生贄物語 2

生贄物語(第2話)

尼子猩庵

小説

11,614文字

閉鎖的な土地の因習により、三十歳になったら死なねばならない男の、三十歳の時の話。
   
南無金輪際末毘羅経。南無大正三色大権現。
   
※第125回文學界新人賞(2020)第四次予選落選

最後の蝉がうるさかった。とりわけ例年より元気だというわけでもないけれど、やたら耳につく。夏になるたび必ず訪れる風物、世界のどっしりとした自律神経、今年も来たかと頼もしゅうなくはない。しかし余は今年でおさらばと、我が死後にも続くどっしりに惜別の感慨は、蝉を呼び水には、もひとつ湧かぬ。

蝉といえば幼い時分、取り巻きになる前の友人どもと、交尾中のをつまみ上げて、いたずらごころもなくただ二匹が変に引っ付いておるからむしろ親切心で引き離したら、ぞんがい長い生殖器(?)がぬるぬると出て来てズルリと垂れた。悲鳴を上げて放り投げ、一目散に逃げた。それは殺すよりも恐ろしい気味悪さであった。そういうものが生殖だと観ぜられた。生きるということと遊離して、それは存するような。滅私的の繁栄意志や、快楽的の死欲やというよりも、もっと単純に暴力的な、不必要に醜悪な。生殖は捕食にまさる生物への呪いで、こいつが死と踊り狂うておるのが浮き世の真像、その他余分の生活や人生はすべてゴミなりと虚しゅうなって、空っぽに呆けた気分あたかも蝉の抜け殻のごとし、背中の切れ目をかするくぐもった風音をつらつら聞いておる我が身は殻の内にあるのか外にあるのか、斯様な体感は羽化でないと言えるであろうか、蝉とはつまり余にとってそういう存在であった。

いやな想起のために汚く濡れた気分をお返ししようにも、引き取ってくれる風物もなし。悪いのは余のほうで、四方を山川に囲まれた田舎町に育ちながら、余は自然の風物にずいぶん無関心で来た。これが見納めの最後の四季にも触手の縮こまった感受性は濁った水底で委縮したひだひだがかすかに痺れておるばかり。何かにしんみり感ずる器官は不明なる心理的の防衛作用のエビや小魚につつき散らされてちょぼちょぼになり果てた。

このちょぼちょぼに代わってがんばる器官が感受性を以て任ずる言語思考だ、これが世にいわゆる不感症だ、そんな言語思考に組み立てられた情感が述べて申さく、おのが生命も早晩この風物に混じるのであるからして、風物への不感は不感症にあらず、自他の境界の消滅なり。相撲大会以降、自然の万物に漂う霊気をおのずから認識し、前以てそこへ同化されたのだ、その上もはや余分を感じないまでのことだと宣う。風景自体は風景を眺めぬゆえ、もはや風物たる余は風物に感性の動かぬも道理、下手な感慨はむしろ人為の虚言と、そういう言語踊りを述べ立てる、その強大な説得力は、無数の常套句から成る人工情感の、一億現代人を渡り歩く狡猾さだ、我が現代人の内部からはしかと見あらわすこともかなわぬ大黒幕だ。

まあ一理あるように思わないでもない。どう思い返しても相撲大会以前から無関心であったことを考えたところで、供物は誕生の瞬間より決まっていた宿命でなくもあるまい。一方通行と実感せられるばかりな時間のうちに、あとになって初めてかたちを成すが、鋳型は天孫降臨の時分にとうから安置せられていた、余のような真正の供物は生まれた時から人間でありかつ自然でもあったのであろう。

イキハジが逃げたために十歳の冬には奉祀が見られなんだ。身代わりの祖母に行われた奉祀は密儀めいて、村議会の老人たちしか立ち会わなかった。

二十歳の冬に因幡さんで初めて奉祀を見た。その時にはすでに強制せられていた放蕩のため急速にぼやけ始めていた心が、瀕死といえどもまだかろうじて生きておった感受性が一気に澄んだ。そう記憶している。この記憶にしかし反応を示す感受性は、今やっぱり壊死しておるけれども。

自分は十年後に死ぬと実感してからの日々はむしろたいそう幸福であったと記憶している。壊死しておるにつき往時の胸中を正確になぞり返すこと能わずといえども、余には充分に確かである。夜半が多かったか、しかしいつでもどこでも予告なしに襲い来る錯乱、神経発作、前後不覚、離人、おしなべてそののちふたたび回復した自意識はげに冴え渡っていた。生まれ直していた。嗚呼おれは今初めてようやくきちんと存在したという気がした。この経験を持たぬ人は半身だけが生きているわけだと思った。これを幸福であったというのである。自己紛失と邂逅の日々に、不安・恐怖・懊悩・煩悶のたぐいは魂の輪郭を濃ゆうしてくれる厳しくも優しい慈父的作用であった。

その澄み渡った感受性をふたたび然るべく濁らすまでが骨だった。錯乱の内部においては永遠の苦痛、過去の壊滅、通り過ぎては包括的の大幸福、この反復の最も豪儀に隆盛していた頃、今にして思えば二十二、三くらいであったか、父としばしば滝へ通っていた。夜になってから人目を避けて。本番に取り乱さぬための予行演習であった。

大会以前からコッソリ行われていたことではあった。その時はまったく平気で、珍しく面白く、平生寡黙で不愛想な父と出かけるのも楽しみであった。それがじっさい供物の役を射止め、宿命が受粉してからは、ただ通うだけでなくだんだん予行演習の観を呈し出したが、それも淡々としたものであったし、身の引き締まる誇らしさだけであった。取り巻きどもと日頃忍び込んで遊んでいることを隠している可笑しみもあった。

しかし二十歳にしてようやく奉祀を目の当たり見てからの滝は、いやそれから二、三年の潜伏期間を経てからの滝は、血の幻臭がこびりつき、冥府の悪臭が漂い、轟々たる水音に明らかな人間の悲鳴が混じり、ある日とつぜん滝壺に足を浸けることもままならず、心臓が喉までせり上がり、父に引きずられて行く道すがらに気絶すること一度ならず……。

我ながら情けない、何をしとるか、小学生時分にもできていたことぞ、足を運ぶだけでいいのだ、滝へ向かい、硬くて重い水の柱を頭と肩でぶち割って割り込み、篠突く銃弾の鈍痛に耐えて馬鹿のように立っているだけでいいのだ、あとは自分ですることではない、向こうからやって来る、すべてつつがなく確実に手続きしてくれる、とりわけ供物のそれは一瞬で過ぎ去り、祝福のうちに終わるものだから、しかもまだまだ遠い未来のことなのだから、今は何も考えることはないのだ、足を運んでそこへ立つ行動だけすればよいのだ、これは訓練ですらない、あんな未来はじっさいには来ないと、左様胸中に無限反復し、知らず知らず枝を切って根を枯らすのたくらみ、何ぼか功を奏して、次第々々に慣れては行った。

習慣の法力で以て毎夜通った。勢いがつくと昼間にも行った。父は収穫を控えた畑もほっぽらかして余に付き添うた。完全に惰性になるまで入り浸った。重篤なる中毒になれかしと祈りつつ。やがて滝に立つことは遂に本能の欲望にも肯われたと信ぜられた。

遂に我ら父子は人間に勝利せりと思われた、矢先のこと、とつぜん家から出られなくなる。滝へ向かわなくとも出られなかった。めまいに天地がひっくり返り、星の引力と遠心力は拮抗を失い、肺は密封され、右往左往するうちにまたぞろ気絶、以降癖がついたごとく気絶々々の毎日に時刻もわからず、はて飯は食うたろうか用は足したろうか。

それを父は引きずり出し、卒倒すれば背負って滝まで通った。放り込まれて水中に沈む余は、気絶したまま無意識に息を詰め、溺れることもなくたゆたっていた。抵抗しようにも方法を思いつかぬ。気魄においてはるかに上回る父の手にむんずと掴まれて、振りほどくことなぞ頭によぎりもせぬ。気づけば滝までたどり着き、絶え間ない水の鈍器に殴打せらるるまにまに突っ立っていた。これを延々くり返すうちにふたたび神経は錯乱やら卒倒やらの怪演をぴたりとやめた。この「ふたたび」と「ぴたりと」は悪夢の中において何度もくり返されたが、ある時とうとう、どんな重病人でさえある程度は蘇生し得る最低限の神経まで滅却せられたのだと、左様何ものかが滅却せられつつ宣うて跡を濁さず消えた。

爾来完全にぼんやりし、すべてが平気になった。平気になったと言ってもやっぱり脳髄は不浄の肉であるから時には旧套の残滓を見せたけれども、煩悩の死骸の譫言が垂れ流されているだけだった。固定せられたものの反復こそゆいいつ確かに善なるものであった。余に職業があるとすれば予行演習の反復がそれであった。余に生まれて来た意味があるとすれば予行演習の反復がそれであった。滝の霊気を吸収するためでなく、穢れを浄めるためでなく、ただ行為に慣れるためだけの予行演習であった。慣れればどうなるかといえば、よりいっそう予行演習に励むことができるというためだけの予行演習であった。

ここまで来ればかえっていっそう気を引き締めんけりゃ泳ぎ上手は川で死ぬと、あたかも毎度々々が一回限りの真剣勝負、千丈の堤も蟻の穴より崩るると、一年じゅう間断なく行われたけれども、何といっても神髄は冬であった。

真冬の滝は悪意と敵意に満ちている。圧倒的な無関心に閉ざされている。深夜の水は頭蓋なんぞ最初の殴打で軽く貫通する。肌なんぞ一瞬で消滅し、脊髄は覚束なき電気になる。一切の感覚を失してのち、ぴんぴん響く何かだけ残る。ただおのれに肉体のあることを恨む。おのが魂の存在を異物的に体感する尋常ならざる主観、そちらへの移住、ふだんは自覚できぬたぐいのそれは魂であった。しかし不完全だ。そのいわれや如何。壊れたみたいに震えながら滝に打たれるうちに明らめられて、何が明らめられたかは知らねど、ただただ肉体と地上との癒着が憎い、気を失いたい、何が魂、何が冥府、いっそ魂もろともきれいさっぱり死後それ自体とも刺し違えて道連れに消えたいが、意識はこじ開けられ続ける。あまりに重たい水の殴打に、どれだけ電気が炸裂し、暗闇のはずがピカピカ眩しくとも、倒れてしまいたいそのまま溶けてしまいたいのに足は独立し、絶命から逃走せん逃走せんと力み、意志と乖離して踏ん張り続け、何かにスイッチを押され続けていつまで経っても気絶させてはくれないのであった。

これはさすがにもう大丈夫そうだ、過ぎたるは何とやら、急いては何とやら、またぞろ変にひっくり返ってもナンだしと、予行演習の分量は徐々に控えられ、間隔は広まり、もはや二月三月隔てても平気であると確認すること数回を経て、今年は軽く二度しか行われなんだが、あのがむしゃらに励んでいた日々に死ななかったことがつくづく不思議であった。父が余の精神的凍傷をどのようにあたためたか覚えていないが――それは愛情よりも効果の問題で以て、叱咤一本槍よりも優しくあたためたのには違いないが――それとも父もまた憑かれたごとくであったのか?――それとも一切は村議会の監督のもとに行われていたのか、我が脈拍や血圧は克明に記録されていて?――心臓発作なり肺炎なりでポックリ逝かれておれば今頃、ポックリ逝かれておればなんぞと願わずに済んだものを。

さてもう大丈夫となるとあらためて、余が神聖なる供物であるという厳然たる事実を如何せん。意義を放擲することで達せられるものの上に残るべき最終的の意義の問題を如何せん。たとえば親よりも先に死んだ子は賽の河原で親を供養するために塔を作らんと石を積み続け、もうじき積み終わるというところで鬼がやって来て崩されるのだとか――いやあれは水子の魂であったかしら、そもそも作り話に過ぎぬか、しかし作り話と歴史的事実との境界や如何、人間が作り話を作ったのか、作り話が人間を作ったのかという問題は、人類目下の大癇癪たる理性なぞにはわかるまい。理性的解釈の内部において一切をわかってしまう理性には、もはや永久にわかるまい。

余は鬼をなだめに行くのである。余が相撲を取っているあいだに水子たちは一斉に石を積み終えて、一億成仏するだろう。

産み育ててくれた先祖らよりも水子らをこそ救って何ぼの供物では如何。基本的に親より先に死ぬ我ら供物累代の先達らをこそ救って何ぼの。

嗚呼――……このままでは穢れる。不用意な如何せんがいけなんだ。願わくは生活に必要最低限の言葉のみで片づくものだけを守らせ給え、そして最期には守り続けたそれを没却するによって行わるる行為をこそ為させ給え。そこに至ってようやくの、一回こっきりの、意義も糞もあらばこそで。

こんなに万人がおのおの先入主となり、万民総主人公となり、その事実すらこんなにあいまいで、こうも多元的なのでは、一個の脳髄なんぞは連綿たる大系譜の無窮の茫漠たるに耐え切れず、狂うよりほかに正気の存在し続ける法があろうか、発狂と来れば地獄極楽や流転輪廻を筆頭に、一切死後との断絶と思われるからには死よりも恐ろしいが、三十までには狂いたくても狂えんだろうというのが余の最大の安心であった。世間には十代二十代の発狂もあろうが、それは高貴の上にも高貴を尽くした血統か、突然変異の才能だ。余には血統も天才もないと。

しかしこの数年、よく物なんか落とす。飯を食うていて、とつぜん力が抜け、熱い味噌汁を腿にこぼしても、ヤッとも思わぬ萎み切った脳味噌となり果てた。現実におのが心身がそうなった時の尋常ならざる、それへ衝撃を覚えぬことへの客観的落涙。奉祀は日一日と断乎無慈悲の接近を見せるも、それに対するリアクションは、どうしても来るのならもっと急いでくれろと念ずる淡々とした心だけが強い。その強さも淡い。

――何を如何せんとしていたのか失念した。何かに逃げられ、余も逃げおおせた。

ありがたやありがたや。

 

余は姉の雉子きじこをとうに許していた。家族の誰よりも大事な人に戻っていた。かつての折檻による醜い傷を、何を犠牲にしてでも治してやりたいと願っていた。余の密告を許して欲しかった。

しかしその罪悪感ももう淡いものとなった。雉子が、一昨年に嫁いでから。雉子の旦那は、当人いわく東京と言うが、まあ都市から来たのは確かであろう、なまっちろい垢抜け男で、大きな新聞社か何かに勤めていて、落伍した、記者くずれであるそうな。何があったか知らねど、傷心旅行か、自分探しとやらか、流れ流れて遂に安住の地を見つけたような顔つきであったが、余の見るところ彼は定住する腹にあらず、疲弊した神経の回復を待ちつつギラギラと大なる返り咲きをば目論んでいるように見受けられた。

まったく偶然の漂着か、死臭に惹かるる蠅の行き着いた先に我が郷があったのか、どこからか聞き知ってハッキリ潜入取材に現れたのか、判然とせぬけれども、出現から定住までの円滑さは見事なものであった。記事の穂を刈り再起の薪とくべる意図がないわけはあるまいが、さすが記者であったというほどの人物で、弱からぬ義憤と自己犠牲的精神から雉子の不幸に同情し、感激し、そのまま惚れてしまって、あれよあれよという間に所帯まで持ったのであった。雉子を記事子と成すの目論見を余は見抜きたりといえども、彼は何となく憎めぬ男でもあった。余がもはや真面目なる何ものも持たぬというだけのことでなくもあるまいが。

郷の連中は、それはよそ者を警戒しないでもなかったけれど、とにかく割れ鍋に蓋がついたのだし、夫婦は郷に住むのだし、額のほどはわからぬけれど村議会への二重底、どうぞ何も言わずにお納めくださりませ。それからどこぞでうこっけいなんか買い込んで来て、自力で鶏舎の親戚のようなものを建て、何だかきちんとした身なりをしてはしばしばあちこちに卵を配って歩くすがた浅ましくも天晴れ、村民はだらだらと食い物をもらっているうちにだんだん口に戸も立てられて、いやまったく鮮やかなお手並みであった。

余は雉子の新居へたびたび遊びに行った。旦那はある晩、泥酔の折、風呂に入っている雉子に聞こえぬ声で、我らが奉祀をさして、この忌むべき因習を世論の力で破壊し、君を救おうとしてみたが駄目だった、と言ったことがある。余の反射的の感情は黒々と渦巻き、「救う」とやらへの侮蔑と憤懣に満ちたやかましい反論が一瞬で脳裏を駆けめぐったけれども、要約すれば余計なお世話だと、これに尽きた。けっきょく姉婿につき怒りも抑えて、何も言わず酒の席の戯れ言を聞いた。

宣わく、知人の伝手で以て二、三のイデオロギッシュな心当たりへ持ちかけてみたけれど、一方からは、いかな醜悪なる遺物でもこれ以上日本的なるものを失いたくないという由、他方からは、母国蔑視のスタイルを保つには癌は断乎秘蔵すべしという由。また調べてみるに、ネット上には誰か隣町あたりの若者の発信であろう、かつて何かの掲示板に流出してそれなりの盛り上がりを見せたものの、直接確かめに来る物好きはなく、実在するおぞましき秘境として冗談半分に沸いたに留まった、ひっきょう見ぬは極楽知らぬは仏、こういう一般の許容応力を超えたことは社会問題になり得ないのだ云々と、以上はすべて旦那の酒臭い言葉であって、余は半ば以上空想物語として聞いた。

彼は郷について知人だの心当たりだのに一度も持ちかけなかったのに違いない。独りネタを収集し、慎重に練っておるのに相違ない。それはまだまだ白日の下にさらす段階にあらず、そもそも世論の御判断を乞う企図にもあらず、単なる記事ではなく克明な記録と、著者の芸術的努力と、おそらくは一種世界良心的主張を蔵した一個の大なる文芸作品であろうこと、彼の折々さしはさみおる質問の微細さと底光りのする目の鈍さを思えば推して知るべし。

都会で生まれ育ち、幼少期からろくすっぽ遊びもせず勉強々々で狭き門を突破して、エリートの歯車に嵌まり得たものの、落っこちてしもうた絶望と、逆恨みに裏打ちされたる不道徳と、居直りのやけっぱちを帯びた逃避的なおつむりに我が郷は宝の山なのであろう。

さてネタ集めの意図を隠し、言葉巧みに当事者の意見・胸中など聞き出しおるうちに、いつしかわけのわからぬ議論となった。彼はいかにもインテリらしく、インプットされていない表現を聞くやたちまち意味の通じぬ鳥獣の語を聞くがごとくになり、論客の弁に論理的の破綻を見出すやたちまち論破の無明に取り憑かれ、話を最後まで聞かぬ鳥獣のごとくになった。

向こうから見た余もずいぶん醜怪な蛮人めいた、人語を語る猿であったろう。議論の内容は翌朝には忘れてしまった。けっきょくは真剣さを欠いたゲームだった。アクションを起こす時期にあらざる上はゆるりとリラックスしている気色、故郷も冥界も持たぬ都会人が一種確かな霊力の残りかすを現世に発見し、美貌の名残の留まる顔に醜悪なる傷のついた奇跡の女を所有した事実に酔うておるだけな風情、結論としては無害、害ありと判ずれば村議会の決断は考えるだに恐ろしいが、それをわかっていながらリラックスする千枚張りの面の皮も結論として愛嬌々々。

郷を出て行った多くの連中も、奉祀のことを外部に漏らしはしなかった。そんなことをすれば神社に卒塔婆・位牌をまつられ、永遠に呪われ続けること、郷に残っておる親類縁者も無事では済まぬことを誰しも知悉していた。

地球規模に猛威を振るう正義や善意の干渉の、いまだ直撃して来ていない幸運のほうがもはや尋常ではないのであろうが、雉子の旦那は少なくとも堤を決壊させる穴にはあらず。蛇は大人しく岩陰にとぐろを巻いている。

何にせよ雉子を慰めているのには違いないのである。内部では縛っているにせよ、嬲っているにせよ、解剖しているにせよ、幻影で塗りつぶしているにせよ、ゆいいつの支えになっておるのだからそれでよい。寝るにも足を向けられぬ大明神だ。小さく小さく日干しにして仏壇・神棚に飾りたいほど、もう、何ぼ感謝してもし足りなかった。

 

今日も世間は、我が郷の存在し、つつましく生活していることも知らず、進歩・修正・改竄の三道楽に明け暮れしておるらしい。当たる神罰の無さにつけ入り、自らこさえた破滅に向かって。それを尻目に我が郷は奉仕年なるうろ賑わい、裏方の実態つまびらかには知らねど、着々と準備は進んでおるようである。余は、せめて口先ばかりでも諸行無常の梵我一如のと、しつこく唱うるうちにあたかも眼光紙背に徹して大なる文脈の遂に読まれたる心地、この錯覚逃がしてなるものぞと、凝視し握りしめ、心腑骨髄に固く固く縫いつけて。

そんなある日、余の次の供物の守田が閉鎖的の大活躍であった。

美土里の仕事の終わるのを待ちながらぶらついていた折、森の手前に彼のオートバイが停まっているから、しばらく分け入ってみたら、ひとところ雑木のひらけた夕映え空の薄闇に、何をしているのか立ち尽くしていた。

余に気づくと、平生は嫌悪感あらわに避けるのが、すがりつくような目で、ぶつからんばかりに飛んで来て、雑然と、死にとうない、いや死んだほうがマシや、違う、こんなことなら生まれて来たくなんかなかった――しばらく言い続けていたが、遂におのが真意の言い当てられることはなかったように見受けられた。(じっさいにはただひんひんひん、ひんひんひんとむせび泣いただけの、一言も発されぬことに匿われた百万言の雄弁さ。)

いわく、奉祀をナンセンスと断ずる常識感覚は、現代の嘘平和が証拠隠滅して回ってけつかるやっつけ仕事の功績だ、この郷もすでに嘘平和にのまれ、しかしそのきれいごとが人間の健全なる何かを売りさばいている直感への抵抗に、ナンセンスのまま断行せらるる嘘の上塗り、もう誰も信じもしとらんのに、望まれもしとらんのに、もともと信じも望まれもしてなかったことにすらなりよるのに、よりによってこの俺が、何にも悪いことせなんだのに、何が相撲大会じゃ、俺だけがスカ引いて……ひんひんひん、ひんひんひん。

――ひんひんひんと、元気いっぱい、陳腐に浅薄に、そして健やかに取り乱しておった。余のように精神が委縮・軟化するまで放蕩勤行をして来なかったツケが回っておった。だらしないことよ。吹きこぼれる灰汁の鼻につくことてんかん発作の幻臭のごとし、あたかも余自身の隠匿している恥部を見せつけられて不意討ちの鏡のごとし。

しかし守田の場合、向こう十年も猶予ありと思えば世人に比して必ずしも短いとは言えまい、まだまだゆとりある若造の猿真似慟哭とより思われないが、こういう青二才がさっぱり死んだりするのだからして、まあ割れ物ではある。そう思っていると、いよいよ目に力を籠め、酸い呼気をまき散らしつつ、さらに詰め寄って来た。

かえって能面のような胆据わりづらに、刃物でも隠し持っていて刺されるかもしれぬと思えば、その釈放の予感に、まさに刺し貫かれるような喜びもつかのま、刃物なんかなく、がくりと膝を折り、抱きついて来んばかりになって独り台詞。

宣わく、自分はあの世も、神社にまつられたおもちゃのたぐいも、村民代々の呪いの効力も、相撲が好きな鬼も先祖の人質も信じへん……外部へ訴えかけて助けてもらう計画があるんです。

「――外部に漏れて神社が壊されたら、誰も彼も否応なしに目も覚める、ほんまはとうに覚めとること、認めざるを得んようになる。もとからなかった呪いも、ようやくほんまになくなる。それからあらためて先祖代々供養すればええ。ネットに書き込んだこともあったけど、一個の反応もなかった、それ以上のことはようやらなんだ。むしろいつ反応があるかとびくびくして来た。何かあったら俺のせいでどえらいことになるから……」余を怨めしげに見上げて、「タクジさんにはわからんやろ、俺はずっとびくびくして暮らして来たんじゃ。俺のせいやなしに外部へ漏れてくれなんだら困る。タクジさん、お姉さんの旦那さんに頼んで、外部に知らせる役目を買うてくれるよう働きかけてくれませんか」

急に冷静な守田の弁舌に、じっくり返事を考えるゆとりもあらばこそ、

「そやけどお前、それで助けてもろて、それからどうするんじゃそのあとは」と聞けば、どういう意味ですか。答えに窮して、絞り出すに、よちよちした言の葉がぴよぴよと落ちる。話しながらも何か違うが、言い出したら言い切らねばならぬ対話の鬱陶しさ。「よその人間たち見てみいや。そこに人生の価値なんぞ微塵もないような顔で仕事して、これが虚しいことはわかってますみたいな顔で遊びほうけて、墓なんかいらん言うて、カッコだけの終活やの罰当たりな生前葬やの……塞翁が馬ちゅうことも忘れて、目先の深謀遠慮にすがって……なまなかに煩悩拝んで、堕落も忘恩も軽い自虐で片づけて、雌雄混淆、勝敗等価、賢愚同一、美醜不二、そら昔っから流行り物廃り物の積み重ね、しょせんだらしなく極端々々で来た日本人らしさの一環に過ぎんのやろうが……」

左様ぴよぴよと述べ立つるを遮って、……待ってくれ、そんな問題やないんやと言う。ほんなら何じゃと問うに、

「俺はタクジさんとちごて女にモテへんかったんや。村議会のジジババからも可愛がられんかったんや。供物としてええことが一個もなかったんや。それをわかってくれなんだら……」

口をつぐんだ守田のつらからは、どうも汲まれぬ。今言われたのもあるいは真意にあらず、心の通りに言い表すことのむつかしさに流された、言葉の御者の暴投かもしれないけれど、あるいはそういう時こそ真意かもしれぬ、然らばこやつの苦悶もそんな正体かと呆れるのも早計で、そんな正体こそ全人類の本懐か。切実でなくもあるまい。切実である分、それが殉ずるに値するかどうか云々すべき対象は、こやつの場合、余よりもよほど殺風景なのであろうと察しられた。

道理を説くよりもその場限り効き目のありそうな方便を探し探しして、見つからず、ええいよちよちでも仕様がない、

「そんなもんは虚しい外面的なことや。供物は、それ自体がそこで完結する、どでかい生きる意味や」

ぴよぴよと宣えば、

「タクジさん嘘や。そらあんたはもうこの世に飽きるまで遊び尽くしたわ。ェえ? どないしたら三十でそんなに老けられるんや。もう半分死んどるやないか。薬漬けの廃人やないか。誰に相撲で勝てるんですか。供物それ自体が生きる意味や? どの口がほざくんじゃ。俺そんな嘘こいて死んで行くのん、そんなもんが俺の未来やなんか我慢できん」

と睨む目の、底の光の嘘くささ、懊悩の陰翳の底浅さ、虎を描きていぬに類すとはこれなり、一連の出来事すべてを不出来な猿芝居に変ぜしむるものが横切る。我が郷の近代化はじっさいにはいつから始まっていたのであろうか。がんらい供物はもっと自己を没却した存在であったろうものを。今より不便で寒くて退屈でひもじかったからというだけでは足りぬ、あるいはさらに能動的におのが心頭を滅却せんがための何らかシッカリした、未開の蛮族における儀式みたようなものの恩沢に浴して。それが今や物にあふれ、娯楽にあふれ、便利に包囲され、厳しいものやあいまいなものがだんだんだんだん切り捨てられて、それでどうなった。いったい我々はどうなった?……

ため息して、

「お前はまだ十年あるやないか。がんばれや」

と激励するに、いっそう大仰にくずおれて、

「忘れもせん、因幡さんの潰れるところ。あれ、しばらく生きとったやろ。引き上げに行った村議会のジジババがこっそり刺し殺したんやろ……タクジさんもそうなんのんやで」

「知っとうよ」

「いいやそれは知っとう言わへん。ぼんやりしとうからズルい。そのまんま死んでみせてもなァ、俺はタクジさんがちゃんと供物やり切ったとは思わへんからな。俺のように直視して、苦しんだんやないんやからな。あんたはまだ正気の頃に奉祀見んかったんや。俺は見た。イキハジに感謝せえ。あんたはズルい。ただの現実逃避の不感症やないか。これであんたのほうが供物として正しい言うんやったら、もうどうでもええ……誰も彼もくそじゃ…………」

そう言い捨てると、余を汚らわしそうに一瞥し、帰って行った。その後ろすがたを見ていて、余はなるほどなかなかに無感動であった。――しかしギリギリ違う。鬼が人質に取っておる先祖代々の霊魂なんぞは、しょせん我々の心の中にしかおらぬ、すなわち我々が死ねば確かに解放される先祖たちである。この安心を手放すつもりは毛頭ない。

どのみち守田だって遠からず、未成年保護の時流のこととて彼には初動の遅かった村議会も本腰入れて寵愛し、三年ばかりも酒漬けにされ、女風呂に蒸し込められれば、心神耗弱状態の中、毎晩寝るに臨んでおのが末路に身もだえしては毎朝起きるに際して少しずつ少しずつ鈍化せしめられ、感受性の「か」の字も失せるであろう。

失せるさだめの「か」の字の供養、ここに題目三唱して進ぜるから押し頂いて受け取れ。吟味・解得甚だ至らざる棒暗記なれど、だからと功徳の抜けざるが陀羅尼だらにのたぐい。なまじ知に勤しむ者は泥沼にはまり、ただ信を保つ者ははちす葉に座る、知による八百路やおじの荒道を信は知らずにまたぐ、知らざるがゆえに信なり、心強きかな、ありがたきかな!

 

 

 

2025年5月9日公開

作品集『生贄物語』第2話 (全9話)

© 2025 尼子猩庵

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