VIII
私たちの声は聞こえない。
それが普通だ。
でも、あの人にとっては違っていた、らしい。
私の声が聞こえるの?
私の声? 誰の声だ? 聞こえているといえば聞こえているが……これは聞こえているうちに入るのかな。
おかしなことをいう大人の男だ。
おかしい? 確かにおかしいよ。でも、人形が喋るわけないじゃないか。それは理にかなっていないだろ。声は空気の振動だ。発声器官を吐息で震わせる。君たちには発声器官もないし、呼吸もしない。にも関わらず君たちの声が聞こえているようだ、と僕が感じるのなら。聞こえてしまう、聞こえると思ってしまう僕の方が常軌を逸している。
自虐趣味?
そうじゃない。客観的で冷静な、現実的で合理的な推論だ。それにちょっとばかりおかしくなっても特に気にならないしね。もともとちょっとおかしいんだよ、僕は。君たちだってそう思わないかい。もし、君たちの声が聞こえる様な錯覚を感じて居るなら、それは喜ぶべきかもしれない。君たちを友達に遊ぶ少女の心境に少しは近づいたのかもしれないからね。君たちの声は、言葉は、たぶん僕が無自覚の内に紡いでいるのだろう。それは僕が君たちに無意識に期待する僕の言葉だ。つまり、君たちとの対話は手の込んだ独り言みたいなものなんだ。
私の言葉はあなたの言葉、というわけね。
僕が君や君たちに期待する言葉、かな。
あなたは私たちに何を期待しているの?
さてね。
彼は私を手にして微かに笑う。私の髪を撫で、指で頭の輪郭をなぞる。
君たちの声で僕は気づくんだ。それが僕の頭の中から生まれるのなら、どんなに意外な言葉であってもそれは僕の中で紡がれたんだ。そこには僕の思想と価値観が反映されているに違いない。君たちと僕の距離に橋渡しする。僕にとっての君たちの姿がそこにある。それを僕が求めている。きっと。たぶん。それだけのことだ。
曖昧でぼんやりしている。
私は、私たちは彼の気持ちを測りかねていた。好意も悪意も感じない。憎悪も愛情も感じない。私たちに近づくこともなく、遠ざかることもなく。かつて私の所有者だった少女とは違う。少女は、少女たちは、私たちの声に心躍らせ、強い感情を放ち、いつの間にか私たちの前から消えていった。だが、この男はいつまでも消えずにいる。冷ややかな眼差しを向け、そこにいる。
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