん。だから俺はいつ死んでも悔いのない生き方をしてぇ、って一種の悟りを得ちゃったの。でもこれってみんながみんな考えてる事のハズだから、俺のオリジナリティのある思考ってわけでもねぇ。とりあえず俺はゆっくりと時間が経過していくのを本を読みながら感じていた。ゆるやかに流れる時の優しい肌触りに、アルコールで酩酊した俺の意識が触れて、その時間の柔らかさと残酷さに、悲しみと喜びの入り混じった気持になっちゃう。んで爆発した切符を酔っぱらいながら読んでる俺は軽く混乱して、何度も読書を中断しようとしたが、その文章に引きこまれてなかなか止め時が見つからねぇ。バロウズってのは本当にイカれててイカした老人だったな、って今は亡き作家様に思いをはせる。奴はホモだったけど、俺は紛れもない女が好きな性的には異常ではない一人の男、つまらねぇ男だって結論づけちゃうにはやや早計。この歪な手のなかに一体何を収められるんだろう、って未来を映像、として思いうかべようとすると、脳に痛みが走り、無理やり思考が途切れるから、俺は思考ではなく感情で物事に接する。その方が楽だから、思考は邪魔だから、俺のチンポコを萎えさせる病魔みてぇなもんだから、ウイスキーを脳に打ちこんで思考に対する抗体を身につけてぇ。んでもってクソニートマシーンである俺ちゃんは爆発した切符を読破し、次にバロウズのソフトマシーンに取りかかろうとして、床に積まれた本の中からソフトマシーンを探そうとする。クソニートマシーンの俺がソフトマシーンを読むって何て滑稽なんだ、これは失笑、いや嘲笑、いやいや爆笑ものだね。アルコールを摂取まくったから酔いは強烈に頭に回ってきてんだけど、酔いつぶれるほどでもねぇ。脳が頭蓋という壁を透明になって通過し、天井を抜けて、雲で覆われた空に吸いこまれるようにして消えていってしまう、と形容したら適切なほど、俺は快楽を全身で得てしまってる。んで脳に刻まれた無数の皺につまった知識を、銀色に輝くピンセットでつまみ取って、その美麗な形状をした知識という概念をこの澄んだ目で見てみてぇんだ。知識と言っても俺は勉強が嫌いだから、爪に薄汚い垢がつまるようにして、脳につめ込まれてるのは膨大な量の活字だけだ。活字は俺を心躍らせ、物語りの中に意識を沈みこませて、つまりは没頭させ、別の世界へと俺を誘ってくれるんだ。読書をしてる時は現実を忘れ虚構という名の様々な世界へと旅立てる。それは胸躍る体験であり、他には代用のきかないダイアモンドじみた希少な経験でもあるのだ、と俺ちゃん無意識で分かっちゃってるんだね。酒とタバコと読書が、俺を世界の果てまで連れて行ってくれるし、砂浜のような景観をした涙がでるような美しい情景の場所で発光してる昆虫が空中を軽やかに舞ってるんだ。その昆虫の羽根は芸術的なほど微細でイカした模様で彩られていて、それを見ていると脳天を突きぬけるような快楽が腹の底から噴出するようにしてみなぎってくる。昆虫は俺のカサついて毛の生えた剝きだしの腕に止まり、羽根を休めてまた大空を滑空する鳥のように飛び立とうとスキをうかがってる。抜け目ねぇ一匹の昆虫は光輝きながら静かに呼吸し、俺の脈打つ血管のなかを流れる血液の音に聞き耳をたててるみてぇだ。暗闇のなかで息をしている鳴き声も上げない昆虫には愛しさを覚えちまう。俺は虫なんか無慈悲に殺すような冷酷な顔つきをしてるけど、実際には生き物を愛する繊細な心の人間だ。だからこの可愛らしい昆虫は俺の腕にその矮小な身をあずけて、気がねなくたっぷりと時間を取って休んでられるんだろう。その昆虫を目を凝らしてもっと注意深く観察してみると、蛾の一種なんじゃねぇのかなって思った。毛皮じみた羽根には無数の産毛が生えていて、その先端から燐光がしたたり落ちて月の光と混ざって、溶け合ってひとつの光のしずくとなって砂の絨毯に落下して、線香花火が持ち手から千切れて残り火が消えるようにして消失した。でも蛾の身体から発生する燐光は次から次へと姿をあらわし、月の光だけで照らされていた薄暗い砂浜に優しい光を与える。その光景はあまりにも幻想的じゃね、って感じで、俺は感動して胸が打ち震えそうだった。感傷的な気持ちになっちゃった俺の酔いは深まる一方で、明日、目覚めたら二日酔いで嘔吐しそうだな、と嫌な予感がしてた。でもまぁコーヒーでも飲めばいつもの様に酔いも次第に覚めてくか、って感じで次の瞬間に安堵して目まぐるしく変わっていく自分の感情に驚きを隠せねぇ僕ちゃんの人生には活字という逃げ場があると自覚して、俺はこの惰性の日々に身をまかせてるだけ。何を言ってんのか自分でも分からねぇ、って酔っぱらい過ぎてるから思考が上手くまとまらねぇのか。思考と現実をつなぐ一本の虹色をした細い糸は意識というナイフによって切断されたが、新しい糸を使ってまた結び合わせる。その作業が、外科医が難しい手術をするように、とてつもなく神経を使う作業だった。でもそのおかげもあって、発光する昆虫と浜辺の景色は俺の頭ん中からゆっくりと遠のき、やがて夕方になった自室の様子が鮮明に見て取れるようになった。良かった良かった、今日も俺ちゃん無事に蜃気楼じみた妄想の世界から艶やかな羽をした鳥が巣にもどるように、無事、現実へと舞いもどってこれた。ウイスキーを飲みながら本の世界へ没入してるとよく起きる現象なんだが、俺ちゃんだけなのかねぇ、他の読書家の人々はこんな経験ないんだろうか。まぁドラッグでもキメてるわけじゃねぇから、俺はいつも妄想で幻覚じみた情景を見れるだけなんだ。夕暮れの光が室内に浸入してきて、ぶわっ室内に広がり、壁を淡いオレンジ色の染めて、その美しい光景に見惚れている俺の手のなかにはウイスキーの残骸が入った透明なグラスが握られていて、その滑らかなガラスの感触を手のひらで味わうようにして力を込めた。ガラスに綺麗な曲線のような亀裂が入るまで強く強く握ろうとしたが、俺は大切なグラスを割ったりしたくねぇ、ってのはこの部屋にはガラス製のコップは他にないからだ。ウイスキーを茶碗で飲むだなんて情緒のない真似したくねぇし、ウイスキーは透明なグラスで光を透かしながらその琥珀色の内部で乱反射する光輝をながめながら、ゆっくりとグラスを揺らすのが最高に楽しい鑑賞の仕方ってわけ。メーカーズマークも飲もうとして、あの血液じみた赤い封蝋の半身を取りのぞいて蓋を回し、そのかぐわしき香気を鼻から吸いこむ。焦がした樽のなかに眠るバニラのような、かすかにフルーツを思わせるような華やかな香りに、俺は昇天寸前。俺の魂が階段を昇るように空気の膜を転がりながら昇っていく、ってそしたら俺ちゃん死んじゃうじゃん。まぁいつ死んでも悔いのない人生を歩んでる僕ちゃんは、いま何者かがこのボロアパートの一室である僕ちゃんの部屋の扉に体当たりして、それを破壊し、、内部に浸入してきて侵入者である暴漢がそのゴツイ手のなかに握ったナイフの尖った先端で俺の腹の皮膚をやぶり、柔らかな肉に刃先を食いこませ、内臓にまで刀身が達して、俺は苦痛に顔をゆがめながらも床に倒れ伏し、安らかな眠りにつく様にしてやがて痛みも薄らぎ、まぶたを閉じて優しげな死の世界に意識が沈みこんでいくのを感じながら絶命するのも悪くはねぇな。俺は死んだふりをするために床に横になって手足を伸ばして、窓から差しこむ皮膚を包みこみ毛穴から浸透して体内の血液と溶け合ってしまうかのような程よい温度の光を感じてた。かつてないほど穏やかな気分だ。夕暮れは俺の心を満たしてくれる嗜好品の一つ、って表現したら大げさなのかねぇ。つっても俺ちゃんは朝より昼が好きだし、昼より夕方が好きだし、夕方より夜が好きだし、夜より夜中が好きだ。まぁ何て言うかさぁ、あの猛禽類の口から覗く狂暴そうな鋭利な牙の数々を思わせるギラついたすべてを飲みこんでその内部で溶かしてしまう灼熱の太陽より冷ややかだが、安心できる優しい月の光が好きなんだ。だから空には太陽なんかいらねぇ、あの銀色の丸い月だけあればいいのだ、と自分に言い聞かせる。夜は雲ひとつなく澄んでた方が月見にはうってつけだから、俺ちゃん夜に降る雨は大嫌い。でもでも昼間に降る雨は愛してるかもしれねぇ。なぜなら淀んで薄汚れた分厚い雲が青空を覆いつくして太陽の強烈な光を遮ってるから目に優しいんだもん。細い雨のしずくが地面に落下する音楽を聴きながら、俺は暴発するようなエネルギーが自分のなかに宿ってるんだって感じ、その内面と外面の差に楽しみを見出しちゃうのさ。雨が降りそそぎ熱せられたアスファルトを冷やしていき外の温度が下がっていく。俺はそんな日にはもちろん外出もせずタバコを吸いながら雨の音に耳を傾け、アイスコーヒーを猫がミルクを舐めるようにして少しずつ飲んでいく。もちろん砂糖も牛乳も入れないブラックコーヒーの苦味に舌つづみを打っちゃ俺ちゃんの神経は過敏で先端は刃物のように尖ってるのだと想像してみる。想像は俺のように自由だから親近感を覚えちまうのさ。コーヒーに含まれたカフェインにより脳から膨大な量の快感物質が洪水のごとく押しよせてきて、俺の想像、ってか妄想をはかどらせる。俺がなにを想像してるのかってぇと、俺の過去、現在、未来について、ってわけじゃねぇ。ただの平凡な顔だちをした女の白い裸体だ。でもそれは神々しくて背中から天使の羽が生えてるんだ。その根元からナイフを刺しこんで羽を切りとり、それを俺の毛布代わりにして自分の身体に巻きつけてぇ。女の背中からは深紅の血液が噴水みたいに飛びでて、部屋の様子を鏡のように反射しそうなほどよく磨かれてる床にこぼれ落ちる。元は天使だったのかもしれねぇが、今はただの人間みたいに見える女の肢体は、神々しく発光してる。後光を思わせるその光にこいつは神に守られてるんじゃねぇのかなぁ、って感想が薄暗い頭蓋のうちがわに亡霊みてぇに浮かんだ。でも聖なる羽は俺がナイフで切りとってしまったから、この女が内包する創造主の目に見えないが、確かに存在している力は、脆くも儚くも徐々に失われていくだろう。別に女を殺してぇわけじゃねぇけど、そのきめ細かい質感をしたクリームを塗ってるだろう肌をナイフで刻んで、線状の傷を無数につけて、皮膚をつたう血のしずくを俺の味覚神経が過敏な生き物じみたベロで舐めとりてぇ。錆びた鉄の味が口一杯に広がり、俺の萎んでたチンポコはズボンのなかで硬く勃起し、手も触れなてないのに射精しちまいそうになる。結局、白濁した精液は出ないが、俺は血の味をウイスキーと同じように味覚と嗅覚で堪能した。ってここまでの出来事はもちろん全部俺の妄想で、現状は嫌気が差すほど変わっちゃいないから、現状を打破する一筋のほっそりとした光明を現実に見出してぇ。惰性を愛してはいるが、たまに、俺にとって珍しい刺激も欲しいのよ。それは例えば恋人をつくる、友達と飲む、列車に轢かれて身体が引きちぎられる、外国に旅行に行く、まぁそんな楽しい生活の一端がかいま見える俺ちゃんの想像力には自分自身で脱帽しちまいそうになる、ってこれ冗談ね。俺は退廃的な生活に深い愛情を抱き、乾いていく精神を癒すために大量のウイスキーをがぶ飲みして泥酔する、ってのが鮮やかな軽やかな生き方だと信じてる。でも退廃と鮮やかさって同時に内包されるのかなぁ。まぁ俺の神経は痺れて麻痺し、肛門をほっそりとした指先でくすぐる様なむずがゆい感触に何だか身体が浮遊しちまいそうになり、脳天に撃ちこまれた釘のおかげで頭がどうにかなっちまいそうだね。生きるってのは残酷だ、って誰が言ったのか、偉人だったか、どっかの小説の登場人物かは覚えてねぇけど、それは確かに俺の脳裏に薄膜みてぇにこびり付いて爪の先で剥そうとして貼りついたままで取れねぇものなんだ。でもでも、確かに俺は今まさに生きてるんだぞ、って全身で風を感じるように生を受け入れてると同時に、ウイスキーでも飲みこむみてぇに未来に待ちうける死すら精神で準備してる。アルコールの刺激に敏感なように、生死にも鋭敏な感性を発揮して惰性を過ごしてるんだ。んでもって俺ちゃんの人生に一つまみまぶされた刺激的なスパイスが惰性を彩る役目を果たしてる。その香辛料ってのはやっぱさ、ウイスキーにタバコに本、これさえあれば生きていけるのだと信じてる俺はまだ生っちょろいガキにすぎねぇのかな。俺は冷たい月光を全身で浴びで、生暖かい夏の夜の風を感じていたい。そう強く望んでるんだと自覚し、テーブルの上につき刺さったナイフの持ち手を握りしめようとして、一瞬だけ躊躇しちゃった。痺れるような快感がテーブルにめり込んだ刀身と混ざり合い溶けて同化し、俺の一部となって体内で静かに呼吸してる。深く息をしながら身をひそめる快感が暴発しそうになってるんだ、って実感しながらナイフをテーブルから抜き取った。刀身は欠けてなくて、砥石で磨かれた状態のまま。つまりは鋭利って表現がぴったり。このナイフで俺は概念という膜をつき破りたくなって、誰もいねぇのにイカしたデザインの凶器をめちゃくちゃに振り回して、風切り音さえ発生させそうな勢いだ。ナイフは空気の膜を切りさいて、その奥からとろみのある一種の快感を噴出させた。俺が望んでいた概念の破壊という名の革命は起きた瞬間に終わってしまい、悲しい気持になっちゃってるの、ってこれって俺ちゃん落ち込んでるってわけ? まぁそんな些細な問題はわきに追いやって、新たなる遊びを想像しようとして、でも俺の意識はいま粉々に破砕したばかりで床に散乱した概念の欠片を拾い集めて、透明な糸と尖った針で縫い合わせたいって欲求が自分の内に巣くってんだって確信しちゃった。概念とは一体なんだ? 目に見えないもので、手にできないもので、食べられないもので、質感も食感もない空論の一種なのかなぁって疑問が血液に溶けこんで全身を駆けめぐる。一滴の概念、一かけらの概念、一粒の概念、俺の頭は概念を突きつめるという命題で膨張してる。風船みてぇに膨張だなんて比喩は使いたくねぇから、適切な比喩表現を頭のなかで探そうとするものの、見つからず途方に暮れてソフトマシーンのページをめくって、ぴったりな表現を見つけようとする。クソニートマシーンの俺は結局、数秒後に本を閉じて目をつぶりまぶたの裏側に浮かび上がる電灯の残照を知覚して楽しむ。これは遊びの一つ、神が仕掛けた戯れの一種、って感じで俺は脳内で懸命に新たな遊戯を思いうかべようとして、思考を酷使する。でも脳がひどく疲労するだけで、素晴らしいアイディアは浮かんでこねぇから、どうすりゃいいんだ、って己に問いかけちゃって、これって自問自答ってやつじゃん、って考えにたどり着き、いったん思考という労働を中断して一休み。まぁウイスキーでも飲んで休んでいきなよ、ってバーテンダーだったら言うかなぁ、グラスに注がれたボウモアを滑らせるようにして出してくれるかなぁ、俺がそれを飲んでる時にその髭ズラに極上の笑みを浮かべてくれるかなぁ。俺の妄想は加速して加速して加速しまくって終着駅に到着しそうになって、また線路を引きかえすようにして現実へと舞い戻ってくる。結局俺はテーブルの上に置かれたグラスを手に取り、生ぬるいウイスキーの味を確かめるように咀嚼するようにして飲んだ。意識はロケットみてぇにやけに装飾的なデザインの発射台から飛んでいって、雲をやぶり大気を突きぬけて宇宙にまで飛んで行った。黒い宇宙に浮かぶ星々のどれかに着陸するのか、あるいは地球の衛星である凸凹した月面に到達すんのかは謎のままで迷宮入りしちゃう。宇宙という広大すぎる果てのねぇ迷宮でロケットは行方不明になり、もうこの生命で彩られた惑星には永久に戻ってこねぇ。月にはウサギが住んでて餅をついてるってかぁ、まぁそんな事はどうでもいいし、月に生命体が存在していても俺は特に困ったりはしないのよねん。まぁウサギより猫ちゃんが好きな俺は、月には光輝く毛並みをした猫が暮らしてたらいいな、って思っちゃう。月面に静かに着陸するロケットが、羽毛のような砂をふわっと舞い上がらせて無事、月に到着してロケットの中から出てきた宇宙飛行士が地面を踏みしめて足跡を作り、風も吹いてない月を歩き回って地球の青さに感動するんだろうかね。月の砂を持って帰って小さな瓶に入れてポケットの中に大事に仕舞っておくべきだ、と考えてる僕ちゃんは心の機微には敏感なロマンチスト。んでもって実際に俺は月に行けたらいいのになって妄想をはかどらせながらウイスキーを少しずつ口に含んである程度、琥珀色の液体が口内にたまったところで、一気に喉の奥に流しこむ。生き物じみた舌を駆使してノドおチンポの方へウイスキーを押しやるのさ。今この部屋に猫かウサギがいたらその柔らかな毛でおおわれた頭部を優しく宝石でもあつかうみてぇに繊細な手つきで撫でてやるのに。でも俺はこの孤独な生活にペットを介入させようとしねぇで、本当に一人っきりで人生を謳歌してる。嗜好品が俺の人生を彩り、ペットなんていなくても生きていけちゃうもん、って胸を張って口にできて、これは強がりでもなんでもねぇ紛れもねぇ俺の心の底から気持なんだ、って声を大にして言いたい。俺が寂しさという檻にとらえられる時は、これかさ先、永遠に来ないだろうってのが俺の胸のなかに火種のようにくすぶる確信にも似た感情。んでもってナイフであの夜空に浮かぶ月を切りさいて、その銀色に輝く球体の内部から噴きでてきたヌメリのある液体に指先でそっと触れたくて気が狂いそうだ。月の欠片を入手し、それをウイスキーのたっぷり注がれたグラスに浮かべたい。琥珀色の水面でゆらめく月光は水中に潜りこみたくて疼いているのが感じとれる。んで俺は精神に密生する襞を女の豊満な乳房でもほぐすみてぇにして揉みながら、その襞を柔らかくし、やがては消滅させようとする。夜は太陽の熱を遮断していて、凍りつくような弱々しい月の光だけが地上を撫でるようにして降りそそいでる。凍りつくってのは大げさな表現だから、冷ややかなって形容したほうが適切だね、実際のとこ。ペットの話、月の話、そして精神の話、それらの命題が俺の頭を満たして、充満した空気のように頭蓋の内側で渦を巻きながら脳の皺に浸透してくる命題が俺の脳天から天井にまで突きぬけるような快楽が全身を循環して、俺はその強烈な刺激に酔っぱらっちまった、って俺は元々、泥酔しちゃってるじゃん。んで新しいウイスキーを買いに行こうと思いついて、俺は吸ってたタバコの先端を灰皿に押しつけて火を消して立ち上がった。細かい灰の形状は何か化け物の顔、例えるならムンクの叫びみてぇな絶叫してるような形をしてやがる。腰を折り曲げ、ガラス製の透明な灰皿に顔を近づけて鼻息を荒くし、鼻の穴の奥から吹きでくる風で灰を吹き飛ばした。霧のように散った灰は空中を舞ってぶわっと広がり、ひらひらと舞をおどりながら床に落下した。ムンクの叫びという絵画はもう壊れてしまって、今度は灰の一つ一つが花びらのような形をしてるのを俺の視界がとらえる。美しい芸術品みてぇなその繊細な造形美に、俺はうっとりしちゃって、ウイスキーをまた飲みたくなって。切なげな気分で空の瓶に目をやった。あの瓶のなかに床に落ちてる灰を蓋のところまで詰めこんだら、密集した灰が薄気味悪い形状になるに違いねぇ。俺は灰を食べたいという衝動が胸にわき起こって、その灰色の小さな花びらを指先でつまんで口の中に入れて、歯という万力でかみ潰した。苦いのなんのって、クソ不味いのなんのってのが、灰を食った俺の素直な感想。素直というか率直というか、何だか自分でもよく分からねぇ感情を覚えちゃった。とりあえず俺はパジャマから外ゆきの服に着替えたが、しばらく洗ってねぇから汗が染みこんで熟成され腐敗臭を漂わせてる。こんな服じゃ他人に嫌な思いをさせるのが必至だろうし、髪も洗ってなくてタワシみてぇな寝癖がつきまくって髪の毛は艶をなくしてるから、臭いも強烈だろう。まぁでもそんな事は些末な問題でしかなくて、俺は自分が周囲に漂わせる臭気をまったく気にしないで、かかとのすり減った布がボロくなったスニーカーに素足を通して、ドアノブに手をやり、ドアを開けて外に出た。んー全身にまとわりつく様にして皮膚で感じられる夜の空気はマジで気持ちよくて、失禁三秒前だね、ってこれはアルコールの飲み過ぎで膀胱に溜まった尿が暴発しそうなだけ。俺は鉄柵に立ちションをキメて外で放尿をする開放感に快感を覚えてる。たっぷり四十秒もかけてションベンを出し終えると、情けなく垂れ下がったチンポコを振って残尿を排出した。勃起してる時に出す方が尿が勢いよくぶっ放せるのは何でだろうか、って疑問はネットで調べれば膨大な量のサイトが出てきて親切に教えてくれるだろうから、今は考える必要なんてこれっぽっちもねぇ。この鉄柵は俺の立ちションにより根元が錆びていつか折れてしまうのだろうか、ってそんな訳ねぇか。でも鉄製の街灯が犬のションベンにより錆びて折れちゃってぶっ倒れて、巻きこまれた人間がケガをしたっていう知識が僕ちゃんの賢い記憶の保管庫に眠ってる。その記憶を引き出した俺はちょっと酔い過ぎて、少し記憶を呼び起こすため頭脳をプラスティック製のスコップで掘り出そうとすると頭に痛みが走っちゃうの。いやー酔っぱらい過ぎて足がふらつくし、視界がかすんでるしで、ちょっとだけ、ほんのちょこっとだけ、俺は飲み過ぎるのは止めようかなって気持になって、その次の瞬間ここまで泥酔できるからウイスキーは俺の宝物みてぇな宝石みてぇな存在なんだって認識しちゃう。だから早く買いに行かなくちゃ、次のウイスキーは何にしようかなって、想像のなかでウイスキーの紹介された本のページをめくり品定めする。でもでも今は酒屋もやってなくて、二十四時間営業してるスーパーか品数の少ないコンビニで選ぶしかないんだって気づいて、少しテンションが下がっちゃうの。まぁコンビニよりかはスーパーの方がいいかって訳で、俺は徒歩で十分くらいの距離にあるスーパーに向かった。俺の愛車である自転車は前輪、後輪、ともパンクしちゃってるから、もし漕いで行ったら酔ってる俺はふらついて最終的には倒れちゃう。だから俺は徒歩で向かうべきだと決めて、一歩前へ踏みだす。ぐるりと景色が回転したような錯覚に陥って、俺は自分が目を回して気持ち悪くなってると悟って、異物が胃の奥からこみ上げてくるような感覚になり、胃液と混じったウイスキーを静かに月光浴してる凸凹したアスファルトに盛大に吐きだした。次から次へと出るわ出るわで、俺は吐き気がおさまるまで半透明の液体をぶちまけまくった。んでアスファルトは俺のゲロで彩られ、その液体が月光を反射して煌めいてるのが途方もなく綺麗だと思った俺の脳の回路からネジを取り外してくれ。そうすりゃ中途半端に狂った脳もブレーキが外れて狂気的に加速が上がりまくって一丁、狂人のできあがりって訳。でも俺は本当に狂ってるのだろうか、世界の大多数の人間のほうが頭がおかしいんじゃねぇの、って決めつけちゃっても良いかもしれないね。だって精神病にもならずに残業のある過酷な労働なんかに奴隷のように従事しちゃってるから、そいつらの気持が欠片も分からねぇんだもんよ。俺もコンビニでバイトしながらフリーターという日々を過ごしていたけど、週三回の勤務だけで俺は精神崩壊。クソみてぇなお客様に愛想を振りまくって苦行、ってか拷問に耐えながら精神をすり減らし、心身ともに疲弊しちゃった俺はすぐにバイトを止めた。じゃあ俺の生活費はどこから出てるのかってぇと、親が残した遺産の恵みがあるからクソニートマシーンとして稼働しつづけられるって感じ。バイトで精神という防波堤が決壊して無防備な心に損傷をくらっちゃった俺ちゃんは、仕事に就くなんて到底できるわけねぇよ、実際のとこさぁ。お仕事なんて地面に付着した俺のゲロの足元にも及ばねぇほどの価値しかないって確信しちゃってる俺ちゃんは、頭がイカれてても心は正常、ってか繊細なのねん。傷つきやすい僕ちゃんは天敵だらけのこの世の中で、ウイスキーっておしゃぶりが無いと生きていけないか弱すぎる健気な生き物。んでもって俺はつまみも食べずにアルコールとニコチンを摂取したいのだと何度目かの悟りを得ちまった。そう、これは山でひっそりと暮らし、修行しつづけた仙人なるものがようやく辿りついた悟りという境地に違いねぇハズなんだ。悟りという領域に足を踏み入れた僕ちゃんの心臓が、溶けたチーズみたいに裂けそうなほどの痛みを感じる。この痛みと悟りには関係があるのだろうか、って疑問が脳内で渦巻きながら俺の脳細胞を抉ろうとしてる。つまりは痛みは次第に激しさを増していき、絶叫してしまいそうなほどの激痛へと変わるまで三秒前。でも激痛にはならずに少しずつ時間をかけて痛みは治まってきた。さすがに飲み過ぎてタバコも吸い過ぎだって俺ちゃんは自分を戒めようとして、でもそんな気持はすぐさま霧のよう散って大気と溶け合って消失する。記憶が曖昧だ、俺は何でこんな所にいるんだっけって考えて、ああそうだ、ウイスキーを買いにスーパーに向かってるところじゃん、って自分の目的を思い出してハッピー。でも幸福ってのは冗談の一種だから俺は自分が不幸な状況に身を置いて悲しくなっちゃってるんだし、幸福は時の流れに身を任せればかならず向こうの方からゆっくりと歩いてやってくるんだろうって確信がある僕ちゃん。僕ちゃんの頭は透明な鎖に巻きつけられこんがらがって上手く思考できなくなり、感情のはけ口も見当たらなくて、自分が今なにをするべきなのか、何をした方が幸福になれるのか分からずに立ち尽くすしかねぇ。今日はもう飲むべきではないなって結論に行きつき、俺はスーパーに行くのを止めようとして、でも止めたくても止めれない。これはどうしようもない、身体が勝手に動いてウイスキーを求めちゃうんだ。思考じゃなく感情、意識ではなく皮膚感覚で、俺は外で起きる現象を感じとるべきだよな。そんな些細な命題はガラス窓に銃弾をぶちこんだみてぇに砕け散り、その欠片が概念に突き刺さり破壊活動を行う。概念は木っ端みじんになって、舞った破片が輝きながら俺の視界をおおい隠す。概念の破壊を目論んでた俺ちゃんは無事、わずらわしい概念をぶち壊せてマジで気持よくて頭がどうにかなっちゃいそうだ。夜風により酔いも少し覚めてきたので、これでまたあの琥珀色の液体を胃に流しこめるってもんだ。んで俺ちゃんとうとうスーパーの前にたどり着いてちゃんと営業してる証である電灯の光がスーパーの窓から放出するように漏れでてるから、自動ドアの前に立つとドアが左右に軽やかに開閉してこの店は舌なめずりしながら俺をまねき寄せてるんだって決めつけちゃう。俺はイカれてるって自覚はあるし、まぁ何て表現すればぴったりなのか知らねぇが、脳の回路を留めるネジが強風により全部ぶっ飛んじまってるって感じ。ネジは回路に開いた無数の穴からねじれながら抜け出るというよりも、釘みてぇに一気にすっぽ抜ける。まぁネジや回路の話なんてどうでも良い、今はウイスキーを買うのが先決だ。んで店内に足を踏み入れると心地よくも軽快なBGMが鼓膜を優しく撫でるようにして震わせて、聴覚神経を介した音の情報が脳を打つ。味気ないBGMだけど、酔いがさめてきた俺ちゃんには丁度いい旋律に違いねぇって決めつけちゃうの。何の特徴もないメロディーは泥酔状態だった俺を現実に回転する車輪が空気をひきずり込むようにして引き戻す。現実に接近した俺の意識は鮮明に軽やかになり、あんなに俺の精神を蝕んでいた強烈な吐き気が徐々にしぼんでいく。俺のふらついて弱々しかった足腰は少しずつ力づよさを取りもどして、モップで磨かれてるであろう電灯の光を受けて艶やかな光沢を放っている床を強く踏みしめる。一歩一歩、ゆっくりと、かかとで床を抉るような気分で前進していくと、現実から剥離して白昼夢を見てるみてぇな感覚は薄れ、五感が現実という名の日常に接近してく。酩酊感は俺の頭蓋のうちがわから遠のき、ようやくシラフに意識が戻って、俺という存在は現実に繋ぎ合わされる。その繋ぎ目をもう一度、見えないナイフで切断するためにウイスキーを買おうとするけど、しばらく悪酔いなんてしたくねぇから、生ビールを一本買うだけで会計を済ませる。明らかにやる気のない不愛想で眠そうな店員に金を払い、店を出て生ビールのプルタブを開けてノドの奥に炭酸を含んだ液体を一気に流しこむ。ウイスキーとは違って生ビールくらいなら大して酔わないので、俺はそれで十分にノドを潤した。草木に雨が降ってその膨大な量の水滴を植物が吸収するように脱水状態だった身体のすみずにみ水分が行きわたる。俺は枯渇した肉体に生ビールを与えて渇きを癒してやったんだ。これで意識はしばらくリアリティを保ったままでいられるだろう。んでタバコを吸いたくなったのでポケットからライターと長細いパイプを吸ってるインディアンの描かれたアメスピの箱をとり出して一本口に咥えて先端に火を灯し煙を吸引して鼻から排煙を出す。ニコチンの作用により脳が軽く刺激されてリアリティはより強固になっていくのを実感する。なんて清々しい気分なんだ。俺ちゃんはもうアルコールなんてこれから先必要としないんじゃねぇの、って勘違いしちゃいそうになっちゃうほど朦朧とした意識はふっ飛び、今はマジでシラフのシラフ。空を見上げると流れる雲が月をおおい隠しているとこだった。何かの物体が俺と月のあいだにある空間を遮って、それは点のような虫だと分かって、更によく観察してみるとそれは一匹のややでかい蛾だと気づいた。闇のなかにまき散らされた鱗粉が見えそうなくらい強い街灯の輝きが蛾の美しく芸術的な造形をした姿を照らしだした。ガラスの内部で強烈な光輝を発している蛍光灯にヒビが入って、そのアスファルトに入ったような亀裂のすきまから一層つよい光線が漏れでて蛾を肢体を照らしていた。蛾が羽ばたくごとに燐光がその昆虫から発生して周囲の闇を照らしそうな勢いを発揮してやがる。「こんばんわ」俺が蛾に見惚れていると背後からそんな声がしてちょっと驚いちまった。俺は恐る恐る後ろを振り向いた。そこには新品と思えるくらい綺麗なスーツを着た一人の紳士が立って微笑みを浮かべていた。端正な顔立ちだが、どこか特徴に欠けるその顔面の造形に、こいつを創った神は何を考えてこんな無個性な紳士を仕立て上げたんだろうって疑問が脳内に浮かんだ。「こりゃどうも」俺はタバコの煙と共に適当な返事を唇のすきまから吐きだした。他人に関わるのは心底から面倒だと思ってる僕ちゃんは、この場から離れようと心に決めた、瞬間に紳士はポケットからロングピースを取りだしてそいつを薄く淡い色をした口に咥えた。「火を貸してもらえませんか」俺は不思議とこの一見、不審者じみた紳士に心惹かれるものがあった。けど、どっちかっていうと不審者は俺のほうじゃんね。とりあえず俺は半透明な青空のような色をしたプラスティック製のライターをポケットから軽やかに取りだして、紳士に手渡す。俺は何て親切で優しい人間性を保持してるんだろうと顔をほころばせちゃう。容器のなかで半分ほど減ったオイルが波のように軽快にゆれ動いてるのを俺の視界が満たす、というよりもオイルのことで頭が一杯になって、俺は他に何も考えられなくなりそうなほどライターのオイルに思考が捉われる。海の水がすべてとろみのある重油にすり替えられたとしたら、着火した瞬間、生き物のように蠢く炎が海面をおおってしまうだろう。あの独特の鼻腔を突くような臭気に俺の神経は現実という名の日常から非現実へと移動して、今ここに存在してるんだという絶対的な感覚が遠のき、幻想という液体にまみれた夢の世界へと焦らすように遅々として埋没してく。んでもって俺の神経というロープなんて包丁でもナイフでも何でもいいから鋭利な凶器により切断されて、永遠に溶接なんてされなければ、これほど歓喜に満ちた気分にはならないハズだ。何てどっかの惑星にある海中に意識がぶっ飛んでた俺は我に返って、紳士にライターを渡してる最中なんだと現実に意識がひきずり戻される。現実という巨大すぎる車輪は大気の膜を俺の意識ごと引きちぎるように回る。回転し続けるそれは、もう愛すべき日常なんていらないのだ、と錯覚させる作用を有している。とりあえず紳士にライターを渡すと、奴はポケットからロングピースを取りだし、両手で口元をやさしく包みこむようにして風からゆらめく火を遮り、無事タバコに火を灯した。その両手による炎の抱擁に、ある種の父性を見出しちゃった俺は、まだ精神年齢が赤ん坊であり、あのゴムみてぇなおしゃぶりが必要なのかもしれねぇ。父性と母性を同時に渇望してる俺ちゃんは、赤ちゃんプレイが大好きな変態でしかないのだと決めつけちゃおっかなぁ、でもやっぱりヤメヤメ! 僕ちゃんは赤ちゃんと同等の精神性をうちに秘めながらも、見かけは不摂生によりぜい肉で少し腹がたるんだ成人男性の見てくれをしちゃってる、うん、しちゃってるんだ。柔らかい毛の密集した尻を包みこむオムツも、太陽のごとく天井につり下げられた極彩色のオルゴールも、艶やかな球体がくっ付いてるおしゃぶりも、哺乳瓶の内部でかたむいている白濁したミルクも、ノドから手が出るほど今この時点の俺は欲しくて欲しくてたまらねぇのよ。身体の成長に精神年齢が追いついた日にゃ俺の胸のうちで静かにくすぶってる自己顕示欲と自己陶酔感も次第に薄れて霧のごとく散っていき、最終的にはその姿を消して俺をこの砂漠みてぇな広漠とした街からプロペラを回し騒音を奏でるヘリコプターから垂らした縄梯子で救いだしてくれるのかなぁ、どうなのかなぁ、って疑問が真っ暗な頭蓋の内側でゼリーのごとく痙攣してる淡い色をした脳の皺にこびり付いて、いくらこそぎ取ろうとしても剥離しねぇでやがる。もしこの疑問が上手く剥がれ落ちたあかつきには、俺は全力で生きるべきだと自分に言い聞かせようとして、やっぱ無理無理無理無理、って一瞬で思いなおしちゃう俺なんて死ねばいいのにさ。あの美しい流線型の銃弾が俺の鼓動する心臓を撃ちぬき、生命をつかさどる臓器から鮮やかな深紅の血液がふきでるその様は、芸術的の一言に尽きる。ああ、人生とは何て儚いんだって自分に酔っぱらってる俺に紳士は親切そうな言葉をかけてくる。「今日は風が気持ちいいですね」ってどうでもいいセリフだが奴の声質は耳心地のよいもので、鼓膜に触れた震える声が膜にこすり付けるられて鼓膜が僅かに窪むほどの個性的な子守歌みてぇな紳士のセリフに、僕ちゃん眠くなりそう。でも目は夜風によりこれ以上ないくらい冴えていて、俺ちゃん眠りにつくのは夜が開けて空に太陽が昇ってからになりそう。太陽は西から昇り、東に沈むんだっけか、そんな当たり前の現象が分かんなくなるくらい俺の頭んなかは知識不足で、自分でも嫌になるくらい無知のバカ野郎でしかねぇ僕ちゃん。「ちょっと風が強いけどね」って敬語を抜きにして馴れ馴れしく返事をすると、紳士はその彫刻じみた端正な顔に微笑を浮かべるから、俺もつられて笑っちゃった。ボロい染みだらけの悪臭のする衣服を身に着けた俺が洗濯されたばかりでイカした清潔な黒いスーツを身に纏った紳士とタバコを吸う、ってのは端から見たらこの上なく奇妙だろう。まぁ時刻は深夜だから俺ら以外の人間は通りを歩いてねぇ、時々車が轟音を立てながら道路を通りすぎていくだけだ。俺はまだ缶の底にあるぬるくなったビールの残骸を口ん中に流しこみ、タバコの煙で乾いた口内に潤いを与えようとして、ビールでうがいしてそれを飲みこむと、不味いという感想を抱いちゃった。ところでこの紳士の目的は一体何なんだろう、何の目的で俺に近づいてきたろう、まさか火を借りるためだけに俺に話しかけた訳じゃねぇよなって疑問が頭ん中を血流のごとくぐるぐるぐるぐる駆けめぐる。俺の言うのも何だか、艶やかなスーツにその高身長の細身を包んだ紳士はこの深夜の道という場所にはひどく不釣り合いだ。こんな男はどこかのバーでやけに甘い味をした美しい色のカクテルを作っているのが似合ってるだろう、つまりは奴はバーテンダーなのかもしれねぇ、って考えが脳天に行きついて、これって閃きってやつじゃん、って嬉しくて思考の速度が上がり、目まぐるしく俺の頭を通過していく様々な発想が、脳という子宮から産みだされてくる。発想は意識の内部で溶けてなくなり、無だけが後にしこりのように残る。無は底知れない闇に似ていて、怪物のように大口を開けて俺がその巨大なノドに飲みこまれるのを手ぐすね引いて待ちうけてるから、俺ちゃんその無という深淵に飛びこみ、自分という存在を闇と同化させようと試みちゃう。ああ、まるで温水に浸ってるみてぇな温かかな闇が俺をそのぬるま湯で包みこみ、浸った服すきまから肌に触れるようにしてその熱を孕んだ液体を送りこんでくる。まぁ何が言いたいのかってぇと、こいつは自分の店に俺を誘おうとしてるのかもしれねぇけどこの時間帯のバーテンダーはこんな金の無さそうな男をつかまえてる余裕なんてないハズだ。この時間帯ならまだバーもやってるだろうから、細かく決められた量の酒をまぜ合わせたカクテルを作ったり、これまた量を決められたウイスキーを客に出したりと忙しいと思う。バーなんてシャレた店でウイスキーを飲みながら葉巻を吸ってる自分を想像してみると、ひどく場違いな客じゃん、って感想を抱いちゃう。だから正体がバーテンダーであると予想してる紳士に誘われても俺ちゃん絶対について行ったりしないんだもん、って決意を胸にみなぎらせる。「ちょっと海まで散歩しませんか?」タバコを吸い終わった紳士が、携帯灰皿にタバコの亡骸を押しこむ。俺はタバコをほうり投げて、いぶかしげな気持で紳士の顔を穴の空くほど凝視しちまった。海? なんでここで海という言葉が出てくるんだ。確かにこの場所から海は近くて、潮風が時折ふいてきて、俺の髪に塩分を送りこんでくるが、なぜこのタイミングで海に行こうとこの紳士は言いだしたんだろう。海ってことはバーテンダーじゃねぇのかな、俺が言えたことじゃねぇが、こいつは不審者で頭のネジがぶっ飛んでるのかもしれねぇ。俺が不審げな表情をブサイクなツラに浮かべてると、紳士は沈黙の壁、つまり俺と奴のあいだにある越えられない絶対的な隔たりを言葉という銃弾でつき破った。「ちょっと見せたいものがありましてね。なかなか興味深いものですよ」「そうなんだ……」俺はマヌケな返事をすることしかできなくて、哀れな捨て猫みてぇな気分で佇んでた。でも海にある興味深いものってキーワードが頭の片隅に引っかかっちゃってる俺ちゃんは、少しだけ興味をそそられた。ここから海まで歩いて十分の距離もねぇから、気軽に行けるし、辛かった酔いは完全に冷めてたから、俺は冷静な思考で紳士のセリフを何の意図があって海に誘ってるのか、金でも勘定するように脳内で計算、つまり比喩表現を並べ立ててみたけど、ただ単に思索の海に沈んでいただけだ。たっぷり十分くらい迷ってた俺を紳士は嫌な顔ひとつ見せずに我慢づよく待っていた。ここまで俺に関心を持ってくれる人間は今のところこの紳士しかいねぇ、他人が俺に抱く感情は嫌悪か無関心だが、この紳士は俺に好意、つまりは友愛の念を感じちゃってるんじゃねぇの。まぁ特にやる事もないし、昼夜逆転の生活を送ってる俺ちゃんはまったく眠くねぇから、紳士について行こうとして返事をした。「じゃあ行くよ」そう言うと紳士は極上の笑みを浮かべて俺のそばに来て両手で俺の手を握りしめてくれた。なるほど、これが友情というやつか、と勘違いしそうになっちゃった。んで俺らはそれぞれタバコを口に咥えながら並んでゆっくりと歩き出して、不健康そうな紫色をした唇のあいだから煙を吐きだしながらそれぞれの境遇について語りだした、ってのは冗談で、余計な口はきかず沈黙を守りながら歩いていた。と、二分くらい歩を進めたところで紳士はいきなり語り始めたから、こいつは自己顕示欲というか承認欲求が強いのかなぁと思ったが、そのセリフの内容は意味の分からないものだ。俺よりはるかに賢い奴なら理解できたのかもね。「私は現実と幻想の橋渡しをしてるんです」「橋渡し?」俺が疑問を口にすると紳士は丁寧に意味の分からない内容を噛み砕いて説明してくれた。「つまり私はあなたの日常を非日常へと移行する役目を果たしてるんですよ」なるほど、つまり僕ちゃんは愛すべき惰性に彩られた日常から危険を孕んだスリルのある興奮するような非日常へと旅立ってしまうのか、って勝手に結論づけちゃう。「あなたはこれから奇妙な体験をするでしょうが、あなたにとってそれは悪くない出来事です」奇妙な体験ねぇ、それはどんな楽しい超常現象なんだろう、心霊体験か、もしくはUFOが分厚い雲をつき破って俺をその光のなかに吸収し、何処か別の惑星に連れ去って、金属片を俺の体内に埋めこむんだろうか。その金属片が俺にテレパシーや透視などの超能力を授けちゃうんだろうか、って期待に胸が膨らみまくって、よだれが出そうだぜぇ。「それはそれは楽しみで仕方ないよ」って棒読みのセリフを返しても、紳士はその顔面にあつらえた冷笑にも似たほほえみを維持したままでいて、俺はその役者っぷりに驚愕しちゃいそうな気がしなくもない。彫刻のように端正な顔立ちの紳士には冷酷な微笑という表情が似合っていて、俺は同性なのにそのお顔に見惚れてしまう。自分は同性愛者でもなんでもねぇのにな。同性の尻を掘る経験が一体、俺ちゃんにどんな一滴の快感を与えてくれるんだろうって、得られるものなんて大したものじゃないか。でもバロウズみたいにホモになるのも悪くねぇと深く考えてる俺は、性同一性障害には無知のクズ野郎だ。バロウズの書く文章はどれも破滅的だが、その繊細な筆致は涙がにじみ出てきて頬を冷たい滴がつたうほど美しいって、これ俺ちゃんの主観、つまりは個人的な感想。バロウズやカートコバーンやルイスウェインみたいに破滅的な人生を歩むなんて俺にはできねぇ、俺はごく平凡なクソニートマシーンなんだ。でも今の日々に満足してる俺ちゃんの惰性に満ちた一日一日を宝石を絹の手袋で繊細にあつかうみたく過ごしてぇだけなんだけど、今まさに俺は愛情たっぷりの日常から冷酷そうな非日常へと意識がシフトしちゃってるのかもね。シフトしたらしたで、それすら楽しめるんじゃないな、そんな訳ねぇのかな、って頭が混乱状態の俺は機関銃で全身が蜂の巣みてぇに穴だらけになって薄暗い空洞からトロミみんあるあの舌に浸透していく甘いハチミツがこぼれ落ちるのを確かに知覚した、知覚したんだ。柔らかな肉を抉られ穴だらけになった俺の身体に風が吹きこみ、剝きだしになった神経にそよ風がそっと触れ、そこから鋭い痛みが全身に風呂敷のように広がってく。痛みは最初はゆるやかに、そしてすぐさま高速で白い神経を伝達していき、すさまじい速さで全身を駆けめぐる。あまりの激痛が身体を支配し、俺は苦痛に顔をゆがめて白目をむき、口から血反吐を吐いちゃいそうになる。でもでもでも、でもだな、俺はそんな痛みに友愛の念を感じてる、ってのは痛みは今ここで生きてるっていう紛れもないまっさらなリアリティだからだ。こめかみに銃口を突きつけて引きがねを引き、発射された弾丸が頭蓋を突き破ってゼリーみてぇな脳に風穴を開けてる場面を想像しちゃって、強烈な快楽の到来に失禁して俺の一週間も洗ってないパンツに半透明の液体が浸透していくんだ。俺ちゃんこれから先なにが起きるんだろうって期待の念に胸が躍り、実際にその場でハトのようにステップを刻みたくなって一歩、足をふみ出した。つまりは紳士の後にすさまじく遅々とした足どりでついて行ったってわけじゃん。俺ちゃんの緩慢であると同時に軽やかに羽を広げて空に飛び立ち雲もつきぬけて大気圏を突破し宇宙にまで到達しそうな勢いのあるステップ。誰にも踊れない俺だけのダンスを踊りたいわけだけど、俺はガキの頃、キャンプファイヤーで木の柵にかこまれた燃え上る炎の周りを奇妙な、いや奇怪な操り人形のようなダンスを披露した経験があるだけで、ちゃんとした踊りは知らないから、俺独自の独学の即興の踊りしかできねぇ。じゃあそれって誰にも踊れないダンスなんじゃねぇのかな、って一種の閃きのごとく俺の脳裏にそんな考えが降臨。降臨した閃きは神にも似ていて、左手にはナイフ、右手にはあの禁断の果実が握られていて、俺は神からそのナイフと果実を奪い、丁寧に器用に皮をすべて剥くと、カーペットのように繋がった一本の渦巻く皮が静かにアスファルトに落下。太陽から吐きだされた熱を内包したアスファルトは夜のひんやりとした風に癒されて、今はほどよい温度になってるから、擦り切れた靴を脱いで素足で降り立っても特に皮膚に害はねぇ。俺は両足を包みこんでいた汗の染みこんで腐敗臭を漂わせてるボロ雑巾のような靴を脱いで、アスファルトにゆっくりと足をのせた。まず足の指、それからカカト、そして土踏まずをおそるおそる亀裂の入りまくったアスファルトにのせていき、そのひんやりとした感触を感じとり、どこまでも続いていくレールのような道の先に満ちた暗闇へと足を進める。暗闇の奥にある亡霊じみた弱々しく揺れてる輝きに手を伸ばし、それを自分のものにしたいと願う。いや、亡霊じみたというより、薄暗い道の先にいるのは本物の亡霊かもしれねぇから、俺は好奇心に胸を膨らませてまた一歩前へふみ出す。紳士が先導するこの先には幽霊か悪鬼か宇宙人がいるのだろうか、そのどれかだとしたら俺の日常になにか異変が起きるのだろうか。紳士の後ろ姿が闇に溶けこんんで消えそうな距離を保ちながらも、俺は裸足で何とか着いてく。タバコは相変わらず美味くて、酔いが完全に冷めた俺はまたアルコールを摂取したくなり、あのどこにでもあるような味気ない外装をしたスーパーで不愛想な店員相手にウイスキーを買うべきだったと後悔してた。あの琥珀色の液体に俺は自分の人生をあずけて暮らしてるんだって思い出して、ウイスキーがなけりゃ生きていけない弱い生き物なんだっていう自覚はあるね。「着きましたよ」歩きタバコをしてた紳士はふいに立ち止まって、携帯灰皿にタバコの先端を押しつけて火を消すと、俺の顔を穴の空くほど見つめた。これって観察ってやつなのかなぁ、俺ちゃん紳士に子細に自分の惨めな姿をつま先から旋毛にいたるまで観察されちゃってるのかな。奴はすぐに俺に興味を失ったのか、前方に顔を向けて、もう俺の方に目はやらなかった。俺の紳士の背後にたどり着くと、紳士がそのガラス玉のような眼球で見つめている風景に視線をやった。そこには発光する海があった。というよりも、発光してるのは海じゃなかった。細かい粒が海の上を飛んでるから、それは蛍じゃねぇかと考えたが、蛍って海の上を飛びかう生物だったっけって疑問が頭ん中でパンクする。パンクするのは自転車のタイヤだけでいい、頭や胸まで悲しみという念が充満してそこを針で刺してパンクしたら破裂音がして粘液がふき出て、俺は悲しみに押しつぶされそうになっちゃうの。あの俺の愛車である自転車の車輪はもう回転せずに静かに駐輪場にそっと置かれてるだけだ。誰もあんなボロ自転車、盗んだりはしねぇだろうから、安心して俺は自転車を放置できる。スバルと名づけた俺の愛車は元は青いスプレーを塗布され装飾的な美しい艶やかなフォルムをしていたが、今では塗装が剥げて中の黒い色がむき出しになっている箇所が散見できる。もうあの自転車に乗ることはないから、あれはスクラップ行き一直線だ。ところで海の上に何か巨大な物体が見える。無数に舞う光の粒がそれを淡く照らしだしてるから、闇のなかに慣れてきた俺の視覚がその超巨大な物体の全容を認識というメスの切っ先で解剖する。その物体、というか建物の正体はマンションでも家でもねぇ、それは紛れもなく一つの大きな大きな〝城〟だった。漫画や映画でしか見た記憶のない芸術的な形をした城なんだ。何で海の上に城が浮いてんのかなぁ、それにあの光の正体は何なのかな、俺の内部でくすぶる謎は出口を探して昆虫みたいに蠢いてる。俺は驚きに目を見開き、口をマヌケに開けるっていう心底から馬鹿げた表情をしてたハズだ。例え夜空に浮かぶUFOや幽霊を目撃したとしてもここまで驚愕しなかなっただろう。実際に未確認飛行物体や幽霊を見た経験がないわけだから、実際には目撃したらしたで心の底から驚いて恐怖の念に駆られてその場から逃走かますのかもしれねぇけど。でも海の上に城って、馬鹿げてる超常現象の一種だ、未知の体験だ、って俺は混乱してキメの細かい砂粒が敷きつめられた砂浜の棒立ちになっていた。砂漠と砂浜の砂の違いは何なんだろう、ってこの状況でそんなどうでも良いこと考える余裕くらいはあるのよねん。砂についての考えなど、一端横に置いておいて、意識を海面にそびえ立つ城にもどす。よく観察したくても、薄暗いし、そこそこ距離はあるから、城の姿は把握できないが、超巨大だってのは分かる。これを見た人間はぶったまげで、警察に通報し、次の日には全国的なニュースになっちゃうんじゃねぇの。お綺麗な容姿をしたニュースキャスターが淡々と海の上にある城を映しだしたスクリーンに棒の先端を突きつけて解説を始めちゃうんだ。今日は曇りのち晴れです、って天気の報道をするくらい冷静に、キャスターは説明するのかな、それとも驚きを隠せず感情をあらわにしつつ、しどろもどろに解説しちゃうのかな。そんな思索に沈んでいるうちに、俺は夜風に頭というか頭蓋越しに熱を放っていた脳が冷やされ少しだけ、ほんの少しだけ冷静になれて、紳士に問いかけるだけの落ちつきは取りもどした。「この城は一体なんなんだ?」紳士はまたタバコを吸いながら、隣に並ぶ俺を見ながらあの冷淡な笑みを浮かべる。「なかなか素晴らしいでしょ」素晴らしい、ってか珍しすぎる、ってか答えになってねぇっ、て感じで、一回冷静になった俺の頭が紳士のボクサーの強烈なパンチのような一撃の返答によりまた混乱状態、ってか思考は混沌としちゃってる。なんて俺ちゃんは不様で哀れで繊細で優しくて心の機微に敏感な人間なんだろう。でも紳士の心情を察するのは今のめちゃくちゃに思考が入り乱れた俺の頭では困難を極める。紳士はタバコを上手そうに吸いながら俺と同じように城を眺めて、口から渦巻く煙を吐きだし、その排煙が薄暗がりに霧散していくのを俺ちゃんは横目で見ていて、何でこいつはここまで冷静でいられるんだろうって疑問に思ってた。疑問のオンパレード、疑問のパーティー、疑問のファスティバル、疑問の乱痴気騒ぎ、んで胸のうちがわから疑念の放出。紳士はこの城を見るのは初めてじゃない、何度も見た経験があるからこんなに冷静でいられるんだって答えに俺ちゃん行きついちゃったね。広漠とした砂漠を汗を濁流のように垂らしながらあてもなくふらついた足どりで歩き、乾燥した口に潤いを求めるためにオアシスを探し、ようやく辿りついたそのオアシスが蜃気楼だったって気づいちまった時におぼえる感情と似た気持を味わってた。つまり俺ちゃんは途方に暮れてたといっても過言じゃない。とにかくこの砂浜には場違いなスーツといった恰好をした紳士が見せたかったのはこの城なんだ。スーツの下には水着でも着用して、滑らかな光沢を発している服を脱ぎさり、海パン一丁になってあの城に泳いでいく、だなんて何て滑稽なんだ。この紳士はそんな真似するような男じゃねぇだろうなって、確信を抱いちまった俺ちゃんだけど、俺だったら好奇心に敗北して穏やかな波にゆれてる海を渡ってあの城まで行くんだろうか。まぁもっともっともっと冷静になるためにはアルコールやニコチンの力を借りたいけど、今はタバコしかねぇ。ウイスキーによる酩酊感があれば俺の現実感も薄らぎ、もう少しだけ冷静に自分の置かれた状況を俯瞰して見れんのかなぁ。とにかくだ、タバコを吸わなきゃ始まらねぇから、俺はあの愛すべき友情の念を感じてるアメスピを取りだしてライターで火を点け一服して、ニコチンを体内にとり込んだ。クソニートマシーン製造機であるこの世界はなんて残酷な空間なんだろう、って社会について考察できるほどには冷静になれたかもしれない。「蛾の城は朝になると無くなるんです。それに毎日見えるわけでもなく、誰にでも知覚できるわけじゃありません。この城を視覚情報として脳に伝達できるのは選ばれし者だけなんです」誰も質問してないのに、ぺらぺらと饒舌な口調で説明をはじめちゃう紳士のヤロウ。「蛾の城?」「あの城にたどり着けばその言葉の意味が分かります」俺の疑問に答えになってねぇ答えを返しやがるからナイフで目玉を抉って食べてやろうか、という衝動がわき起こったが、俺はそんな残酷なサイコパスじゃねぇし、ナイフは手元にねぇから止めておいた。ふと浜辺の片隅に何かが置いてあるのが見えたので、俺はそれに近づいてみる。接近すると、それがイーゼルに設置されたキャンバスだと理解した。ご丁寧にイーゼルの足元には筆、パレット、絵具も乱雑に交差するように置かれている、というよりも打ち捨てられていると表現したほうがぴったりじゃん。紳士も俺の後についてきてキャンバスの前にある円形の安っぽいイスに腰かけた。キャンバスはまだ何も描かれてない真っ白な状態だった。それを見た俺の脳裏に浮かんだのは故郷である極寒の地に降った綿毛のように柔らかな雪の映像だった。奴は背広を脱ぎ、それを仰々しい仕草で砂浜に落下させると、パレットと絵筆と絵具を手に取り、絵を描きはじめた。黒い色をした粘液をチューブから糞のようにパレットにひり出し、海水に溶かして薄めてから滑らかな曲線を想像させる筆に浸して、数度うごかし絵具を毛先に絡める。んでキャンバスに勢いよくそのブラックホールじみたすべてを飲みこむような色を殴りつけるようにして線を引いた。それは豪快な筆致の書道による線にも似た野太い筆致だった。んで俺ちゃん絵の知識なんてさっぱりこれっぽっちもねぇが、この紳士が遠近法などの基礎的な知識を無視して何かを描こうとしてると分かった。何を描こうとしてるのか最初は疑問だったが、俺はちょっと思うところがあり、こいつはあの絵を描こうとしてるんじゃねぇのって予想しちゃったね。一筆、一筆、豪快に酒でもあおる様に、力づよく、かつ繊細にキャンバスに筆をのせていく。そして線が徐々に組み立てられ、俺の予想は的中してたんだって確信の念に変わる。その線が造形してるのは恐らく海の上で堂々たる体躯を見せびらかしてるあの城だろう。でも絵が下手すぎ、というより前衛的すぎてかろうじて城に見える程度だ。黒だけで他の色は使ってないけど、ここから見る限り薄暗くて確かに城は漆黒を外装に塗りたくられてるようにも思える。でも近づいたら別の色に見えるんじゃねぇのか、ただ今が夜だから黒に見えるだけじゃねぇのかな。でも紳士は満足そうに完成した城の絵を舌なめずりしながら眺めていた、っていうのは冗談で舌なめずりはしてねぇ、けど何かをやり切った男の顔をしてる。そしてまた俺からライターを借りるとタバコに火を点けて、一口も吸いもせずにその先端をキャンバスに押しつける。白い布の一部に小さな小さな穴が空いた。これで本当に完成なのか、今タバコを押しつけたのが最後の仕上げなのか、って質問してみると男はまだまだと答えて突然立ち上がった。ワイシャツの至る箇所には飛び散った黒い染みが浸透していて、あのイカしてたスーツの似合う紳士の姿を滑稽なものに変化させている。と、とつぜん男はキャンバスに向けてこぶしをくり出した。キャンバスの一部に奴のこぶしがめり込み、板がひん曲がるから、紳士はかなりの力の持ち主なのかもしれねぇって思った。いやいや、キャンバスくらいだったら俺の小動物のように貧弱な力でも一撃で曲げられるんじゃねぇの。紳士はイーゼルからキャンバスを傲慢に奪い取ると、それをめちゃくちゃに折り曲げたり肘で突いたりして、さらに砂浜に叩きつけて、靴底で何度も何度も踏みつけた。城の絵が描かれてたキャンバスは見る影もなくただの残骸となって海岸という棺に収められちゃったんだ。男は荒く呼吸をしながらその場で膝を突いて、一仕事やり終えた会社員のような満足げな表情をすると、額の汗を絵具の染みついた袖でぬぐう。その時に彼の顔に黒い液が付着した。この紳士はかなりの異常者だって、小心者の俺は、こいつについて行くべきではなかったんじゃねぇの、ってちょっとだけ後悔しちゃった気がしなくもないね。でもまぁこれ良い経験になって俺がこれから生きるための小さな糧の一つになるんじゃねぇのって、なる訳ねぇか。「これで私の芸術は完成です」紳士がそんな言葉をほっそりとした唇のあいだからノイズのように垂れ流す。そのセリフはとても満足げな、ワイルドターキーの瓶を一気飲みしたみてぇに、これ以上ないくらい満足感に満ちた声質だった。いやいや、誰もあんたの芸術に関する考察なんて聞いてねぇから、でも俺はそんな想いをセリフに出来ずにタバコを取りだして口に咥えるだけにとどまった。ゆっくりと火を点け、アメスピライトの草を燃やした自然の味と香りを堪能しちゃうから、目の前で紳士の奇行を見たとしても、俺はまだ冷静でいられるんだって嬉しくなっちゃった。タバコが美味いからっていうのも俺の精神の手助けとなっていのかもしれねぇ。アルコールが脳に到達してれば、もっと余裕でいられたのにな、でもウイスキーはここにはねぇ、だからウイスキーが恋しくなっちゃった俺はボウモア、アーリータイムズ、グレンリヴェットなどの美麗なデザインをした瓶の映像を思い浮べちゃって脳がその妄想により軽く痙攣したのを感覚神経を通して感じとった。ああ、あのグレンリヴェットのシロップのような甘さが舌にやってきてその後にフルーツのような余韻を感じられる味をあじわいたいよ。香りも豊かで、ピート臭はあまりしねぇからウイスキー初心者でも気軽におすすめ出来る素晴らしいスコッチだ。いかんいかん、想像してらた強烈に飲みたいって渇望が押しよせてきて、それは砂漠をあてもなく歩いて汗を流しまくって身体中の水分が失われてしおれた花のごとく干からびたて皺くちゃになった皮膚に潤いをあたえるためにオアシスで水をがぶ飲みしたい時にも似た飢えた感情に違いねぇ。「今ならまだ蛾の城は消えないで存在してます。もし行くなら今がチャンスですよ」蛾の城なるものを眺めていた俺に紳士がそんなセリフを注ぎこむ。俺は確かに、あの城の正体が何なのかに惹かれていた、けど海を泳いでいくほどの気力はねぇし、服で泳いだら溺れちゃうだろうからちょっと怖いし、この紳士の目の前で裸になるほど羞恥心を捨てちゃいない。いややっぱ訂正、捨ててる捨ててる捨てちゃってる、俺はこの紳士の前で平気で全裸になれちゃう。「でも泳いで渡るなんて面倒くさいね」「もうすぐガラスのように透明な道があらわれます。それを歩いて渡ればいいでしょう」しばらくぼんやりとしてると紳士が怪鳥のような奇声にも似た声を上げた。「道があらわれました!」城から浜辺にかけて何かキラキラとした光がレールみてぇに通ってるのを俺ちゃん知覚しちゃった。これが紳士の言ってたガラス細工みてぇに透明な道なんだろうか、月光を反射してキラめいているから輝いてるのだろうか。「では私の役目もこれで終わりですね」紳士の方に目をやると、奴の姿は夜の闇に溶けこむようにしてゆっくりと消えた。浜辺に脱ぎ捨てられた背広だけが確かに紳士が存在していたのだと証明してる。幽霊、宇宙人、悪魔、そのどれかなのか、あるいはもっと未知の存在なのかは分からねぇけど、不思議な奴だった、って片づけられるほど俺は現実感というのものが自分から遊離して己の置かれた状況をやけに冷静に俯瞰して見ていた。とりあえず残された俺はちょっとだけ紳士がいなくなって寂しくなった。だってあんな面白い人物、俺の長いような短いような人生で一度も会った記憶がねぇんだもん。あいつはバロウズのように同性愛者で俺の毛の生え放題の尻を掘りたかったんじゃねぇの、って勘違いしちまうほど親しみの感情をおぼえた。その感情は薄い膜を張った球体をしていて、針の先端で刺すとウイスキーが噴出し、俺はそれを舌で受け止めて恍惚とした表情を浮かべちゃうんだ。愛すべき紳士の正体について考えても考えても答えはでないし、最初から答えなんて薄暗い深淵の底に沈殿してるから、この汚れた手ではすくい取れないだろう。俺はあの紳士と友達になりたくて、また何処かでいつか会えたらなと望んでいて、でも俺の目の前には奴は一生あの細身のスーツ姿であらわれる事はないのだろうと気づいてもいたから、それが苦しくてなんか切なくて、俺は自分の脂肪にたるんで剛毛の生えた胸をおおう服に手をやった。これは邂逅って言葉がぴったりなほど感傷的になっちゃってる俺ちゃんにこれから先襲ってくる出来事に思いはせる。想像という名の一つの網に捕えられた俺ちゃんは、身動きしようとしても上手く手足を動かせなくてもがく、というかのたうつしか出来ねぇのよ。紳士の確かな優しさに触れた俺の乾燥した精神に潤いがあたえられ、俺は人と接するのを心底から望んでいたのだと自覚させられずにはいられない。孤独を愛するとかのたまっておきながら、人肌のぬくもりを渇望していたのかよ、俺ちゃんともあろう物が。といってもやっぱり一人は良い、と誰もいなくなったキャンバスの残骸だけが残った海岸で棒立ちになりながら考えていた。俺は孤独に飼いならされ一人という時間に精神が麻痺し鈍感になっていたのかもしれねぇけど、別に不自由じゃねぇ。俺はこれ以上ないくらいどん底だが、自由の身で、夜空を滑空する巨大な羽を広げた鳥みてぇに羽ばたきてぇ。夜目がきくようになった俺ちゃん、暗闇に視覚が慣れて物の形が鮮明に見て取れるようになった俺ちゃん、暗い水底に精神を沈みこませて窒息しそうになるまで静かに息を止めてる俺ちゃん、どれも紛れもなく俺自身だ。どんな俺だって俺なんだって声を張り上げて、下らねぇクソ食らえな人間どもにわめきちらしたい。紳士と会いたいという俺の願望はバターみてぇに溶けて、香ばしい匂いを辺りに立ちのぼらせ、ドロドロになった願望を食してノドの奥に熱くなったそれを流しこみ、胃袋におさめて胃液と絡めたい。んでもって胃袋は風船と風呂敷の中間のような材質をしている滑らかなものであり、その中に染みわたるバターはやがて腸へと移行してき、蠢く腸を通過しながら糞へと変化し、肛門からおびただしい量の下痢便が排出される。浣腸器で肛門の奥に密生した直腸を刺激するのも乙なもんだ。大量の糞を光を反射した綺麗な皿に盛りつけて、銀色のスプーンですくって口内に運び、そのまろやかで苦味と酸味を内包した糞を優雅に食す俺ちゃん。糞が歯にこびり付き、悪臭に涙が出そうになるのが嬉しくて、俺は箸を進める、じゃなかったスプーンを進めて、食いに食いまくる。すると胃からせり上がった吐き気がノド元からこみ上げてきて、嘔吐物と微細な砂が覆われた大地にぶちまける。砂からクソ混じりの嘔吐物が浸透していき、乾いた大地にゆっくりと染みわたっていく。俺は自殺を考えてた過去もあり、今現在でも自殺という名の血で濡れた手が俺の腕をつかんで薄暗い洞窟に引きづりこもうとしてるから、それをふり払うために全身全霊で逃走かまさなきゃならない。つまり自殺と糞は同種の存在だって訳で、俺ちゃん衝動的に自殺を選ぶ未来が待ちうけているわけないじゃんって感じ。ここで現実に意識を戻そうとするが、俺の現実は鮮明な色彩感覚をなくし、幻想じみた景色へと赤い血が黒い染みに変色するように変わってしまってる。蛾の城と紳士が言ってた大きな大きな建物はまだ海の上に存在していて、俺を手ぐすね引いて待ちうけてるみてぇだ。俺は好奇心に完全に敗北し、意を決して砂浜を歩きだし、透明な道があると思われる海岸の縁に向かった。恐る恐るキラめく場所に足を乗せると、冷ややかな感触が俺の素足に跳ね返ってくる。俺は少しだけ驚いちまったが、海の上にある城を目撃した時の驚愕には勝らない。俺は非現実にわずかに慣れてしまっていってるのかもしれねぇと思った。一歩、一歩、足を進めるごとに少しずつ城の輪郭が鮮明に見えるようになってくるから、俺はまだ盲目ではないこの眼球で、物事をまっさらに直視できるんだ。あくびをすると眼球から涙がにじみ出てきて、その液体は被膜のように優しく目玉を包みこむ。俺はいま惰性という名の日々から乖離し、非日常である城へと、確かに紛れもなく足を進めて、そのすべてを飲みこんでしまう胃袋のような内部に身体をすべり込ませようとしてるんだ。んで城の内部はどうなってんのかな、複雑に入り組んだ迷宮のように部外者をまどわす仕組みになってんのかな。まぁそれは入ってからのお楽しみってわけで、俺の胸には恐怖と期待がない交ぜになって渦巻いてる。俺はガキの頃につくった模型の城を想起してた。あのピンセットで接着剤を使って作り上げる小さな小さな城、けど造形はしっかりと本物の城のように壮大で美しい。ガキの頃は親に叱られっぱなしなやんちゃ坊主、ってのは冗談で俺は読書が好きな友達の少ない内向的な性格だった。厳しかった親の影響により俺は卵の殻みてぇな脆い部屋という城に閉じこもって読書という幻想の世界に逃げ込んでたのかもしれない。でも読書は俺に胸躍らせるような体験を惜しげもなく提供してくれて、俺は甘露のような禁断の味のするそのしたたる汁をすすって生きていたのかもしれねぇ。様々な思い出がフラッシュバックして俺の視界をくらませて、未知なる世界へ意識をひきずり込んでく。五分くらい歩いてると城の近くまで来たのが分かった、てぇのは城の周りを舞っていた光の粒の正体が、燐光を放つ色鮮やかな羽根をした蛾だと可視できたからじゃん。その蛾の大群は城を誘蛾灯に見立てて、そのそびえ立つ鉄製の建物の周りを舞いながら、線状の光輝をまき散らしてる。その輝きが彗星に似てると思った俺の脳の回路に装着された歯車は、これ以上ないくらい狂ってる。俺を照明の光だと勘違いしてるのだろうか、無数の蛾が俺の悪臭を放つ身体にむらがってきたから、俺は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ自分も発光してるんじゃねぇのかって勘違いちゃう。けど蛾は俺の全身が輝いてるからむらがってきたんじゃなくて、鼻をつんざくような体臭に誘われて俺の周囲を舞ってるのかもしれねぇ。蛾は俺の服にとまってしずくのような光を垂らしながら羽根を休めてるようだ。気色悪いという気持ちはわき起こらなくて、ただ可愛らしいという感想が浮かび、俺は一匹の蛾の羽根をつまんで持ち上げると、そのメタリックな肢体をながめた。なんて艶やかで滑らかで統合失調症の患者が描いたような微細に入り組んだ模様の羽根をしてるんだ、とても美しいし、産毛のようなものが密生してるしで、何だか食欲をそそられた俺ちゃんはその虫を口にほうり込んで咀嚼した。柔らかな毛皮のような食感の次に押しよせてくるのは、硬質な関節の食感だ。俺は十分に蛾を噛んで味わうと、その苦味と酸味に脳天を突きぬけるような快感が足下から膝、膝から腹、腹から胸へとせり上がってくるのを感じて、全身が打ち震えて、これはウイスキーを飲んだ時に身体という檻から意識が解放されるような強烈な快楽に似てると結論づけちゃった。俺の身体に糊のように貼りついた無数の蛾を次々に食べていって、身体から一匹の蛾もいなくなるくらい満腹感に満たされて、腹が膨れるくらい食べてしまった。すると何と胃が内臓されてる俺の身体の内部が小さく発光してるのが分かった。あの大量の蛾を一匹残らず食べたから、俺の胃は光輝いてるんだろう。俺は不思議な現象だと思ったが、別段おどろきもしなかった。ただ俺の興味は胃の中で胃液によって溶かされてる蛾からまた城へと移った。相変わらず傲慢に高慢にこちらを見下ろしてる城が、もし人間の女だとしたら、他者を見下すような性質をその内部に含んでいるんだろう。俺は城を新品の綺麗なシーツに包まれた柔らかなベッドという海の上で抱きたくなった。熱い抱擁をかわし合い、その来るものをすべて拒むような扉に口づけをして、窓をたたき割り、そこに俺の自慢の太くて長いチンポコをぶちこみたいんだ。窓から雨のようなおびただしい量の愛液を垂らした城は悲鳴のような、いや絶叫に近いあえぎ声を上げながら身体をくねらせて俺の意識にしがみつくんだ。城の内部にある子宮という名の部屋にねばついた精液を発射し、子供の種となる白濁した液体が水晶のように透明な部屋の様子を鮮明に映しこむ卵子に付着して子供をみごもるんだ。したら俺ちゃんと城は晴れて結婚し、夫婦の身となって、互いに互いを思いやり愛を育んでくんだろう。たまには夫婦げんかもするが、最後には仲直り、ちゃんちゃんお終い、ジ・エンド、ハッピーエンドってわけ。城と俺は共働きで、でも関係性は冷めなくて、恋愛感情から性欲抜きの愛情にまで及ぶって感じ。パートに出た城は夕方に帰ってくると、夕食の準備をしてくれて、愛情たっぷりの料理に舌つづみを打つ僕ちゃんの魂はあまりにもの美味さに昇天しちまいそう。城が孕んだ胎児は彼女の胎内で成長し、赤ん坊へと変質してくのが嬉しくて、俺ちゃん胎教に精をだしちゃう。やがて産婦人科の個室のベッドの上で叫び声を上げながら、必至で赤ん坊をオマンコからひり出そうとする汗まみれの城の手を握り出産を応援する。頭が膣から出てきて、ヌルリとした体液と共にその毛の生えてない艶やかな光を反射する頭部がゆっくりと顔を覗かせてくる。そして次に大きな頭とはアンバランスな小さな身体がするりと流れでてきて、母である城とへその緒という柔らかなロープで結ばれてるから、医者はそれをハサミで切り、母と子を分離させ無事、出産は完了ってわけさ。その赤ん坊が産声を上げて貼りついた羊膜をその矮小な身体をゆさぶり破ろうとしてる。いや、その生命の誕生を象徴する鳴き声だけで羊膜という殻を破ろうとしてるんだ。そんな妄想を頭ん中に巡らせてる内に俺は城の扉の前にたどり着いちゃった。間近で見ると城はでけぇのなんのって、高層ビルほどもあるんじゃねぇの、ってそれは大げさにすぎるか。高層ビルよりは小さいけど金持ちの邸宅よりはでけぇ。城の背後に回って外壁をじっくりと観察してみてぇけど、城の周囲に道は続いていないらしく、俺の足元の光輝く道は扉の横からは細長くうねる蛇の身体のようには伸びちゃいねぇ。俺は仕方なく城の背中に回りこむのは断念して扉に手をかけた。ひどく重い扉だなってのが、手のひらに伝わる重量感を覚えて浮かんだ最初の感想。俺は懸命に扉を押そうとするが、扉はまったく動じずに俺の前に立ち尽くしてる。いや、立ち尽くしてるのは僕ちゃんの方だ。路頭に迷った傷だらけの子猫みたいな気分になり、俺は一瞬だけ引きかえして何事もなかったかのように家に帰ってウイスキーを浴びるように飲もうか、という考えにとらわれた。あの住み慣れた部屋のすわり心地の悪いソファーに身を沈めて、ウイスキーの蓋を開けグラスに注ぎ、砕いた氷も入れずにストレートで飲む、って生活に戻るべきなんだろうか。いま引きかえさなけりゃ、俺は永久にこの城の内部に飲まれて、一生外には出れずに城の中で暮らすハメになるんだろうか。そんな恐怖、というより、惰性に満ちた日常に対する愛にも似た執着が、胸のうちがわの液状の心がある箇所にこびり付いて取れない。執着という感情は俺の精神に溶けこみ、アイスが氷解するようにして固形だったものがほどけて液体になり、無意識という深淵に落下して見えなくなる。底の深すぎる深淵だから、アイスの落下音はまったく聞こえねぇし、底にぶつかった時に飛散する様も見えねぇ。俺は精神を病んでるんだろうか、だからこんな幻覚じみた体験をしてるんだろうか、でも俺は今はシラフのシラフ、まったく酔ってねぇから正常に物事を判断できるハズなんだが、不可思議な体験の連続でちょっと混乱しちゃいそう。と、あれほど押しても引いてもダメだった扉が金属がきしむ音を立てながら自動的に開いた。扉は内側にではなく、外側、つまり俺の立つ方へ向けて開いたんだ。まさかの自動ドアかよって思って立ち尽くしてると、城の内部に灯りがともってるのが可視できた。この自慢のお目々に繋がった視神経で視覚情報を脳に送りこんじゃったんだ。俺は何の躊躇いもなく挨拶もせずに城のなかへ足を踏み入れた。外は熱気を孕んだ風が吹いててクソ暑かったけど、城の内部からはひんやりとした空気が漂ってきて、それは俺の毛穴から体内に入りこみ、身体の内側から熱気をふき払ってく。こんなクソ暑い夜にはウイスキーより生ビールを一気飲みした方が美味いのかもしれねぇ。あの炭酸を含んだ液体がノドを通過し、胃に流れこみ細胞の渇きを潤して、その次に爽快感が脳細胞に押しよせてくるハズなんだ。生ビールの味を思いうかべちゃった俺は、これから居酒屋に行ってジョッキに入った泡と液のバランスがほどよいビールを飲みまくりたくなった。この城にはビールやウイスキーはあるんだろうか、って妄想しちゃって、もしあるなら冷蔵庫のなかに大量にかつ規則的なバランスで並べられた缶ビールの群れから一つ手に取って、プルタブを開け、プルタブが開く時に立てる快音を耳にして、缶をかたむけて一気飲みしたいな。まぁこの城の構造に関して俺は無知だし、ただの歓迎されてない侵入者なのかもしれねぇし、いや城は俺を歓迎してるか。だってそうじゃなきゃ扉が自動的に開くだなんて事態、起こらないだろうからだ。つまり俺は来るべきしてこの城に到達し、あの紳士と遭遇したのも偶然ではなく必然、それって運命ってやつじゃん、って電撃が頭に走るように閃いちゃったね。あの紳士の正体についてもう考えることはないだろう。俺はただ無遠慮に、傲慢とすらいえるほど堂々と、城の中を進んで行った。赤いカーペットの上に舞い降りた俺ちゃんは素足でその羽毛のように柔らかな、いや赤子の肌のごとく柔らかな布の感触を楽しんでいた。なんて繊細で優しい感触のする絨毯なんだろう、って考えながら一歩、また一歩、足を進めていく。内部はとても広く天井も高くて、螺旋状の階段がいくつかあり、ここから見上げると三階建てだってのが分かる。階上から人の首が軽快な音を立てながら転がり落ちてきたきたら面白れぇのに、階段は重苦しい沈黙を守ってるだけだ、というか城全体が沈黙、という一種の意思表示をつらぬき通してるようにも思える。壁を観察してみると、幾何学的でやけに装飾的な模様が彫られていて、それは人が槍や剣をかまえてる絵だと分かる。何かの道具で器用に掘ってる人間の映像を思い浮べて、そんな想像バカバカしいと感じですぐに思考を中断させる。誰が彫っても、動物がその鋭い牙を赤い歯茎の奥からむき出しにして、その先端で肌に傷をつけるようにして彫ったとしても俺には関係ねぇ。誰が彫ったかじゃなくて何が描かれてるかが今の俺にとっては重要なんだ。高名な芸術家が彫ったかのような一種の絵画ごときその模様を見つめてると、俺の眼球がくるくると惑星が自転するように回りそうだ。回りすぎて回りすぎて速度が上がりまくり、俺は目を回しちまいそうで、ぐるぐるぐるぐると天井や壁が回転してるかのような錯覚に陥るが、それはただの錯覚でしかないから、俺はウイスキーで二日酔いした時に感じる吐き気をもよおさなかった。まぁこの城自体が一種の芸術品なのかもしれねぇな、ってまだ城を探索してもいねぇのにそう結論づけちゃう俺はちょっと気が早い。ついでに言うと射精するのも早い早漏のバカのクズのクソニート、いわば機械みたいに生きるクソニートマシーン。まぁそんな御託はどうでもいいから、まずは迷宮みてぇなこの城を探索しよっか。気になる個所がありまくり、香ばしい匂いのする台所とか、イカした壁紙の客室とか、豪華な食卓とかがあるんだろうか。台所ではどんな料理を作って食卓に並べるんだろ。金属の表面のような水面をした鉛色のスープでも出されたら、溶けた金属みてぇな味がするに違いない。俺はそれをスプーンで丁寧に飲み下し、強い苦味とノドチンポに絡みつく感触をスプレーで吹き払うみたく、綺麗な天然水で流しこむんだ。その後に豚の頭がテーブルに滑らせるように執事が出して、俺はそれを丸かじりして、美味な肉の味を堪能しまくっちゃう、しまくっちゃうんだ。咀嚼した豚肉は舌に密生する味覚神経に浸透し、神経を介して脳に味という感覚が怒涛のように流れこむ。満腹するまで肉を食べて食べて食べまくり、腹がふくれる頃になるとゲップを一発かます。同じ食卓についてる奴がいたとしたら、テーブルマナーを無視した俺ちゃんに対して不快感をその高貴なお顔にあらわにするだろう。俺は神経が病んでる夢遊病者ではなく、食欲を満たすだけに特化した獣じみた人間の一人でもなく、理性をかなぐりすてた人間でもなくて、か弱き一人の男の子、っていうには歳を取りすぎてる。食欲旺盛な十代の頃の気持ち、ってか青春を回想して、あの時は食欲だけではなく睡眠欲も性欲も膨大だったなって思いをはせる。あの頃に付き合ってた彼女はどこでもセックスをやらせてくれるスケベ女、貞操という概念の欠片もない変態女、ではなくガードの固い普通の女の子だった。セックスに至るまでに手をつなぎ、じっくりかけてキスまでいき、ようやく家に呼んでセックスをした。そこに辿りつくまでの過程が大変だったって、淡くもほろ苦い思い出があるから、俺はもう女と付き合ったりはしねぇ、って決心しちゃったのが二十代の時。セックスは確かに強烈な快感を俺に惜しげもなく与えてくれたが、もう女に束縛されるのが面倒なのよ、マジでさ。自由気ままに孤独という日常を楽しみたい俺は恋人はおろか友達さえもいらねぇって考えてる孤高の男、って自分に酔ってる節すらある。自己陶酔してる俺は酒でも飲んでないのに恍惚とした気分になれるんだ。って脳汁に思考を浸してると階段の上から足音が響いてきた。人影は螺旋階段をぐるりと回って俺の前にその可憐な姿をあらわし、うやうやしくお辞儀をした。「ようこそいらっしゃいました、お客様」その人物は可愛らしいメイド服に身を包んだ少女だった。長い髪は頭長でたばねられいて、背中まで垂れ下がるポニーテールが振り子のように揺らめいている。そして俺にその太陽のごときまぶしい微笑みを投げかけてきちゃって、俺ちゃんこんな小動物みてぇに可愛いメイドに胸がときめきそうだ。でも俺はそう簡単に異性に惚れたりはしねぇ。性欲が枯れちゃってるから、内面のわずかな動揺を顔に出しはしなかっただろう。つまりは無表情という表情をあつらえるっていう冷淡な振る舞いをやってのけちゃったの。だがメイドは俺の反応など意に介した様子はなく言葉をつづける。「今から客室に案内しますのでついて来て下さいね」語尾に音符マークでも付きそうなほど軽やかで耳心地のいい声音に、俺はちょっとだけ気分がよくなって来たが、それはウイスキーを飲んだ時に感じる酩酊感には到底勝らないと気づいて、俺はなんて女に興味のない人物なんだろうって自戒にも似た感情を胸のうちがわに宿しちゃった。メイドはというと、俺の返事も聞かずに身をひるがえらせ、その時にスカートが羽毛のように舞って中のパンツが見えそうで見えないっていう焦らしにもどかしくなっちゃうのは若い印なんだろう。けど、俺は特に何とも思わなかったし、別に下着を拝もうとしてスカートを覗きこみもしなかった。階段に二人分の足音がこだまし、それがある種のリズムのように規則的に響きわたるってのは冗談で、俺は素足だから足音は響かずに、メイドの足音だけが一階に下りてくる時のように鳴った。訓練されてるのか、やたらと優雅で上品な動作で階段を昇ってくメイドの後をゆっくりと追いかける。一応メイドは俺を気遣ってるのか、その足遣いは軽やかだが、ゆるやかで、俺が遅々とした足どりで進んでも距離は離れない。やがて二階に到着し、今度は長すぎる廊下を二人で歩きだした。廊下の角までたどり着く前にメイドは動きを止め、普通の部屋のドアの大きさと変わらない木製のドアの前でうやうやしくお辞儀をした。「ここがお客様の部屋でございます。好きなだけいて下さいね」「ああ、ありがとう」俺がここに来ることはまだ見ぬこの城の主人にとっては織りこみ済みなのか、メイドが俺を丁寧に客人として迎え入れてくれているのがその態度から丸わかりだ。ドアの前で立ち尽くし手持ちぶさたな俺を置いて、メイドはさっき来た廊下を戻って行った。俺はひとつため息をつくと、ドアノブに手をやって部屋の内側にドアを押しこみ、その汗で湿ったシャツに覆われた身体をすべり込ませた。俺が身を投じた場所は真っ暗闇で、まずスイッチを手探りで探さなきゃならなかった。見事スイッチを見つけてそれを指先で軽く押すと、照明の光が灯って室内の全容があらわになった。ビジネスホテルにあるものよりかなり大きなベッドで、シーツは新品なのかとても艶やかな質感をしていて、壁紙は青空のような色で開放感があり、木製のテーブルとイス、それにこの広い部屋にしては小さく見えるが、俺のボロアパートにあったら結構大きな冷蔵庫がひとつあった。なかなか気のきいた良い部屋じゃん、ってのが俺ちゃんの率直な感想で、まぁ欲を言えばエアコンがないのが残念だけど、室内はほどよい温度の過ごしやすい環境だった。俺ちゃんまず冷蔵庫の中身を物色するため、そのうなり声を上げる冷蔵庫の上部を開けた。中には缶ビールとチーズしか入っておらず、冷凍庫には氷が入ってた。この部屋には他には何かねぇのかなって思いながら室内を見回すと見落としてた棚が見つかった。ガラス張りの棚の中にはウイスキーとナッツの袋が置かれていた。俺の好みを完全に把握してるこの城の主には感謝の念が絶えない。ウイスキーはマッカランとホワイトホースの原酒であるラガヴーリンという値段の張るウイスキー、それに何故かカティーサークという安ウイスキーがあったが、俺はカティーサークもかなり好みでよく買うから何も問題ねぇよ。ノドが渇いてた俺はとりあえず高いウイスキーを常温でストレートで飲むんじゃなくて、カティーサークをオンザロックで飲もうとして、ウイスキーの横にあったグラスとカティーサークを取りだして、冷蔵庫から氷を持ってきてまだ誰も寝たことがないとおぼしきベッドに腰かけた。ソファーが無いのがちょっと残念、あの古馴染みの安物のソファーに身を沈めながら飲むウイスキーとの時間が掛けがえのないものだったけど、今はこのベッドで代用しよう。んでグラスに不揃いで透明な氷を入れ、氷とグラスがぶつかり合う快音に喜びを覚えちゃって、そしてお待ちかねのウイスキーを注ぐ。瓶の出口から琥珀色の液体が流れでるBGMに俺はなぜか波の音を連想しちゃった。んで氷の半身が顔を覗かせるくらいまでカティーサークを注ぐと、瓶の蓋を閉めて、グラスを手に持ちぐるりと横に一回転させる。一口目に飲んだ感想は、青リンゴのような甘味が口内に襲ってくるって感じで、その後の余韻がバニラじみていて、何て飲みやすいウイスキーなんだろうって思っちゃった。安ウイスキーのハズなのに抜群んコスパがよくて、スコッチとして確実に成立しちゃってるから、こりゃ常飲だね。鼻腔に流れこんでくるのは様々なフルーツを感じさせる華やかな香りで、アルコール度数四十パーセントってのが信じられないほどスムースで飲みやすくて、俺はカティーサークに恋心にも似た念を抱いちゃった。カティーサークってこんな美味かったっけ。これからはこのウイスキーをスーパーで売ってたら必ず買い物かごに入れて会計を済ませ家に帰ってオンザロックで飲んじゃう。じゃあストレートで飲んだら、どんな味がするんだろうか、って疑問が頭に浮かんですぐに実行に移すために、蓋を開けてちょくせつ瓶に口をつけて飲んでみると、ロックの時より味と香りが濃厚でマジで美味くて堪らねぇけど、アルコール臭もわずかにするから、カティーサークにはオンザロックって飲みかたが抜群に合ってるのかもしれねぇ。ふとベッドに目をやると水玉模様のパジャマが丁寧に折りたたまれて置かれてた。汗をかいたシャツが肌に張りついてちょっとだけ気持ち悪かったから、俺はズボンとシャツとパンツを脱いで全裸になるとノーパンのままパジャマに着替えてすっきりとした気分になった。そしてまたグラスに口をつけて少しずつ少しずつウイスキーを体内に吸収していき、酔いを頭に回らせる。んでクソ暑い中ここまで歩いてきたほどよい疲労感と酔いが溶け合って、俺は何だか眠たくなっちゃったから、ベッドに身体を横たえた。俺は眠りに就くまで様々な考えに思いめぐらした。自宅でも怠惰な生活のことや、バロウズの書いた支離滅裂だが繊細で美しい小説、あの紳士の不可解な行動、そしてさっき出会ったメイド、そしてウイスキーの堪らねぇ味と香り、それらの考えが堂々巡りしてるうちに俺は徐々にまどろんできて、電気を消したくなったが、立ち上がる気力がわかないのでそのまま眠りに就いた。優しい夢の世界へ意識が少しずつシフトしていき、俺はガキの頃にママに抱かれて公園まで行って遊んだ記憶を思い出してた。金属部のメッキが剥げたブランコや滑り台や、雨の染みこんだ砂場で戯れてる子供たちに混ざるなんて真似はせず、ただママに抱きついてその肩に顔をうずめちゃってる幼児の俺ちゃん、それが俺の覚えてる幼少期の最初の記憶。それ以前の記憶はパンドラの箱の内部で闇となって蠢いてるだけで、俺はその映像を取りだしてまぶたの裏側に映しだすことは出来ねぇ。その公園でママと一緒に俺と同い年くらいの子供たちを指をしゃぶりながら眺めてると、ぽつりと一滴の雨が頬に当たった時の冷ややかな感触が蘇ってくる。それからすぐに土砂降りになるが、砂場で遊ぶ子供たちは楽しそうに奇声を上げるだけだ。俺もママの腕に抱かれながら、土砂降りのなかで天からしたたり落ちてくる愛液じみた大量の雨を浴びていた。ママの髪が湿り、毛先が額に張りつき、その姿は実の子ながらとても美しいと感じた、つまりは感動にも似た一種の絵画を見るような感情をおぼえた。絵画ってのは現在の自分の感覚で表現してるにすぎねぇ、ガキの頃はどんな感情を覚えたのか子細には思い出せねぇでやがる。年を取るごとに感受性が鋭敏な外界の物事に敏感に反応する心は色褪せるように失われてって、感情の残りカス、残骸だけが胸の内側にへばりつき心がすり減って鈍感になる。もうあの頃の燃え上るような感情を抱く瞬間は未来永劫こないと分かっていながら、とても懐かしくなって、この胸にあの気持を再生させたいと強く強く願っちゃうんだ。すると微かに黒ずんだほんの残りカスのような小さな感情だけが胸に去来する、いや去来という表現は大げさだから押しよせてくるって感じ。柔らかな襞の密生した優しい夢の中へ永遠に没入していたいという俺の願望は、ノンレム睡眠のなかに意識が突入して消えてなくなるだろう。夢も見ない深い眠りのなかへ沈みこんで行く俺ちゃんの一日の疲れで硬くこわばった意識が、糸がほどけるようにして解放されてく。アルコールにより眠りが浅くなるってのは本で読んだことがあるが、それは確かに当たってる。俺は浅い眠りの中で何度も何度も同じ夢を見つづける。目が覚めると俺の視界に飛びこんできたのは真っ青な青空、ではなくて電灯が蛾みてぇにへばり付いている天井の明かりだった。どこからか綺麗な聞き覚えのある旋律が流れてるのに気づき、その音色が俺をゆっくりと眠りの中から覚醒させたのだと分かる。俺はベッドから上体を起こそうとするが、金縛りに合ったかのように身体がまったく動かねぇ。手に少し力をこめると指先がわずかに振動し、目玉だけが軽やかに動いて室内の様子を視覚で捉えた。俺が見たのはイスの上でアコースティックギターを弾いてる昨日、俺をこの城まで導いた紳士の姿だった。足を組んでいる様が奴にはとてもよく似合っていて、膝の上にギターが収まって、その楽器は紳士のために作られたと言われても過言ではないほどぴったりと紳士という存在にフィットしてた。奴が演奏してるのはThe smithsのwell I wonderの終盤の箇所のジョニーマーによるアルペジオのソロだ。あの美しくて儚い旋律を忠実に再現してる紳士の腕前には、驚いちまうくらいの衝撃を受けそうで、受けなかった。ただそのメロディーが壁や天井に光が乱反射するみてぇ反響して、俺の元へと静かに歩みより、鼓膜を軽く叩く。紳士はそのフレーズを延々とくり返し弾いていて、俺が目覚めるまで待ってるみてぇだった。くり返しくり返し執拗とすら言えるほど延々とそのアルペジオを演奏する紳士は暇を持て余してるのかもしれねぇ。んでやがて俺の鼓膜に痛みが走るくらい旋律が反復する頃になると、ようやく動かなかった身体に力が入り上体を起こすことが出来た。「何やってんだ?」って疑問をアルコールに彩られた口臭と共に吐きだす俺ちゃんに紳士は首をかしげる。「いやぁ、あなたが起きるまで待ってるあいだ暇だったからちょっと……」俺も紳士も念じれば相手の思いが読み取れる間柄ってわけでもねぇから、紳士の意図は分からなかった。ただ奴はギターを置くと、腰をかがめて、膝の上で白い絹の手袋を装着した指先を組み、こう言った。「ウイスキーが飲みたいんです」そんなの俺に断りも入れず勝手に飲めばいいじゃんか。「この部屋の物はもはやあなたの所有物ですから。ちなみに、このギターは私が持ち込んだ物ですが」俺の頭に浮かんだ思考が表情からだだ漏れなのか、紳士は質問してねぇのにそんなセリフをお喋りで正直うざい。「勝手に飲めばいいんだ」俺は投げやりな口調でそう言って、ベッドから立ち上がったけど、ウイスキーを奴につくってやるって優しさ、というか偽善を発揮したりはせず、ただこの部屋の室温をパジャマ越しに肌で感じてた。「それじゃあ、ありがたく頂きますね」奴もイスから立ち上がると手袋を取り去って、そのしなやかな指先を露わにし、棚の中からラガヴーリンって一番高いウイスキーを手に取り、それをグラスの注いだ。紳士はコルク製の蓋を閉めて、ウイスキーの入ったグラスを片手にまたイスに腰かけて、それを無表情で飲んだ。「強烈なピート香ですね、あまりに個性的な味だ」「知ってるよ。だけど俺は好きな味だな」一本だけラガヴーリンの瓶が空になるまで、少しずつ日にちをかけて飲んだ経験がある俺ちゃんは、あの強烈なピート香と奥ゆきのあり過ぎる深い味を思い出してた。堪らなくなった俺は棚の内部にあるラガヴーリンを取りだし、コルクの蓋を開ける時の快音を耳にして、その後で中身の液体を口に含んだ。ホワイトホースの原酒ってのも理解できる。ホワイトホースも美味いが、飲んでて何かが違う、という感覚をこの酒はふき飛ばしてくれるんだ。これだ、これこそがウイスキーの王なんだって感じで、俺は次々と琥珀色の液体をがぶ飲みしてく。「どうです。蛾の城は気に入りましたか?」紳士の手のなかに収まったグラスはとっくに空になっていて、奴は物寂しげな視線をその透明な容器に注ぎながら俺にそう問いかけてくる。何で俺ちゃんの方を見て話さねぇんだろう、気取ってやがんのかな、それとも一杯だけで酔いが回って意識が朦朧としちゃってんのかな。「気に入るもなにも、昨日ここに来たばかりだから。まだこの城のことよく分かんないし」何だか女子高生が彼氏に浮気の言い訳でもしてるみてぇな口調になっちゃってる僕ちゃんは、可愛らしい女装が似合う中年男なのかもしれねぇって錯覚しちまった。紳士は静かに頷くだけで、それ以上、言葉を発しはせず、ただ手のなかのグラスを穴の開くほどながめていた。と、そこで奇妙な現象が起こった。紳士の両手で包みこまれたグラスが溶けて、透明な液体になり床にゆっくりとしたたり落ちたんだ。床の水溜まりはすぐに蒸発して消えてなくなった。でもでも僕ちゃん海の上に城があるって事自体があまりにも不可思議な現象だから、今さらそんな事態に直面しても少しも驚きはしなかった。感情は胸のなかで静かに呼吸しながら存在してるだけだった。蒸発したグラスに神経を集中させてた俺は、規則的な小さな音がどこからか鳴ってるのに気づき、その正体はどうやらドアをノックしてるメトロノームじみたあまりにも機械的な音だと思い至る。「あの、食事の時間ですから食堂に来てください」ノックの音と同じくらい小さなメイドの声がドア越しに聞こえてくる。俺はまだそこに座ってる紳士から注意をそらし、ドアの前に行くと、それを軽やかに開けた。宙に舞う蛾のように軽やかな俺ちゃんの流れるような動作に紳士も見惚れてるに違いない、ってそんな訳ねぇか。とにかく薄暗い廊下にはあのフリルの付いたやたらと装飾的なスカートを履いたメイドが陽炎のごとく佇んでた。指先で触れたらすぐにも消えてしまいそうなほど存在感が希薄で、昨日会った時よりも彼女の纏う個性は薄らいでるようだった。このままいったらこのメイドはいつか消えて無くなってしまうんじゃねぇの、誰にも見つからずに透明になって存在が消失しちまうんじゃねぇの。んで俺は紳士に顔を向けて一緒に来るか、と視線だけで問いかけた。紳士はゆっくりと立ち上がって俺のそばに来て、メイドに会釈した。うやうやしすぎるほどのその動作はどっちが召使か分からなくなるほど慇懃なものだった。俺らはほどよい温度の空気が充満してる部屋から出て、新たなひんやりとした空気が漂ってる廊下という空間に身を投じちゃった。食堂って言っても、この広い海みてぇな性質を孕む城っていう空間のどこまで行けばたどり着けるんだろう。一滴の雨も降らない乾いていて広大な砂漠をあてもなく歩くっていう行為に似てるんじゃねぇだろうか。まぁさすがに砂漠ほど広くはねぇだろうが、このクソ広そうな城の中を歩いて食堂まで行くって想像しただけでうんざりしちゃう俺ちゃん。メイドと紳士は俺の内心を見透かしてんのかいないのか、メイドが俺の前に立ち紳士は俺の背後で待機してるっていう俺ちゃんを挟むような状況になっちまってる。俺は人といる時は真ん中は落ちつかず、端っこで会話に参加するのが好きなタイプ。でも紳士とメイドに会うまではしばらく誰とも会話らしい会話はしてねぇ。コンビニやスーパーで簡潔な返事をするだけのコミュニケーションしかしてなかった孤独を愛する俺ちゃんの人生に、紳士やメイドという異物が混入しちゃったんだ。それをピンセットで注意深くとり去ろうとしても最早、手遅れな僕ちゃんの人生。でもいま俺の置かれた事態はまだ日常の延長線上だという感覚しかねぇ。この俺の平穏な日々が地雷が爆発して人間がふき飛ぶみてぇに粉々に砕かれて風に乗って消えちゃうのは一体いつになる事やら。俺ちゃんの愛すべき日常、怠惰な日常、退廃的な日常をまだ維持するだけの努力は怠らないつもりだったが、そんなの結局のところ面倒だからやっぱ俺は流れに身を任せて生きて快感をむさぼり尽くしたいね。その快感ってのはウイスキー、本、タバコ。そういやこの城には図書室ってあるんだろうか、活字を眼球に点滴みてぇに打ち込みたくなってる俺は、食事が済んだらメイドに尋ねてみようと小さく決心しちゃったね。ああ、バロウズの編み出した物語りはバカでかい本棚の中にすべての種類が収まってるんだろうか、ノヴァ急報のぶっ飛んだ文字列を視神経から吸引してぇよ。そうすりゃ俺はトリップして全裸になり、逆立ちでチンポコをふり乱して手で移動しながらションベンをまき散らしたくなっちゃうの。最高の快楽はあの小さな本という両手に収まるサイズの物語から摂取できちゃう。でも本自体は小さいけど、物語は壮大な展開を俺に惜しげもなく、娼婦が服を見せつけるように脱ぎさるみてぇに、その神秘的な裸体を俺ちゃんに惜しげもなく差しだすんじゃね。本の世界に意識ごと全身を没入させ、物語りの世界に俺のすべてを晒すように身をあずけるみてぇに浸してぇ。全裸でエアコンの冷風を浴びながら読書にいそしむってのが俺のライフスタイル、ってか人生の堤防になっていたのかもしれねぇ。その防波堤は脆い構造をしていて、冷風が触れるだけで決壊する儚いものなんだって決めつける俺ちゃんの脳の回路に潤滑油をさして思考を滑らかに回るようにして欲しい。そんな妄想に意識を液体に浸すように捉われてる内に、メイドは俺たちを先導してく。この城の地図でもあれば自由に各部屋を行き来できるのに、俺の手のなかには血液の染みこんで破れかけたボロい宝の地図じみたいな城の構造が描かれてる地図はねぇ。これじゃあもし一人で出歩いたら確実に迷子になっちまうじゃん、ってかトイレはどこにあるんだ? ションベンをよく磨かれた艶やかな便器にぶちまけてぇ、って衝動、つまりは尿意をもよおしてたから、俺ちゃん即質問しちゃったね。「トイレはどこにあるんだ?」メイドの背中にそう声を掛けると、彼女はこっちを振り返って廊下の先を指さした。「ここから反対側、お客様の部屋の近くにあるので、すぐ分かると思います」「ありがと、じゃあ俺ちょとトイレ行ってくるわ」メイドと紳士は立ち止まって、どうやら俺が膀胱に溜まったたっぷりの尿を出し切ってここに戻ってくるまで待ってるという意思表示をしてるみてぇだった。俺は一人で来た廊下を引きかえす。天井に吊り下げられた電球が揺らめきながら光を発散して薄暗い廊下をかすかに照らしていた。光に導かれるようにして俺は自分の部屋の辺りにまで戻るのに大した時間はかからなかった。この先にトイレがあるらしいから、部屋を通りすぎてさらに歩を進めると確かにもう一つドアがあった。ドアノブをひねってドアを開けると幅はないが奥ゆきのある長い道があらわれて、その先には一つの便器が俺を首を長くして待ちうけるようにして鎮座してた。俺は便器の前まで行く。相変わらず窓はなく、照明の光だけが淡く、というか弱々しく照らしてる。俺はご機嫌に鼻歌なんか吹いちゃって、ズボンを下ろして、愛するチンポコちゃんをあらわにさせた。愛するというってもここ数年はセックスにもオナニーにも使ってない不能のチンポコだから、もうこいつに対する愛は冷めちゃってる。んで俺ちゃん便器に向けて放尿、気持ちいね、脳裏に青空が浮かんで流れる分厚い雲をロケットが突き抜けて宇宙にまで行く様を想像しちゃうね。まぁ何ていうかさ、ジェット機が噴射する飛行機雲のような勢いでションベンが出るわ出るわ。約数秒後、尿を出し切って膀胱が空になった俺は残尿感もおぼえない健康的な膀胱に感謝し、トイレを出た。んでメイドと紳士が待ってる場所まで向かおうとして歩きだし、すぐにさっきまで二人がいたハズの地点だとおぼしき所にまで到達するが、二人の姿は霧みてぇに散ってなくなってた。何て神出鬼没な奴らなんだ、奴らは空間を自由に行き来できる人を超越した神聖な存在に違いねぇ、ってそう決めつけちゃう俺は奴が俺を置いてただ先に食堂に向かっただけだって事をこの時は失念してた。とにかく一人ぼっちで城の廊下に取り残されちゃった俺ちゃんは、ちょっとだけ自分がこの世界から取り残されたような感覚に襲われた。でも俺はもともと最初から最後まで一人ぼっちなんだ、一人だけで生きてくべきなんだ、って思いなおす、というよりも、これは一種の開き直りに近い。孤独という永遠にも似た時間のなかで花が枯死するみてぇに感覚を喪失し、時と自分が一体化した感じになってるのよねん。孤独って檻の中で快楽をむさぼり続ける俺ちゃんは獣じみた人類の一人ではない、と信じたい気がする。孤独は優しくて柔らかな光の粒子となって俺の人生を輝かせる、ってのは冗談で孤独は薄暗いトンネルを歩いていくのにも似てる。誰かに会わなけりゃこの取り残されたって感覚は消し飛ばなくて、僕ちゃんは人のぬくもりを感じるために城の中でメイドでも紳士でも誰でもいいから人間と遭遇したくなった。そういや人肌や会話によるぬくもりなんて紳士に出会うまでは長年感じてなかったなって気づく。感受性は鈍麻し、金属がすり減るように摩耗して、もう俺の内部で輝くガキの頃の感情は無くなってるんだって自覚せざるおえない。それが感受性の正体だって思い至るまでに数秒しか時間を要さなかったが、俺が賢くなかったらもっともっともっと時間がかかったかもしれねぇ。こんなとこで立往生してても仕方ねぇから、俺はとりあえず食堂を探すために歩き出した。血のしたたる肉、油の浮いた濃厚なスープ、新鮮な野菜が食卓の上に用意されてるんだろうか。その色とりどりの様々な料理はあの愛くるしい顔立ちをしたメイドが用意したんだろうか。あのメイドは確かに愛らしい顔をしてるが、個性ってもんがねぇ。通りすぎた時に一瞥したら一瞬で忘却という海原に顔の造形の記憶がうち捨てられてしまいそうなほど無個性なメイドちゃんにフェラをしてもらったら、俺の萎えたチンポコも起ち上がり、精液をぶちまけて、その白濁とした液体が宇宙船のように大気圏を突破しちゃうのかねぇ。液体の内部でパイロットに扮した精子が重力を感じつつ、その圧に表情を曇らせながら牛の角みてぇ尖ったレバーを操って何とか大気圏をつき破っていく様を思いうかべる。その先にあるのは真っ黒な宇宙、んでもって惑星のように卵子が浮いていて、その膜に覆われた球体は自転してやがる。俺は精子が卵子に到着するように、長い廊下を進み、一つのドアを見つけた。ドアに耳を当て、室内の音を鼓膜でさぐる。鼓膜から伸びた透明な手がドアを通過し、ドアの奥に存在する空間を手探りしちゃうんだ。その風船じみた手は壁や天井や床や、家具、そこにいるかもしれない人の気配を察知する。結局、俺の耳に響いてきたのは無音で、何だか悲しくなっちゃうの。ここには人はいねぇのかもしれねぇって考えながら、ドアを開けると、俺の予想に反して、室内には明かり点いていて人がいた。それは皺くちゃの使用済みコンドームみてぇな皺だらけで染みだらけの肌をした老婆だった。こんなとこで何してんのかなぁ。老婆はソファーに身を沈めながら縫物をしていて、編んだ毛糸の束が猫の尻尾のように床までたれ下がってたから、マフラーでも編んでんのかな、と思った。こんなクソ暑い季節にマフラーを黙々と編むというのは奇妙なことこの上ねぇが、冬という厳しい寒さの季節に備えてるのかもしれねぇ。俺はしばらく開け放したドアのとこに立ち尽くして老婆を眺めていた。俺ちゃんともあろうものが相手の出方をうかがってたって訳じゃん。あれあれーそんなに臆病だっけ俺って、って軽く混乱しちゃう。そんな俺の内心を見透かしてんのかいねぇのか、老婆は縫物から視線を上げて俺を太陽を双眼鏡で見るように直視する。太陽を双眼鏡で見つめたら視神経がイカれてねじ切れて盲目になっちまうんじゃねぇの、って考えてる余裕がまだ俺にはある。老婆の顔には、無表情、という一つの感情のみが宿っていて、そこには泣き笑いや憎しみに怒りを歪ませるって顔つきは存在しなかった。穴の開くほどって先人が小説に多用し、手垢にまみれて擦り切れた比喩がうってつけってほど老婆は俺を見つめていた。なに考えてんのかなぁこのババァは、この部屋にあらわれた突然の闖入者である俺を目撃して驚いたほうが自然な反応なんじゃねぇの。でも老婆は無表情、いやその顔にわずかに、ほんの一欠片ほどの微笑みが浮かんでるから、どうやら少なくとも奇声を発しながら鬼のような形相で俺を追いだしたりはしねぇだろう。じゃあ歓迎してんのか? 俺の存在はもうこの老婆にも知らされてるのかもしれねぇ。あのメイドが焼いた豚の耳であるミミガーのようなその萎んだ耳に麗しい唇を押し当てて俺の来訪を知らせたのかな。沈黙してる俺に対し、老婆は微笑をつらぬき通し、たっぷり五分くらい互いに見つめ合った後で、老婆は口を開いてしゃがれ声でこう言った。「もう起きたのかい? なかなか早起きじゃないか」どうでもいい何の利益にもならない無害な世間話をおっぱじめやがった。俺はまだ黙りこんでいて、老婆から床、床から壁、壁から天井へと視線を彷徨わせて、また老婆を見た。老婆は相変わらず微笑んでて、まだ世間話をつづける気満々なのが俺には分かった。俺は世間話に付き合うのも悪くはねぇと考えて、まるで自分の弱味を打ち明けるように老婆に返事しちゃった。「ああ、メイドに起こされて……まだちょっと眠いよ。でも腹も減ってる」「そうかい、そうかい。食堂はこの部屋を出てすぐ突き当りのところにあるよ」この害のなさすぎる世間話が心の底から楽しいのか、老婆はアルコールでやられたとおぼしき声帯でそんなセリフを返した。わざわざ食堂の場所を教えてくれた老婆に、俺ちゃんちょっとだけ、ほんのちょこっとだけ感謝しちゃった。もちろん言葉には出さずに、胸の内に感謝の念は大切で脆くて高価な傷をつけるのは忍びない宝石を扱うみてぇに大事にしまった。その代わり俺はポケットからライターと一緒にタバコを取りだして老婆に渡そうとした。「一本でいいよ」三本のタバコを指にはさんで老婆に差しだそうとした俺ちゃんだったが、老婆の言葉に従って一本だけ彼女に渡し、二本目は箱に仕舞って最後の一本は自分の口に咥えた。老婆はライターでタバコに火を灯すと、煙を吸引しちゃってアメスピの味と香りを堪能してるみてぇだった。それから煙を蒸気みてぇに鼻と口から排出し、俺にライターを返してくれた。「何のタバコ?」「アメリカンスピリットのライト」「私はロングピースが好きだねぇ」なかなか渋い銘柄のタバコを選ぶじゃん、こいつ悪い奴じゃないんじゃね、って思うのはちょっと早いかもしれねぇ。人間性を正確に判断するにゃ、長くそいつと付き合わねぇと、そいつが何を心という宝箱に隠しもってるのか分からねぇ。宝箱ってより心は神は創ったパンドラの箱で、細くてチープな鍵を差しこんで手首をひねると蓋が開き、中から黒い煙が流れでてくるような代物なんじゃねぇの?「これも結構、美味しいねぇ」そりゃ当たり前だ、あの無添加の自然な草の香りのする煙を発生させるアメスピだぞ。そんじょそこらのタバコとは一味も二味もちげぇ、って言いたかったけど、アメスピの味の細部を知るには老婆はまだ一本しか吸ってないため、このタバコに慣れるまでにはちょっと時間がかかるだろう。目の前でタバコをふかすこの老婆は一体どれくらいの種類のタバコを吸ってきたのか、俺は疑問に思ったが、尋ねたら話が長引きそうなので無言でアメスピを吸いながら天井にうねりながら昇ってく煙をながめてた。たっぷり六分かけてタバコを吸い終えると、俺は床にフィルターを投げて素足で踏みつけた。熱が足の裏側から神経につたわり、火傷しそうだと脳が警告を発してるけど、そんなこたぁお構いなしに俺はタバコの火を足で消した。火傷して俺の白い肌に赤い刻印がきざまれてるかもしれねぇが、そんなこと心底からどうでもいいじゃん。老婆も俺を真似たのか床にタバコを押しつけて火を消した。よく掃除の行き届いた艶やかに照明の光を反射させてる美しい床に焦げ跡がつく。「また会うと思うよ」老婆は出ていこうとする俺に向けて、そんな言葉をひび割れた唇のあいだからロケットみてぇに噴射させた。俺は返事もせずに部屋を後にしてドアを閉め、また薄暗い廊下のなかに身を投じちゃった。この城の広大さときたら宇宙じゃん、って錯覚しそうなほど広々としてる、ってか城の構造が気になる俺ちゃん。とにかく腹が減ったから食堂に向かいたくてゆっくりと一歩、足をふみ出した。そのまま進んでくと廊下の角に俺や老婆の部屋より大きくて堂々とした扉が顔をさらしてるのが見て取れた。というかこれっていよいよ食堂を発見しちゃったんじゃねぇの、ヤッタね、マジで最高に胸躍りそうだ。扉は大きいがこの城を封鎖させていたあの厳かな扉よりは巨大じゃねぇ。扉を押すと簡単に前に開いて、室内からめちゃくちゃ食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってくる。俺ちゃんの視覚が部屋の様子を捉える前に、嗅覚が食べ物の匂いを感じとっちゃった。んで鼻の後は目。広々とした食堂の中央には大きなテーブルが置かれていて、色とりどりの食事が俺を手ぐすね引いて待ってた。テレビでしか見たことのない高級そうな料理の数々に俺は感動すら覚えそうだった。サラダ以外のどの食べ物からも湯気が立ちのぼっていて、それらが出来たてなんだと簡単に分かる。テーブルの周りに規則的に設置されたイスの一つに紳士が腰かけてる。俺は紳士と対面のイスに座り、スプーンを手に取り、その先端に付いた丸くて滑らかな部分でスープを掬って口に運んだ。不思議な味がしやがる、ってのが俺の率直な感想。まず、かすかな甘味と酸味が、舌という生き物じみた器官に押し寄せてきて、その後でほんのわずかな苦味のハーモニー。ハーモニーって言葉を脳内で使いたかっただけの俺ちゃんはちょっと気取り過ぎてるかもしれねぇ。まぁ何だかんだ説明したところでそれは無意味、不思議な味だが美味いじゃん、ってのが素直な感想。俺って親の言うことを何でも聞いちゃうガキみてぇに素直なんだもん。俺は貪るようにスープを飲んで飲んで飲んで、猫の絵が描かれている皿を空にするまで一気に音を立てながら飲みつくしちまった。食事の作法なんてどうでもいいんだ、どんなに行儀が悪くったって美味く食事できりゃそれ以上に素晴らしいことはねぇ。金持ちはなんであんなに礼儀作法って苦行に耐えられるんだ。お上品な金持ちになんてなりたくねぇ俺は、貧乏でも満足してる健気な人間。んで俺は豪快かつ下品にお食事を取るのが性に合ってるんだ。そして次に薄茶色のソースのかかった肉にフォークを突き刺し、口元に持ってくると一気にその一部を噛みちぎった。肉汁のしたたるこの豚肉? 牛肉? はたまた人肉か分かんねぇけど、舌に絡みつく濃厚な味に舌つづみを打っちゃう。そう、マシンガンを乱射しちゃうみてぇに打っちゃう、ってよりも撃つ。銃弾をナイフで切り開いて複雑に入り組んだ金属が密集してるのを眺めながら口に運んで、銃弾の味をあじわうのも悪くはねぇ。金属だから、俺のヤニだらけで歯周病の悪臭を放つ歯茎に傷がつき、黄ばんだ歯が欠けるんだろう。そうだとしても、俺は一度でいいから銃弾を食べてみてぇ。銃弾、ではなくシェフが丹精こめてかなりの労力を要して繊細な調理過程で作ったであろう高級そうな肉は、三口ほどでなくなった。食堂を通って胃に流れこみ、臓器の袋の容積を占領する。作るのに時間はかかったかもしれねぇが、平らげるのは数秒しかかかんない、何だかシェフが見たら悲しんでしまいそうなほど俺の食事は、液体を飲むような食べ方だ。カレーは飲み物ってな具合に、俺の口にかかれば肉も飲み物にすぎねぇのよん。食べる順番を間違えてるだろうが、粉チーズのかかったエビの入ったサラダを素手で鷲づかみ、豪快に食い散らかす。動物でももっと上品な食べ方をするんじゃねぇの、ってくらい俺ちゃんの食事の仕方は汚らしい。自家製のドレッシングなのか、独特で家庭的な味わいのサラダを俺ちゃん十分に堪能しちゃった。野菜なんて草食動物が食うようなもん、普段はあんまし食べないが、このサラダは絶品と言っても過言じゃない。指にこびり付いたドレッシングも綺麗に舐めとり、俺は一発ゲップをかました。ああ、かぐわしい俺のゲップの匂いは、一緒に食事してる奴らを嫌な気持ちにさせること間違いなしだ。もし俺が猫だったら、このまま毛づくろいして、柔らかな腹を無防備にさらして寝息を立ててるだろう。それくらい俺は今だされた料理の数々に満足、というか圧倒、というか感動してた、ってのはクソみてぇな冗談。ちょっと物足りなかったね、ってのが俺の紛れもない本心だ。ふと、紳士の存在を思い出して、そっちに視線を向けた。苦虫を噛み潰したって比喩がうってつけの奴は何とも言えない表情をしながら俺を見ていた。自分の食事にはまだ手を付けてねぇから、紳士の分も俺が食べてやろうかな。そしたら憤って俺の不細工な顔面に拳をくり出して、俺ちゃん負けたボクサーみてぇにノックアウト。勝利者は紳士で敗者は俺って訳。でもこの食事の勝者は俺に違いねぇ、俺は百獣の王ライオンみてぇに獲物を狩るようにして食べたんだ。残飯をあさるハイエナじゃなくて捕食者であるライオンに俺の食べ方は近い。紳士はというと、音も立てずに丁寧にスープを飲み、肉をナイフとフォークで器用に切り分け口に運ぶ。サラダを食べる時もフォークでレタスやキュウリを突き刺しでお上品に食べてた。この対照的な食べたと言ったらねぇぜ。端から見たら紳士が上流階級で俺が底辺のクズ人間ってわけじゃね。底辺という淀んだ水底で泥をすすりながら生きてきた俺ちゃんにはちょっと手に余る高級なお食事だ。ポテチやカップ麺や焼き鳥を口一杯に頬張って水割りのウイスキーでノドの奥に流しこみてぇよ、ほんとんとこ、実際に、マジでマジで、マジでさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! んで俺はジャンクフードの方が自分の味覚に合ってるって、仏のように悟っちゃったわけ。でも俺は神も悪魔も仏も信じてないけど、実際に海面に浮かぶ蛾の城を目の当たりにしちゃったわけだから、何らかの超常現象は信じざるおえない。紳士が砂浜で夜の闇に溶けるようにして俺の目の前から姿を消したのも神秘的な現象の一種だ。じゃあ宇宙意思なる者は存在してるんじゃねぇのか、って思考に俺の意識がぶっ飛び、そこまで考えがたどり着くと、俺もいよいよ頭がイカれちまったのかなって自覚しちゃう。いや、俺は最初からイカれてたのかもしれねぇ、だっていつ死んでも良いと考えてるあまりにも生に執着のない人間性をこの胸の内に内包してるからだ。だから明日、車に轢かれて死んでもいいし、今すぐにでも拳銃で銃殺されても構わない。俺が視線を動かし、室内の様子を観察してると、天井の一角に監視カメラみてぇなもんが設置されてるのが見て取れた。その黒い身体をしてガラス玉を思わせるレンズの生き物みてぇな監視カメラは、俺らというよりも、俺を監視してるのかよ。こっちは客人なんだぞ、無礼じゃねぇか、って感じであの監視カメラに銃弾をぶちこみたくなった。「何で俺ら監視されてんだ?」って食事を終えてナプキンで口元に付着したソースを拭ってる紳士に問いかけると、紳士は首をかしげてこう言った。「不愉快なら破壊しますか?」「イスでも投げつけるのか?」質問に質問で返すって馬鹿げたことをやっちまう俺ちゃんの脳が破壊された方が社会にとっては有益だ。俺みてぇな害虫じみたゴミクズ、死んだ方が社会のためなんだ、普通に働いて日銭を稼いで暮らしてるまっとうな人間どものためになるんだ。じゃあ自殺するか? いつ死んでもいいと思ってる俺だが自分から死のうとはしねぇ、ただいつでも死を受け入れる覚悟はある。覚悟って言うと大げさだ、俺は死すら惰性で受け入れる気持ちがあるだけだ。でもこめかみ銃口を突きつけて白目を剥きながらベロを出し、引きがねを引いてみるのも悪くはねぇ、っ妄想に捉われる時もあるんだよん。「そうですね、でもこいつでどうでしょう」紳士が気取った仕草をしながら懐から取りだしたのは黒光りしたイカつい物体。それを注意深く見ると拳銃のような形をしてるのが分かる。モデルガンかガスガンかあるいは本物の拳銃って、んな訳ねぇか。でもそのオモチャは紳士の身なりに妙に似合ってて、ハードボイルドの映画に出てくる殺し屋みてぇじゃん。「出来の良いオモチャだな」「オモチャじゃないですよ、ほら」と、紳士は監視カメラに向けて銃口の照準を合わせると重々しそうな引きがねを引いた。耳が痛くなるほどの破裂音、つまりは銃声がして監視カメラのレンズに何かがぶちあたり、ガラス製の球体はぶち壊された。俺は西部劇みてぇに口笛を吹くなんて余裕はあったがしなかった。ただ冷静に破壊された監視カメラを眺めてた。「良いもん持ってんじゃん」ってのが俺の素直な感想だ。何を考えてんのか、紳士は紛れもない本物の拳銃を俺に手渡してきた。「差し上げますよ。蛾の城ではいつかこれが必要になるかもしれないので」「本当にいいのか?」「もちろん」遠慮がちに拳銃を受けとった俺に、紳士は極上の笑みをその整った顔に浮かべる。「どうも」俺は短く礼を言うと、最初から俺のためにあつらえたと思えるほどすっぽりと俺の手に収まった拳銃を子細にながめる。なんて神々しい、なんて美しい、なんて禁忌的なんだ。これは悪魔が創造した芸術的な凶器に違いねぇ。その艶やかな銃身をながめてると、うっとりとした気分になっちゃう。実際にためし撃ちしたくなった俺は、紳士に銃口を向けて引きがねに指をそえた。紳士は両手を上げて降参の姿勢を取ってるけど、その顔面には相変わらず穏やかな笑みが佇んでる。「御冗談を」確かにこれは戯れの殺人の真似事にでしかねぇから、俺は紳士から天井に銃口を移動させ、引きがねを引いた。鼓膜を激しく叩くような、お馴染みになった銃声が室内に響き、銃弾が発射される反動が俺の腕を動かして、まだ発砲に慣れてない俺ちゃんはわずかに後退しちゃった。銃の扱いなんて知ってるわけねぇ、習ったこともねぇ、撃つのは初めてだ。だから照準が微妙にズレて目標とは違う場所に命中したとしても仕方ねぇのさ。照明を狙った銃弾はそれて天井の何もない箇所に当たり、小さな穴を開けた。天井に開いたごく小さな洞窟から、銃弾がゆっくりと滑り落ちてくると思ってたが、いつまで経っても天井の穴からは何も出てこねぇ。どうやら穴にぴったりと収まっちゃってペンチ、いや万力でも使わないと抜けねぇかもしれねぇ。抜けたら銃弾にションベンをひっかけて弧を描く半透明な液体の上に浮かぶ虹をつくりてぇ。「残弾に気をつけてください」「もう無駄撃ちはしねぇよ」紳士ちゃんの優しい優しいご忠告を素直に聞いちゃう僕ちゃんの頭の中には、美しい七色の虹の映像。俺はそんな妄想をしながら拳銃をパジャマのポケットに入れて、銃身の重みでずり落ちそうになるものの、しっかりとしたゴムで腰に留められてるから落ちそうで落ちなくて安心安心。まぁパジャマが脱げてチンポコをさらしたとしても特に恥ずかしいとも思わない俺ちゃんは羞恥心なんてどん底の時に捨てた素敵な人物。とりあえず歩くたびにポケットの中の拳銃が動き、俺の足取りを不自由にする。食事を終えたらやることが無くなった俺は、本を読みたくなったので、紳士に図書室の場所を尋ねる。「そういえば、蛾の城の主人からあなたに地図を渡すように言われてました」紳士がポケットから取り出したのは几帳面に折りたたまれた薄茶色の紙だった。それを受けとり、広げてみると分かりやすい描き方で食堂、俺の部屋、図書室、トイレの場所が記されてた。感謝感謝、まだ相まみえぬこの城の主人に感謝しまくって涙が眼球からあふれ出そうになるが、一滴もこぼれ落ちない僕ちゃんは精神的に不感症なのかな。若いころはもっと敏感に傷つきやすい性質をしてた記憶もあるけど、そんなこと今はどうでもいい。とにかく活字を脳にぶちこみたくて、目玉がうずいてるのが感じとれそうなほどの勢いを脳細胞は発揮、というより発動してやがる。紳士に対して礼の言葉の代わりに軽くおじぎしちゃうと、俺は満腹な腹をさすりながら食堂を後にした。どうやら図書室は三階にあるらしい、ってつまりここは二階だからもう一つ上の階に存在してるんだ。どうやらこの城は三階建てらしいってのが地図を目にして分かっちゃった。んでもって螺旋階段を鼻歌を鼻腔から垂れ流しながら軽快な足どりでのぼってく。俺が鼻歌で演奏してるのはスミスのBigmouth Strikes Again、攻撃的なジョニーマーのギターにモリッシーのひねくれた歌詞が絡まり合って他にはない個性のある、パンクとすら言える音楽の出来上がり。中盤に差しかかった時のアルペジオも鼻歌で再現しちゃうのさ。んで俺の下手くそな演奏が終わりそうになる頃に、ようやく図書室の前にたどり着いた。今までの部屋とは違って、ドアは開け放たれていて、一歩足を踏み入れると、本の厳かな香りが満ちてるのを鼻腔が嗅ぎとった。俺は静かにドアを閉めて、書物が丁寧に並べられた本棚の前に立つ。世界文学全集もあるしジャン・ジュネもセリーヌもバルザックもあったが、注意深くどこを探してもバロウズの名前はなかった。ちょっと残念な気分になっちゃって、なぜこれほどまでに膨大な量の小説があるのにバロウズだけがねぇんだって思う。バロウズの刺激的で不規則な文章でつづられた文字列を眼球に銃弾みたく、いや一種のアッパー系の麻薬みてぇに打ちこみ、文字で脳内トリップしたかったのに。頭のなかで転がりまわるのは切り刻んで適当に繋がれた文字の数々、んで俺は読書を謳歌したくてしたくて堪らなくて口内から唾液が分泌される。獲物は小説、んで俺は文字を眼球で狩る捕食者ってとこ。仕方なく俺は詰められて圧迫しそうな本の数々からカミュの幸福な死を抜きだすと、イスにそれを置いた。それから俺はイスから距離を取り、ポケットから拳銃を出して幸福な死に狙いを定める。アルコールの摂取しすぎ、つまりは二日酔いで手が震えてて上手く照準が合わされねぇ。このままじゃ弾丸が本からそれてイスに穴を開けるだけだ。仕方なく俺はイスに歩み寄ると、イスの背に立てかけた幸福な死に銃口を押しつけて、躊躇わずに引きがねを引いた。心地いい破裂音がして銃口からタバコから出る煙みてぇなもんが立ちのぼって本に穴を開けた。本を貫通し、銃弾はイスの背の一部を破壊しちゃってる。綺麗にくり抜かれた本に開いた穴を見て、オマンコを想像しちゃうのは俺だけじゃないだろう。だが図書室には俺しかいねぇからオマンコを連想するのは今のところ自分だけだ。あの紳士が横で俺の奇行を見て、ぽっかりと本に開いた穴を目撃したら、やっぱりオマンコを連想しちゃうんだろうか。その穴にチンポコを入れたくなった俺はズボンを下ろそうとして、自分が不感症の不能ヤロウだと思い至って垂れ下がるチンポコに、悲しみとほんの僅かの愛情を抱いちまう。あのメイドの裸体を想像しながらチンポコをしごいたらもしかしたら勃起するのかもしれねぇが、俺はそんな面倒な行為をしようとしねぇ。本に発砲する時はまったく躊躇しなかったけど、もし相手が人間、あの紳士やメイドだったら俺は撃つ瞬間にためらったりするんだろうか。そんな想像なんて無意味だ、俺は人を殺すのに躊躇ったりはしないんだ、と自分に言い聞かせて安心感が胸んなかに波紋をえがきながら染み渡ってくのを実感する。いつかあいつらもこの芸術的とすら言える造形の拳銃で殺しちゃおっかなぁ、でも無意味に生命を奪い、肉体から魂を剥離させるだなんて罪になるのか? 天上からゆっくりと布に身をつつんだ神が降臨して俺に裁きを下すんだろうか、それって最後の審判ってやつじゃん、聖書で読んだ記憶がある気がするけど、最後の審判って聖書に登場する言葉だっけ? 記憶が曖昧な俺ちゃんは痴呆症の一歩手前で、ちょっと混乱状態。でもでも過去に読んだ本の内容をいちいち記憶してる方が珍しいのかもしれねぇ。もちろん印象に残ったシーンは俺の記憶の海、という空間に沈殿して、俺はいつでも自由にその映像を取りだせるし、仕舞うのも容易だ。文字列の想起を求める俺ちゃんの退廃した読書生活にはまったく嫌気が差さねぇ。ただ快楽を貪るようにして文章を視覚で吸引しちゃう。堪らねぇマジでさ、読書と酒に彩られた日々を過ごすのは本当に刺激的じゃん。んで拳銃をポケットに仕舞おうとしたら、ドアを開ける音がしたので、そっちに顔を向けるとメイドが立ってた。相変わらず存在感が希薄すぎて、そこにいるのかいねぇのか分からなくなっちまいそうだ。「食事はどうでしたか?」俺に用があるのと思ってたら、そんな質問を投げかけてきた。「なかなか味わい深くて美味かったよ」「それは良かったです」当たり障りねぇ会話、でも俺ちゃんの脳裏に浮かんでたのは非現実的な場面、つまり目の前にいるメイドを銃殺しちゃうかなって訳。獣じみた殺人という名の欲望に従い、拳銃をメイドに向けると、彼女は身体を震わせた。これこれ、この反応が見たかったんだ。メイドは紳士みてぇに冷静ではなく、明らかに動揺してて、その様がマジで面白くてコメディの映画を鑑賞してるような気分になっちゃう。ポップコーンを咀嚼してそれをコーラでノドに流しこみ、血まみれのメイドの映像を眺める、っていう至福の時間がやって来ねぇかな。そんな映画じみたシーンを創造するための凶器は手の中にある。俺の手が母の指を赤ん坊が握りしめるようにして拳銃を握ってる。何でメイドは逃げねぇんだ、恐怖で立ちすくんで、動きたくても動けねぇのかな。んで俺ちゃんが次に発した言葉はこうだ。「お前の好きな本は?」メイドは首をかしげるっていう仕草もしないで、全身を痙攣させてた。俺は猫がネズミを追っかける時の残虐な無邪気さで、拳銃を彼女の額に定めた。俺は手はもう振動してなくて、この安定感ならメイドを簡単に銃殺できるじゃん、って思っちゃった。「やめて下さい……」彼女は淡い色をした官能的な唇のあいだからそんなセリフをしぼり出す。その声は震えていて、俺の嗜虐心をこの上なくそそるめちゃくちゃ興奮する綺麗な声音だ。音楽に例えるならバッハの平均律ってとこ、あの儚くも優しげなピアノの旋律にも似てる弱々しくも美しい声質。「お前の好きな本は?」俺はその音色を耳から吸いこんで鼓膜に触れさせつつも、銃口はメイドからそらさないっていう残酷さを発揮してた。大量殺人鬼ってのはこんな気分で人を殺しまくってるんだろうか。俺の質問に対し、メイドは小さな声でこう答えた。「私の好きな本はなしくずしの死です」その返答を聞いて俺は彼女を殺す気が失せたので、銃を下ろした。セリーヌのなしくずしの死、とはなかなか読書家じゃないか、とメイドの回答に満足感を覚えちゃった。でもでも拳銃をぶっ放したくて、被弾させられる獲物が欲しくて手がうずいてる俺ちゃんの心臓は静かに鼓動しながら命の象徴として体内に存在しちゃってる。んでもってメイドはまだ足腰がゆれ動いていた、かと思ったらその場にへたり込んで荒く呼吸してる。ちょっと戯れが過ぎたかもしんねぇ、本当に殺すつもりはなかったんだよ、って弁解がましく言っても彼女は納得しねぇだろう。怯えてるこいつとセックスしたらどれほどの快感がチンポコを中心にして全身にぶわっと広がるんだろう。今ならこのメイドは俺の言うことを何でも聞いてくれるかもね、って俺ちゃんに恐怖してるのが手に取るように分かるぜ。俺はメイドの服をナイフで破き、滑らかな皮膚に覆われたその肉体美を拝みたくなった。そう、芸術品である絵画でも鑑賞するみてぇにじっくりと眺めたいんだ。「服を脱げ」無意識にそう命令を発っしちゃった。「分かりました」すんなりと俺の指示に従うメイドの返事を耳にして、こいつは恐怖で頭がイカれちまったんじゃねぇのって思う。まぁ本物の拳銃を向けられて意味の分からない質問を浴びせかけられたらどんな女だってペットみてぇに従順になっちゃうか。メイドはゆっくりと背中に備えつけられてると思しきチャックを下ろし、まるで俺を誘うようにエロティックにメイド服を脱ぎ捨てて、下着姿になった。彼女にぴったりと合ってるピンク色の可愛らしい下着を見ても、俺ちゃんのチンポコ様はおっ起たねぇでやがんの。それからブラのホックを取り、その豊満な乳房を露わにし、パンツも脱ぎ捨て陰毛に覆われたオマンコを晒した。絹じみた滑らかな肌に密生した毛を剃って赤ん坊のように艶やかなオマンコにしたら、このメイドはどれほどの羞恥心に苛まれるんだろう。オナニーでもしてみせろ、って命令してみるか、それとも紳士とセックスをおっ始めろとでも言ってみるか、俺は次にどういう指示を入れたらいいか迷ってた、というか悩んでた、といっても過言ではねぇ。ウソウソ、冗談冗談、ただのアメリカンジョークに類する戯言、俺は悩んでるわけじゃなく迷っていただけだ。「しばらくそのままでいろ」何てつまんねぇ命令を口から発しちゃったんだろうって自分で自分が情けなくなってくる。俺はこのメイドを犯すことだって出来るハズなのに、チンポコは相変わらず垂れ下がったままで、興奮の感情は胸にはわき起こらねぇ。俺は性器だけじゃなく、精神も思考も不感症だったのか、とこの時になってようやく気づいた。じゃあどうすれば俺のチンポコは勃起し、心はガキの頃の敏感さを取りもどすんだろう、再生させられるんだろう、復活させられるんだろう。全裸のメイドにしごいてもらったら少しは勃起するのか、キスでもしたら男子高校生が異性に対して抱くトキメキは俺の胸に舞い戻ってくのか。でも、もうすっ裸で産まれたての赤ん坊と同じ姿だから、メイドという称号を彼女から剥奪しよう。こいつはただの女、動物のメスに成り下がっちゃったんだって僕ちゃんピンと来ちゃったね。雌には雄の獣がぴったりフィットするから、この女をそこら辺の野良犬にでも獣姦させようかな。この城には犬っていうかペットは飼育されてんだろうか、まさかあの蛾がペットって訳でもないよな。そういや蛾の城って名前の割には、外でしかあの産毛の生えた羽を開いて飛ぶ虫けらはいなかった。この城のどこかに蛾がいるのかもしれねぇと、思いついちゃう僕ちゃんは何て賢い天才の秀才の鬼才なんだろう。心の内で自画自賛しても、現状は何一つ進行しねぇで、メイドは相変わらず真っ裸のままだし、俺ちゃんは拳銃を握りしめながら立ち尽くしちゃってる。ふと、俺はある遊びを思いついちゃったから、それを即実行に移す。またメイドに銃を向けて、こう命令した。「逆立ちしろ」これは命令系の〝しろ〟と〝城を〟かけて韻を踏んじゃってるわけ。脳内お遊び、俺の仕組んだ鮮やかな戯れ。「あの……」メイドが躊躇してるから、俺は彼女の横にある壁に発砲しちゃった。メイドの身体は気の毒になるくれぇ震えて、失禁しちゃってるのでオムツが必要かな、という考えに至った。「分かりました。分かりましたから、もう撃たないで下さい!」その痛切な懇願に気分がよくなっちまった俺は、ウイスキーを飲みながらタバコを吸いたくなった。左ポケットにはタバコが揺りかごで眠る赤子のようにぴったりと収まってる。そいつをとり出して、タバコに火を点けながら、メイドが全裸で逆立ちしてくのをじっくりと鑑賞する。何と、メイドは一度の試みで逆立ちを成功させた。僕ちゃん彼女に心の中で拍手喝采しながら、タバコを強く吸って肺の中を煙で満たす。メイドは逆さまの態勢でつま先を壁にくっつけ、両手を震わせながら逆立ちを維持してる。漆黒長い髪がホウキのように垂れ下がって毛先が床にくっついてて、オマンコからは尿の滴が太ももを伝って流れ落ちてる。ションベンじゃなくて愛液でも分泌してんじゃねぇの? いやいや、こいつはそこまで変態女じゃねぇか、ただ恐怖してるだけか。俺は口から煙を吐きだし、アメスピの香味を堪能しながら、滑稽すぎる彼女の姿を眺める。映画やドラマを観てる時よりも何倍も面白い、ってのはちょっと大げさかなぁ。退屈この上ないクソ映画を上映させる映画館を爆破させて、逃げ惑う人間どもの背中にマシンガンをぶっ放したい。悲鳴を上げながら血しぶきをまき散らし銃弾によりダンスを踊る様を思いうかべちゃって俺ちゃん白目剝いちゃう。まぁ今は映画より本だ本、バロウズはどこにあるんだって逆立ちしたままのメイドに尋ねる。「私がご案内します」まさかその態勢のまま手を使って本棚の前まで移動し、片手で立ちながら、もう片方の手で本を指し示すんだろうか。さすがに俺はそんな彼女の姿に同情してこう言っちゃった。「もう逆立ちは止めていいぞ。服も着ろ」メイドは恐る恐るといった亀みてな遅々とした動作で床に足を付けると、呼吸を整えてるみたいだった。それから床に脱ぎ捨てられた下着を手に取り、豊満な身体を覆い隠すために、それを装着していく。無事、ブラジャーとパンツが彼女の身体にくっ付いて、次にメイド服を着てく。ファスナーを上げる様は確かに色気があるが、服を脱ぐときほど官能的じゃないのは何でだろ。産まれたての姿だった彼女はメイド服という装備を得て、暗く淀んでた表情もいくらかマシになったようだが、その顔面には表情の変化が希薄で、彼女の存在感と同質のものだなと理解しちゃった。賢い僕ちゃんの深い洞察力による確固たる理解力に驚いてもいいのに、メイドのお顔には無表情という一種の仮面が貼りついてる。さっきまでの恐怖に歪んだ顔はもうそこには跡形もなくなっていて、何だか俺ちゃんちょっとつまらねぇ、これは退屈っていう感情ってやつじゃん。まぁ惰性という退屈な日々を楽しんで生きてた俺には、ちょっとばかし刺激が薄いほうが性に合ってる。んでもってメイドは俺の前に行き、こちらに背中を向けて本棚を案内し始めた。数秒が経過してバロウズの本が敷きつめられた本棚の前に到着しちゃった。俺は礼を言う代わりにメイドにウインクしてみる、という戯れを仕掛けたが、彼女は相変わらず無表情をつらぬいてやがる。そう、弾丸が本をつき破るみてぇに無機質に無慈悲に一種類だけの表情を顔面にあつらえ続けてるんだ。「もう行っていいぞ」俺がそう口にすると、メイドは安堵したのか、表情は変わってないが、胸に手を当てるという仕草をしたあと、一つおじぎをして図書室から颯爽と、軽快とすらいえる足どりで去って行った。スキップしてんじゃねぇのか、って錯覚するほど彼女の動作はご機嫌に見えた。そんな気がしただけで、実際には彼女の内部では虫みてぇに蠢く葛藤があったのかもしれねぇ。胸部の皮膚と肉を破りそれをナイフで刺して摘出しじっくりと眺めてみてぇけど、俺の手の中にはナイフじゃなくてもっとイカれた凶器である拳銃が存在しちゃってる。とにかく俺は拳銃をポケットに入れてバロウズの裸のランチを本棚から抜き取ると、床にあぐらをかいてページをめくった。難解と評価されてるのかもしれねぇが、バロウズにしては読みやすい。カットアップっていう文章を切り刻んで細い糸でむずび合わせるように結合する、っていう手法は取ってないんだろうか。展開はめちゃくちゃだが、文章自体はそれほど読みにくくもなく、SF的な展開もあってめちゃくちゃ面白くて、何度も読み返したくなる俺が重宝してる一品だ。俺の大切な裸のランチはアパートの一室でイビキをかきながら眠るようにしてページを閉じてる。俺が収集した数々の書物に思いを馳せながら読むバロウズはとってもとっても刺激的だ。奴の創り上げた異世界に意識を没入させ、蛾の城にいるという事すら忘れさせそうなほど、俺は読書に没頭しちまった。たっぷり三時間くらいかけて裸のランチを読み終えると、俺はようやく本を閉じた。全身を襲ってくる気だるい感覚、心地いい疲労感に、やっぱり読書という娯楽は他の遊びより優れてると思っちゃったね。俺は読後感を味わうためにウイスキーを飲んで酔っぱらいながら本の内容を想起したくなった。ウイスキーは客間に置きっぱなしだ、持ってくるんだったぜ。図書室というこの場でアルコールを摂取できないかなぁ、そんな膨張する欲求が破裂しそうだぜ。本は床に放りだしたままにして客間に戻るか、って考えながら立ち上がり図書室を出ようとして地図の存在を思い出した。ポケットから丸まって皺くちゃになった地図を取りだし、それを破きそうなほどの勢いで広げると、ある点に気づいた。客間、食堂、老婆の部屋、図書室、その他に、立ち入り禁止と書かれた場所がある。立ち入り禁止って札が立ってたら入りたくなるのが男の冒険心、ってか本能ってもんじゃん。富士の樹海に好奇心で足を踏み入れた経験のある俺は、この部屋にも行ってみてぇって感情がわき上がって抑えきれないのを自覚した。こんな心躍ることは読書とウイスキー以外にはないだろう、ってどんな場所なのかな、何があるのかな、もしかしたらお宝が眠ってるのかな、って思考が頭ん中をぐるぐると回ってる。これは行くしかねぇ、行くべきだ、行くに違いねぇ、行け! って自分に言い聞かせて、勢いよく図書室を出た。廊下の壁に装飾品を飾るように備えつけられた明かりを頼りに前に進む。今は昼か夜か夕方かも分からねぇ、時間の感覚が俺の内から完全に消え失せちゃってる。蛾の城に来てからどれくらいの時間が経過したのかまるで分からねぇし分かりたくもねぇ。どうやら図書室から大して距離は離れてなかったみてぇで、すぐに立ち入り禁止と書かれた看板が置かれた部屋の前へたどり着く。柵や金網みてぇなもんはねぇから、ドアの前に行くのも容易くって、立ち入り禁止ならもっと厳重に警備しとけよ、と思っちゃう。木製のドアは客間や図書室のものと違いはないようだ。試しにドアノブに手をやって手首をひねると、硬い感触が手の平に返ってくるだけでドアは開かねぇ。左右にドアノブをしきりに動かしても、うんともすんとも言わねぇから、部屋の内側から鍵が掛かってんのかと思ってドアノブをふと見てみると、そこには鍵穴があった。何だ、鍵が掛かってるんだ、これじゃ開かねぇのも当然じゃねぇか。俺が途方にくれてその場に立ち尽くす、って真似事をしてみても、ドアは蛾の城の入り口の扉みてぇに自動的には開かねぇ。と、廊下の先から何者かの足音が響いてきた。その音は段々こっちに近づいて来てるのが分かっちゃった。ゆっくりと、象みたいにノロマに歩いてきたのはあの老婆だった。彼女は俺の横に立つと微笑みながらドアを見つめてこう口にする。「ここに入りたいのかい?」「ああ、知的好奇心ってやつだよ」知的好奇心などではなく、ただの興味本位なのだが、それは言葉にしないほうがこれから先の出来事がすんなり進行するっていう確信があった。「そうかい。じゃあこれを使いな」老婆がその皺だらけの手にのせていたのは小さな鍵で、ドアノブに開けられた鍵穴にフィットする大きさだと容易に察せられる。「いいのか?」「もちろん」「でもここは立ち入り禁止だろ」「私は何者にも縛られない。この蛾の城にも拘束されない人間だから大丈夫だよ」何者にも束縛されない大空を滑空するような自由を保持してる老婆には感謝の念が絶えない。「じゃあ遠慮なく。お礼にタバコをあげるよ」老婆の手から鍵を受けとり、代わりにタバコとライターを置くと、彼女の顔はより一層、破顔して潰れたタバコの箱みてぇに皺くちゃになった。それから一つ俺に対して会釈をすると、この場を去って行った。どうやら俺がこの禁断の扉を、パンドラの箱を開けるがごとく解放し、部屋の内部に浸入するのを見届けるつもりはない様だった。俺が部屋の中にするりと身を入れると、まず鼻腔をつらぬくほどの異臭が漂ってきた。室内は真っ暗で、どこに何があるのか、部屋がどんな様子なのかまったく分からない。俺は少し、ほんの少しだけ恐怖心という懐かしい感情を抱いちゃって、この部屋を出ようと少し後ずさりした。絶対この場所には足を踏み入れてはいけなかったんだ、と第六感である直感で悟る。でもでも好奇心には勝利できない愚かな僕ちゃん。そのまま壁に備えつけられたスイッチを手探りでさぐっても。スイッチの感触はなかなか伝わってこない。その瞬間に、獣の咆哮みてぇな声が薄暗く湿った洞窟の内部みてぇな部屋に響きわたって、それは耳が痛くなるほどの爆音だった。この部屋に何か未知なる生物がいる、っていう嫌な予感が滝が流れに逆らって上昇するみてぇに足下から胸までこみ上げてくる。俺は手が震え、額に汗を掻く、という何とも人間らしい反応をしていた。これこれ、これが僕ちゃんの求めてたスリルというヒリついた感覚、若いころにしか抱かなかった紛れもない感情、俺は精神的な不感症をとうとう卒業しちゃったのかもしれねぇ、って恐怖と共に喜びの念が胸ん中を渦巻く。そこでようやく俺の手が照明のスイッチを探り当てたので、それを押してみると、シャワーのようなきめ細かい光が室内を照らした。まず俺の目に飛びこんできたのは深い森を連想させる草木で覆われた室内の様子だった。天井まで届きそうなほどの樹木があり、その下は雑草が生え放題だ。その次に、木に止まって身体を振動させるように呼吸をしてる巨大な何かを目撃しちゃう。それは俺の身体と同じくらいのサイズがある大きな大きな蛾だった。そいつは鱗粉をまき散らしながら静かに息をしてる。さっきの咆哮の正体はこいつだったんだ、って気づいて、恐怖の念が膨張してくのを実感したが、俺と乖離したもう一つの意識はやけにこの状況を冷静に俯瞰して見てた。それから恐怖心が俺の心という名の内奥から徐々に消えてくのを実感した。つまりは、これ以上ないくらい冷静になって、意識も鮮明になって、自分の置かれてる状況を冷めた目で見つめていた。今さらになって気づいたが、雑草で覆われた床にはミイラみてぇに萎んだ人間の形をした無数の物体が転がってる。その中に口をガムテープでふさがれ、縄で縛られてる裸の男がいた。そいつはガムテープの奥から声にならないうめき声のような薄気味悪い音を発していて、激しく身体をゆらしている。その男が巨大な蛾のエサなんだ、そこらに転がってるミイラみてぇな物体はかつては人間だったんだ、って気づいちゃったね。男の身体に巻きついてる縄をほどいて、ガムテープを取って助けてやるなんて優しさを発揮してもいいかな。俺が男を蛾の魔の手から救助しようと足を動かした瞬間、蛾の化け物は羽根を動かして天井付近を宇宙船が浮遊するように飛んだ。それからぐるぐると誘蛾灯みてぇな照明の周りを回って、唯一生きてる男の身体の上にゆっくりと止まる。あーあいつ死んじゃったな、無念無念、合掌、アーメン、って心の中で男の死を悼む。蛾の化け物は口から巻き尺みてぇに巻かれた深紅のストローを伸ばし、男の硬そうな筋肉質の肌に刃物を思わせる尖った先端を突き刺した。男はうめき声を漏らそうとして、でもそれはガムテープに邪魔されて、発声できねぇでいる。その代わりに身体を激しく震わせ、脆弱な抵抗を始める。蛾は深呼吸するように身体を上下させ、ストローの形をした器官から男の血液を吸ってるようだった。蛾がその巨体を上下させるにつれ、男の身体は風船が萎んでいくみてぇに少しずつ小さくなってく。無残、哀れ、あの男は死は免れねぇだろう。確実に迫ってくる死という大きな恐怖を無抵抗に待ってるしかねぇんだ。あ、そういや俺ちゃん拳銃持ってたな、って今さらながらに思い出す。でももう今から銃をとり出して、蛾に銃口を向け、引きがねを引き、発砲をするという動作をしても手遅れじゃん。男は床に転がる多くの死体と同じように、ミイラみてぇな情けねぇ姿になってく。そしてたっぷりの血液を吸引して体内にとり込み食事を堪能したらしい蛾は、ストローを出来たてのミイラから引き抜いた。その時にストローの先端からとろみのある赤い液体が糸を引いて床に垂れ落ちる。満腹になったのだろうか、蛾の化け物はまた木に止まり、ゆっくりと呼吸してる。俺は蛾を視界から出さないように顔を正面に固定し、静かに後ずさりしてドアに向かった。蛾の呼吸音が、静寂という膜をつらぬいてるのを柔らかな鼓膜で感じながら、俺ちゃんようやくドアまでたどり着いた。そして半分だけ開いたドアから一気に身体をすべり込ませて廊下に出て、音を立てないようにドアを閉めてから鍵を掛けた。なるほど、蛾の城か、なかなか面白いネーミングセンスじゃん。これなら立ち入り禁止ってのも頷けるよ、マジでさ。俺は緊張感から解き放たれたかのようにその場にへたり込んだりはしなかった。ただ冷静な頭で思考しながら客室に行くために廊下を歩いてい。俺は性器も鈍感だし、心も鈍感だから、死という一つの生命の終わりを告げる事象に対しても鈍いんだ。何て言うか恐怖って実感がわかねぇ、っていうか、どうなんだろ。実際にあの長い管みてぇなストローを刺されて血を吸われたらさすがに怖くなっちゃうんだろうか、死に対する紛れもない恐怖の念が胸にわき起こってくるんだろうか、そうだとしても俺は少しも後悔のねぇいつ死んでも構わない生き方をしてるから、蛾に殺されたとしても、そんな未来悪くねぇとすら思っちゃう。俺は客室に帰ってドアノブをひねり、ドアを開けようとしたところ、中から何者かの声が響いてきてるのを耳が拾い上げた。それはどうやら獣じみた快楽をむさぼってる女のあえぎ声らしいのだと分かった。ドアを開けて中を覗きこむと、ベッドの上で二匹の白い生物が絡まり合ってるのが視界に飛びこんできた。何が起きてんのか俺が理解するまでに数秒の時間を要しちゃったが、僕ちゃんが聡明だから数秒だけで済んだんだのよねん。もっと愚鈍な人間なら目の前で起きてる状況に驚き戸惑って立往生しちゃうかもしれねぇ。眼前で繰りひろげられてんのは、あのメイドと紳士がセックスをしてる場面だった。メイドが四つん這いになって紳士の方にケツを向け、紳士の方はそのどでかい尻を揉みしだきながらバックでそそり立ったなかなか巨根のチンポコを突っこんでる。その度にメイドが官能的な追いつめられた獣のような淫らすぎるあえぎ声をその麗しいくちびるの間から発していた。さぞ気持ちいいんだろう、よだれを垂らし、眼球は白目を剥きそうなほど上を向いちゃってる。紳士はニヤケづら晒しながら、口笛を吹いてて、セックスを心底から楽しんでるのがこっちにまで伝わってきて、何だか僕ちゃんまで楽しくなっちゃいそうな勢い。俺はゆっくりと棚からウイスキーをとり出すと、グラスに注ぎ、イスに腰かけ、二人の愛のあるのかないのか判断ができねぇセックスを鑑賞する。愛があれば営みって言葉がうってつけで、愛がなければ交尾って表現がぴったし。二人の行為はその狭間で亡霊のようにゆらめくような不安定なセックスだと思う。他人のセックスを目撃しても俺ちゃんまったく興奮しねぇ、ただテレビのバラエティー番組を鑑賞してる時みてぇに面白おかしく観てるだけ。セックスに参加して3Pをしてみぇだんなんて微塵も思わねぇ。ただ体位を巧みに変えてメイドに激しい快楽を与えてる紳士には、心からの拍手を送りたくなって、脳内で喝采した。なかなかのテクニシャンじゃん。あのメイドちゃんは恍惚とした表情を浮かべてるから、快感に全身が満たされてんのが、手に取るように分かるぜ。んでもって、あらゆる体位を片っ端から試していた紳士も、とうとうメイドの膣内で果てた。ベッドの上で荒く呼吸をしながら、オマンコから生命のみなもとである精液をあふれ出させている様は、俺の関心を少しだけそそる。「いたんですか」紳士はティッシュで自分のチンポコから白い粘液を拭いながらいま俺に気づいたとでも言わんばかりにそう口にした。紳士は行為中に何度か俺の顔をチラ見してたからとっくに存在には気づいてたハズなのに、白々しいセリフを言いやがるぜ。「良く言うよ。とっくに気づいてた癖に」メイドも紳士も第三者にセックスを見られていた方が燃えるタイプなのだろうか。そんな変態的な性癖に付き合うこっちの身にもなれっつぅの、でも俺は若い頃はアナルフェチのスカトロ好きだった過去があるから、人様のことを軽蔑できるような人間性でもない。紳士は下着を履き、ワイシャツに腕を通し、スーツを着用する。メイドは彼とは対照的に、裸のままベッドで胎児のように背中を丸めて指をしゃぶってる。紳士は寝息を立ててるメイドの横に腰かけて、指先を組む、というめちゃくちゃ様になってる仕草をした。ハンサムな奴は何をやってもイカしてる、あのメイドが身体を許すのも理解できちゃう気がする。でも俺は同性愛者というわけではなく、紳士に尻を掘られたいって願望も微塵もねぇ。チンポコは情けなくズボンの中で垂れ下がったままだ。あの筋肉質な肉体美に興奮を誘発させれはしなかったが、あのメイドは紳士の外見にイカレちまったんだろう。「あなたも抱きますか? 彼女なら許してくれると思いますよ」メイドは自分の所有物、とでも言わんばかりに、紳士はご丁寧にご親切にそんなご提案をしてくる。「いいよ、俺は不能だから」自分のチンポコ事情を正直に打ち明けると、紳士は肩をすくめた。「それは残念。彼女はなかなかの名器なのに」そりゃ一度お試ししてみたいもんだね俺ちゃんも、って考えながらウイスキーを一口飲んで、アルコール臭い息を吐きだしながらこう言った。「立ち入り禁止の部屋に入ったんだがなかなか興味深いもんが拝めたよ」「なるほど、アレを見てしまったんですか」この紳士も蛾の城にとっては部外者なのか、俺を咎めるような雰囲気は欠片もねぇ。ただこう言葉をつづける。「私も見ましたが、殺されるかと思って驚きましたよ」あの巨大な蛾の化け物の目撃した時の反応はふつう驚愕だろう、セックスを終えた紳士があの蛾を思い出すように天井を見上げながらため息をこぼす。「あの化け物は一体なんなんだ?」しごく当然な疑問を口にしちゃう俺ちゃんは何て健気で可愛らしいんだろう、ってのは冗談で、俺は紳士の横で寝てるメイドのように愛らしい生き物じゃねぇ。「あの蛾は、この城の主人なんですよ。エサとなる人間をつかまえてあの蛾に食事をさせるんです」「なるほど、ってことは俺もあの化け物のエサになるかもしれねぇってことか」このままこの城にいたら、俺は眠ってるあいだに縄でぐるぐる巻きにされて口にガムテープを貼られあの立ち入り禁止という看板が立った部屋のなかへ放り投げられるのだろうか。そんな未来を想像してみると、人生の最後が化け物のエサになって一巻の終わりになるのも悪くはねぇと考えちゃう。あまりにも冷静すぎるんじゃねぇの俺ちゃんって奴は、もっと死に対する恐怖心を強く抱いて、この蛾の城から逃走かましたほうが身のためじゃねぇの? 危機感ってやつがあまりにも希薄な俺は、生きたまま屍になってるのと同じようなもんなんだ。もっと人間らしい生き方が、今の俺には決定的に欠けてるんだって一応、自覚はしてるけど、自分の生き方を変えるには、俺はもう精神が腐敗しすぎちゃってる。そこで俺は意識が次第にまどろんでいくのを感じて、床の上にゆっくりと倒れて、朦朧とした意識のなかで思考力が損なわれていった。まさかあのウイスキーに睡眠薬のようなものでも注入されていて、俺はうかつにもそれを飲んじゃったのかもしれねぇ。やっぱり俺を蛾のエサにするために紳士とメイドが仕組んだのか。俺は巨大な蛾の化け物に滑らかな皮膚にストローの先端を刺しこまれ、身体中の血液を吸い取られる運命なのか。この運命に抗うためにはどうしたらいいんだ、どうでもいい、どうもしなくてもいい、などと考えてる俺の意識が失う寸前、紳士の声が聞こえた。「あなたのような死を恐れない人間は初めてですが、やっぱりエサになってもらいますよ。我々が鑑賞する楽しみに欠けるかもしれませんがね」視界が段々うすれて、靄がかかったようになっていき、俺の意識はブラックホールに飲みこまれるようにして消失した。俺は夢のなかの世界へと意識を投じていて、その映像を楽しみながら見ていた。というよりも、夢の中での現象を体感して快感を得ていたのかもしれねぇ。夢のなかでは幼女が梯子を木に立てかけ、恐る恐る不安定に揺れるそれを上っていき、アパートの二階と同じくらいの高さにある枝の先端にみのった果実を根元からもぎ取っていた。もぎ取るときに果実と枝のあいだがささくれ立つような形になり、俺は自分の指にできたささくれを見て、それを引きちぎりたくなった。指に深く食い込んだ薄い膜はほんのわずかな皮膚の一部ごと剥がれて、その奥から少量の血液がにじみ出てくるだろう。幼女はブランコのように揺れる梯子の頂上に腰かけながら、その赤い果実を噛みちぎって恍惚とした表情を浮かべてる。そんなに美味いなら俺ちゃんも食ってみてぇけど、あれってリンゴじゃね。俺はリンゴが好きじゃねぇから別に食べたくないと思いなおして、だったらどんなフルーツを食べたいんだと考えて、俺ちゃんは分厚い皮に覆われた甘味の強い高級なメロンを頬張りてぇんだと気づいた。んで一つの果実が俺の足下に転がって来たから、それを手に取り、強烈に光かがやく太陽に向けた。つるりとした皮に覆われた表面で光が滑走し、俺の眼球に光子が入りこむ前に屈折し、果実を中心に放射状に広がる。これはあの幼女が落とした果実なんだろう、その幼い頼りなげな守りたくなるような姿を見てると、幼女が微笑みを浮かべてるのが知覚できた。複雑に入り組んだ枝のすきまから吹く風が、幼女の髪をたなびかせる。波のようにゆれ動く毛先に陽光が絡んで弱々しい光沢を発してる。俺はその果実を食べずに、幼女に渡すために、梯子まで歩いて行った。俺は全裸に革靴を履いてるという何とも情けない不格好な姿をしていたが、そんなものは些細なことだ。幼女にチンポコを見られたって俺はまったく興奮しねぇし、ロリコンでもねぇから、彼女の処女膜が張ったオマンコにぶちこみたいとも思わねぇ。ただ俺は梯子を一段一段のぼり、幼女にその果実を手渡した。彼女は心底から嬉しそうに声を上げて全身をゆらしながら笑うと、その拍子にバランスを崩し梯子から落下していった。地面に頭をぶつけ、次に身体を衝突させて沈黙しちゃったので、あら大変、と俺は声に出して梯子を下りて幼女の肩に手をかけ、その小さな身体をゆさぶる。でもいくら激しくゆさぶっても目を覚ます気配がねぇから、俺は幼女を気絶から覚醒させるのを諦めて立ち上がった。うだるような暑さが俺の肌から汗を滲みださせて、その滴はなめらかな肌を伝って地面に染みをつくる。幼女もおびただしい量の汗をかいてて、俺の鼻先まで彼女の甘酸っぱくて幼そうであどけなさそうな香りが漂ってきそうだ。まぁ幼い香り、あどけない香りってのはただの比喩で害のない脳内遊びの一種でしかない。夢のなかで静かに言葉遊びに興じる俺ちゃんは、まだあどけない心を持ってるのかな、意識と夢が結合してその連結部に潤滑油を差してもっと滑らかに夢という蜃気楼じみた世界に没入していきたい。けど幼女の息遣いを聞きとる聴覚が麻痺していくかのように、視界が毛羽立った毛筆に塗布された墨で塗りつぶされるように、果肉の香ばしい匂いが嗅覚から失われるようにして、意識が夢の世界から遠ざかっていった。つまり五感が夢という一つの宇宙から断絶されていくのを感じながら、意識がゆっくりと覚醒していくんだって自覚がありまくり。んでもって俺が目を覚ますと、あの立ち入り禁止の部屋のなかで仰向けになっている状態だと気づいちゃう。俺の薄い鼓膜を破ろうとするほどの大音量、叫び声叫び声、絶叫絶叫、咆哮咆哮の連続音が耳に浸入して、俺の意識を完全に覚醒させる。この悲鳴のような金切声は例の蛾が発している騒音なんだ、と冷静に数学の難問をひも解くように理解しちゃったね。俺の全身は縄で縛られて手足がわずかに動かせる程度で、立ち上がって走って逃げるなんて真似、とうてい出来そうにねぇ。首は自由に動かせるから、顔を横に向けると、木に止まる巨大な蛾の怪物がその巨体を痙攣させてる姿が視界に飛びこんできた。んで脳裏に飛びこんできたのはあのスリルに満ちた恐怖心、じゃなくて老衰した人間が死を受け入れる時に抱くあきらめにも似た俺ちゃん死ぬんだって感情と奇妙な安堵感。ここで蛾に血を吸われてミイラのように身が萎んで絶命してくってのも悪くはねぇ。幼き日に、数少ない友達と遊んだ映像がフラッシュバックするみてぇに脳裏によぎってくる。公園の砂場で砂の造形物をつくってその周囲に溝を掘って水を流したり、ブランコをこぎながら風を切るような心地よい感覚を体感しながらジャンプして距離を競い合ったり、滑り台から抱き合うようにして滑り落ちたりしたあの頃の楽しかった、確かに俺の記憶に刻まれてた映像を取りだして、顕微鏡で子細にながめるようにして、その記憶の噴出を体感してた。フラッシュバックは永遠に続き、記憶を巻き戻すように様々な映像が過去までさかのぼっていき、何とママの子宮から頭を出す場面までさかのぼっちゃたの。そのまま前世の記憶まで到達しそうな勢いだったフラッシュバックはママの胎内で鼓動してるところで止まった。胎内ってこんな感じだったのか、そうなのか、何て落ちつく母性を全身で感じられる安らげる場所なんだろ。あの癒しの空間に永久にい続けたいんだから、そりゃ産まれた時に赤ん坊はみんな悲しみから泣くわけだ。とりあえずフラッシュバックは終わり、生々しいヒリつくような現実に意識が天使のごとく舞いもどって来た。相変わらず蛾が木に止まってじっとしてるから、早く俺ちゃんの血を吸血鬼みてぇに吸えばいいのに、と思った。吸血鬼の鋭い牙の代わりに、あの鋭利なストローの先端を俺の柔らかなまるで鍛えた形跡のねぇ肌につき刺せばいいのに。早く、早く、早くしろって、俺は死を望んでんのか、自殺したかったのか、これは他殺だろうがある意味、自殺かもしんねぇ。蛾と俺と紳士とメイドの利害が一致しちゃってるのかもね。ただ俺は蛾の化け物が早く羽ばたいて俺の身体にのるように望んでた。ふと木のすきまに視線を走らせると何か光ってる物があった。また別の蛾の眼球かなぁ、と見当をつけたがどうやら違ったらしい。それはカメラで、レンズが俺のほうに向けられて、それが照明の光を反射させて輝いてたらしい。あの紳士とメイドがお上品でお高級なワインでも飲みながら、俺が血を吸われる様をじっくりと安全な別の部屋で鑑賞してるんだ。あいつらに殺意がわくのが自然な感情の流れってもんだが、俺はそんな嗜好の人間も世の中にはいるんだな、って結論に落ちついて、あいつらを数秒で許した。俺をこんな状況に陥れたのもあいつらに他ならないだろう。蛾が大きな絨毯のような羽根を開き、飛び立って天井付近でうろついてる。俺は完全に死を受け入れて静かに目を閉じて、されるがままになろうとした。何てあっけない死にざまなんだろう、でもこれで生という怠惰な日常からは解放されるから、悪くねぇ展開だ。と思ってたら蛾が俺の身体にのしかかる前にドアが開く音がしたので、目を見開いてそちらに視線をやると、俺がタバコを与えたあの老婆が立ってた。手にはナイフを持ち、ゆっくりとこっちに近づいてくる。老人にしては早い足取りで、老婆が急いで俺を救出しようとしてるんだって足りないオツムでも即座に理解できちゃった。老婆は俺の傍までくるとしゃがみ込んで、まず口をふさいでるガムテープを取った。「助けに来たのよ」「誰も頼んでねぇ。俺はこのまま蛾に殺されるのも悪くねぇと思ってるんだ」素直な心情を吐露すると、老婆の顔に微妙な表情の変化が浮かんだ。「若い者はもっと生に執着しなくちゃだめよ。さぁこの城から逃げるの」そう言いながらも老婆は手を忙しなく動かして、俺の身体に巻きついたロープを器用に切ってく。すぐに俺ちゃん自由の身になり老婆と共に立ち上がった。まぁ俺にとっては生きてるのも死んでるのも結局は同じことだから、この老婆に救出されて惰性の日々に戻ってくのも良いかもしれねぇじゃん。睡眠薬がまだ効いてるのか、俺の意識は少し混濁し、足どりもふらついて上手く歩けない。賢い老婆は俺の状況をすぐさま悟ったのだろう、肩を貸してくれて一緒にドアの方へ歩いて行った。蛾が飛翔し、俺の背後をすり抜けるように通過し、また天井にのぼっていった。今度は誘蛾灯じみた照明に止まり、こっちの様子をうかがってるようにも見える。ドアまでの道のりは遥かに遠く、砂漠という広漠とした場所であてもなく、あるのか無いのか分からねぇオアシスを探り当てるという行為にも似てた。でも砂に埋もれたあの世界ほど広大じゃねぇ、それに比べれば極小さなこの部屋という空間でドアまでたどり着くのは、俺の不安定な足どりでもかなり簡単だった。開け放たれたドアまで辿りつくと、老婆は俺の背中を押して廊下へと、この牢獄じみた部屋から脱出させて、その後で彼女もドアをくぐって出てきた。熱帯のような蒸し暑かった空間からひんやりとした廊下へと出て、俺は開放感を全身で味わっちゃった。老婆がドアを閉める時に蛾の化け物が名残おしそうに叫び声を上げる。老婆はポケットから鍵を取りだし、閉めたドアにそれを差しこんで、手首をひねり、完全にあの空間を施錠した。蛾の王様、蛾の神、蛾の総理大臣、そのどれかは知らねぇが、俺は奴の魔の手から逃れられたのだ。こんな気分の時にはウイスキーを飲みながら一服でもかましてみてぇもんだ。「急いで、あの二人が来る前にこのお城を出なくちゃ」あの二人、とは紳士とメイドを指し示しているのだろう、彼らはカメラで俺らのことを監視していたハズだから、逃走かました俺のもとへ飛んで来るにちがいねぇ。俺は老婆の言葉に従って生き延びるべきか、紳士とメイドに捕まって蛾のエサになるべきか迷ってた。難しい言葉を用いるなら、これって逡巡ってやつじゃん。まぁとにかく迷ってる暇はなさそうなので、とりあえず老婆の言いなりになって城を出ることに決めた。「私の部屋の床を開けると滑り台があるから、そこから海に出れるわよ」「海に出たあとはどうすんだ?」「透明な道のない裏側に出るから、泳いで浜辺に行くしかないねぇ」それは睡眠薬の名残が脳に作用して全身に気だるさを覚えてるいまの俺ちゃんには一苦労だろう。あの部屋でこの城の主人である蛾の化け物に食われた方が楽に違いねぇ。そう思考は告げてるが、俺の内にくすぶる本能なるものはまだ俺自身を生かそうとしてるのか、足が勝手に動いてしまった。理性と身体を引き離せたら、もっと楽に選択できんのかなぁ。俺は葛藤というほどでもねぇけど、確かに悩みながらも一歩、また一歩、前へ踏み出してく。螺旋階段を降りて二階にいけばあの老婆の部屋があるから、そこまで行けば俺は助かったも同然だ。生きるのは本当に心底から面倒くさくて、世の人間どもが希望を抱きながらも生きていく様には、同情と太陽を直視したときに眼球を刺すまぶしさを同時に感じちまう。俺はすべての懸命に生きる人々に憧れてたんだろうか、一般的な人間みてぇにお仕事なんて下らねぇ檻に捉われながら生きてみたいと思ってるんだろうか、もしそうだとしたら、俺の今まで築き上げてきた独自性が音を立てながら崩壊していってしまう。老婆も紳士もメイドも、あの巨大な蛾の化け物ですらも、生にしがみついて日々を過ごしてるのか、どうなのか分からずに、俺ちゃん軽く混乱状態。もし俺が死んだら墓碑銘には退廃という文字を刻みつけて欲しい。もし生き延びて蛾の城から出れたら、俺は惰性に身を任せず懸命に生きるのも一つの選択としてありかなって思っちゃった。ああ、俺は日々をもっともっともっと楽しんで、他人と交流して生きるべきだったんだ、とこの時になってようやく悟った。つまりそれってクソニートマシーンからの脱却ってわけ。

 

2023年8月19日公開

© 2023 古代鎖

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