煉瓦の壁がどんどんせり上がっていた。ネット検索の知識だけで嘘のような窓まで嵌まっていた。低過ぎて用途が不明だったけれども。私はひそかに『野のユリ』(1963)の教会を造るシーンを思い浮かべて胸中に〽エーェェメン……エーェェメン……と歌い、独り恍惚としているのであるが、誰しも負けず劣らずの夢見心地らしかった。
ずいぶん高くなり、続けるにはそろそろポールだの板だのロープだの、足場になる新しい道具を手に入れなければならなくなった頃のこと、庄原が玲衣子さんを殴った。
我々はそれを知らなかった。玲衣子さんはいつの間にか帰ったのであって、帰ることを誰にも告げなかったのだが、そんなことは別にありそうなことだった。
あとで知った貴崎さんが青くなって詰め寄って、聞き出してわかったのだった。庄原はさらりと言ったのだった。
いわく、この頃は茂みには断乎行かなかったが、ふいに近くへ寄って来て、車のロックをし忘れたからついて来てと言われ、引っ張って行かれた。迫られるのかと思ったが、そうではなく、非常に真剣な口調で以て、
「君だけは抜け出さないとあかんよ。このままやと腐ってしまう。君はまだ抜け出せる」
そう言われて、平手とはいえ、殴ったのだった。
「何か、カッとしたもんはなかった。考えてから殴った。ちゃんと覚えとう。でも、何でかはわからん。ただ、カッとはしてへんかった」
そんなことを話している庄原はぼんやりしているというのでもない、ただ感情がなかった。いつもたいがいないけれど、ここまでないのなら本当に死んでいるのかもしれなかった。
半田がつらそうだった。
私も庄原がそんな、狭い箱庭の中の火柱であることに幻滅した。みんな広い世間の片隅の、蚊取り線香のような赤い点でおったのに。さまざまなアルバイトに行っていたあいだにも、庄原は友だちができたことはないと言っていた。我々は、バイトのほうは続きやしないけれど、先々で友だちはできるのに。何もかも、断じて許されないほど強烈なものではなかったから、見逃されているものであったのに。
しかし幻滅もすぐに去った。こんなものが我々だ。優しいのでも悲しいのでもない。転んだ分だけ弱くなり、悩んだ分だけ浅くなって来たのだ。
あいまいなものはすべて醜く、確乎としたものはすべてどうでもよかった。
貴崎さんは従姉への暴行を怒っているのではなく、旦那さんからの報復を心配しているのだった。末っ子がひどい目に遭うことが怖いのだった。
川野さんも同様だった。庄原を隠すか逃がすかしようとした。
しかし庄原は、一番安全な策があると言って、諸々を振り切り、頑迷に出て行った。
それから二日のあいだみんなはうちに住み、暗鬱だった。
誰も連絡しなかったし、向こうからも来なかった。
三日目の朝に戻って来た庄原は、
「これでも腫れ引いたんやけど、よけい黒なってもうた」
彼はログハウスに行ったのだった。旦那さんが彼を痛めつけた。けれども、いまいち興が乗っていなかったと言う。殴る価値もないとはよく言うが、我々がそれであった。
そもそもその場は、旦那さんが玲衣子さんを捨てている最中だったのだそうな。口論を聞いていて、籍は入れていなかったとわかる。どころか二号さんだった。前からわかり切っていたことに、あらためて気づかされた。
それでみんな貴崎さんに玲衣子さんの現状を尋ねた。腹違いであろうが種違いであろうが玲衣子さんも我々のきょうだいだった。貴崎さんはしばらくケータイをいじっていたけれど、ダメだと言って家に帰った。
戻って来た。玲衣子さんはすがたを消したらしかった。
「わたしの将来が消えました」
半田をじっと見つめて言った。半田は何か煮えそうなのに熱が足りないようだった。
川野さんの目と私の目がずっと合っていた。けれども彼女の心がわからなかった。自暴自棄に何か刺し続けている貴崎さんをつらそうな半田から引っこ抜かなければならないと心配している。あの夜、私が外部へ隙間を開いたことを、みんなに秘めたという共犯――庄原の暴走が我々長男長女の共犯のせいかもしれないと自責している。玲衣子さんをきちんと勘定に入れ直さなければならないと訴えている。激しく咎めている。並べるほどどんどんわからなかった。
ただただ今では庄原も、悪くない女性を殴ったのだし、清算して殴られて来たのだし、この中では一番、偉かった。我らが小児科病棟の、看板の末っ子であった。
庄原の痣は顔を降りて行って首へ達する手前で消えた。
車をある公園のそばの道路に停めていた。
どんな仕事がいいかと半田が切り出して、ああだこうだ話し合っていた。骨壺の裏に絵を描く職人という案が長く続いた。死んだあとに眺める絵はどんなんがいい。真っ暗でも光るようにせんならんで。いいや灰になったら光なんかいらん、宇宙の暗闇の中でも帰り道がわかるような存在になっとうわ。それやったら骨壺の監禁は怖いな。大丈夫いつでも出れるねん。出てどこ行こか。思い出の場所行って、ずっと浮いてよ。そういうのを食べる鮫みたいなんがおったら怖いな。鮫は鼻を殴ったらええらしいで。
何かアイデアで一儲けできんかな。ジョークグッズは。《決して泡立たない石鹸》なんかドンキで売ったらイタい大学生とかがあんがい買いよるかもわからへんぞ。ェえ?《オレンジ色に光るだけの偽オーブントースター》とかよ……。
屋上とか壁とか広告の看板だらけにしたら、ビルの一つも建たへんかな。窓もない看板ビル。その広告収入だけで一生何とか片づかへんもんかな……。
何かこう、大勢集まった人数を数えたら、何回数え直しても変な過不足のある時なんかあるやろ……いやあってん。ほんまに。せやからな、人間は物理的に、ほんまに存在しとんやろかと。ドッペルゲンガーなんか考えたらば。江戸時代にも自分の生き霊を見たら患いついて死ぬと言われとったそうな。統合失調症はよくドッペルゲンガーが他人に目撃されるそうやけど、目撃するほうは健常なんやからな、魂に難のある人間は肉体の物理的存在の不確かさが尻尾出しやすいんとちゃうか。ドッペルゲンガーは男に多くて、女には二重人格が多いそうな。
(この話は当てこすりを言われているような感覚であった。ドッペルゲンガー……ドッペルゲンゲル、私は二度、友人と友人の彼女から目撃されていた。免許更新センターと、レストランと。しゃべりはしなかったと言う。どちらの報告も、似た人を見たでと言うのとは違う、さらりとしたものだった。やはり生き霊、魂の分裂……。)
――ほんまに。子孫繁栄が個を超えた遺伝子の幸福やったらば、望ましい繁栄のためには我々は自ら間引かれんならんな。そしたら子孫繫栄の幸福を我々も得られるわけや。
自分にならへんかった無数の精子はどんな人生を送っとったやろ。こないだ精子提供したお爺ちゃんが見知らぬ孫に会いに行くドキュメンタリーやっとって、顔つきどころかちょっとしたクセまで同じやったからな、どれが当選しとってもそない変わらんかったかな。
俗説における言霊の具現力は「言霊に具現力なし」と唱え続ければその効果は如何。
人間は紆余曲折して現在まで来たけども、この善悪の感じ、好き嫌いの感じはこのまま続くのか変化するのか、大きく変化するならそんな子孫はもうどうでもええな。
ごっつい天変地異で人間が絶滅したら、膨大な感情とか考えとか記憶とかのいっぺんに消滅する質量の激変に宇宙は耐え切れるんやろか。少しだけ何かポッと光るくらいのことやろか。
死ねへんようになる薬の開発と普及には、幸いにも追いつかれることはないやろうけども、遠い未来で死者を甦らす技術が生まれてしもたら、もうお手上げやな。そうならんためにも、人類にはあんまり長続きせんといて欲しいわ。
ロケットが別の地球型惑星に出会って、そこにおる人たちが、よく見たらこの星の死者たちやったとすれば、あるいは反対の場合やったりしたら、自分を構成しとる過去が変わるわけやから、つまり出来事として起こり得へんので、やっぱりその星は生命体がおらんようにしか見えへんねんな。
誰がいつどこで何をしとったか、どこまでも遡って細部まで明るみに出る時代が来たら、それでも人間に笑いは残るやろか。
絵を見て脳が景色を描くように、神さまを考える時の魂は何を描いてるんやろ。
火葬の途中で生き返りたくないな。
意識があるまま言動が悪魔に乗っ取られたら地獄やけど、じつは我々、乗っ取ってる悪魔なんやったらどうする。この体の中にじつは悲鳴を上げとう本物の自分がおったら。……返してやれる?
食べ物の叫び声が聞こえるようになっても食事はできるやろか。
初めて食うて「こんなうまいもんがこの世にあったんか」と驚いたんは、てっちゃん、生牡蠣、カルボナーラ、ティラミス、バジルピザ、マンゴー……でも「また食べたいなあ」ってあんまし思わん。最期の食事なんかにはまっぴらかもしれん。
人生の最期は、拳銃なんか手に入れて、「もう思い残すことない」ってなって景色でも見ながら、ってゆうのよりな、いっそ警察に包囲されるとか、世間にめちゃくちゃ糾弾されて、覚悟を決める暇もないからこそガチに決まる覚悟で以て、ふと空を見上げて――ってゆうのがええな。天国行くより成仏や……
――……云々、云々云々。かような団欒において、我々は論語にいわく「家庭を平穏につとむるもつまり政治参加のうち」を実践していた。(この似非家庭で、現実の父母たちを食いつぶしながら!)
みんなで映画撮るか、うちに古いビデオカメラあるし、編集とかも、ネットでわかるやろ。主演はやっぱり見栄えやから、庄原と貴崎で。うん。陳腐でもご都合主義でも何でもええから、とにかく迫力と、圧倒的な美を追求してな、もう発狂、心中、何でもござれ、愛による殺害、お骨をピアスにして、火葬前に切り取っといた薬指をしがみながら毒入りのウイスキー飲む――いやもうほんまに何でもありなんやけど、やっぱり最後はハッピーエンドにしようや……
それより超心理学研究会を作らんか。資料集めてや、修行してや、テレパシーとか透視、念力、呪いから、催眠術から、宇宙や深海や未来や霊界との交信、こういうのを極めてな、みんな五臓六腑も元気満タン、空も飛ぶし五百歳でもフサフサやし、過ぎ去った時間とも和解して、そうやな――最後はあのターニングポイントやった小中学生時分に戻って、普通一般の人生に復活するんや……
それか、新興宗教でも作るか。アイデア出し合って、ごっついドグマを構築してな、世界一長い経典書いてな。ただそういうことをして落ちる地獄があれば怖いから、念仏、加持祈禱、護符とかお祓いとか、しとかんならんけども。ほんで宗教法人になって、何か古い石造りの洋館とか買うて、我々が五人宗祖になって、徹底的にやりたいな。最後はオリジナルのお経大合唱しながら焼け死のうや……
けっきょく何にもできんまんま、もうどうしようもなくなったら、何人か少年少女さらって来て、みんなでクスリでもキメながら乱交パーティーもええな、誰の子かわからんベビーが生まれてや、これがうまいことしたら、人類史上他に類のない大暴君とかになってくれるかもわかれへんぞ……
住宅街から出て行った奴もおるからな、俺らの年の引きこもりぜんぶ集めて事業拡大しようや。誰がどこにおるかわかるか。ネットとかで検索したら出えへんかな。さすがに無理あるやろ。南のほうに一人おるのは知ってるんやけど。何で知っとん。年賀状のやり取り。あァなるほど。何でか知らんまだやっとうねん。あァなるほど。あとはわからへん、誰か調べとって。どうやって。知らんけど……
もうすぐ引きこもり狩りの世の中になるで。我々に割かれとう分の食べ物や免除されとう分のゼニやのしわ寄せで亡くなった人らの遺族とかがシンボルになって、じっさいは万民の潜在的な弱者虐殺欲が燃え上がってな。そうなったら密告されて、ちょっと自販機行って帰る途中とかに、大勢に襲われるわ。「社会の敵め、間接的殺人鬼め」言うて嬲り殺しや。密告するのは、お隣やお向かいのオバハンとかでな、今度はこのオバハンが腰でも骨折して、何ヶ月も外出れんようなって、密告されて、押し入られて、「違う、怪我していただけ、引きこもりじゃない!」「うるさい、社会の敵め、間接的殺人鬼め」言うて嬲り殺しや。ざまあみさらせや……
話に加わりながらも、私は心ここにあらずで、目の前の十字路を見ていた。
半自殺未遂的の交通事故に遭った十字路だった。九歳の頃、高所から飛び降りたり包丁でのどを刺したりということが、どうしてもできず、科学の力を借りていた。つまり自転車で長い坂をノーブレーキに滑り降り、十字路を突っ切るというもので、自殺は地獄に行くと聞くけれど――この世を辞めたいだけで、地獄に行きたいわけではさらさらないので――これは自殺にあらず、宇宙の偶然が殺すのだと考えつつ。
そして嘘みたいな因果で以て、ちょうど十歳の誕生日に、天との博奕に勝ったのか負けたのか撥ね飛ばされて重傷を負った。
じつは完全な偶然ではない部分もあって、この日私は、独りで何度やっても何も起きないこの突っ切りを、初めてクラスメイトに見せたのである。
博奕が神と私だけの秘密でなくなった瞬間に事故は起きたわけだった。そのクラスメイトは、友人ではなかったし、今、車の中にもいなかった。二人いた。大事故を目の当たり見せられた彼らの神経は今頃健常であろうか。
家では壁に掛けられていた時計がなぜかキレイに落ちていて、だいたい私が撥ねられた時間で止まっていたそうな。身代わりになってくれたのかもしれんねと母は言っていた。
(ところで私はこの事件について、博奕に勝ったのか負けたのかばかりを考えていたけれど、今、もしかしたら私が猛スピードの自転車で以て歩行中の幼児や老人を轢いていたかもしれぬと思うと戦慄物であった。)
救急車の中で、ぐちゃぐちゃの体して冷静に「親に会わせてください」と言ったというのが自慢だ。まったく覚えていないけれども。最大の危機に臨んで出る人格がそういう図太さで嬉しい。私の数少ない自慢だ。このような毅然たる態度は、むろんふだんはできない。たまたま乗り合わせた、もう非番に移るところだった医師が、「この子は私が見る」と言ってくれたというのが自慢だ。この先生に今のすがたは見せられない。
その後気絶して、病室で目が覚めた時、「ぼくは守られた」とつぶやいたというのは真正の信仰心か。しかし駆けつけてくれた校長先生に「私が誰かわかるか」と問われて「○○くん」と答えたというのだからアテにならないか、それとも最もアテになるか。
四ヶ月と十二日間入院した。何度も手術をした。親元を離れての丁稚奉公だった。動かれないし激痛がいつまでも終わらないので見舞いに来てくれた母に「殺してくれ」と頼んだ。憑き物によっておのが肉体を破壊しようと飛び出す際には痛みなど考慮しない。そしてまた今、当時の痛みを正確に思い出せないのだから痛みというものはつくづく陽炎のようなものだ。斬られたり焼かれたりしても神経を何か按排すれば消えるのだから魂とはほんらい所帯が別だ。痛みが自害を阻みもすれば、促しもする、まったく意思のないものだ。
寝たきりで糞尿を取ってもらっていたのは何週間くらいであったろうか。けれどもいわゆる瀕死状態は数日だったそうで、いくら痛かろうが、あとは回復だけが背後にあった。
リハビリや段階的な手術や日々の消毒その他を除いては、むしろたいへん楽しい日々だった。そこには一種の楽園があった。あの生活は忘れられぬ。そのせいでの落伍であるか。苦痛や恐怖にもある種の幸福があるかもしれぬと疑わせたのはこの頃からであろうが、これはけっきょく確かめられていない。カード賭博や他世代との無駄話、白衣を着た優しいお姉さんたち(関西につき口の悪いのも混じっていたけれど)への屈辱的恋慕、そして読書をそこで覚えた。
スナップを利かせてテレフォンカードを投げる競技の腕はすこぶるよかった。四人部屋が私以外中学生で埋まった時期(怪我であったり病気であったり、まちまちだった)、濡れ事の知識をよく教えられ、不快感の呪いを得た。
この手の不快感を突き破る本能の怪力に恵まれなかった人の不幸はある程度わかる。我が不快感は保育所(ホイクソと発音していた。)の頃、親友であった童女と、幼くもなぜか生理反応していた性器をわけもわからずこすり合わせてけらけら笑っていて、駆けつけて来た先生に怒鳴りつけられたショックや、小六時分に友人たちと拾ったスカトロ裏ビデオ、あるいは正反対の変化球では、小一時分、父方の祖母の遺体が寝かされた布団にもぐり込んで冷たかったこと――。
こういうところ、精神分析が私の神経症の原因を見破り得る穴がいくつも開いているけれど、それではあまりに性急過ぎるし、仏教因果の罪業を遡るのは悠長過ぎる。ホイクソの頃は、当時の仲間たちと、誰が太陽を一番長く直視できるかという勝負があった。私は強かった。太陽は見つめ続けると黒くなって眩しくなくなる。しかしみんな本当にやっていたのだろうか。私の目はまだ大丈夫だが、晩年に失明したら原因はホイクソの頃の常勝だ。
半ば体が動くようになってからは、看護婦さん(当時=1998はまだ看護師とは言わなかった)に手伝われるのが耐え切れず、終業後にほぼかかさず来てくれていた母が到着するまで大便を我慢した。病院の食事が足りなくてコッソリ買って来てもらったパンを霊安室の前で食べた。
夜に看護婦さんから隠れつつ病棟内歩き回って肝試しをした。車椅子を押してもらいながら、そののちは松葉杖をつきながら。
折れた大腿骨が重なっていたので、正常な一本に戻すため膝上の骨に鉄棒を通し、錘をつけて牽引していたが、重なったまま大腿骨がくっつき始めたので、金属の靴ベラみたようなものを突っ込み、てこの原理で以て正常な一本に戻して、四本のボルトを骨に打ち込み、固定した。
ボルトに肉が巻き付いて登って行くのを引きはがしに来る医師から毎日隠れた。骨がイビツにくっつくのも、肉がボルトに巻き付いて行くのも、体の回復作用は、たとい奇形になろうとも即座の修復を急ぐらしかった。
ボルトを抜く時の手術は麻酔なしで、先生が間違って右回りに――すなわちボルトが骨へ延々食い込むように――ねじられたりもした。ボルトが一本抜けるたび、太ももの裏へ流れる血の温かみを妙にハッキリ感じた。それなりの劇痛の外部にそれはあって、どちらかというと気持ちよかった。もしも銃で撃たれたら、骨肉の破壊される痛みや摩擦の熱さのみならず、皮膚表面の温かさを感ずるのに相違なかった。
幽霊の目撃も一度ならずあったけれど頭蓋骨骨折・脳内出血もあったから幻視かもしれぬ。しかし震災直後にも夜中に母を起こして「泥だらけの人が入って来た。お兄ちゃんにまたがっとう」と言っていたそうな。あるいは幽霊が好んで見られに来る素質があったのかもしれぬ。のちにタミフルで誘発されたのち鎮静する持病的の錯乱では叫喚地獄を体験し、無数の叫び声におのれが溶解してゆく感覚を知っている。このまま死ねばそこへ行くから我が生涯に自殺はもとより夭折自体も自ら激しく禁止された。この禁止を解放すればかえって叫喚地獄は私から飛び去るのであろうけれども。
入院初期のルームメイトは年上ばかりで(やかましい幼児が来ると別の部屋へ移るまで私たちはいびって追い出したものであった)、後期には年下ばかりだった。入院生活は末っ子から始まり、流転を眺め、長男で終わった。
初期には牢名主のような少年がいた。長逗留で十六歳になっても小児科に収監されていた。私がミイラぐらい包帯まみれで太ももの途中から骨ごと曲がっていて、瀕死状態にあるあいだも、そのうめき声に苛立ち、壁を蹴りながら「うるさいんじゃ!」と怒鳴っていた。
しかしのちには敬語も知らぬ私をむやみに可愛がり、カード賭博を教えてくれた。退院後もおやつの時間帯に合わせて見舞いに来てくれて、私は嬉しさにほこほこしながらマドレーヌや牛乳を上納した。今思えば退院した先の世界に友だちがいなかったのかもしれない。何の病気であったか知らないけれどもお元気であろうか。存命であろうか。
退院してしばらくは松葉杖にすがったけれど、これを手放してすぐまた自転車に乗っていた。もう買ってもらえなかったので誰かしらクラスメイトのを借りていた。露顕してふたたび買ってもらったが、これがある日盗まれて、捨てられていたのが見つかったが、盗んだ誰かは周到なもので、捨てる際にブレーキのワイヤーに切れ目を入れていたのだった。
見つかって嬉しい帰り道、長い階段の端の坂をブレーキしたまま下る芸当(止まったタイヤがこすれ、けずれた黒い筋がつく。)をくり出したところがワイヤーが切れて、猛スピードで落ち、途中で大きく跳ね、叩きつけられて転がり落ちた。
空中にて、高速で記憶が去来する走馬灯というものを確かに見、救急車で運ばれたのは退院から一年と経たぬ頃だった。(ブレーキに切れ目を入れた人は今頃立派な社会人であろう。)その後も外科は馴染みだった。足を中心として大怪我ばかりする児童であった。
その時分ノストラダムスの大予言でちかぢか世界が滅ぶというのを私は信じ、友人と二人、もうすぐ死んでしまうのだと話し合いながら、門限が過ぎても公園でブランコを漕いでいた、このあたりが最も幸せであったかもしれぬ。
将来の夢は、ホイクソ時代には絵描きから始まって、この時分は消防士か体育教師になりたかった。しかし実現に向けての具体的な手続きは誰も教えてくれなんだし、自分で調べもしなかった。ただただ何か大いなるものを漠然と恨み、ぐちゃぐちゃに破滅する空想で慰んでいた。
そもそも葡萄状鬼胎の診断(エコーに映らず、「ブドウっ子かもしれんな」と言われた母は、あえて冷たいプールで泳いだそうな。)や切迫流産も回を重ね、(神経症の原因となる記憶はこの時からであろう。それ以前の記憶も考えられ得るけれども。すなわち先祖あるいは精子の主観。輪廻に一度精子を挿むことの恐怖。卵子でのみあることの宇宙の崩壊。)へその緒に二周半絞首されながら逆さまのチアノーゼに生まれ、(前世で縊死したから地獄に落ちて、すなわち生まれて来たのであろう。)怪我や盗みや奇行やと紆余曲折、ちょうど十年経った私が、その誕生日に車に撥ね飛ばされて、大の字になってくるくる回りながら上り坂を十三メートル飛んだ十字路だった。こうしてじっくり見るのは、思えば初めてかもしれなかった。
六年で集団下校(土曜日限定)のリーダーになった時、この十字路の悲劇を先生が話しているあいだ、この人おれが主人公だと知ってるのかしらと不思議な気持ちだった。
その事故からさらに十年経った頃、中学時代肘鉄を食って骨が「く」の字に曲がっていた鼻がとうとう塞がり、空気を通すために軟骨をこそげ取る手術で以て入院した際、母が何か沖縄の本を貸してくれた。
その中に、何ぞビックリしたら魂が出るから、その場で何か唱えて魂を体に戻すような話があった。しかし今その唱える文句を忘れていた。覚えていれば今ここで唱えたかった。私の魂はこの十字路でまだ大の字にくるくる回っているかもしれなかったので。それを今体に戻したら、何もかもが治るかもしれなかったので。
この鼻の手術もまた大なるターニングポイントで、局部麻酔でやったのは拷問だった。
仰向けに固定され、顔の真ん中の骨をゴリゴリ削られる震動と、鈍い痛みに充満する中、鼻に詰め込んでいた綿から染み出した麻酔液が喉の奥にどんどん流れ込み、喉から胸部にかけての感覚を失したため、肺に麻酔液が流れ込んでもむせないのではないか、そして肺が麻酔されたら窒息死するのではないかと思われて、人生で最初の過呼吸発作を賜った。
爾来肺と胃の切り替えが馬鹿になってしまって、いまだにジジババぐらいむせる。そう老いずに誤嚥性肺炎で死ぬだろう。
――……誤嚥性肺炎で死ぬだろう。そして時を移さず本式のノイロ税が課せられたので、二十歳に神経症の発症があったとみれば、零歳、十歳、二十歳と大きな危機を迎えている勘定だ。したがって次の危機は来年だ。
死の希求と死の覚悟は別物であった。覚悟と行動力もまた別である。さらにこれらと無関係に何ぞ症状の著しい時は――三人の医師が「それは神経症と関係ない」と言い、総じて驚かれた心臓の痙攣等――希求や覚悟や行動力とまた別のものが出る。
出て、自意識に甚だしく遣り繰りさせるそれはあんまり私と関係がないけれど、いかにもテキパキしていて、いつか最後までテキパキと片づけてくれそうではある。
それは冷静なる保護者であった。これが確かに私を扶養している。ここを極めれば生きるも死ぬるも自在になり得る。言っても若年のかたい土にはなかなか浸透しないらしいけれども、周囲を見渡すに、老齢にも失敗があふれ返っている限りは、今からよくよく打ち込んで、なるたけ大きな穴をうがっておくのがよい。
しかしたとえばただ私物を大胆に捨てるだけでも心の整頓なんぞはずいぶん済むものだった。あとはもう一発大きな失恋でもするか親に先立たれでもすれば地獄も忘れられようか。妻子のないことは一つの大きな呪いを回避し得た巨大な祝福であった。
私の周期的混乱は事故の後遺症か。遺伝か。大小のショックの蓄積か。幼少期にテレビで見た、ヤドリバチが葉っぱの裏から蝶の幼虫へ産卵する瞬間の、幼虫のびくっとした反応、あのような映像が私は忘れられずに眠れない幼児だったが、こういう記憶の釘か。
図鑑で見たマイマイカブリの恐ろしさ。殻の中に引っ込んでいるのに、淡い光の中、長い首で入って来て顔から食わるる絶望。自分の肉を噛む曲者の咀嚼音と鼻息のにおい。
ヤドリバチが卵を産みつけた青虫、これが私以下この車内にいる連中の肉体だ。やがて青虫を突き破って精神は出て行く。脳髄というへその緒によっておのれを充分に成熟させた精神は。
ヤドリバチはほんらいサナギから出て来るのだが、我々は変態に失敗した大き過ぎる青虫だ。寄生虫を育て過ぎた青虫だ。いずれサナギを待たず、突き破って出て来るだろう。
そうして飛び去るヤドリバチは、いつかまた適当な青虫に卵を産みつけ、これが輪廻に見えるであろうが当人は産んだあとには平然と飛び回っている。このブラフマンが本当の私だ。
肉体(=不浄の脳髄)により、私はこの先も惑わされるだろう。なまなかに抵抗しながら、どこへともなく、なすすべもなく、向かわされ続けるであろう。
どれほど感情が悶えようが、練磨されてゆこうが、鈍麻してゆこうが、自然の現象としては、なかったことと同じで、どこまでもくだらないだろう。
何か気分のいい、頭のスッキリした日に、痙攣を溜めに溜めた心臓の本気の決壊で以て全身をぶち抜く以上の望みはない。
我が本性たるヤドリバチの絶命を願う、迷妄の青虫の遺言として。
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