引っ越した先の家の近くには豚舎があった。最初はあの独特の臭いやら、
「ぴぎーぎぴーぎー」
という鳴き声に嫌悪感等の感情があったが、わりかしすぐに、あっという間に慣れてしまった。木造の豚舎から、表に面したちょっと大きめの広場、柵で囲まれたその場所に、豚の為の気分転換だろうか、一日一度、大量の豚が放出される。それを見るのが散歩の日課になった。
「お疲れさまです」
大量放出の時間帯になったら柵の側に待機。従業員らしきツナギを着た高齢の男性にも顔を覚えてもらう為挨拶を欠かさなかった。ああ、どうも。口数こそ少ないが、態度からして私の事を拒否してる、厭う感じではない。なかった。
「ぴぎーぎぴーぎー」
豚舎から放出された豚たちはまるで一つの生き物のように、固まりで行動した。それを見ていてスイミーの話を思い出した。あと挽き肉の事も思い起こした。固まりで行動する豚たちはまるで挽き肉の様だった。挽き肉をこねて丸めてハンバーグの時のように左右の手にポンポンとしている時。これで牛や鶏も一緒に居たら合い挽き肉だ。
やがて従業員の男性に顔も覚えてもらい、声をかけてもらい、何日かに一度葉物野菜をあげるようになった。日常生活においても豚の事が頭から離れなくなった。豚たちの潮流のような一つの流れが忘れられなくなった。あの臭い、鼻の形、足、腹のニップル。ぴくぴくと動く耳、しっぽ、色、甲高い鳴き声。陽の光に照らされてキラキラと輝く薄い体毛。近くで見てようやくわかる。ああ、豚ってこういう毛が生えてるんだなあ。中でも特にある一匹の豚とは仲良くなった。私が柵の近くに立つと気が付いてこちらに来てくれるようになった。私の事を覚えているのか?葉物野菜をくれる奴だと認識しているのか。
その夜も豚たちが、豚が頭を占有して寝られなかった。季節は秋、もうクーラーをつける必要性もない。窓を網戸にするだけで十分に過ごせた。眠るには適した環境だったがそれでも寝れなかった。
「いったい何を考えてるんだろう?」
私。
「ぴぎーぎぴーぎー」
豚舎の方から鳴き声が聞こえた。いつもと同じ声音。しかし感じが違う。そもそもこの時間に豚たちが鳴くことなど今まで一度も。
起き上がって窓に近づいてみて分かった。きな臭い。暗闇の一部が明るくなっていた。豚舎のある方の空が赤く染まっている。
豚舎が燃えていた。
「ああ、ああ」
パチンパチンと木の爆ぜる音がする。黒煙が出ている。一部の豚たちが豚舎から這い出て表の広場に固まっている。それでもまだ全然少ない。全体の一割程度しかいない。なんで?何があった。どうしてこうなった。何がどうしてこうなった。わからない。消防はどうなってる?サイレンは聞こえない。もう来ているのか?木の崩れる音、ガラスの割れる音、それに黒煙、猛る炎の姿に気が取られて耳にまで神経が回らない。
「ユイちゃん」
広場の隅に豚を洗うための水場がある。そこに走って水を被った。転がったバケツに雨水なのか汚水も溜まっていた。それも構わずかぶった。秋の水。冷たいはずが今は一瞬一瞬姿を変える赤黒い炎のせいで何も感じない。
離れた場所から見ると豚舎は周囲、周りから燃えているように見えた。まだ間に合う。私は初めて柵を越えた。フィールドを越えた。互いの陣地を跨いだ。まだ間に合う。それだけを考えて豚舎に走った。
「ぴぎーぎぴーぎー」
豚舎の内部もすでに火が見えている。場所によっては天井までも火が達しているようだった。柵が越えられずに入口付近で纏まっていた豚たちが突然の知らない者の出現に驚いて、また絶えず鳴き声を上げた。それに連動して豚舎のあちらこちらからも鳴き声が聞こえた。豚たちは何個かの小グループに分かれている。こんな時に限って。
「出ろ、出ろ!」
まず入り口近くの豚を外に追い出した。動かない奴は立て掛けてあったフォークのような農耕器具で追い立て外に出した。
火に包まれた豚舎はいつ崩れるかもわからない。煙も濛々と立ち込めている。吸ったら危ない死ぬ。そんな恐怖心と戦いながら豚を追い立てる。入口から順に奥に向かって豚を逃がした。幸いだったのは少しきっかけを与えたら豚たちは一目散に逃げ出してくれたこと。
一心不乱になって豚を逃がして、自分も転がるように外に出た。
逃げた豚たちは広場の奥、水場の方にまとまっていた。そこに近づいていくと豚たちは得体のしれない私から逃れるように圧縮するかのように身を寄せ合った。良かった。とにかくよかった。
「ユイちゃん?」
気付いた。
ユイちゃんが居ない。私を認識して、葉物野菜機として仲良くしてくれたユイちゃんがいない。
「ユイちゃん」
再び豚舎に走った。火は燃え盛っている。今度は入ると同時に入口が崩れた。逃げ場を失った。それでもかまわない。
「ユイちゃーん」
奥まで走って行くとそこに一匹取り残されたユイちゃんを見つけた。
「ぴぎーぎぴーぎーぎー」
ユイちゃんは私を見ると駆け寄ってきた。
「ああごめん、ごめんね、ごめんねえ」
入口はもう無い。出口もない。もはや火は豚舎全体を包んでいる。黒煙は容赦なく私達を包んだ。
「ごめんごめんねえ」
「ぴぎーぎぴーぎー」
ユイちゃん助けてあげられなくてごめんね。ごめんね。遠くでサイレンの音がした。しかしもう間に合わない。ユイちゃんごめんごめんね。
彼女の目から涙がこぼれるのを見た。
ごめんねユイちゃん。もはやどうにもならない。助けられない。助からない。
だから私はそこで豚とセックスをした。彼女が抵抗しないのをいいことに。私は私の夢を叶えた。だから今度はきっとユイちゃんの番だよ。ユイちゃん。生まれ変わったら絶対に夢を叶えるんだよ。
山谷感人 投稿者 | 2020-10-27 05:54
あくまで、個人的な意見としてエログロオチを好まない僕でもラスト、スッと入って来たのは、この作者の文章から垣間見れる底光りしているような悲哀とユーモアに引っ張られたからだろう。センスに満ちた作品だ。
小林TKG 投稿者 | 2020-10-28 07:18
感想ありがとうございます。ただこうなんというか、気持ち悪いものをブンファイにぶつけたくて、でも日常的な部分からは逸脱しないモノ。っていうだけでこういう話を書いてしまいました。話を考えてる時ちょうどニュースで家畜の盗難が騒ぎになってましたし、はい。だからもうほんとそれだけで。はい。ありがとうございます。この話も報われます。