七
織辺上等兵と石見上等兵が率いていた小旅団の騎兵らは別の旅団に加わるらしい。二人は蘇麻堡*へ馬を飛ばした。永沼秀文*中佐は心快く彼らを迎え入れた。
「少将の支隊からとな」
彼はもう馬に乗っていた。威厳ある将軍らしい馬であった。
織辺上等兵はこの頃、帝国軍人という人の印象を変えつつあった。乃木将軍や金沢軍曹といった名誉ある死を督励する軍人だけでなく、秋山少将や青木准尉といった時この兵を重く貴んだり誕れながらにして与えられた地位の所為で不遇な扱いを享けても屈しない軍人が居ることを知った。彼の固定概念が揺らぎ始めていた。己は、ただ運が兇かっただけだと納得した。己が初めに擱かれた聯隊がすこぶる好くなかったと、皆が乃木将軍の信奉者であったために、帝国軍人に対して悪印象を抱いて了ったのだと、天に己の処遇を訊うことさえあった。あの聯隊は、将も、卒も、己が名誉のためにと速攻を重んじる輩ばかりであった。奉天で聯隊を異動させられたとき、乃木将軍が、己の思想を貫き通すために自分を除いたのだと確信した。恩賞のために騎卒へ昇格させそのために聯隊を異動せば、皆んなが疑問を抱くことは先ずなく将軍の人望は更に上がるのだし、陣中に一人でも抗う者がいればそれは派生するため、丁度良くも要らぬ芽を潰すことができたのだろうと、織辺上等兵は酷く狡猾な優将だと軽蔑した。乃木将軍にとって、死と名誉の関係的思想は、情勢的にかなり大国である露と戦うために一番有効な手立てだと踏んでいたのだろう。日清の戦いはこれほどではなかった。対国戦の経験が浅かったし向こうが英国に敗れてから間もなかったので、将帥に対する崇拝も尠かったし死と名誉の関係も大きいものではなかった。しかし、こうして露と矛を交えるようになってから事情が変わった。軍は一気に名誉と死を結ぶようになった。その理由が、第一に勝つためである。勝つための死が速攻となったのだ。死んで国に報いるという思想がこの帝国を染めた。その筆頭が乃木将軍である。この将軍は、大国へ勝つために自己の麾下兵を喪うことをものともしなかった。
或るとき、織辺上等兵は石見上等兵にこう云った。
「──あの爺さんは病気だ。勝つために死を崇めて用いる病気……」
石見上等兵は何も云わなかった。この言葉を織辺上等兵の独言として片付けていた。織辺上等兵も、この戦友に態々返事を求めようとしなかった。ただ自身の見解を、己の気質を一番理解する人物に伝えたかった。国としての威厳を軍が占めていることが赦せなかった。その威厳を、臣民の所在を顧みずに動く軍が、赦せなかった。天下が明治なったとき、三傑*が起こした行動が間違っていた、と織辺上等兵は思った。あの頃から已に、日本国は軍国主義を重んじるようになって了ったのである、と。慥かに欧州諸国と対等に並ぶためには富国強兵の手段しかなかったのかもしれないが、予防をしなかったことが責だと考えた。だからこそ、乃木将軍のような死して名誉を得ろという思想を持つ軍人が生まれたのだと歎いた。しかし、秋山少将はこの老将軍と同じ帝国軍人ながら、自己の兵を極力失わないための騎兵戦略を考案する男であった。織辺上等兵は感嘆した。この国に、而も軍部中央の辺りに、死を名誉として捉えない軍人が居るのだと。人は口々に乃木将軍を「軍神」と崇めるが秋山少将の方が軍神と讃えられるに相応しい。永沼中佐は、初対面ではあるが織辺上等兵の思想を能く知る秋山少将が命じたのだから乃木将軍のような思想を持ち合わせた人間ではないだろうと思っていた。
幕営を見巡してみると、百七十四騎の日本騎兵と馬賊*二千騎が、厩舎で馬を整えたり、天幕で戦支度をしていた。彼らは皆、腰元に擲弾を提げていた。
永沼中佐に因れば、長春*南方にある大鉄橋橋梁に向けて突撃し軌道を爆破するらしい。秋山少将は「騎兵の真価を認めさすことになるのだ」と、随分と意気込んでいたらしい。その橋梁は露軍後方から優に百五十里も離れたところにあるのだから、露軍が気付くか否かは解らないが、橋梁の守備兵が云十万ということは先ずないだろうから、まあ気を付けて遣って呉れ給えと永沼中佐は云った。織辺上等兵はこの言葉に愛想好く頷いたものの、心中ではその考えを否定していた。
二月十二日、日本騎兵百七十六騎と馬賊騎兵二千騎が馬を駆った。永沼中佐を先として織辺上等兵と石見上等兵は最後方へ囘った。意外にも彼らの存在に露軍は気付く容子もなかった。それは乃木将軍や秋山少将による引き付けが功を奏したためであった。織辺上等兵は皮肉を感じた。気分がすこぶる兇くなった。
橋梁に露軍兵が居るのは容易に想像できた。しかし大鉄橋は、就中警衛が厚かった。斥候は大鉄橋の辺り一面に露兵が屯していると告げた。おそらく秋山支隊に危機感を成したクロパトキン大将*が橋梁を毀されまいと兵を送ったのではないかと織辺上等兵は推測した。永沼中佐は、目標変更、至急新開河*橋梁を爆撃せよと伝達した。
「駄目だな」
織辺上等兵は馬上で呟いた。
「どうした」
「どうせ全部の橋が厳重だろうってことだ」
「それはおれも思う節が在ったぜ。要衝だけを、局所的にってことはないだろうから」
「こりゃ辛そうだ」
「生き残るしかないさ、──しかしこの隊は好いものだな。俄に這入ったおれたちをものともしないみたいだぜ」
「少将が云うんだもの。将が優秀なら兵も優秀さ」
「優秀な帝国軍人か。こりゃ、おれらも期待できるかな」
「冗談云ってら。これ以上の戦役はご免だぜ」
新開河に到着すると、やはり守備兵が張り巡らされていた。高架下ないし高架上、橋の範囲に及ぶ前の街道──何処も彼処も露軍兵だらけであった。
「おい、此方へ来てみろ」
馬を降りた永沼挺身隊は暫し身を潜めていたが、織辺上等兵の見つけた抜け道によって彼らは橋へ侵入した。木陰岩陰に沿って高架下へ進んだ。永沼中佐も別の道を見つけたようで、幾人かの騎兵も馬を降りて従いて行った。高架下に潜って、河と橋梁との隙間に爆薬を擱こうとしたのである。挺身隊兵は急いで爆破の支度を始めた、
だがその好機は、一発の砲弾によって掻き消された。おおよそ露軍本軍を挟んで西方の第三軍辺りから撃たれた砲弾が偶然弾んで、奇しくも新開河附近へとぶっ飛んできたのである。橋梁を目前にして落下したから彼らも無論巻き込まれた。人は死ななかったが呆気なく挺身隊の策戦は浮き彫りになった。
ところに、砲音を聞いて駆け付けた永沼中佐とその麾下の軍が橋梁へ向けて徒歩による突撃を仕掛けた。瞬時の判断である。浮き足立った織辺上等兵らは援かった思いで街道へ退いたが、高架上へ傾れ込む兵たちを見て、織辺上等兵は、虚しいがこれが最善の策だと呑み込んだ。織辺上等兵たちは機関銃を受け取った。幾千人が、弧を画くように連なって銃撃を開始した。この堅固な橋梁を吹き飛ばすのなら先ず兵を残らず仕留めなくてはならなかった。彼らは中央の狭い空間を突っ込んで攻めた挺身隊兵を守るために周辺の露兵を銃撃するのだった。
彼は指先から臂を伝って肩まで波打つ銃撃の震動に堪えながら、数日間己が疑問に思っていたことを考え込んでいた。──李の件は一体何だったのだ? 自身が死地へ飛び込もうとしていることは理解しているはずである。それならばどうして時刻外にやって来た? 気が変わったか、倭人を援け使めることがどうしても赦せなかったか、将又自らを道連にしてまで倭人への、日清*の恨みを晴らしたかったのだろうか。しかし彼の、秋山少将との遣取から己が戮するまでの態度を見てみるに、そのような心情が感じ取れなかったから、李に、吾儕に対する怨恨の情はないだろう。それならば彼は何故死んだ? ──ここで彼は、大日本帝国のような死に対する名誉の奨励が支那にも存在するやもしれないという推察を立てた。だとすれば、彼は元から死ぬために幕営に赴いたのかもしれない。最悪、幕営へ飛び込むことを強いられて遣わされたとすれば? お前の身柄はどうでも好いから、二人の倭人を連れて来いというのが、李に対する支那軍の令だったとすれば? 李のあの悍ましい表情が、あのとき見せていた不敵な笑みの下に、測り知れないほどの、想像の追いつかないほどの恐怖と緊張が潜んでいたのだとすれば? ──織辺上等兵の中に、李に対して気の毒な感情が芽生えた。李を戮するとき、多少どころではない軽蔑の感情を軍刀に込めて馘を刎ねた。そのことが、今、凄烈な後悔の念となって還ってきたのである。織辺上等兵は今になって、地に轉がった李の馘を想起した。李の気概さと勇敢さをすこぶる称賛した。それでも駄目だった。彼の悔悟の情は消えなかった。こうなって了えば死ぬまで消えない。支那も日帝も死を名誉と見る思考は同一である──彼の耳に銃声はなかった。李に対する疑問が一気に憐憫へと一変した。
織辺上等兵は、李への感情を抑え込もうと孜めている最中に、ふと佐藤庫之助一等兵と野村昌三九一等兵のことを思い出した。奉天のあの曠野が眼に浮かんだ。──彼らは軍国主義の犠牲者だ。おれは、一体友情の権化に駆られて戦友を殺したのか、将又怨恨の念を持って戦友の馘を刎ねたのか──この疑問はあの日から湧き起こって消え去ることをまるで知らなかった。もし友情の権化に駆られた上での行為であれば、彼が彼自身を恨みそして二人に責を問う必要はない。だが、織辺上等兵が彼らに怨恨を持って馘を刎ねたのならば、彼は今すぐにでも自決して二人に深く謝らなければならない。戦友に怨恨を向けるということは彼にとって大罪至極なのであった。しかしその真相はもう解らぬし今後自分は解ろうともしないだろうと思っていた。それは、人間は幾日前の頃の自身の感情を完全に喚び起こすことが不可能であるのと、織辺上等兵がその真相が明るみに出ることを成る可く避けたかったからである。もし、自分の望まない真相を知った後の心情とその後の行動を想像すると吐き気がする。──一体彼らの無惨な死は、戦場で意味を有するものだったのか? 彼らの死は決して意味の在るものだったのだろうか? 二人の死が無駄だったとすれば、二人を殺した己と戦友は、一体あの奉天の曠野の上で、何をしたのだろうか? 尠くとも織辺上等兵と石見上等兵にとっては、二人の死は大きな意味を有するものであったが、しかし彼らの死は、たった二人の戦友のみに意味するのだけでは不可ない。佐藤庫之助という一等兵と、野村昌三九という一等兵がいたという事実を、たった二人の戦友のみに託しては不可ない。そうして人の存在は忘れられてゆくのだ。そうなって了えば、彼らの死は完く以て無意味になって了う。彼の帰りを待っていたであろう、露軍に囚えられていた妣親は、二人の死を聞いて何を思うだろうか。泣き崩れるだろう。己に強い責を問うかもしれない。恨まれるやもしれない。或いは何か意を決して、刃を向ける態になって了ってはどうしようか。それでも、しかし己は、何一つすることはできない。優しく手を差し伸べることすら──おれが戦友を殺したのだ。この事実が生涯変わることはないだろう──友を喪ったあの光景は、彼の心中の闇として残り続けるだろう。……
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