第七章

ニュー・ハートシェイプトボックス(第8話)

多宇加世

小説

7,200文字

 始まりと終わりのジンクス。ヤニ混じりのニードフル・シングス。
 映像を使った啓蒙の嘘だったんだ、多分。ニューメイカー八〇〇〇〇〇ルーメンのマッチ棒。あっちとこっちを照らすと影はどこにできるの? 多分僕にはそこが見えないんだ、はじめから。いざ行かんとしたのは下位互換のアンドロイドばかりで、ラストのあたりでお決まりの包囲網で、身に纏った化学繊維はもうボロボロで……、そこで毛じらみがくしゃみして終わり……。
 そんな俯瞰した街の映画――
 夢見心地エンドロールはじっこにヒッチコックの影コックローチ。
 最後の子供ももう死んでしまって、歌を唄うのは恥を知らぬ大人たちばかりで、足早はるか遠くに消え去ったわずかな甘味料、汁を吸った虫らの高笑いは出来高ノルマ制。先月あたりから今朝仮眠をとるまで、うしろめたい気持ちなくして避難所で待ち伏せ、やがてレンガ持って殴り合う純粋性ドッグタグ。

「運搬可能のダンス」

 

「看護師さん。俺達、犬を飼いてんだ。みんなで相談したんだ、このあいだ。……だから今度の港に寄った時、犬を一匹、載せてくんねえか、今のうちに陸地に手配しておけば……、次に麻酔から覚めたころには……」

犬たちにとっては人間の食べ物の塩分は高すぎるそうです。人間も塩を取りすぎるとだめだそうですが、同じ哺乳類でもクジラは海水の塩辛さは平気です。摂取許容量や味覚は、体の大きさと関係しているのでしょうか。あ、ちょっとこの説は面白い。体の大きさと塩分摂取許容量の関係。ティキティキ

「犬なんて、誰が欲しいの? あなたが一人で言ってるんじゃないんですか、Wさん」

作業療法士が輪投げや、刺繡道具、ラジカセなどの作業療法の道具を、しゃがんで押し込めば人が二人くらい入る業務用のエレベーターに押し込みながら問う

Wさん、途端にもじもじしだす。口が無駄にぱくぱく、エアーレーションの足りない金魚のように。Wさんは相手が看護師だと思っている

「ほんとなんだ、ほんとなんだよう。みんなそう思ってるんだよう」

みんなほんとー?」

誰一人返事をしない

「ほらあ、Wさん、嘘ついちゃだめー。それに港ってなんのことー?」

作業療法士は手を動かしながら、玉のような汗を額に浮かべて笑い、業務用エレベーターに鍵を指して作動させる。Wを擁護する者は誰もいない。むしろはっきりと、黙ってろ、と患者達の目がそう語っているのが分かる

ここでいっておくが、看護師や介護士達は、麻酔ガスと寄港については患者に隠すことなく、ごく自然に口に出すのだが、このように作業療法士達だけはなぜだかその周知の事実を秘匿するのだ。これはなぜか。そうすることが治療の為になるからか? それとも作業療法の一環で、ここを船と認識させぬための今更の印象操作なのか?

だが、これはそういった単純な問題なだけでなく、看護師側とのコミュニケーションがとれていないことを示す、子供でも勘がよければ分かる、好例なのである。つまり――

つまり、常日頃から患者に対し何かを伝えるにあたり、どのくらいまで、あるいは何ならOKで、そして反対にどんなこと・それとも何が禁句とされているのかが、看護師と作業療法士の相互間の話し合いで明確になされておらず、きちんと体制化されていないことをよく表しているということなのである。きちんと体制化されていないということは、なんとまあ信頼それ自体を失わせ、反逆心をくすぐることだろう。ティキティキ。

犬。患者用犬。犬がここにいたら、本当にどうなることだろう? 全体の五分の一の患者が興味を持てば万々歳なのではないかというのが僕の予測。患者は自分以外の患者にも関心がなかったりするけど、犬だとどうなんだろう。でもやはり五分の一、そしてそのうちの何割かは自分の個室に連れ込んで、何かで味つけをした自分の性器を舐めさせることに使うだろう。その男女比率は同じくらい? ティキティキ。案外人気を博し、予約表なるものが秘密裏に回されたり、犬がちょこちょこ廊下を歩いているのを見掛けただけで思い出し勃起して? 当院史上、一番の性病流行?

「看護師さん。ほら、ほら、俺達が眠らされる時の港だよ、港の時だよう」

W、いまだに相手を看護師だと思って話している。

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2020年2月6日公開

作品集『ニュー・ハートシェイプトボックス』第8話 (全12話)

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© 2020 多宇加世

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