婆ちゃんの

渡海 小波津

小説

3,400文字

雪をテーマに人を擬景法で表現してみました

雪の下から掘り出した大根は、冷たくしわしわになっている。これは野菜を腐らせないように土に埋めておく保存方法で、私は婆ちゃんに頼まれて畑まで大根を取りに来ていた。

「あ あ、幸ちゃんありがとな」勝手口の横で婆ちゃんが手招く。婆ちゃんは私が幼い頃からこうして毎日糠を混ぜては、私に野菜を頼んで手招く。もう二十年以上も この糠漬けを食べていると思うと、なるほど婆ちゃんの手がいつも糠くさいのも頷けるものだ。しわしわでごつごつした婆ちゃんの手が、この村で長いことずっ と畑作をしてきたことを物語っている。

「味みてみい」そう言って婆ちゃんが糠を差し出す。それを摘まんで食べる。

「どうだ? 塩っぺえか」

「う ん、いつも通りだよ」私が言うと婆ちゃんは満足そうに糠を一こね二こねして蓋を閉めた。一昨日塩を足したが、今日はだいぶ馴染んでいる。それから、私が 取ってきた大根を水洗いして漬け、今日の食卓用を一本取り出すと私に手渡した。それからよっこらせと重石を乗せ、私が一口大に切っている間に婆ちゃんは居 間へ向かう。するといつものように母と二、三言交わしているのが聞こえてくる。その声が止むとすぐ台所に母が入ってきた。

「何だって?」私が訊くと、

「まだ任せられんてさ。糠はやるって」

毎日母は糠漬けを私にやらせたらどうかと婆ちゃんに話している。母も婆ちゃんが何十年もやっているのは知っているが、重石もあるので私にやらせたらと言っ ているのだ。母がやってもいいのだろうが、婆ちゃんはやらせるなら幸がいいと言いながら、未だ一度も代わってくれたことがないのだ。今へ漬物とおひたし、 味噌汁、ご飯を三人分運ぶ。先々月までは父と夫がいたのだが、季節柄どこの家も男は出稼ぎに出てしまっている。村にいるのは女、子どもと年寄りだけで、唯 一の男手は坊様のところの息子くらいであるが、その息子も今年は本山へ出ているそうで村はいつもよりも少しだけ静かである。

「幸ちゃんも、もう味は覚えたんか?」婆ちゃんが味噌汁をすすりながらたずねる。

「覚えたよ。もう毎日食べてるんだから」

「そっけ。でもまだあ代わらんから、しばらく味みときい」笑いながら婆ちゃんは漬物をぽりぽり頬張る。

「母さん、私は腰でも痛めたら心配で言ってるんですよ。私が代わりにやりますから」母が心底困ったように言うも、

「お前は大丈夫じゃからいいんよ。幸ちゃんにもちゃんと教えんとな。せっかく婿さんもらったんじゃから」と、嬉しそうに言った。私も母も気持ちは分かるが、といった感じで止めるにも止められず困った顔を見合わせるのであった。

 

■■■

 

「この京紅は婆ちゃんが若い頃、爺様からもらって使っていたらしいよ」叔母がそう言って二枚貝を見せてくれた。母はそれを受け取って水に溶かすと小指に付け、婆ちゃんの唇に薄く塗る。

「綺 麗なあ」叔母から漏れる。婆ちゃんの顔は真白く、塗られた紅はとても鮮やかに映っている。今朝見た婆ちゃんはただただ青白く、冷たくなっていたのだが今は どこか小さな温か味を感じる。婆ちゃんが死んだとは少しも思えないでいて、今にも喋り出しそうな口はなかなか開かず、いつまで経っても動かない。おばと母 で頭の方を、私が足側を持って婆ちゃんを棺へ納める。母は何も言わずに顔を眺めている。私が最初に線香をあげ、母、叔母と続いた。婆ちゃんは死んでしまっ た。

夕方を過ぎると近所の者から順々に訪れてくる。涙を流す者、始終無言の人、言葉を掛けていく方、皆十色に線香を上げていく。婆ちゃんは嫁い でからずっとこの村で暮らしてきたためか、結局村中の老人たちが集まるほどであった。明日は葬儀を行う。夜は三人で交代しながら眠ることにした。線香は絶 えず、天井へ昇って霞む。私はそれを眺めてからゆっくりと目を閉じた。

夜中、目が覚めると暗闇にろうそくに火一つ線香の先とが浮いている。部屋に篭る線香の匂いを確かめて、私はまた婆ちゃんの死を理解するのだ。二回目の線香番を代わった後、気付いた時には母が台所で仕度を始めていて音が聞こえた。起きて線香を一本加え台所に向かう。

「おはようお母さん。何すればいい?」

「お湯沸かしてお茶の用意しておいてちょうだい」精進落しの下ごしらえをしながら口早に言う。根菜の煮物、おひたし、魚の切り身が鍋に入れられている。

「何人分?」来客用の湯のみをガチャガチャしながら聞く。

「すぐ坊様が来るから十二、三でいいよ」

棚から十五取り出し広間へ運ぶ。広間といっても二部屋と居間のふすま戸を取って続けたが、こうしなければ昨夜の人数も納まらないだろう。

広間へ行くと叔母が布団をしまい、座布団を用意していた。

「おはようございます」

「おはよう幸ちゃん、よく寝られた?」

まだ身支度もままならない格好で私たちは諸々の用意をいそいそ終えた。外も白みはじめた頃、礼服に着替える。私たち三人、互いに帯を締め合って喪服に着替えた。

夜半に降ったのか、玄関の擦りガラスが明るい。真白い光だけを迎い入れるように日は喪に服す家とも知らずか、廊下の奥まで入ってきて、居間へ入ろうとしたところで慌てたように気まずく薄らいでいる。

玄関を出ると家から通りまで薄雪が続いており、庭の木には梅の花が一つ蕾んでいる。村の朝は早く、すでに村中は畑に行く人や洗濯物を干す人、庭先を掃除する人、犬の散歩、猪を求めて山へ向かうのなど覗えた。

玄関周りの掃除を済ませると近隣の女たちが次々に声をかけて入っていく。

「お気の毒様」、「何かあったらいつでも頼ってね」、お母さんは台所かしら」私はその都度お辞儀をしながら、

「本日は宜しくお願い致します」と、手伝いの礼を言い台所へ案内した。

それから続くように老人たちが居間へ集まりだすと、家は挨拶だ茶汲みだと坊様が現れるまでずっと黙ることがないままだった。

葬儀を終え精進落しを振舞うと、沈黙はあっけなく破られ、再び老人を中心とした話が始まる。お酌に回れば、

「べっっぴんさんになったな」「婆さんの若い頃にそっくりだ」と、酔いに任せて言われる始末。一時間ほどで坊様が帰り、終いという空気になっていくと商店の爺様の、そろそろ失礼しますわと、言うのを合図に老人たちは続き続いて同じ事を口にして皆帰っていった。

叔母もひとまずと、帰った。

その晩は私も母も疲れ、食事はあるもので済ませることにした。

ぽりぽり。白飯を口へ運ぶ。ふすま戸はまだ外してあり、二人の背にはさらに六畳が続いたままになっている。

ぽりぽり。漬物から婆ちゃんの匂いがした。

 

■■■

 

初七日を終え、ふすま戸も戻すと、またいつものような生活に戻っていった。残された糠漬けは私がやると決め、変わらずに食卓に並んでいる。

朝食を済ませると、玄関の掃除に向かう。擦りガラスからは黄色い日が招かれ、遠慮がちに玄関を照らす。戸を開けると若干冷たい風が家の空気と入れ替わっていく。積もっていたみぞれ雪が瓦を伝って庭へと落ちた。

庭の白梅も咲き始め新たな蕾が枝を賑わせている。昨日、夫から便りが届いたのだ。

私はもうそんな時季かと嬉しくなり、畑の大根を取りに行った。行きすがら、崩れた雪だるまの頭を通り過ぎ、泥雪の道をぐしゃぐしゃと踏み、遠山に種蒔き爺 がうっすら浮かぶのを確かめると、大根をつぎつぎとかごへ入れていく。しわしわの大根が消えた畑からは小さな温かみが感じられた。

帰る途中、私は夫が発って三ヶ月目になることを感じると、家に帰るなりそれを母に打ち明けた。

 

■■■

 

四十九日の前には男たちも帰り、村は農作業に忙しくなる。夫も父も婆ちゃんの死をひどく悲しんだが、私のお腹を知ると、とても喜んだ。

 

■■■

 

短い夏が過ぎ、お腹の子も大きくなっていった。

あと三ヶ月もすればまた男たちは街へと行ってしまう。

遠く展けた村を眺めれば、遠々と続く田畑の色も、道端の草花も、木も、空気さえも待っているのだ。次の冬がまだかまだかとどこかで足踏みをしているように思える。

私はお腹をさすりながら庭へ出ると、空は高く筋雲がすっと遠山まで伸びていた。

腹を、とんと蹴る音がした。

 

2013年1月25日公開

© 2013 渡海 小波津

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