――目を覚ますと、たいへん気だるい。なにも回復していないように思う。とても起き上がれない。薄明るい。夜が明けている。窓の外から人々の出かけて行く音がする。壁や天井や床の向こうから、人々の生活する気配がする。
わたしも出かけなければいけない。仕事を探しに行かなければいけない。お母さんがこの世に残してくれた南向き五階3LDKの部屋を、いつまでも仮死にしていてはいけない。復活させなければいけない。停止している心肺を(電気ガス水道を)、蘇生させなければいけない。
やっぱり、体力は回復している。しばらく動けそうだと思う。ふたたび力を使い果たすまで、しなければならないことをしよう。重要なことから順番に、まず公共料金の支払いを済ませに行って、まだ力が残っていたら、仕事を探しに行こう。
けれども今は、日記を書かなければならない。書きかけの日記は、外科手術の途中のようなので。切開したままで放っておくのは、たいへんよくないので。
書き終わると、たいへんくたびれて、横になる。目を閉じる。けれども眠るには体力が足りない。しかも、眠るためには、もっとくたびれなければいけない。日記を書くのに使うのとは違うところを疲れさせなければいけない。掃除をしようか。外出するのは、もう不可能で、もう仕様がない。本当に重要なことは、水道代を支払いに行くことだし、仕事を探しに行くことだけれど、もうできない。
仮に日記で疲れなかったとしても、出かけられるはずはなかったと知っている。外でなにか用事を済ませられるようになるためには、わたしはもっと眠らなければいけないし、もっとごはんを食べなければいけない。もうすぐお兄ちゃんがやってきて、食べている分を確かめて、わたしは怒られる。また日記を書いていたのを見られて、怒られる。それから水道が止まっていることにびっくり仰天して、問い詰めてくる。その分のお金をちゃんと取ってあるのを見ると、安心して、代わりに支払いに行ってくれる。そうして帰ってくると、わたしはあらためて心配される。
(数十ページ読み飛ばし。)
久しぶりに出た水を、しばらく出しっぱなしにした。天国に行くように、トイレに行った。騒がしいお兄ちゃんが帰った後はしばらくの間、神経がたかぶって、色々な用事がはかどる。後になって反動がきて、しばらく混沌とするのが恐ろしいけれど、今はたいへん強気になっているので、ばりばり家事をやっつけて行く。
こういう時には日記を書きたくないけれど、たいへん大胆になっているから、ひと段落した途端に鉛筆を取って、コツコツ音を立てて盛んに書く。十行書くのに半日もかかる時もあるのに、こういう時は数分間でできることもある。こういう時はしばしば、ちょっと変な文章になることもある。
次の一行を書き始めないようにして、仕事探しする体力を待ちのぞんでいる間に、日記がずるずると出てくるので、(それはたいへん無防備な、柔らかい姿なので、)優しく受け止めたり、そっと寝かせたりを、全てが終わるまでし続けなければいけない。
文章の書き方が正しいのかどうかはわからない。たいへん心もとない。間違えているかもしれないまま、続けるしかない。教えてくれる人はいないし、ずるずる出てくるものを、そのへんに捨てることもできないので。引っぱり上げて洗って干しておかないと、たたんで仕舞っておかないと、引っかかったままいつまでも大きくなったり、わたしと繋がったまま腐ったりする気がするので。
(数ページ読み飛ばし。……読み飛ばされるのは単調な身辺雑記のほか、詩や哲学のようなものが多くを占めているらしいが、それを飛ばすのは川之三途と鬼埼墓園の玄人判断であると信ずる。これが何か嫉妬等による隠蔽であるほど二人は悲しくないと信ずる。)
親愛なる日記さま。お兄ちゃんの持ってきてくれるごはんは脂っこくて、塩からいものが多い。お兄ちゃんはリクエストを聞かない。こういうものを食べていると、喉がかわくし、気持ちがざわざわするし、体が臭くなる。反面、夢は豪快に、楽しくなる。けれども、楽しい夢は寂しい。
お兄ちゃんを安心させて、お互いに解放されるために、動き出さなくてはいけない。就職したり結婚したりしなくてはいけない。お兄ちゃんの赤ちゃんが大きくなっても、堂々と会える人になりたい。体力をつけなければいけない。日記を書くのをやめなければいけない。
(数冊読み飛ばし。夜になってライトをつけていたが、外から誰かに覗かれないか心配だった。しかし自分からは何を始めることもできない我々は、やめることもできなかった。)
まっとうな人間に戻るために、回復しなければいけないから、日記なんか書いて、将来に対して、なににもならないのに、甚だしく疲れることを、やめなければいけない。
疲れるのはよくない。友だちの結婚式にも行きたかったし、同窓会にも行きたかったはずだったのに、気持ちのほうでも、行けなかったことについて、行きたいわけでもなかったことにされるのは、改ざんされるのは、ものすごくうんざりするので。
(数冊読み飛ばし。川之三途と鬼埼墓園が、土橋さんの人生を塗りつぶした文章を、物凄い勢いで読み捨てて行っているあいだ、待機している私たちは指でゲームをしていた。検閲中の女流作家二人を見て、半田が「飛ばし読みならぬ、土橋読みやな」と言っていた。)
日記が汚れた。お兄ちゃんに、勝手に読まれて、評論されたのだった。愛娘が処女じゃなくなった母親が、こんなにつらいとは思いもしなかった。わたしがお母さんには味わわせなかった苦痛だ。それともお母さんは、自分は処女じゃないから、つらくなかったろうか……ほら、見事にこんなことだ。たいへんけちがついてしまった。
けれども、そのまま書き続けるしかない。途中まで書いてしまった分は、早く仕上げないと気がかりで眠られないので。頭の中で書き始められてしまったものは、もう書き上げずにおくことはできない。うまく書き表すことはできなくても。なにはなくとも。なにをさしおいても。
(数冊読み飛ばし。)
月々の腹痛が、偶然、すごく訪ねてきていたせいで、感謝の気持ちがお留守になってしまったのだった。もうすぐ選挙があるので、(どういう選挙なのかは知らない。)お兄ちゃんは政治の話をしたのだった。お兄ちゃんは、政治のことをよくしゃべって、永遠の生徒としての、(熱心に聞くけれど決して吸収することはない生徒としての、)わたしが、感心してふむふむ聞いているのが好きなのだった。それを今日のわたしは、馬鹿な口答えをしてしまったので、先生は怒って、せっかくいい気持ちだったのが台無しになって、話もしどろもどろになってしまった。もともと、反論に答えられるような、賢い頭脳ではなかったのは、知っていたのに。
たいへん毒舌になってしまったお兄ちゃんの言うのには、わたしは、みんなで努力していいものにしなければならない世界を悪いものにする、無自覚で害悪な女なのだった。わたしは、にっぽんに、平らな道路があって、きれいな水が飲めて、静かな公園があって、餓死が少なくて、あとはすぐにはちょっともう思いつかないけど、そうしたことをしてくれている限り、誰が偉くても構わないし、偉い人たちが、ちょっとぐらいズルしてもいいと言ったのだった。これは私自身、なにか違うと思う。これでは、「こんな人にはなりたくなかったな」だ。でも、子どものころの、嫌々やった作文のように、言いながら次々と思いついたことだったので、つまりわたしの意見ではないのだった。どこかで聞いたようなことが出てきたのだった。
じっくり考えれば、わたしの意見としては、自分のこともちゃんとできない人間が、投票してる場合じゃないということだ。でもこれは言えない。本当の意見だから。
ともかく投票には行くから、ついてきてくれるかと聞いたら、お兄ちゃんは急に落ち着いて、無理して行かなくてもいいと言って、帰って行った。
(数ページ読み飛ばし。)
同僚とランチを食べたり、友だちと遊びに行ったりしたい。従妹と買い物に行ったり、恋人と出かけたり、送ってもらって、上がってもらったり。子犬を飼って、ベランダに植木鉢を置く。結婚して、引っ越しする。母になって、祖母になって、曾祖母になる。これからも生き続ける人たちに見守られながら、最後に眠る。そうするために、今のところは、疲れないようにして、体力と気力を復活させなければいけない。日記を書いてはいけない。無意味な掃除もやめなければいけない。いつまでもいつまでも歯を磨いたり体を洗ったりすることをやめなければいけない。
(数冊読み飛ばし。)
目を覚ますと、非常に体が重い。水を飲んでも治らない。頭の中がすごくうるさい。外に出ると治るけれど、空に落ちそうな気がするので、外はたいへんこわい。実際空に落ちた後のことを考えたら、本当はそれほどこわがらなくてもよいのに。(病気が治っても不死身になるわけではない。)空に落ちたら、どこまでも興奮して、どこまでも清々するだろう。血がたぎって、そしてどこまでも、感謝々々の気持ちだろう。
(数冊読み飛ばし。)
お兄ちゃんが奇妙に昔の話ばかりした。わたしをなにか触発しようとしているのではないようだった。奇妙に明るく、楽しくて無責任だったころのことを話した。
わたしたち兄妹は、あの呪われた住宅街に引っ越すまで、少々時代遅れなような下町で大きくなった。人並みに、冒険もたくさんあった。一緒に通わされていた習字教室をサボって土手に座っていて、ヘビにすねを噛まれたり。商店街で買い食いしたり。独り暮らしの老人に配られる生存確認のヤクルトを、知り合いのお年寄りから学校帰りにもらったり。
お兄ちゃんの友だちには面白い人が多かったし、震災の時は、箪笥が倒れて閉じこめられたのをお兄ちゃんが引っ張り出してくれた。避難所になった小学校に、いろんな人たちが寝泊まりしていた。雌犬を飼っている子がいた。撫でるとお腹を見せた。乳首がいっぱいついていた。こうして思い返すのは楽しいことだ。
けれどもお兄ちゃんが帰ってしまうと、昔のことは、全て悲しかった。最後には今のわたしに繋がる話だから。溌剌と冒険して、どうしようもなく考え、感じていた男勝りな女の子が、ひどく可哀相だった。
いつかは、もう一度たくましくなって、復活するだろう。おんなじものを見ていても、この世が美しくなったり、意義深いものになったりして、脱出しているだろう。疲れが原因だから、(今はそう考える他に、解決の糸口はないので。)ゆっくり休まなければいけない。回復しなければいけない。日記を書いてはいけない。こういうことは、元気になってからしなければいけない。風前のともしびのようなままで書いていてはいけない。ちょっと迂回したら世界中に行けたのに、直進して崖から落ちてしまう。これでは、日記も悪くなる。母体が健康じゃないと、文章に悪いに違いない。たいへんひどいことをしているのかもしれない。ひたひたと押し寄せ、日記の上にぞろぞろ出てくる世界は、出口を間違え続けているのかもしれない。
(数冊読み飛ばし。思えば日付は読み上げられない。書かれていないのだろうか。こんなに気にかかっても、私は確かめもせぬ。)
お兄ちゃんは、たいへん投げやりなウィットで、「お前は生存アレルギーなんや」と言って、わたしをあきらめた。「とにかく、前に精神科でもらった診断書持って、区役所の、福祉課の窓口行って、生活保護受ければお前も人間や」と言った。そうして、もうこないみたいに帰って行った。
お兄ちゃんはわたしの、特に小さなころの体験の中によく登場する人で、思えば泣かされたり、悲しまされたことのほうが断然多い人で、賢く、友だちが少なく、社会人で、奥さんがいて、赤ちゃんがいる人だった。お母さんのことをほんとに覚えているのは、今では世界中に、わたしとお兄ちゃんだけしかいない、そういう人だった。
(数行読み飛ばし。)
思えばほんの数日で、非常に痩せた。区役所に行けていなかった。ふと心配になったから、仕事や家庭のことを尋ねてみたら、たいへん怒った。お茶を飲まずに帰って行った。
(数冊読み飛ばし。夜が明けた。ぐんと寒くなって、みんなで毛布をかぶった。体があちこち痛かったが、伸ばしもほぐしもしなかった。このまま石になれたら御の字だった。)
ポストに投函されてあったお金を持って、スーパーへ食料を買いに行く。じろじろ見られることもない。まともな人間のような気持ちがする。本当はなにも問題がないような気持ちがする。どこか変な人がたくさんいるけれど、わたしは普通で、それにとどまらず、なんだか普通以上に扱われているようだ。自分の髪を切る手が器用でよかった。ブスじゃなくてよかった。
ベランダの窓からは常に太陽光か、街灯の明かりが射している。その明かりで日記を書く。書いているのは実際には少なくて、ほとんどの時間はノートをただにらんでいる。頭の中に書いては消し、消したものを思い出しては謝る。書きながら考えるほうが楽だけれど、これをやると大事なものを通り過ぎ過ぎる。乗り過ごし過ぎる。少しずつ変わって行き、熟成したら捕まえて針に指し、標本のように日記へ閉じこめる。嘘だ。実際は書きながら考えている。違う。ほんとはそんなにすごいことはできていないかもしれないけれど、もっとすごいことができているのかもしれない。
丹念に体を洗う。掃除する。確かめにくる人がいないので、思う存分、小食にふける。もういつ出なくなってもおかしくない水を、大切に使う。
(数冊読み飛ばし。男三人は合間々々で眠ったけれど、川之三途と鬼埼墓園は黙読し続けていた。我々が起きると、先に進んでいた分を朗読する。二人が仮眠をとるあいだ、男たちは買い出しに行く。場所を移動して二度目の朝。何としてもこの日記を長引かせるのが我々の重要な処世術であった。けれどもこの日記は、悠長に読むには体に悪過ぎた。)
区役所に行かなければいけない。ついてきてくれる人はいないし、なにも知らないけれど、職員の人が教えてくれるだろう。詳しく話せば、助けてくれるだろう。お母さんがたいへん働いていたから、少しくらいはなにか権利があるだろう。お母さんが働き過ぎたために、なにかの権利がなくなったとお兄ちゃんが言っていたことは、なんのことだったかしら。これからのことに、関係がなければいいけれど。わたしを助ける義務が、誰にもないとしたら、行くだけ無駄だが、なにも援助してくれなかったとしても、これからわたしはどうすればよいのか、ちゃんとした人たちだから、常識人として、提案してくれるだろう。
けれども、いくつかの日記を頭の中で一斉に書き始めて、全てが中途になっているのだった。わざとそうしたのだけれど、どうしてそんなことをしたのか、説明はできない。これを完成させてからでないと出かけられない。分娩せずに死んでしまった日記を頭の中に持っていると、気が狂ってしまうに違いないので。
どうしても我慢できなくなって、公園のトイレに行こうと、昼日中にそっと外へ出たちょうどその時、わたしの考えを聞いていて意地悪をしたように、お隣の山城さんが顔を出して、出くわしてしまった。
管理組合の理事長もしていた山城さんは、わたしを、少し人生を休憩している出不精さんだというくらいにしか、思っていない。そう願う。全ての武装を脱ぎ捨てて、質入れにして、質流れになってしまっている人だとは、思っていないことを願う。電気や水道が止まっていることに気づいていないことを願う。なにかメーターが表についているけれど、そういうものを調べて、事件にしたりしない人であることを願う。
お兄ちゃんの家に駆けこんで、お風呂を借りて、洗濯機を借りて、ごはんを食べさせてもらって、お金をもらって、帰った。(目も回らないし、胸がドキドキしているけれど、もう外出困難ではないのかしら。)この優しい家族から独立するためには、つまり、働くにせよ、区役所に行くにせよ、独立するためにはもっと莫大の体力がいる。どうすればよいのか、元気になったらすぐにわかるだろう。弱って疲れたままいくら考えても、いつまでたっても無駄で、どこまでも消耗するだけだろう。
日記を延々と書いたり、つまり、ただの趣味になにもかもをつぎこむ、いい御身分の生活を抜け出さなくてはならない。すぐにできるような気がする。お兄ちゃんたちがああして立派に暮らしているのは、その状態に達して、維持するためには、実はなにもコツがいらなくて、なにからも抜け出していなくて、なにも騙し続けていなくて、なにを賭けた結果でもなくて、たまたま生き残っているパターンなのでもなくて、ただ「誰でもそうやったらそうなる」のだという気がする。
それは先の見えない、永遠に循環し、消費し続ける生活なのではなくて、もっと自然な、当たり前なことなのだという気がする。わたしにもできるような気がする。明日からできる。できないはずなんてない。できない人なんていない。
兄の家に駆けこむのは、二度目になると信じられないくらい楽なことだった。この様子だと、これからどんどん楽になって行くだろう。それは兄のほうでも言えることだろう。
水道代は、水道局の人が受け取りにきてくれたので支払えたけれど、電気もガスもつかないままでいることは、怒られるので内緒だった。その分として前にもらったお金を、きちんと取ってあるけれど、まだ振り込みに行けないので、(買い物はできるが、振り込みはまだできない。ここには分厚い壁があるのだった。)夜など真っ暗で、近ごろはずいぶん寒いということは内緒だった。
家に帰って寝ころがると、知らない間に眠った。まばたきしたら、二時間近くたっていた。そのまま起きなかった。ずっと息を吐き続けたり、力を抜き続けたり、気力のどうこうによって人間が、溶けたり蒸発したりすることはあるのかと、頭を使わずに考えたり、そういう、このような時に行ういつもの行為はいつの間にか、もうできなくなっていた。それでいて頭は、以前にもまして勝手に色々と考えるらしかった。
小さなころの恋人が訪ねてきて、助けてくれるかもしれないし、友だちが颯爽と救い出しにきてくれるかもしれなかった。友だちはわたしをどこか静かな場所に連れて行って、叱ったり慰めたりして、優しい心の気がすむと、わたしでもできる仕事を見つけてきてくれて、面接にもついてきてくれて、それからも、忙しい生活の中から暇を作り出しては、わたしをあちこちへ連れ出してくれて、そのうちになにもかもが元通りになるかもしれなかった。
兄にこれまでのお金も返すし、(記録しておかなかったけれど、だいたいのところはわかるし。……いや、ずいぶん桁が違っているかもしれない。わからない。)今の日々がなかったかのように、いいや今の日々は、それからのわたしを却ってたいへん打たれ強く、考え深くして、そうして日記はその時、静かにどこかで眠っているだろう。しばらく、何十年かの間、わたしに顧みられる日がくるのを、待ち続けているだろう。顧みるのはわたしではなく、もっと若い人だろう。わたしにどこか似ていて、きらきらした目をしていて、そうしてわたしのような事態にはおちいらない、強い精神を持った、溌剌としたその子は、ある日ふと偶然に、亡くなったお祖母ちゃんが若いころに書いた日記を見つけるだろう。座りこんで読みふけるだろう。
親愛なる日記さま。ひどい腰痛がいつまでも治らない。喉がかわいて、手がかさかさになっている。水道は出るけれど、立ち上がれない。従妹が小さなころにくれた貝殻の、無造作に飾ってあるのを、いつまでも眺めていられる。山城さんがくれたごはんが、死んだ冷蔵庫の中に入っている。
ある日突然公園に、ランドセルを背負ったままベンチに座っている不登校児童や、なにか深刻な問題のある女子高生が現れて、わたしとはいつも顔を合わせることになるから、知らぬ間に仲良しになって、やがてうちに遊びにくるようになる。他にも、おじいさんとか、男子中学生とかもくる。みんな世間の本流からはぐれてしまって、困ってしまった人たちだ。そんな人たちが、うちに避難してくる。いつか誰かが、回復して、健康な世界に復帰する時には、もうここには戻らないがよろしい。けれども、いつ戻ってきても、わたしたちはここにいる。
しかし目下のところ、わたしがひんぱんに公園へ行くためには、水道が止まらなければいけない。けれども今度止まるころには、わたしはきっと回復していて、つまり、止まるようなことはないだろう。それによって、うちに逃げこむはずだった人たちは、ゆいいつの避難場所を失うだろう。世間から身を隠せる場所を失い、同類の仲間を失い、それぞれが蘇生した後に、いつでも帰られる故郷と、静かな思い出を失うだろう。それによって、蘇生のチャンスも失うだろう。わたしも、こうした人たちが、こうしたものを失った状態の一つだろう。
時がたたない。もうたち終わったかのように、わたしをあきらめたかのように、全然たたない。そうかと思うと、ごっそりたっている。何かやろうと思ったら、もう終わっている。途中の記憶はある。何日も何日もそうだったことに気がつく。山城さんが心配そうに突然、最近どうしているのと聞くから、これまでのことを言ったら、わたしにぺたりとなにかの、レッテルを貼って行った。もう会いたくなさそうだった。管理人さんがその後ろにいたような気がする。しかしなんの権利がある。ないのだった。その証拠に、あらためて訪ねてはこなかった。
少しの間日記を書かないと、家はどこまでも清潔になる。清潔さはあるところで行き詰まって、わたしを締め出す。また呼びつけることなどないかのように。卑怯で冷酷である。
わたしの生活は鋭くとがった生活だ。火によって凍りついた空気の中でだけ、のびやかに泳ぎ回る生活だ。わたしの生活は凝視だ、静聴だ。目も耳も悪くするほどの。
わたしの生活は一つの発言だ。働いている人たちを遠回しに支えている、一番汚い支柱だ。わたしは社会のしりぬぐいだ。繁忙だ。わたしの生活は夜の虹だ。
お金がまた無くなる。もうじきお兄ちゃんもまた優しく戻って、わたしについて、長い目で考えよう、いつか蘇生したらもう、それから先のお前は、今のお前とは関係がないんやから。と言ってくれるだろう。日記も好きにすればええ。きっと全ては、一番いい形であらわれてるんやから。と言ってくれて、わたしはたいへん救われるだろう。
突然お金を持ってきてくれた兄の奥さんは、なにか他の用事もするつもりだったらしいけれど、うちは兄の家よりも清潔だし、お呼びじゃないのだった。兄の奥さんは優しかった。でも少しお馬鹿さんだった。兄は、自分が死ねば、妹はいくらかしっかりするやろうと言っていたそうな。そういうことをわたしに言うお馬鹿さんだ。わたしだって、兄のような人と結婚する機会があれば、この人のようにくらいは、なれていた。
忘れたいことだらけだし、忘れて欲しいことだらけだ。もう償いようのないことだらけだ。逃げ出すことはできるに違いない。なにもかもから逃げるとなると、たいへんなエネルギーがいるから、今は誰にも内緒で回復を待とう。回復しても、すぐには復活せずに、そのまま貯蓄して行って、そうしてある日、脱出しよう。どこまでもどこまでも、なにもかもから脱出できるに違いない。町からも人からも、過去からも、こんなひどいことをする体や、心や、わたしからも脱出しよう。それはすごく嬉しい。消えるのが一番嬉しい。まだなかなかできないから嬉しい。すぐには不可能だからすごくつらいから嬉しい。漠然と、ものすごく名残惜しくてもったいないから嬉しい。すごく恐いから、すごく悲しくて寂しいから嬉しい。
洗いようがなくなるまで体を洗う。猛暑の季節が過ぎて、突然寒いので、風邪をひかないようにしなければいけない。そのまま死ねたらいいけれど、前は、もっと弱っただけだった。根本的な平均値が弱った。前の時に、すぐに病院に行って、安静にしていれば、今ごろ、健康に常識的に生きているに違いなかった。
いつだったか確かには思い出せないけれど、お兄ちゃんに手伝ってもらって、色々捨ててよかった。家に本が一冊もなくてよかった。生き物を飼っていなくてよかった。テレビを壊してよかった。思い出が楽しくなくてよかった。
山城さんはたいへん優しい。彼女は気高い生き甲斐を見つけた。彼女の生き甲斐を応援するためには、わたしはこのままいつまでも腐っていて、なおかつ彼女のおかげで蘇生し続けていなければいけない。今は自然とできているから、考えないほうがいいと思う。
電気もガスも水道も、ずっと通っている。もうずいぶん顔を見ていないけれど、お兄ちゃんが払っているらしい。お兄ちゃんの赤ちゃんが、体験した出来事を、大人になっても覚えているくらいの頭脳になる前に、どのような形にせよ、わたしは消滅していなければならない。いなくなっているのでもいいし、まっとうになっているのでもいい。まっとうで、優しくて、秘密の日記を持っている叔母さんになっているのが一番いい。うちからは海が近いから、毎年夏になると遊びにくる避暑地になる。女同士、一緒に泳ぎに行く。わたしくらいスリムな叔母さんは嬉しいだろう。年ごろになると、仲良しになって、あちこち連れ回される。親の悪口を言うと、わたしはたしなめる。一緒になって悪く言って、味方になるようなことはしない。
電気もガスも水道も、兄がこっそり払っていたのではなかったことがわかった。誰も払っていなかった。山城さんは、使命感においてはたいそう、短距離選手だった。兄の家へ助けてもらいに行くことは、お互いにまたそれが平気になる時がくるだろう。最後に見た兄は猛烈な勢いで怒っていたので、なおさら近い将来のことだろう。前の兄ではないけれど、戻るだろう。前の兄は、のっぴきならなくなった共益費の滞納を相談したら、「母さんが命縮めて買うたマンションを、そんなもんで追い出されてたまるかいや」と言って、任せとけと言って、出て行ったのが最後だった。その後ろ姿が、小さなころ、執拗に追いかけてくる身障者のおじさんを追い払ってくれた時と、少し似ていたのが、泣きたいくらい可哀相だった。
最低限の食料を買うお金は、どうしようもなくなるころにポストに入っている。公園の水は無尽蔵に出る。人前に出るわたしは、別にとりわけ人目を引かない。帰宅したわたしは、非常に疲れている。全ての自覚症状には、完全に慣れっこになった。すごく危なっかしい自覚症状も、他人ごとにできるようになった。このまま維持することができたら、わたしは死ぬのがたいへん上手だと思う。つまるところ、わたしは、日常的に死ぬ準備をするだけの人生を送る人種なのだろう。そういう人種が、いつの時代も、いくらかはいるのだろう。たぶんいなければならないのだろう。
上の階の子どもの走り回る響きがうるさくって嫌だったけれど、姪っ子が育ってきてから気にならない。子どもはうるさいものなので。こういう感情が世界中に広まれば、こんなわたしの元にも、大いなるお節介がやって来ることになるのだろうか。嫌だ嫌だ。
ある日を境に、まっとうになったら(そういうことはあるだろう。不思議にぱっと治るのである)、わたしはお世話になった人たちにお礼を言って、それから、優しい人たちの温もりをふり切って、どこかへ行こう。断固としてわたしを出口にし続ける日記は、わたしをなにがなんでも回復させないが、実のところわたしはもう、これにすごく期待している。とてもとてもわからない報酬があることを期待している。
それは例えば、なにかが思い出せない時の気持ち悪い感覚と、それをようやく思い出した後の、すっきりしたというよりも、思い出した事柄へ無関心になる様子、このことが、死ぬこともそうだったらいいのにと思う、そういうふうな、とてもとてもわからない、どこまでも嬉しい秘密が、わたしの全ての骨折りには秘められていて、非常に健康に、すくすくと息づいていることを期待している。
しばらくなにがなにやらわからなくなっていたことに気づき、わたしが戻ってきて、そのまま胸や頭があまりに苦しい夜中に、最後の覚悟が決まった。せりふも生まれた。「それじゃあね。そんなに悪くなかったよ。」そうして、美しい気分でさよならして、(そうして結局、ただの眠りに落ちて、)目が覚めると、とても静かだ。
もう落ちようのない底は、重力がたいそう軽くて、空気が薄い。底は、まだこれからも、いくらでも下がってゆく。がんばらなくてはならない。もう一度、よみがえらなくてはならない。力強く泳いでゆくために、休まなくてはならない。わたしを出口にする、優し過ぎる世界から、許してもらわなくてはならない。「もういいよ。じゅうぶん助けてもらったよ。」せりふには、日記へ届いてもらわなくてはならない。「もういいよ。わたしをじゃなくてつらいけど、じゅうぶん慰めてあげたよ。きっとそうだよ。」どうやって送ればいいのかしら? わたしに書かせる元々に? 日記は結果なのだ。現世なのだ。日記に現れる前の世界にどうやって書く? 日記に書いても駄目だし、熱心に読んでも駄目だし、書いて消すのだろうか、思い浮かべて忘れるのだろうか?「もうよそう。わたしのためにも、もっと他に慰められるはずだった、誰かさみしい子のためにも。優しいうちにやめようよ。」
水道代は、未納として溜まっている金額を、全て支払わなければいけないということで、このたび投函されていた食費を回しても、足りないのだった。きっと誰かが忍びこんで、ひそかに出しっぱなしにしていたか、水道管が漏れているに違いなかったけれど、この事件と戦う気力はない。
この部屋を売るべきだと、区役所の人が言った。このような立派なマンションに住みながら、助けてもらうことはできません。兄の言っていたのと違う。いや、いったん転居届を出さなければいけないのだったかしら。兄はあの時たくさんしゃべっていたけれど、わたしのおつむにはわからなかった。差し押さえする給与も預金もなくて、生活が実質困窮者だから、なんとかって言っていたと思ったけれど。
ともかく、やり方を間違えたのだろう。兄は怒るだろう。わたしにはわからないことを言って。ともかく、それでわたしは、日記がはかどらないのだった。
ラストだけは決まっているものの。このラストはいつできたのだったか、覚えていない。
それにまた変わるだろう。解放されても、いつかまた書き始めるだろう。
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