人斬蔵人
今は昔、陸奥前司*橘則光*と云う名の、男が居た。この男の、容貌の立派なところ誰も敵わず、また思慮の深く、武芸に自身のある者であったので、世間からは一目擱かれていたそうな。
そんな彼が、若い時分、一条帝*の時世に、衛府*で六位蔵人*を務めていたことがある。と云っても、しかしながら、夜な夜な忍んで、宿直*の為事を怠けて、大内裏*を抜けて、宮中の女の元へ馳せる有様で、今夜もそのために、夜の更ける前に、急いで、見事な太刀一振りと、舎人*を一人、従えて、大宮大路*を、降っていた。
しかし、その大路を降っている途中で、何やら垣根の辺りに、幾人かの、人陰が、次第に更けてゆく夜の下に、薄っすらと、動いた。則光はそれを見た途端に、「恐ろしや」と思って、行くのを猶予った。その、幾人かの人陰というのが、盗賊だと、彼が確信していたからである。
則光は、夜が更け始めているとは雖も、まだ辺りの暗いことを、しめたと思って、対の垣根に沿って、こっそりと、その場を過ぎようとした。が、
「其処元よ、待たれよ。これより先は、誰一人、罷り過ぐ*ことは出来ぬ。公達*の、在わすところぞ」
と、垣根の方から、低い、男の咾がした。則光は「然ればこそ」と、身を折り敷いて*、月明かりに、鑭とした、太刀の光を見て、弓の持ちたらぬことを知ると、大路を疾った。相手の身の丈が、自分より優っていたから、則光は、急に脚を止めて、その賊が、勢い余って、己の眼の前まで来たときに、勢い能く太刀を抜いて、後方から、賊の頭顱を打ち破った。賊の、ばたりと倒れるのと同時に、もう一人が、「如何した」と叫んで、今度は抜き身の太刀を持って(月明かりに見れば、鑭したものが彼方此方に振られていた、)此方へ疾って来た。これは拙いと、則光は太刀を脇に挟んで逃げ切ろうとしたものの、先刻の、賊より脚の、速いこと。逃げ切ることを断念て、則光は咄嗟に蹲み込んだ。すると賊が、則光の体躯に蹴躓いたかと思うと、ふわりと浮いて、前に落ちた。その隙を逃さずに、則光は、一刀の元に、亦もや、賊の頭を打ち破った。
やっと終いかと思うと、更にもう一人、「腕の達者な者よ。己が、刀の錆にしてやらん」と、疾って来るのであった。則光は、もう逃げる気力も失くなって、自棄になって、太刀を真っ直ぐに伸ばし、目を瞑って、賊を待ち構えていた。賊は──則光の容子が知られていなかったのか、そのまま疾り進んで、案の定、太刀が肚に突き刺さって、則光がこれを引き抜くと、臓腑を出して仰向けに倒れた。則光が「誰ぞ、未だ在るか」と叫べど、宵闇には誰一人として素形も、咾も、ない。則光はようやっと安心して、宮中へ向かおうとしたが、しかし、己の上衣も、太刀の柄も、賊の血に塗れているのであった。北の方で舎人を見つけて、これを洗うようにと、決して口外するなと、云いつけて、女は断念て、大人しく宿直所へ帰った。
則光は、褥*に臥せっているときも、終日、「先刻の騒動が、己の所業と露呈せば、然れば、如何せんや*」と、後悔に駆られて、怖気付く内に、夜の明けて、往来に人の出るに、さてこそ*、民衆の驚きたるに、検非違使*の寄りつく程までに発展して、とうとう則光の友人までもが、事の起こった所へと、彼を誘おうと、裾を引っ張って──則光は最後まで抗った──大宮大路へと赴いた。
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