性器は少年から三つの大切なものを奪った。それが性器によるものだと気づいたとき、彼は慄然とした。わが物顔で何もかも奪っていく傲慢な性器が許せなかった。
一つめは声である。以前は、フルートの音のように伸びやかに響く澄んだ声が彼の自慢だった。小学生のころのことだ。彼のママはウィーン少年合唱団の来日公演に彼を連れていき、仕事が休みの週末には彼女がピアノを演奏して自宅で歌のレッスンを行った。少年は四年生のとき、県の声楽コンクールで『魔笛』の「夜の女王のアリア」を歌い、優勝した。
「最高の歌声だったわ。私のいとしい小笛」
そう言ってママは少年のすべすべした喉もとにキスし、彼を抱きしめた。香水の甘い香りが頭をぼうっとさせ、少年はママの腕の中で溶けていきそうな気がした。このまま、ママも自分も一緒にドロドロにとろけてしまえばいい。彼はそう思った。二人で見分けがつかないくらい混じりあって一体になれたらどんなに気持ちいいだろう。ママをとろかすような小笛の音色を永遠に奏で続けていたかった。
だが中学に上がってすべてが一変した。喉がガラガラしはじめたとき、彼は最初風邪を引いたのだと思った。背が急に伸びたのと比例するように高い声を出すのが苦しくなった。いきなり高音を出そうとすると、声がひっくり返って音程が外れる。それでも少年はママに気づかれないように、レッスンの前にはのど飴をなめて必死で裏声を出した。音を外さないようにレッスン以外の時間も口の奥から血の味がしてくるまで高音の練習をした。
ある日のレッスン中、ママが弾くピアノの前で『ノルマ』のアリア「清らかな女神よ」を歌っていると、繊麗なピアニッシモのトリルにさしかかったところで突然ママが両手で激しく鍵盤をたたいて曲を中断した。
「もうやめよう。こっちも聴いてらんない。男の子だから仕方ないよね。レッスンは今日でおしまいにしましょう」
「ママ、どうして……」
少年はうっかり問いを発したことを後悔した。もちろん彼はその理由を既によくわかっていた。その答えをママの口から聞かされるのが怖かった。でもママは彼の質問には答えず、指先を伸ばして彼の喉に触れ、火傷したかのように瞬時に手を引っ込めると足早に部屋を出ていった。顔をそむけたママの目には涙が光っていたように見えた。
一人残された彼はおそるおそる自分の喉もとに触れた。突き出た喉仏が別の生き物のように上下に蠕動した。彼は開いた口を震わせながら、声を出さずに大粒の涙を流し続けた。ママのいとしい小笛を失った彼は、同時にママの愛情も永久に失ってしまったことを知った。彼から奪われた二つめの大切なものである。少年は、自分の性器で際限なく分泌されて自分の意志とは無関係に体じゅうを駆けめぐるテストステロンを憎んだ。鏡の前で全裸になって睾丸をぐいっと握ると、これまでに感じたことのない激痛が背中を走って脳髄を貫いた。
中学校での三年間は地獄だった。彼が通う学校の男子のあいだでは、男性器こそが人間的資質に対する評価を左右した。不安に陥った思春期の男子生徒たちは自分たちの性器の色や長さ、曲がり具合、包皮の有無、陰毛の生えそろい具合について微に入り細をうがってうわさしあい、少しでも平均的でない特徴が見つかった生徒を嘲笑の対象にした。
あるプールの時間、少年はクラスメイトたちが更衣室で一人の男子を囃し立て、その男子に全員の前でオナニーをさせているのを後ろのほうで苦々しく見守った。男子の名前は枡良欧介という。枡良欧介には軽い知的障害があった。そして枡良欧介のちんこはどす黒かった。日ごろきれいに洗われていないせいかきついアンモニアのにおいがした。黒くて臭いちんこを真っ赤になるまでしごき続けながら、枡良欧介は終始へらへらと笑っていた。
――やめろ、こんなの間違ってる――
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