演出上の事故

森水

小説

4,675文字

少し驚かせてしまうこととは思いますが、これらの全ては演出です

 私は不安です。タダで来れたからといって、本当に楽しめるんでしょうか。はぁ、こんな私とは違って、隣の一緒に来た友達は、既に開演前のBGⅯに体を揺らしているのですが、この曲がなんて曲なのかも私は知りません。それもそのはずで、私が今日このライブに来ているのはこのバンドのファンだからでは無くて、さっきも言った通りですけど、元々彼女の友達が買っていたチケットを、前日に熱を出したからという理由で私がタダで受け取ってしまったから、というわけなのです。

    最初は、曲もバンド名も聞いたことがない私が行っても仕方がない、と言って断ったのですが、彼女は「知らなくても十分楽しめるから」とか「ライブに行ったことがないなら、新しい体験ができるかもヨ」とか、果てには「というか一人で行くのは辛いからお願いだよ」と言って縋りつくので、若干の場違い的な気まずさを我慢して今ここにいます。

 さて、いつこれは始まるんだっけ、と思っていると、程なくして場内アナウンスが流れ始めました。まぁ、こういったアナウンスは禁止事項だとか、ルールがあるかもしれないから聞いておこう、とは思っていたので注意して聞いていますが……あれ。たった今、アナウンスの中に少し聞き慣れない内容があったようです。

「――本公演は途中、演出上の事故が起こることがありますが、あくまで演出ですので、ご了承ください」

 と。音楽ライブでまさかの事故を模した演出、だなんて。破天荒……というべきか、それほんとに大丈夫? でも、周りの人たちが特に気にする素振りも見せないことから、もしかするとこれは毎度恒例のことなのかもしれません。……すると、他にもいろいろあったりして。

「ねぇ、このバンドって何か決まったノリ方とかあったりするの」

「ええっとね、大体はⅯⅭで教えてくれるし、みんなに合わせていればいいからね。それにノれなくてもいいんだよ。好きに楽しめば、ね」

    ……ですって。でも、こう言われてしまうとなんだか却って不安になるものです。

 

 そうして私は不安を抱えながら、開演までの時間を待ちました。と言ってもあまり長くは待ちませんでした。

    それは突然、心臓に悪いほどの爆音ギター&ドラムに始まり、バッと閃光のようなライトがステージを照らしては瞬いて、あっという間に歓声が全体から沸き上がりました。

    ――ハッ、こんなに突然始まるとは思っていなかったので、本当にビックリしました。それから私が心の準備をするのも全く間に合わず、いきなり手拍子が始まるので、慌てて私は周りを見て合わせ、知らない掛け声は敢え無く逃がして、そうやってついにこのライブは開幕したのでした。

 

    それから、ライブが始まってしばらくしてからの私は何というか、適当ながらも徐々に楽しむことが出来はじめている自分に安心して、知らない曲のリズムに体を揺らしておりました。

   それと、私がもう一つ安心したことには、そんな破天荒な演出をするんだから、きっと私には難しくって激しいロックバンドなんだと予想していたら実際は、小難しくてそんなに激しいわけではないロックバンドでした。つまり、王道を行くわけではないけど、こうやってノることが出来ているくらいの親しみやすさもあるということです。うーん、それにしても不思議。ちょっと前までノリ方とかなんだとかで戸惑っていたはずなのに本当、何も難しいことでは無かったんですね。周りに合わせて手拍子をするのも、慣れればもはや自分のペースになりました。……いや、多分そうじゃなくって、このライブの雰囲気に私の方が飲まれていて、自然と心も体もついていくのでしょうね。そう思えば、なんだかこういう雰囲気も苦手じゃないかも。そんな調子で中盤に差し掛かるときには、それはもうすっかり――

 

    えっ、何があったの。突如、劈く高音と混じって、大きなものが地面を叩きつけるような轟音が鳴り響きました。いや! 本当に大きなものがステージに落ちたんだわ! あの、人の身長よりは少しばかりか小さいくらいの、それでも十分に大きいあの照明機器の事です! そしてそれは一目瞭然。でも、それがただ落ちただけだったらまだ良かったのかもしれません。私は思わず「ヒッ」と声を漏らし、咄嗟に目を逸らしました。だって、だって、ソレが今まさに、目の前のベーシストを下敷きにしているのに! そのベーシストは動く気配がありません。どうしよう、大変なことになってる……のにあれ、どうしてここにいる誰も悲鳴を上げないの。その時私はやっと思い出しました。――これって演出なんだっけ。

    いや待って。そう言われていても、私にとってこの光景は、信じる方がまだ難しいほどのものに見えます。だって、どう見ても本物の、そこに確かに居た人に、アレが直撃したのをこの目で見ましたから。……あぁっ、とにかくこれが本当に演出なんだったら、早くそうと言ってほしいのですが。

    すると、またもや今度は客席から、一や二どころではないほどテンポの遅れた悲鳴が聞こえてくるではありませんか。でもその悲鳴も、どう表すべきなのかはハッキリしませんが、なんだか軽くて、もはや〝黄色い悲鳴〟と言ってもいいくらいです。あぁ、ところで私はこの状況をどう見ていればいいの。もう私はたまらず隣の友人に聞くことにしました。

「ねぇ、これって演出なの」

「そうだよ、毎回の事だから焦らないでね」

    だそうです。……まぁ、彼女が言うのだからそうなんだろうけど、リアルすぎるあの演出にまだ不安をぬぐい切れないまま、ステージ上で巻き起こっている、おそらく茶番と、時々観客が発する「大丈夫か!」という掛け声を聞き続けるという忍耐を強いられることに只今なっているみたいです。

 

「ねぇ、これいつまで続くの」

    私はこの茶番のあまりの長さに、不安も打ち消されるほど、いよいよしびれを切らしそうになっていました。だって、もう既にあの瞬間から三十分は経っています。もう本当に私はこの演出をどう見ていたらいいの。

「うーん、今回は長すぎるね。まぁ、でもやっていることは、いつもとそう変わらないし……あぁ、そうか。今回はあんな大きい照明を使ったから、それをハケたり、それだけじゃなくても裏で照明を元の状態に戻したりだとか、いろいろやっているんじゃないかな。うん、流石にそろそろだと思うけど……」

「……でも」

   それにしても、時間稼ぎのためとはいえ、ずっと同じパターンで繰り返される、バンドメンバーによる「大丈夫?」「生きてるか!」の茶番劇は無理があるんじゃないの、とは思いますが。あとは、この演出の意味がさっぱり分かりません。こんなに時間を割いてまで、これは一体どういったファンサービスなんでしょう。音楽を聴きに来たのに私は何を見せられているの! あぁ、これから演奏が再開されても、さっきみたいにノれる気がしないわ。

    と、私の不安がすっかり怒りに変わりかけていたその時、一瞬ステージが暗転したかと思えば、次の瞬間には、定位置に着いたバンドメンバーが演奏を再開したのです。その時同時に轟くギターと、それに応えるよう湧き上がる歓声。まさか本当に何事も無かったかのように始まるなんて。しかし相も変わらず、なのか、倒れたベーシストはすっかりステージに放置されたままで、一切それに関しても触れられることは最後までありませんでした。

   だから私は最後まであっけらかんで終わってしまったのでした。

 

 そういったわけで、現在はもうあのライブを見た日から一週間が経ちました。決していい意味ではないけれど、忘れられない記憶として、あの瞬間だけがビッチリと脳裏にこびりついているので本当に困ります。でも、今になって思い出すと、あれは本当に都合のいい事故だったのだと思います(演出ですからね)。だって、ステージの照明機器がそんなに簡単に落下するものでしょうか。あのライブ会場も全く古いようには見えませんでしたし、そう考えると滅多なことであんな事故は起きないんじゃないでしょうか。それから何より、倒れたメンバーに、バンドメンバー以外の誰も、スタッフの一人すら駆け付けなかったんだから、きっとあの照明器具も、見た目に反してハリボテだったのかもしれないし、これが一番、事故でなかったと安心できる理由になるでしょう。

    ……と、昨日までの私は考えていました。はい、そうなんです。これらの予想や、公演中に友人が言っていたことが当の今日、全て無に帰したのです。もう、あまり詳しく語る必要は無いかと思うのですが、今日私がSNSを何気なしに見ていると、そこにあのバンドのベーシストが亡くなったというニュースが流れてきたんです。

    ……はぁ、私はなんて悪運を持っていたのでしょう。好きでもなかったバンドのライブに半ば無理やり連れられて、そこで見せられたのが本物の事故現場だったなんて信じられない。まぁ確かに音楽や演奏はとても良かったけれども。……にしても、メンバーにとっても今回は不運な事故だったと言えるでしょう。あくまで事故ではない、という元の演出に沿って動いた結果、彼らも、それが今回ばかりは本物の事故につながってしまう、とは予想もしなかったわけでしょうし。

    そして今、こうやって淡々と事故を振り返っている私、に見えますが、本心のところは酷く憂鬱な気分です。まぁ当たり前のこと。人の死を目の当たりにして、「酷く」落ち込まないほど、私は異常者じゃありません。ああっ、でも……でも、もしかすると、ファンでもない私より、友人の方が精神的な傷をずっと深く負っているかもしれません。

    ――それを思い出したとき、私はあまりに嫌な予感がしました。それこそ、メンバーの死、だけではなく、私を誘ってしまったことまで彼女は悔いている可能性があると思うのです。それに彼女も、全く気丈な性格ではありませんし、どれだけ今彼女が落ち込んでいるだろうか、と考えると〝最悪〟さえ頭を過りました。

    ……そうだ、今すぐ電話して、少なくとも私を誘ったことだけは悔やまないでほしい、と言っておかないといけない……でも待って、もしあの子がまだニュースを見ていなかったら? いや、きっとそれも時間の問題でしょう。そう思って私はついに彼女に電話を掛けました。

「……あ、もしもし、今大丈夫?」

   私はこの時緊張で声が少し震えていました。……でもきっと大丈夫。そして電話に出てくれた彼女は応えました。

「大丈夫だけど、どうしたの」

    と。どうしよう、この感じだと訃報を知らないのかもしれない。

「あのね、凄く言いにくいんだけどね、この前見に行ったバンドの、ええっと、ベースの人、があのライブの演出で本当に亡くなったらしくてね、凄く……凄く私も苦しいんだけど、とにかく、私をライブに連れて行ってくれたことは何も悪く思わないでほしいと思っててね、だから――」

    私はもう、早口で全てを話してしまったことに咄嗟に気が付いて、一度この口を止めました。そして、彼女の反応を少し待とうと思ったのですが、彼女はすぐにこう答えました。

「ええ、待ってよ。落ち着いて、あれは演出だって言ってたじゃない」

「違う、そう言う意味じゃなくって……」

「毎回あの人は死ぬところまでが決まった流れなんだって。だからね――」

「は」

    死ぬ……まで演出? 本当に?

「ほら、また一週間もしたらあの人、生き返るからね。安心して」

「ええ、じゃ、死んだのは嘘なの」

「ううん、本当だけど」

「え、でも」

 

    ――ハアッ。もう、どこまでが演出なのかしら。

2024年10月31日公開

© 2024 森水

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