III ROOM NO.303 : ある朝
どうして私は家に帰るのだろう。
それは、家があるからだけれど、そこに山があるから登るとか、ゴールがあるから走るんだとか、そんなレトリックは、ときどき格好良く感じるだけで、その実何も意味を成していない。マロリー気取りの判断停止は、本人がしたり顔で言うほど見苦しい。
私の住処は小さなマンションの小さな一室で、そこから毎朝仕事に出掛ける。ヒールが低めのパンプスを履き、扉を閉じて背にした途端、また、ここに帰って来るんだと強く感じる。宿命だとか、運命だとか、もしくは呪縛のような私にはどうしようもない力によって、私と家との間には小指に巻かれた紛いものの赤い糸みたいな伸縮自在のリードが仕込まれているんじゃないか……そんな妄想にすら駆られてしまう。もちろん月幾許かの家賃を同じマンションの最上階に住んでいる気のいい大家さんに振り込んでいるし、部屋には家具やら炊飯器やらテレビやら、毎日着替える洋服だとか、思い出せない思い出のあれこれが染み込んだ私の所有物が一切合切詰め込まれている。帰る理由はいくらでも考えられるけれど、わたしは賃貸契約や現を適当にやり過ごす物品の数々や、社会だとか経済みたいなものに支配されて、毎日家に帰っているのだろうか。
否、とは言えず、是とも言えず。
眠る場所、落ち着く場所が必要だから?
それは帰巣本能?
いや、そういうことじゃない。
種だとか生存だとか本能だとか、そんな大それたことじゃない。
たぶん、極めて個人的な問題だ。
とはいえ、私の帰巣を促すものがただ後天的な要因と考えるのも腑に落ちない。幼児期の母子関係だとか、躾だとか教育だとか、あるいは記憶の底に封印されたトラウマだとか、遠ざかる過去に理由を求めたところで、そんなのちょっと気の利いた言い訳でしかなく、私の直感を信ずるならば、そんな言い訳はフルスイングで空振りしている。でも、本当はそうなのかもしれないし、たとえ真実が暴けなくても、ショーケースにきれいに並んだ可能性のひとつふたつを〝きっと〟〝たぶん〟と味わうだけで、誰でも少しくらい納得できるはずなんだ。
そうなのかな……。
私の心は頸を横にぶんぶん振るばかりで、絶対に縦には振らない。せいぜい可愛らしく斜めにちょこんと傾けるのが関の山。
私も、私の心もけっこう頑固です。
もっとね、次元の違う命題なのだと思うのです。
三次元じゃなくて、四次元とか、五次元とか、六次元とか。
いやいや、そんな高次元の話じゃなくてさ、二次元とか、一次元とかなんかじゃないの?――という意見には耳を傾けてもいい。想像のできない世界に思いを巡らし、言葉にできない思考や感性をざるのように隙間の開いた骨っぽい掌で掬い取り、取り逃がす。そんなことばかりを繰り返す。
堅苦しい社会学や心理学は、絶対に出られない部屋に小さく穿たれたドールハウスになら丁度いい小さな窓みたいなものだ。そこから見える僅かな風景が、世界の全てや宇宙の果てを妄想させて、なんだか真実に出会ったような気分にさせる。そんなの応急処置の痛み止めみたいなもので、何の解決にもならないのだけど、自分をお気楽に誤魔化すヒントくらいは与えてくれる。
それよりも、ヒールがアスファルトを叩く足音や、通勤途中に吹くビル風の方が、私の疑問に応えてくれるんじゃないかって。うっかり文字を間違えてゴミ箱に丸めた手書きの書類や、どこかに置き忘れたか落としたかして失ってしまったさほど気に入っていたわけでもないハンカチの方が、よほど有意義なメッセージを残している気がする。
あるいはそうね……冷蔵庫の中でいつまでも使わず腐ってしまった食材とか、ね。
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