11 炎舞
徹夜明けの日、私たちは遊園地に出かけた。
夜まで頑張るために夕べ買っておいた栄養ドリンクを朝食代わりに飲み、なんだか遊園地って気分じゃないかな、なんてアキちゃんが言い出したので、お昼前、近場だけどわりあい人気のある遊園地に出かけた。
実は、私の通う大学の近くで、途中、知り合いに会ったら気まずいなと思ったんだけど、幸いなことに中途半端な時間で誰にも会うことはなかった。平日の遊園地は空いていた。
よぉし、アトラクション制覇だからね!
おー!
みたいな感じで、私たちのテンションはちょっとおかしくなっていた。これがナチュラルハイっていうやつなのかな。
ジェットコースターなんて、もう気持ちが悪いのか楽しいのかよく分からないまま、ふたりでお腹が痛くなるほど笑い転げながら乗っていた。
そして、夕方。
私たちはくたくたになって待ち合わせの駅に向かう。
改札を出ると、トーセーが待っていた。
「トーセーくん、お届け物で~す」
「ミドウさん、お疲れ様。リョーシーは受け取りました」
私って、なんですか? お荷物ですか?
「割合楽しかったよ。そろそろ辛いけど。じゃあ、引き継ぎも終わったし、とりあえず私はヨシエの部屋に帰って眠らせてもらうね」
改札に入ろうとするアキちゃんをトーセーが呼び止めた。
「電車で帰るの面倒でしょう。寝過ごしたりしたらたいへんだ。だから、足、用意してありますから」
トーセーがふりむいて、誰かに手を振る。
すると黒縁の眼鏡をかけた、いかにも少年然とした顔つきの男子が近づいてくる。
「車出しますよ。こいつに送らせます。僕の後輩でこれでも学部の三年生だから歳はふたりと同じかな。教授が出かけるときもしょっちゅう運転させられてますから安心してください。まあ、研究室付きの運転手みたいなものです」
アキちゃんがちょっと心配そうな顔をした。
アキちゃんだって一応はお嬢様だから、見ず知らずの若い男の車にふたりで乗るのはどんなものかと考えたに違いない。
「ああ、こいつなら心配ないですよ。見ての通り信号が黄色になったらかっちり停まるような、つまらないくらい生真面目なやつなので。それに虫の研究しようとしている割に生きてる虫が苦手な奴で、蝶々一匹に逃げ惑う愉快なやつです。なんなら、護身用にてんとう虫一匹持ってきたので、連れて行きますか?」
トーセーがプラスチックの透明なケースに入ったナナホシテントウをポケットから出すとアキちゃんに手渡した。
役目が終わったら、逃がしてやってください。
アキちゃんが男の子の目をじっと見た。
「あ、キタムラといいます」
照れくさそうに顔を赤らめる。アキちゃんの表情が柔らかくなった。
「ミドウアキです。じゃあ、送ってもらおっか。キタムラくん、彼女はいるの?」
え、いませんが……。
「あ、こいつ、女の子と付き合ったことさえないと思いますよ」
せ、先輩!
へぇー。
「トーセーくん、それじゃあ、私がお持ち帰りでもオッケーですか?」
「ミドウさんがお気に召したなら、どうぞご自由に」
いひっ……キタムラくんが、半歩身を退き苦笑いをした。
「ヨシエ、もしもベッドのシーツ、汚しちゃったらゴメン。洗濯しとくから」
キタムラくんは助けを求めるようにトーセーと私の目を見た。
「キタムラくん、大丈夫だよ。アキちゃん、いじりがいのありそうな人を見つけるとからかいたくなるだけだから。それに、徹夜明けで昼間は私よりはしゃぎ回っていたから、部屋についたら着替えるまもなくバタンキューだよ、きっと」
さあ、それはどうかなぁ――アキちゃんがちょっと危ない目で笑った。
「じゃあ、ヨシエ、今夜はトーセーくんに任せるけど、明日の夜は私と一緒に、むふふ、だからね」
お嬢様が田舎のオヤジような、いかがわしい顔をする。
さ、行きましょ、キタムラくん!
アキちゃんはキタムラくんの腕を掴むとを引きずるようにして駅前に停めてあった車に向かった。
トーセーと私はふたりを見送ったあと、近くのファミレスで食事をした。私は昨日からしっかりとした食事を摂っていなかったので、お腹がとても減っていた。
私がパスタを食べていると、トーセーがニヤニヤした顔で見る。
何?
「僕はリョーシーが何か食べてる姿、けっこう好きなんだよ」
なんか、恥ずかしいことを言われた気がする。
「いかにも小食です、私、って女の子いるでしょ。そういう子より、牛丼屋で大盛頼んでる子のが可愛く思うときがある」
私、流石に大盛は頼まないわよ。
お腹空いてるときは満足するまで食べるのが自然だからね。まあ、それでぶくぶく太ってもらっても困るけど。
そして、お腹がふくれたら眠くなるのも自然だ。
私はトーセーの部屋に辿り着くなり、特大の睡魔に襲われた。
置かせてもらっていた部屋着になんとか着替え、ベッドに倒れ込んだ。
トーセーがタオルケットを掛けて、お休みのキス。
私はちょっと寝ぼけながら、彼の首にしがみついた。
「私が眠るまで、横にいて」
しかたないな、
彼が私のとなりに横たわり、軽く抱きしめてくれる。
彼の心臓の音が聞こえた。
彼の体温を心地良く思いながら、私は深く眠った。
そして、次に目覚めたとき、やっぱりトーセーの部屋のベッドにいた。
トーセーが横にいた。
私の前の夜の記憶と違っていたのは、私もトーセーも裸で寝ていたことだった。
それに、壁に掛けてある私の服も昨日と違う。
念のため、携帯電話で日付を確かめた。
日曜日だった。
ちゃんと一週間と一日、スキップしていた。
私はトーセーを起こさないようにベッドから抜け出ると、あらためて携帯をチェックした。まずひとりSNSの内容確認。
トーセーのこと、アキちゃんのこと、それから学校のこと。食べたもの、着ていたものの写真。概ね通常通りだ。ひとつ違っていたのは、アキちゃん、さっそく次の私に徹夜を付き合わされたらしいこと。
それについては、動画ファイルが残されていた。
アキちゃんの顔が映る。
ヨシエぇ、どうにかしてよぉ~。あなたと徹夜してた動画見せたら、こっちのヨシエもどうせもう一回しなきゃいけないんだからって、付き合わされることになったぁ~。一週間のうちに二回も貫徹なんて……ヨシエ、あなたも何か言いなさいよ。
私の顔が映った。
え、あ……。
困った顔をしている。
こ、こんにちは、私です。えっと、目覚めたら熱もすっかりひいてたし、リョーシーの徹夜のおかげでぐっすり眠ったから、さっきまでうなされてたのが嘘みたいにすっきりでした。すごく元気になりました。それで、えっと、今は日曜日の夜なんだけど、帰ろうとしたアキちゃんを無理矢理引き留めて、これから徹夜に突入します。アキちゃんが見せてくれた徹夜のときの様子が楽しそうだったから、ついでに私もやっちゃおって。リョーシーが徹夜用の飲み物とか食べ物、たぶん二度目のこと考えてたっぷり用意してあったみたいだから、この際勢いです。なんだか危なげな缶ジュースも冷蔵庫に入ってたし。うまくいったら、次の私が目覚めるのは今度の日曜の朝かな。次の土曜は、またトーセーのところに行くことになりました。トーセーにもアキちゃんにも迷惑かけっぱなしだけど、そのうち何か埋め合わせしなきゃね……え、なに、キタムラくん? 誰、それ?
また、アキちゃんの顔が映った。
えっとヨシエ。キタムラくん、食べ損ねたぁ~。車の中で私爆睡で、あなたの部屋に送り届けてもらったのは覚えてるけど、気がついたら服着たまま床で寝てたよ。今度トーセーくんに言っておいて。キタムラくん、イケてる感じじゃないけど、私的には好感度高めの凡庸なタイプだから、またセッティングしてって。
アキちゃん、明らかにやけっぱちだ。横では私がポカンとしている。
誰なのキタムラくんって?
――私ってちょっと天然っぽい?
まるで知らない誰かみたいだった。録音した声はやっぱり自分の声には思えないし、私に呼びかける私、なんて、しかも、私の記憶にないことをしている私を見るなんて、不思議を通り越してなんだかコメディみたいだった。思わず声を出して笑ってしまった。
「おはよう、リョーシー」
私の笑い声のせいなのかトーセーが目を覚ました。
「朝から楽しそうじゃないか」
「ごめん、起こしちゃった?」
うん、いや、いいよ。あ、まず確認しておかないとね。
私は一回目の徹夜をした私、だよ。
わかった。予定通り、だね……それで、何笑ってたの。
ん、これ。トーセーはこれ見た?
私は、スマホの画面を差し出してもう一度再生した。
「これは見てない。連続で徹夜したのは聞いてたけど……ミドウさん、なんか破れかぶれだね。そういうことか……リョーシーから、ミドウさんがキタムラに興味をもってるって聞いて意外に思ってたんだ。とりあえずあいつの電話番号だとかアドレスだとか教えたけど、ふぅん……食べ損ねたって、目がマジだね」
えっと、この子、これでも地元では由緒正しい家柄のお嬢様なんだけど……。
つまり、キタムラ、逆玉のチャンスか。よし、焚きつけておこう。
「なにはともあれ、とりあえずこれで元通りだ」
「うん。やっとホームに帰ってきた感じかな」
トーセーがベッドのとなりをポンポンと叩いた。
私は彼のとなりに潜り込む。
おかえり、リョーシー、なのかな。
うん、ただいま、トーセー、みたいな。
その日の午前中は部屋でのんびり過ごした。
「午後から付き合ってくれる?」
「今日は夜までリョーシーのために時間はとってあるよ」
ありがと。なんだか世話かけるよね。
だから、そういうのは気にしなくていいって言った。
そうだけど、やっぱりね。
――来週、トーせーのお誕生日でしょ。
そうだね……二十四歳だよ、もう。
プレゼントは来週の私からもらってね。今回は私も一緒に考えたから。でも、当日お祝いできないのはなんか悔しいから、今日は抜け駆けしちゃおうかなって……今週の私からの前祝い、かな……。
「……ちょっとだけ虫っぽいもの見に行かない」
え、虫? 行く。
トーセーの目の色が変わった。
「あ、あんまり期待しないでね。私のテリトリーでの虫だから」
「いや、リョーシーの興味の範囲に虫がいるなんて思ってもいなかったけど」
「いるよ、わりあい」
もっとも気がついたのは最近だ。動物園の温室に蝶々がいっぱい飛んでいるのをふたりで見てからだ。
私が彼を連れて行ったのは、とある美術館。
そこには百年近く前に描かれた一枚の絵がある。
燃え上がる炎の周りを蛾が舞飛ぶ様子が描かれた作品だ。
ツトガ、メイガ……そんな感じの蛾だね。
見ながらトーセーが呟いた。
流石ムシオタク。
「けっこう有名な絵なんだよ。これまではあんまり関心無かったんけど」
どうかな……トーセーには炎の周りをゆらゆら翻る蛾の姿が生き生きと見えないかな。
「動物園に連れて行ってもらった時のことを思い出してたんだ。蝶々の温室のこと。いろんな蝶々がたくさん飛んでいた。ひらひら羽ばたくそのひとつひとつが命で、これまで延々紡がれてきた命の糸の先端なんだって思ったらね、いろんなことが煩わしく感じたんだ。トーセーも言ってたでしょ。ただ命を繋ぐために生きてるって。人みたいに余計なことしたり考えたりしない。私もそうできればいいのにって。将来だとか、生きがいだとか、幸せだとか、そんなことはもうどうでもよくって、ただ生きるために生きていられたらいいのにって。トーセーが虫に生まれ変わってもいいって言ってたけど、その意味を私なりに理解することができたみたい。そんなときにたまたま画集でこの絵を見たんだ。この絵に描かれてるのは蛾だけどね。有名な絵だから見覚えはあったけど、さほど関心なかったからちゃんとは見てはいなかったんだ。でも本物がすごく見たくなった。この美術館に常設されてる絵だって知って、早速観に来たんだ。本物を目の前にしてね、温室で見た蝶々と同じように羽ばたいていると思ったの。それぞれの蛾に命があって、無事に卵を産んで次に命を繋ぐことができるのもいれば、その前に鳥に食べられちゃうのもいるかもしれない。明るい炎に飛び込んで焼かれて死んじゃうのもいるかもしれない。でもね、どんな形で命が終わっても、それぞれに意味があるように感じたの。ううん、違うな。意味があるとか無いとかすらどうでもいいのかな。命が始まって終わる。次に繋がる命もあれば、そうでないのもある。それだけ、かな……うまく言えない……いろいろ考えたんだ」
本当にいろいろ考えたんだよ。
トーセーは、焔に踊る蛾をじっと見つめながら黙って私の話を聞いていた。
そういええば、こんなふうに私の話を聞いてもらったことってこれまでにあったかな。私は、これまで彼と過ごした時間に想いを馳せていた。
「白い羽の蛾、黄色いの、青いの。私、こんな色をした生きている蛾なんて実際には見たことがない。トーセーのおかげで標本や図鑑では見たことがあったけど、羽ばたいているのは見たことがない。だけど、この一羽一羽が生命なんだと思うとね、私単純だね、この絵の向こう側に、羽を細かく震わせながら飛び回り翻るたくさんの蛾の姿が見えてくる。するとね、装飾的で記号みたいな形だと思ってた炎の輪郭が揺らぎはじめるの。ときどき薪だか枯れ木だかがパチパチ音をたてて、弾ける音が聞こえる気がした。とぐろを巻く煙の匂いを感じた。私の鑑賞眼なんてお粗末なものだよね。それまで表面的な色や形しかなかったんだ。蛾も炎も、絵具で描かれた記号でしかなかった。でも、そこに命があると思った途端に画面の隅々までが違うものになっちゃった」
トーセーが私の肩を抱いた。
「それから大学の図書館で画集を片っ端から見て、虫のいる絵を探してみた。古今東西いろんな絵。古いのも新しいのも。多くはないけど、少なくもない。作品として昆虫だけを描いたものは見かけなかったけど、スケッチはたくさんの残されているし、作品の中でも植物の傍らを飛ぶチョウや、葉の上を這うコガネムシとか、探せば見つかる。気がつかないくらい小さく描かれていることもあるんだよ。地面にちょこちょこ這うアリとかね。でもね、小さなコガネムシとかテントウムシが、見逃すくらいに何気なく葉っぱの片隅に描いてあるだけで、主役の植物や風景も生き生きして見えたんだ。だからね、今、虫のいる絵がマイブーム。これがそのきっかけを作った絵。これ、トーセーに見せたかった」
私は涙ぐんでいた。
悲しかったわけではない。
どうにも感情の収まりが悪かった。
半分ずつの私の、私たちの感情が交じり合って、溢れているようだった。
トーセーは私の頭を撫でてくれた。
お父さんみたいだと思った。
少し、落ち着いた。
「ねえ、蛾と蝶ってどう違うの?」
どんな質問でも良かったんだ。
トーセーの声が聞きたかった。
トーセーは私の顔を見てニヤリと笑った。
「蛾と蝶の違いね……素人は気安く難しいことを聞く」
私はトーセーの説明を聞きながら、部屋に帰ってするべきことを考えた。
リョーシーの……あっちの私が書いた秘密日記の内容次第で、私の……私たちのこれからが決まる。
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