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キリンと象と雉の話です。感想はなんでもOK。

タグ: #純文学

小説

2,110文字

大儒

腥田をにゆり

永楽えいらく年間、有一儒とあるじゅ、名は薄処言はくしょがん。若くして、その博学才穎さいえいは京師に響き渡ったが、同郷の提学官、王中美おうちゅうびの招きにより、北京を辞し江南の地へ赴いた。
三宝太監さんぽうたいかんが数度出航し、天竺インドより復した宝船には瑰麗古怪かいれいこかいたる舶来品が尽きることなく、永楽大典を編纂する傍ら、喫驚きっきょうせざる得ない念を堪えずに居た。皇上の叡覧えいらんに供する前に、薄処言らは凡百の異国珍奇を眼光紙背がんこうしはいに徹すべく、珍しき禽、怪しき獣の機微を端無くも字字ことごとく真なりに詳記、又、水手と対談を重ね、世の中の無奇不有きとしてあらざるはなしを疎通して、劬劬くくと港に臨み、曾ての典籍に記された謬りの有無をさがし求めるのであった。
処が、地元搢紳しんしんの呉伯仲と意気投合して、爾来じらい、市井の辻々を、大凡に見廻って往来の閑人達と談笑、北京の消息、安南ベトナムの叛乱、其の成行なりゆきを論ずる声が両人の耳に入った。
呉伯仲曰、安南の時勢が溷濁こんだくして、東瀛とうえいにも倭人の略奪で、三宝太監此行は艱険と隣合せ、海象は千変万化が常、今迄はほばしらが無事に往返していたのが、皇上の大徳の御蔭おかげである、と。
薄処言は其れに首肯した。皇上は曾ての堯舜ぎょうしゅんに並ぶも恥じる所なし。
宝船が無事に瑞獣ずいじゅうを一頭、して帰来したら、天下泰平を顕彰けんしょうして、あの側近の姚和尚ようおしょうも感歎するのだろう。天龍、霊亀、麒麟、鳳凰の四瑞獣の中、麒麟では水手が天竺で見たと云ふ。皇上の万歳天命を称えるには麒麟が最も現實だと、市井で両人の話は段々と興酣きょうたけなわになった。
茶館でちゃひんして、忽ち「儒者の先生達は、麒麟はどういう風なのか知ってるか」の一声に問われ、薄処言は茶杯をたくに置き、虬髯きゅうぜんを撫でながら、其の市井百姓に水手の云った事實を娓娓びびと教えた。
十有四年春、西に狩して麟を獲たり。
昔日、聖人は獲麟の奇事を記した後、春秋しゅんしゅうの筆法擱いた。経書と春秋に謂ふ麒麟とは、のろの躯に牛の尾、馬の蹄。頂に肉角を戴く仁獣なり。歩むに生草を践まず、五彩ごさいの毛を披る。
然、港できき、其特徴は古伝と甚だ相違った。体躯は黄褐色、亀甲と似たる網目の斑紋、頭上には一角ならずして、毛に包まれたる二つの短き角が有。脚細長、歩みは霊気が無く、迂遠うえんなり。
尚、首は徒に長くして天を突く程であった。
市井百姓は其の姿を奇異に思え、「首が馬の十倍もある獣などは現實的なのか」と嘲り、薄処言は軽侮けいぶされた氣がして、其の日は茶館を出て早くも自宅に帰った。
翌年、三宝太監は無事。ききんに一奇獣が朝廷ちょうていに献上され、榜葛剌國バングラデシュからの麒麟であった。薄処言は黄色の長首を視て、己の言行に安んず、以為市井百姓の侮りなど、眼中に草芥そうかいの如し、以来、愈々志業を熱心に励んだ。
永楽二十年仲秋。皇上の聖徳より宝船は又た順風満帆に港に至り。暹羅しゃむから、巨大な象が宝船の板を踏み、肉厚のかかとは板を潰し、色は泰山で見た巨石に似た灰色、水手二十人は其々剽悍ひょうかん羔裘豹飾こうきゅうひょうしょくながらも、其の怪力にして蟷螂カマキリの斧なり。
共に港で見物する呉公曰、「きみの話した象と相違わないようだ」と、薄処言甚喜。
薄処言答、「人まれに見生象也。而得死象骨、かりに其圖をもって想其生也。ゆえに諸人之所以意想おもう者、皆謂之すべてをとする」と。
呉公不解、「徽州きしゅう商賈しょうこは大きな牙を輜車ししゃで運ぶのを眺めて、我聞われがきき、象の二本の牙は頬から伸び、不現實に思えた。何故か卿は事實通りに云ったのに、象は嘘に聴こえるか」
薄処言が両頬の虬髯を撫でて、笑曰、「其れこそ、至聖先師しせいせんしも獲麟の一件で春秋を辞めたのだろう。我々は如何に博学才穎、又は明察秋毫めいさつしゅうごうであろうとも、宝船に勝る事なく、現實は三宝太監が運んできたのだ」
翌年、遷都せんと慶賀けいがの宴に列席すべく、薄処言は江南を離れ、京城へ向かった。長江の波間に孤帆こはんは天際へと流れ去り、呉公ひとり芳草萋萋ほうそうせいせいたる岸に残されたり。
京城の奉天殿ほうてんでん金碧燦爛きんぺきさんらん龍章鳳姿りゅうしょうほうし、天上の紫微垣しびえんを地に移したるが如し。宝船で運んできた奇珍も色褪せして、此行は薄処言には感慨深かった。
広げた宴席の深処、龍椅ぎょくざを背に皇上は鳳目ほうもくを細め、其の天顔てんがん和らぎて仰せらく、「永楽大典を編纂する大儒達は、洗象圖せんぞうずの象、白きは何の故ぞ」と。
薄処言は戒慎かいしんして、答、「万歳万歳、白象は理想なり、三宝太監は象の現實を運んできたのです」と。
上は微かに笑みて仰せらく、「然らば鳳凰の現實とやら、なんじちんに見せよ」
ちょくを拝し、薄処言は三宝太監の宝船に随行して、天竺の地を踏んだ。
鳳凰とは、前は鴻、後は麟、くびは蛇、尾は魚、額はこうのとりあごは燕、嘴は鶏、五色備はりて文を成すと云ふ。薄処言は天竺の博識者と対談して、鳳凰の特徴を娓娓と語った。天竺人は哄笑こうしょうして曰、「其れは何処の空想か」と。然れども暫くして、天竺人は首を傾け、「其の五色の羽、赤き冠、尾の長き、雉に非ずや」と。
薄処言は其の言に打たれて、虬髯を撫でた。
帰路、宝船の舳先へさきに立ち、波濤はとうを眺めながら、彼はついに悟った。麒麟は榜葛剌の長首の獣であり、象は暹羅の灰色の巨躯であった。然らば鳳凰もまた、現實の禽に違いない。
京城に帰り、薄処言は一羽の雉を奉天殿の深処へ携えた。
上、鳳目を細めて仰せらく、「上呈じょうていするは何ぞ」と。
薄処言は叩頭こうとうして、答、「万歳万歳、天竺の博識者も雉こそ鳳凰の現實と申しました。五色の羽は鳳凰に符合し、現實の鳳凰を献上仕ります」と。
天顔忽ち翳り、大怒。
翌日、勅あり。薄処言、瓜蔓抄かまんしょうに処す。

 

© 2026 腥田をにゆり ( 2026年5月27日公開

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