僕がまだ中学校三級生だった頃だ。その日は酷く風の強い日だった。僕はいつも通り、××坂近くにある交差点を跨って、学校へ向かおうとしている最中だった。制服の裾を通り抜ける冬風に苦労していた。つい昨夕までは静穏な冬の街であったというのに、今日に至っては朝っぱらから窓辺の洗濯物が荒ぶるものだから、外套を着込んで万全だった僕は滅法にやられて、淋しい公園の前を通り過ぎた。僕の外套のポケットには漱石先生の「坑夫」が入っていた。一昨日本屋に立ち寄って買った一冊の傑作を、僕はどうかしてしまったのか、常に手で触れていたかった。これは僕の、敬意を表す文豪へ対する感謝の体現だった。自分でも可怪しい癖だなと思っていた。しかし敬意となればこれは如何仕様もなかった。
××坂は程好く混む所だった。黒やベージュの外套を着込んだ人が往来を通っていた。或る男が、皮鞋を軽快に混凝土に打ち付けて僕の後ろを疾走って行ったとき僕の頭の中には漱石先生の「それから」の冒頭が流れ込んできた。ようやく信号の変わるのを観て歩行き出そうと脚を前に出した。そのときだった。僕の眼は宿命のように或る二人の相を捉えたのだ。僕はつい交差点の真ん中で立ち止まりそうになった。
その二人の男は──紛れもない寒山と拾得だったのだ。そう、諸君らの念う、正真正銘の詩僧、文殊普賢の化けとも云われる、まあ周知の、寒山と拾得だったのである。
──芥川先生の云う所は、本統だったのだ!
僕は歓喜した。風の強さ寒さなんて滅切忘れ去ってしまった。僕は交差点を跨った。そうしてその二人の男の行方を逐った。二人は互いに話し合っていた。道往く人は、まるで見えていないかのように特に感ずる所もないのか通り過ぎていた。僕はこの感激を、当時唯一、僕の知る中で小説なぞを書いていたSと評したかった。しかし生憎、Sは生徒会なのか、将又気分なのかで朝早くから学校に行っているらしかった(平生なら僕の家を出る時分に近所の公園の前で友人と待っているのだ)。学校で会ってから話してみようと思ったが、この感激は共に観なくば迚もじゃないが感ずることはできないだろう。僕にはあの箒が物凄く偉そうに見えた。やはり物というのは人に随ってその印象が激変するのだという条理を得た。この凄まじい急流の時代に、ゆっくりと侘びを抱く二人の男を、僕は衝動的に崇め出したのだった。
丁度芥川先生の寒山拾得を読んだ翌日のことだったから、僕にはこれが、何かしらの、宿命を容易に語れるほどの偶然さだった。僕は暫く電柱の傍に立ち止まって二人の後ろを凝視っと見詰めていた。
僕は忘れたようにポケットの中に手を突っ込んで、傑作の所在と紙肌とを手で撫でで慥かめて、正気に戻ったように振り向いて学校へ通ずる名もなき坂を降った。
(令和八年二月二十七日)
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