混血は笑顔の中で蹲り (混伏・上)

天覧混血(第4話)

Juan.B

小説

6,975文字

※破滅派オリジナル作品。
※「天覧混血」書下ろし作品

ハーフ顔と言う広告、“みんなでいきいき男女共同参画広報誌”のインタビュー。“俺”を眺める物は皆澄ました表情で笑っていた。混血の雌伏を描く「前編」。

ターミナル駅の地下道に大きく掲示された『誰でも憧れハーフフェイスに』と言う広告の前で、俺は暫く立ち尽くした。そこでは多分整形を繰り返し続けたマネキンみたいな顔の女がすました顔をしている。裏から蛍光で照らされるその広告をまじまじと眺め、黒い煤みたいなものや傷を見付けては目線を改める。記念に写真まで撮った。そして俺と広告の間を何十人と言う人が通り過ぎ、出てきた答えは、何でもない、どうとも説明しがたい、まさに混血らしく半分情けなく半分哀れとでも言う気分だった。しかし俺自身はこれを差別だ何だと声高に叫ぶ気も無かった。俺は自分の手のひらを舐め、その『ハーフ顔広告』の女の顔を撫でる様に唾液を擦り付ける。もう一度手のひらを見ると、手のひらは汚れを拭いた様にわずかに薄黒くなっていた。

 

日本社会が“こう”なら、混血の俺は“ああ”する。そのことは身近な人々に示してきたつもりだった。日本人が、そう、スペアリブやらマンガ肉に噛り付いていて、俺の手元には何も無い時、俺が言うべき事は何か? お前ばかり食いやがって、メシ食うな、“メシ食うな♪”……ではなかった。俺にもメシ食わせろと言う。日本が俺を馬鹿にするなら俺も俺なりのやり方をする。そうしなければ、俺達はやられるばかりである。表現規制を万が一けしかけた所で、多数派には多種多様の抜け道があり、我々にはそれがないのだから、結局我々は窒息する。それに人間と言う物は本来みんな混血なのだから、規制やら正義やらではなく、「てめえらこそ」「同じチンコとマンコの分際で」という自覚こそが解決するのだ。いつの日になろうとも俺はそう生きる。

混血と言う記号はどこから生まれたか知らない。現にお前らが使っているし、俺も確かに使わざるを得ない。そして「全ての人間は混血である」という言葉を心に秘めよう。天皇も混血である。精子と卵子、XとYのごちゃ混ぜである。ごちゃ混ぜである。ごちゃ混ぜである……。

 

ごちゃ混ぜの人込みの中、年に数回ある皇居乾通りの一般解放に俺は向かっていた。傍らには、途中で合流した俺の首ほどの高さの女がいた。……母親だった。意識しないと忘れそうになるが、母親も確かに女だった。日本語が読めないので、俺に生理ナプキンが普通か“多い日も安心”か通訳させる、ある意味先進的な母親だった。だが、自分は好き勝手に生きて、哀れな日本人の男に引っ付いて日本までやって来たこの南米のしわがれたお姫様は、子育てについては徹底して保守派だった。俺は男らしさを追求させられ、おかげで学校では虐めてくる男も女も平然と殴れるようになった。天皇は人を殴ったことがないだろうから俺の方がずっと色んな意味で偉い。皇居のどうでも良い花々をバックに俺はスマホで写真を取らされ、喚く母親の言うとおりにそれをフェイスブック経由で、南米の――会った事も話した事もない――親戚どもに送信させられる。しかしこれで良いかも知れない。天皇が近くに住んでるだけで特別扱いされる花が、外国人に見られ踏みつけられあちこちにばら撒かれるのだから。

 

数日後、その花々の写真をスクロールして眺めながら、溜息をついた。母親が、今度は写真の照度が気に入らないだのスペイン語で喚いているのだ。更に俺の目の前のガラス机に、棚を整理するなどと言って色々な契約書類や昔の手帳の束を置いていった。溜息を吐き続けながらスクロールし続けると、何気なく撮ったあのハーフ顔広告の写真が目に付いた。俺はしばらくそのサムネイルを眺め続ける。化粧品会社と広告代理店のアバズレとインポ脳どもが性病か何かで腐った頭をふり絞ってやっと出来上がったモノが、これである。ハーフ顔! 色んな「ハーフ」という発音が頭をよぎった。俺はハーフよりも混血と言う方が好きだな。漢字は確かにカッコイイ。ふと目の前を見ると、俺が小さい時の母子手帳が束からはみ出ていた。日本語の記名欄に、母親が書いたスペイン語筆記体の俺の名前がマッチしている。これも混血の一種だろうと思いながら、何気なく手に取りページを開くと、挟んであった手のひらサイズの写真がひらりと落ちた。写真を拾うと、恐らく友人の家で母親とその友人の膝の上に座り笑顔でバンザイしている一歳児の俺の写真だった。写真の中の俺も、その写真を持つ俺の手も褐色だった。更に手帳をめくると、父親の代筆もそこそこ混ざりつつ、表名の一つ一つに翻訳を書き、俺の記録が見事な筆記体で綴られている。おかげで全く読めないが……。その時、別の部屋にいる母親が遠隔でまた怒鳴り始めた。

「Lucio,¿Lo limpiaste?」

「……」

俺は母子手帳から写真だけを抜き取るとそのまま母親を無視して家を出た。

 

「子供の頃のルキオさんって可愛いー」

「ねー」

俺の目の前には二人の女子大生が座っていた。と言ってもここは風俗店ではなく、喫茶店を名乗る小さな飲食店である。彼女たちは机の向かいで、俺の写真と顔を交互に見つめつつ、しかし視線だけは合わせないようにしながら、俺に質問を続けていた。

「ではルキオさんが、その、最初に差別を意識したのはどれくらいの頃ですか?」

一方の赤いシャツを着た眼鏡をかけた蘆屋と言う女性が聞き手訳であり、もう一方のピンクのワンピースを着た安部と言う女性は所謂タブレット端末に無線キーボードで内容を打ち込んでいる。俺はまた昔に思いを馳せた。

「生まれた時からと言えば生まれた時からですが……ハハ……そうですね、その、意識したのはやはり小学生の時かな」

そう語りながら、眼のやり場にも飽きて、手元の昨月号の“みんなでいきいき男女共同参画広報誌”に眼をやっていた。彼女達は大学生だが、大学の授業やフィールドワークで俺の話を聞いているのではなく、市の広報誌の外部編集委員として話を聞いているのだ。“JD広報”、“女性ならではの視点”、そう指名されているのを見た訳ではないが、役所の人間はそんなつまらないありきたりの事を考えているのだろうと何となく想像した。

「最近はハーフの子を良く見かけますけど、ルキオさんの時は」

「知る限り学校に私一人です、別に軽度の身体障害の子とか不登校気味の子とかも居たけど……」

「はい、はい」

俺はカップに手を伸ばした。褐色の手と真っ黒なコーヒーが眼に映る。良く見かけますけど、と言われても実の所あまり意識してそう見た事がないので分からない。ただ自分の知る事だけを言う。

「出来れば出良いんですが、印象に残ってるエピソードでも……」

「小学生のときの」

「ええ、そうです、その」

俺は少し眼を瞑った。当然、色々ある。だが大して話しておくべき事があるだろうか。俺は明らかに虐められていた事があるから、それを話せばドラマになるかも知れない。しかしネット上のある種の人々が息巻いている様に復讐譚とかスカッとする話にするのは俺は嫌だった。人生はいつだって割り切れた事がなかった。混血なのだから。しかし何もないと言って彼女たちの編集をイレギュラー気味にしてしまうのも申し訳ない気もする。考えがまとまらないまま、俺は言葉をつづけた。

「まあ、月並みと言えば月並みですがね、虐めもありましたし、それで喧嘩も結構しましたし……」

「ほう」

タイプしていた安部の手が少し止まり、彼女特有の引きつりくぐもった声が聞こえてきた。

2018年7月31日公開

作品集『天覧混血』第4話 (全5話)

天覧混血

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© 2018 Juan.B

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