RUE (2/5)

RUE(第2話)

加藤那奈

小説

15,712文字

彼女の話は彼の腕の中で紡がれてゆきます。たぶん。
次に名前のこと、など。
(2017年)

04 ミサイルのこと

 

いつの頃からか、私は自分とミサイルが切り離せない。

もちろんこれは父のせいだ。
――君の生まれた朝、ミサイルが発射されたんだ。

私が生まれた朝に発射された隣国のミサイルと私の間にはどんな関係もない。それが戦争の引き金になって時代のエポックになったというなら、自分自身と時代の変化を結びつける象徴のひとつになったのかもしれない。だが、その性能も定かではないミサイルは、成層圏にまで舞い上がり、この国の遥か上空を通過して大洋の真ん中に落ちたのだそうだ。私の生まれた年にはそんなことが何度かあったそうだから、国際社会における政治的な意味や目的があったのだろう。そしてそれから四半世紀以上たった今、そんな事件があったことすらみんな忘れている。

だが、しかし。

バースデーケーキに灯るロウソクの火を吹き消す度にミサイル発射を聞かされた私は、おかしな刷り込みをされてしまった。

ミサイル、と聞けば私は自分の誕生日を思い出す。

誕生日を迎えれば――たとえ目の前に父の姿がなくても――ミサイルを連想する。

それだけのことならまだいいのだけれど、幼い私は意味もよくわからず、その音に惹かれていた。

ミサイル。

み、さ、い、る。

ちょっと素敵な響きだ。

単純に、そして純粋に、ミサイル、と発音することが楽しかった。

自分の名前を平仮名で綴ることを覚えたときには、片仮名で「ミサイル」と書くこともできるようになっていた。

私、ミサイルなんだ!――幼稚園に通っていたとき、友達を追いかけながら意味もよくわからずに叫んでいた。いたような、気がする。きっとしていた。私は覚えてないけれど、母によれば、まだ三歳にもならない頃、知らない大人に「お名前は?」と訊ねられて「ミサイル」と言ったとか、言いかけたとか。つまりは、娘の物心つかないうちから、父は私の耳元で、ミサイル、ミサイル……と呟いていた、という証明だ。

ミサイルが暴力的で破壊的な兵器の名称で、女の子には不釣り合いなものだと理解したのは小学校に入学してからだと思う。ひとつずつ歳を重ねて女子としての自覚も強くなってゆくから、「私、ミサイルなんだ!」なんて口にはしなくなったけれど、だからといって私の頭の中からその単語がなくなったわけではない。宿題に疲れてぼんやりしているときやお風呂で湯船に浸かっているとき、回転していない頭の中から零れ落ちて来たように、私、ミサイルなんだ、と呟いていた。

ミサイルがいったいどういうものかちゃんと調べてみたのは、小学校で女子だけ別の部屋に集められて、女性の体についての授業が行われたのと同じ頃だ。

女性の生理を知ったことと、ミサイルをちゃんと調べようと思ったことには、特に関連性はない――と、ずっと思っていた。というか、その時期が重なりあっていることにさえ、気がついていなかったのだけれど、最近になって、当時の私の心の中ではしっかり繋がっていたんじゃないかと考えるようになった。

女性として成熟する階段を上り始めた私の身体。

いかにも男性のシンボルめいたミサイル。

古典的な心理学者が喜びそうなコンビネーションじゃないかな。

たかだか十歳程度の幼稚な私も、無意識のうちに自分の身体とミサイルの間になにかしらの結びつきを感じていたのかもしれない……なんて。

ある日、私はミサイルについてもっと知りたいと思った。

小さなときの「爆弾だよ」というあまりにも大雑把な父の説明に、それ以上の疑問を抱くこともなかったので、しばらくの間は爆弾とミサイルの違いなどはわかっていなかったはずだ。だが、学校で小耳に挟む男の子たちの会話やテレビアニメだとかドラマの台詞なんかから、爆弾は落とすもの、ミサイルは発射するものという区別くらいはいつしかつくようになっていた。一般常識的にはそれでじゅうぶんだ。だが、「私、ミサイルなんだ!」と口走る小さな頃の私を思い出し、もっとミサイルについて知らなきゃいけないんじゃないかと思った。なにか直接的なきっかけとなる出来事や誰かの一言があったかもしれないけれど、それは覚えていない。とにかくミサイルのことを調べたくなった。学校の図書館では間に合わず、市立図書館でも調べ、家に帰ればインターネットで検索をした。

そして、その構造をだいたい理解する。

ミサイルには主に三つの構成要素がある。

ひとつは推進装置。

ひとつは誘導装置。

そして、もうひとつが爆弾。

ちなみに、推進装置だけを持つ爆弾はロケット弾、誘導装置だけのものは誘導爆弾と呼ぶそうだ。

これを人に喩えるとどうなのだろう、と、小学校四年か五年の私は考えた。

推進装置は体力かな。誘導装置は、相手を探して追いかけるのだから、なんだか知性の匂いがする。爆弾は何となくわかる。癇癪を起こしてぶんぶん腕を振り回して相手を殴りつけること。調べてゆくと爆弾は、爆薬と発火装置からなるらしい。爆薬に引火して爆発することが拳や平手や蹴り上げで相手を直に傷つける手段なら、発火装置は癇癪を起こすきっかけってとこだろうか……ならば、ロケット弾は、猪突猛進の走り出したら止まらないタイプかな。狙いがはずれれば勢いよく自滅、なんてちょっと滑稽かも。誘導爆弾は相手にこっそり背後から近づいてゆくけど、つかまえる前に全力で逃げられちゃったら追いかける体力なくておしまいね。全てを備えたミサイルは、つまりしつこい奴ってことだ。猛スピードで突進し、どんなに逃げても追いかけて、ロックオン、そして、破壊――なんだか一番可愛くない……私って、可愛くない?

考えているうち、いろんな種類の爆弾やミサイルが擬人化される。手榴弾、時限爆弾、風船爆弾、弾道ミサイル、巡航ミサイル、対空ミサイル……それぞれのキャラクターの顔や性格が思い浮かんで、次第に愛着さえ覚えてしまう。もし私に漫画やイラストの才能があったら絶対絵にしていたと思う。

さらには、クラスメイトを爆弾やミサイルに擬えてみた。

私はみんなをじっくり観察しながら、性格や言動を手がかりにして、ただの爆弾タイプ、ロケット弾タイプ、誘導爆弾タイプ、ミサイルタイプに大別した……マリコちゃんとかサイトウくんとかロケット弾タイプかな、キョウコちゃんって誘導爆弾っぽい。ワダくんは、あれ、ただの爆弾よね。しかも、地雷よ、地雷。カスミちゃんはミサイルかな。なんとなく対戦車ミサイルって感じだよね。カワハラくんは、えっと、どれかな……。

クラスメイトの爆弾対応一覧表をつくったはずだけど、あれ、捨てちゃったかな。

こんなくだらないことを考えながら、私はミサイルに詳しくなった。詳しいと言っても小学校高学年女子の調査力と理解力の範囲なので、中学生男子のミリタリーマニアの足下にさえ及ばないほどの知識だけれど、クラスター爆弾と聞いて、ああ、あれは不味いよね……と呟く十歳女子など滅多にいるものじゃない。それでもやっぱり私は女子なので、クラスメイトの爆弾分類を手がかりに、いかにも可愛い女子らしく(?)、爆弾占いとか、爆弾相性診断、爆弾性格診断みたいなものがつくれるんじゃないか、なんてことも真剣に考えていた。実はこのアイディア、あれから十五年以上経った今も私の頭の中ではまだ生きている。

別に兵器に興味があったわけではない。小さな頃から耳元で囁かれ、その響きに惹かれていたミサイルなるものを一度ちゃんと知っておこうと思っただけだ。女の子の身体の仕組みを知ったことと、ミサイルの仕組みを調べたことが、なんだかシンメトリーじゃないだろうか、と、大人になったわたしは深読みした。ミサイルについて調べながら初潮を迎え、私は、自分自身をいっそう「ミサイル」と重ねてしまうようになったのではないかとも思うのだ。

幼稚園の頃、意味もわからず口にしていた「私、ミサイルなんだ!」が女の子としての自覚強化を契機にしてグレードアップしてしまった。そんな感じだ。

私が、ミサイルやら爆弾やらの知識をこっそり溜め込んでいた年の誕生日、やっぱり父はミサイルの話をした。

「お前が生まれた朝、隣の国がミサイルを発射したんだよな……」

うん。で、お父さん。ミサイルってどんな仕組みか知ってる?

え?

ミサイルと爆弾の違い、説明できる?

それは、あれだよミサイルは飛んでいくんだよ。爆弾は、ただ爆発するだけだ。

六十点。

まさか父はミサイルの説明を娘に採点されるとは思わなかっただろう。その後私は、推進装置の燃料はなんだとか、誘導装置に大事なのは索敵機能でね、とか、その時のありったけの知識をひけらかしたことを覚えている。父は、苦笑いをしていた。母は面白そうに、よく調べたわねとかなんとか。小学校低学年だった弟は、お姉ちゃんミサイル博士だと感心していた。

そのとき以来、父はミサイルの話をしなくなった。

私が中学生になってからは、クラブ活動で帰りが少し遅くなったり学習塾に通ったりと、家族の時間がばらばらになってゆき、誕生日の夜にみんな揃ってのお祝いはしなくなったけど、父は私の誕生日を忘れることなく、相変わらずちょっとだけ残念なお祝いを贈ってくれた。ところが、以前なら「お前の生まれた朝に……」と始まるお題目がなくなった。誕生日に限らずいつの間にかその台詞を聞かなくなった。

あれ、どうしちゃったのかな?

さんざん聞かされてうんざりしていたはずなのに、聞かなくなるとちょっと寂しい。

どうして父がミサイルという言葉を口にしなくなったのか、その理由はわからないし、特に問い糾すつもりもない。

お父さんってものわかりのいいふりしてるけど、あれでけっこう頑固で保守的なのよね……以前、なにかの折に母が言っていた。男はいずれ家を建てるものだとか、妻は専業主婦が理想だとか、心の中ではそんな古びた価値観が強固に根付いているらしい。だから、私のミサイル講釈なんて快くはなかったのだろう。女の子がミサイルだとか爆弾だとかに詳しいなんて問題だ。だから、娘の前でミサイルとか爆弾なんていう言葉は控えるようにしたのかもしれない――まあ、そういうことにしておこうか。だが、本当のところはちょっと違うんじゃないかと思っている。たぶん、私は彼のプライドをへし折ったのだ。自分の中途半端な知識に、小学生の長女からダメ出しを食らったばかりか、本来教えるべき子供から教えられてしまったのだ。父親としての面目丸潰れだったのだろう。そして、そんな不愉快な出来事は強制的に意識から排除するのが一番だ。娘の前で幾度となく呟いていた「ミサイル」という言葉を封印しつつ、それに伴う記憶さえなかったことにする。父はそんな出鱈目な自己洗脳を自然に実行してしまう人だ。たぶん。

私はといえば、ひととおりの知識を得たことで満足し、私のミサイル/爆弾ブームも次第に落ち着いた。だから、誕生日の講釈以来、父の前ではミサイルとか爆弾なんて単語を一度も口にしたことはないはずで、きっと父も安心したことだろう。だが、やっぱりどこかで考えていた。私はミサイル、私はミサイルか……ちょっと可愛くないんだよね……。

そして数年後、静かに第二次ブームが訪れる。

あ、ぺトリオットだ……。

テレビでトラックの後部に設置された装置から軽やかに射出されるミサイルを見た。海外の紛争地域でのニュース映像だった。以前に仕入れた知識がいかにも自然に浮上して、ミサイルの名称がするりと口を突いた。

それがきっかけとなった。

高校受験が身に迫る課題になっていた頃で、私は目の前の重圧から逃避したかったのだろう。映像を見ながら、しばらく聞いていない父の台詞を思い出した。

お前が生まれた朝、隣の国がミサイルを……。

記憶の彼方で幼い私が無邪気に叫ぶ。

私、ミサイルなんだ!

私はミサイル――このフレーズは、いつも私と一緒にあった。小さな頃みたいに口にすることはなかったし、最初のブームが去ってからは、なんだかもうどうでもいいことのようにも感じていて、しばし忘れることもあった。だけれど、それは忘却と言うよりむしろ順応で、「私=ミサイル」という等式がいつしか心身に染み渡っていたのだ。意識の下ではちゃんと生きていた。

あのミサイルは、何を撃ち落とそうとしているのかな。ペトリオットは地対空ミサイルだから、攻撃してくる飛行機や敵のミサイルを迎撃するのが目的だ……テレビの映像を眺めながら何とはなしに考えていた……だったら、私は何を攻撃するのかな。

ミサイルの目的ってなんだろう?/私の目的は?

ミサイルって、そもそもなんなんだろう?/私って、そもそも?

ミサイルと私がくるくる置き換わる。

ミサイルの仕組みやら種類やらは数年前にさんざん調べている。第二次ブームの関心は存在する目的やその意義についてだ。ただし、国家的な、もしくは軍事的戦略のようなきな臭い技術技巧の論考ではなく、もっと哲学的(?)な視点から考察する「ミサイルって何/私って何?」問題。つまりは自分自身のアイデンティティをミサイル越しに考察してみよう、なんてところだろうか。
――ミサイルの「存在」とはなんぞや?

それが第二次ブームのテーマだった。

なんだか大袈裟に聞こえるけれど(実際、大袈裟に考えていたのだけれど)そこは思春期女子のシリアスであることを忘れないで見逃して欲しい。

私は受験勉強から逃げるように思索した。

ミサイルの根本的な目的は何だろう。

それは標的となった対象の破壊、である。

これはあらゆる兵器に共通した目的だ。敵対する勢力にダメージを与えて行動不能へと追い詰めてゆく。刀剣も拳銃も、戦車も戦闘機も地雷も魚雷もすべて同じ。ミサイルは自前で推力を持ち、各種の用途に見合った索敵能力があるので、必ずしも敵を至近距離に迎えるまで待つ必要のないことが特徴だ。弾道ミサイルならば敵陣に乗り込むまでもなく遠く離れた場所から標的めがけて、誰かが発射ボタンを押しさえすればいい。相手が対抗手段をとらなければ、確実にターゲットを撃破する。

なぜ敵対するのか、それがどういう理由で武力行使へと発展するのかについては、それぞれ事情があるのだろうと深く考えないことにするが、行動不能へ追い込むのは、こちらの支配力を強化するのが目的だ。物理的な力量差にもの言わせ、こっちの要求を無条件で押しつけるためだ。地理的に支配し、経済的に支配し、思想的に支配する。もっとも、相手を支配するために武力行使が必須というわけではない。対話や交渉でなんとかなるかもしれない。ただし、こちらの傘下に入るのが最も幸せな選択肢なんじゃないかなと提案する傍らで、サンドバッグをぼろぼろになるまで殴り、相手に有無を言わせぬ力を見せつけながら、もしも交渉が平和裡に解決ができないのなら、俺、殴っちゃうよ、俺、けっこう強いよ、と、抗うことがいかに無益であるかを知らしめるのは有効だ。闘うつもりはなくても、とりえず背後に拳をちらつかせることは交渉のための技術でもある。

弾道ミサイルは背中に隠した拳だ。敵にチラ見せしつつも悟られることなく急所に狙いを定めてくことは、それだけで支配力を強くする材料になる。

ミサイルは、破壊の道具であると共に力の象徴としても機能する。
――でも、ちょっと待って。

それって、発射ボタンを押す側の都合だよね……。

私はもやもやと考えた。
――ミサイル自身はどうなのだろう。

標的を撃破するのはミサイルの本懐だ。

でも、目的を遂げた途端も、自分自身も爆砕してしまう。

予め、破滅が決定している運命なんてあまりに悲しい。

だからといって使われることなく。ただ、どこかに狙いを定めているだけのミサイル「自身」にはどんな存在意義があるのだろう。誘導装置も、推進装置も、爆弾も、全部準備万端で整えているのにそれを誰かに見せびらかすばかりで――いや、見せびらかしてさえいないのかな?――何もしない、なんて、なんだか切なくないだろうか。

武器であろうとなんであろうと、道具は使われることが前提で製造されているはずだ。

例えば運転が下手くそで、自動車に備わったスペックを十全に引き出す技術など持ち合わせていなくても、何千万円もするスポーツカーを家の駐車場に停めておくだけでその家に住まう人の経済力やら社会的なステイタスを見せつけことはできる。だが、それは車にとって幸福なことだろうか。

もうちょっと女の子らしい喩えはないの?

と、友達の声が遠隔操作か精神感応か、超常的な手段で頭の中に響いた。

・・嘘です。

ミサイルだとか武器だとか戦争だとか、そんなことを話していると、頭に浮かぶイメージがついつい力強くなる?

えっと、もうちょっと女子らしく……こんなのでどうだろう。

例えば高級ブランドのスーツケースをオーダーメイドしたとする。憧れのブランドで、世界中のセレブが顧客に名を連ねている。頑張って働いて、貯金して、衣装ケースみたいな大きなものは無理だけど、数日の旅行に使えそうな小振りのものをやっと誂えた。想像以上にしっかりしていて、ただ高級なだけでなく、機能性も高い。でも、それを使って行く旅行そのものが経済的な問題や時間的な制約でなかなか計画できない。それでもなんとか捻出し、旅行計画を立てたものの、実際出掛ける段になると、とてももったいなくて、傷がついたら汚れたらと心配し、せっかくのスーツケースを持って行くことができない。だったら、そのスーツケースは何のために作られたのか。もちろん、お金を払った本人にとっては心の満足があるだろう。だが、使われるために作られのに、結局一度も使われることなく終わってしまうそのスーツケースに、存在した意義があるのだろうか?

こんなな下手くそな運転されるために作られたんじゃないぜ!

旅行に連れて行かないならオーダーなんてしないでよ!

兵器として破滅覚悟で発射台に載っているのに、なぜ、私は発射されないの?

中学生の私は受験勉強をそっちのけにして考えていた。

そして、思春期の私は単純な発想でこれをヒトや自分と結びつける。

ヒトは何のために生まれてきたの?

ミサイルの破壊に相当する人の行動はなんだろう?

破壊とか破滅とか考えると、ついつい死を連想してしまうけど、これは違う。大事なことは己や的が壊れてしまうことではない。あくまでも目的を成就することだ。そして、ヒトの目的は、突き詰めてゆけば子孫を次の時代に残すことではないだろうか。つまり、ミサイルの破壊は、ヒトにとって子供を作ること、生殖だと結論する。ミサイルによる敵の破壊も生殖による個体の増加も、国家だとか種だとかの支配力を強化、維持するという点でなんとなく似ていそうだ。でも、それだけなら、シマウマだろうとミジンコだろうと生き物全て同じ理屈になる。ミサイルの独自性にあたるヒトの独自性はどうなんだ。ミサイルは破壊に行使しなくても、遠く離れて発射台に設置するだけで影響力がある。ヒトは実際に子供を作らなくても……あれれ、どういうことだ?

単に言葉を置き換えるような簡単な比喩がすんなりできるはずもなく、中学生の私の思考はグルグルグルと空回りする。こんなことで灰色の脳細胞を疲労させるなら英単語ひとつ余分に覚えた方がいいに決まっているとわかっていながら無為な思考を継続する。

予め断っておくが、このときの私の逃避紛れの思索において、なんら結論めいたものは導かれていない。友達からは理屈っぽいと指摘される私だけれど、本当は論理的思考が得意ではない。ただ、父親を見て育ち、困ったときに言葉を失い理性的なふりをしながらその実感情だとか感覚で押し切る姿がちょっと格好悪いと持っていたから、なるべく気持ちに流されないようにしよう、冷静に考えるようにしようとは心がけていた。だから、中学や高校時代は迂闊なお喋りで自滅しないようにと、ちょっとばかり慎重になっていた。小学生の時よりも少し無口になって、口を開けば屁理屈めいた理屈を言う。本当は、条件がふたつみっつ重なると、私の幼稚な論理的思考は大混乱で口にすべき言葉を見つけられないでいた。でも、そんな態度が女子女子した女子からは、思慮深さと勘違いされていたみたいだ。

十五歳、中学三年生の私は、当然ヒトの生殖行為がどんなものかをもう知っていた。自分自身で試すのは、もう少し年月を経てからになるけれど、同級生で既に経験したという噂の子もいた。ミサイルの破壊とヒトの生殖を無理矢理結びつけた思春期の私が、性行為そのものについて思い巡らせるのも想像に難くないだろう。

ミサイルは使われることがなくても発射台で狙いを定める。そして、ヒトは子供をつくるつもりがなくてもセックスをする。

無茶苦茶なロジックだ。笑っていいよ。

身も蓋もなく言ってしまえば、受験勉強のストレスから抜け出そうとする私は、心の中に隠していた私=ミサイルの等式を久々に弄びながら、エッチな妄想をしていた、ということになる。

ただ、ひとつミサイルとヒトの大きな違いに気がついた。

ミサイルが破壊するのはたった一回限りだ。対象を破壊すれば自分自身もジ・エンド。でも、ヒトは繰り返し生殖することができる。女の子だってその気になれば(?)何度でも妊娠、出産できるし、男なんてモラルさえうっちゃれば相手を取っ替え引っ替え孕ませることができる。このへんは、交尾の後、メスに喰われてしまうカマキリ♂の覚悟を少しは見習うべきではなかろうか。

そして、もうひとつ大きな疑問が浮かび上がった。

だいたいミサイルは誰かがボタンを押さない限り射出されることはないのよね……それじゃあ、わたしの発射ボタン、いったい誰が押すのかな……。

くだらない思索だ。

どうでもいい疑問だ。

当時の私にも、そんなことわかっていた。

わかっていたけど「くだらない」の一言で済ませられない。

たぶん――今の私は推測するのだ――私はその時、ミサイルになった。幼い頃から抱いていた「私=ミサイル」の等式が実現した。体はさておき、私の心は、精神は、ミサイルと混じり合ったキメラを生み出したのだ。

入学試験の日程が迫り、いい加減逃避もしていられなくなる。

問題集を解きながら正答誤答に一喜一憂するうち、私の第二次ミサイルブームはひっそり終わる。そして「私=ミサイル」の等式が再び熱を帯びるのはもっともっと先になる。

ただ一度、高校で親しくなったある友達にだけ、私とミサイルに関する一連の逸話や考察を聞かせたことがある。

彼女は、笑っていた。
「馬っ鹿みたいで、凄く面白いよ!」

あ、そう。それは、よかった……?

 

(続)

2025年1月7日公開

作品集『RUE』第2話 (全5話)

© 2025 加藤那奈

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